① 原作背景➁ 教材化採録の問題点③ 用語言語の操作性
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花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

重要な要因になっている。海の中で様々な生き物たちと出会った体験がスイミーに新しい世界を発見させ、それが「見ること」「考えること」の意味を考察させる源ともなっている。スイミーにおける「見ること」「考えること」とは、生死の際という極限の体験、そこからの脱出とその後の新しい世界との邂逅

2023-07-15 15:45:12
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

といった劇的な人生体験に裏打ちされた深みのある問題であった。このスイミーの恐怖や孤独、そこからの新たな開放の喜びといった内面への共感が読み手には必要であり、スイミーの〈かしこさ〉を強く押し出す谷川訳は、そうした側面に不十分さが残る訳となっている。twitter.com/chokusenhikaem…

2023-07-15 15:50:23
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

(天声人語, 14.7.2023) 「 前には理解できる嘘(うそ)があって、その後ろには理解できない真実が透けてみえる」  仏亡命を「逃げた」と責められ、母国では嫌われた。本人は否定したが、過去に秘密警察に協力していたとの報道も出た。彼も歴史に翻弄されたのかもしれない。asahi.com/articles/DA3S1…

2023-07-14 10:08:08
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

もっと大事なことは「見ること」「考えること」とは何かという、極めて本質的な問題をこの作品が語っているという点にある。  『スイミー』の素晴らしさは、世界解釈の重要な手がかりを読み取ることができる点にある。これを教材として教室に持ち込むためには、作品の奥行を可能な限り測定しておく

2023-07-15 15:58:54
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

努力もまた求められる。  『スイミー』が教えてくれる重要な問題は「見ること」「考えること」とは何かという、ものの味方、捉え方である。スイミー自身は、世界を「見ること」「考えること」が、果たして十全にできていたのだろうか。  川村湊は「スイミーが「平面の魚」であるという意味は、

2023-07-15 16:05:08
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

全体や集団の中に埋没する「個」にしか過ぎないということと、大きな魚は自分自身の姿の虚影を見て、逃げ出した」という。別言すれば、スイミーは本当の奥行のある世界には至っていない。しかし語り手はその問題をよくわかっている。語り手は、スイミーの「かしこい」あり方の限界をこそ語っている。

2023-07-15 16:10:58
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

学習に即して言えば、物語を楽しんでから、〈でもこれで本当にいいのかな〉と話し合うこと、物語が閉じられた後のスイミーたちのことを我がこととして考えてみること、絶対的な解決策などないからこそ、その場に応じた最善策を見出すには「見ること」「考えること」がいかに重要かをもう一度よく知る

2023-07-15 16:15:32
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ことなどを教えることが可能になる。  大きな魚を追い出して物語は終わるが、🖍️そこから本当に大切な生の課題は始まる。そこに至るまでを提示することが可能かどうか、教材価値はそこで決まる。twitter.com/chokusenhikaem…

2023-07-15 16:22:38
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(スラヴェンカ・ドラクリッチさん)  冷戦が終わり、東欧の人々は西側に憧れた。だが、その先に待っていたのが幻滅と反動だった。「ウクライナも同様の経験をすることになるはずです」asahi.com/articles/DA3S1…

2023-07-14 11:56:11
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

世界が仮にこの絵本と同様の「平面」だったら、スイミー的な「知恵」で生き延びることも可能かも知れない。だが、世界の実体は複合的で多重的であり、仮に、「平面」世界では可能な解決策も、現実世界では不可能となる。twitter.com/chokusenhikaem…

2023-07-15 16:28:12
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

「西欧の標準的な生活か人権かを選べと言われたら、多くの人は迷いなく標準的な生活を選んだでしょう」  ドラクリッチさんは、東欧のメンタリティーの特徴を二つ挙げる。 ▪ 一つは強い犠牲者意識だ。オスマントルコ、ハプスブルク、ロシアなどの帝国に挟まれ、領土を脅かされてきた。

2023-07-14 11:56:12
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

どうすれば良いのか。他者を発見し「見ること」「考えること」が解答へと至る可能性を秘めている。  物語の枠内に留まって、スイミーと同じ地平に立っているだけでは進展を望めないが、 twitter.com/chokusenhikaem…

2023-07-15 16:31:24
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

20世紀に入ってからもナチス・ドイツやソ連に踏みにじられてきた。  「自分たちは最大の被害者だ。自分たちにもっと敬意を持って欲しいという気持ちが特に強いのです」 この被害者意識は、被害者である我々と加害者という分断を生みだす。攻撃的なナショナリズムとの相性はきわめて良い。

2023-07-14 11:56:13
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

『スイミー』という絵本から示唆を得て、現実世界をどう「見る」か、「考える」かをよく極めることが大切になる。twitter.com/chokusenhikaem…

2023-07-15 16:34:13
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

▪ もう一つは大衆意識だ。  「共産党体制を経て、上からの指示をただ待つことに慣れてしまった面があると思います」  「大衆は、自分たちの代わりに何でも決めてくれる強いリーダーを望む傾向にあるのです」  これは東欧だけではなく、プーチン大統領を選び続けるロシア国民にも当てはまるだろう。

2023-07-14 11:56:14
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

「見る」とは何か、「考える」とは何かという問題の本質へと至る道をどこまで深く豊かに掘り下げることができるのか、そのために必要なこととは何か、ここを考察する姿勢(生き方)を模索することであり、可能な限り思索を凝らすことである。twitter.com/chokusenhikaem…

2023-07-15 16:39:08
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

東欧の幻想が幻滅に変わったのは21世紀以降だった。ユーロ危機、難民危機が起きる。失業率の高さから人口、特に若者の流出が問題となる。やがてポピュリズムの風が吹き、ハンガリーやポーランドを筆頭に権威主義的な国家が生まれていった。

2023-07-14 11:56:15
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

「見ること」も「考えること」も、世界と己との対峙の形を問うことに通じている。生死の分岐点をくぐり抜け、仲間と助け合うことで異物に擬態化し危機を脱したスイミーの〈かしこさ〉を、「平面」世界から離陸させ〈立体化〉していくこと。twitter.com/chokusenhikaem…

2023-07-15 16:43:15
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ウクライナも西側の一員になろうとしている。多くの国民がEU、NATO加盟を望み戦っている。そんな彼らでもいつかやってくる戦後、東欧と同じ経験をすることになるのか。  「人間はなかなか過去から学べない。だから私たちと同じ失望を経験するでしょう。でもそれは普通のことでもあります」

2023-07-14 11:56:16
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

この難問と対峙する時、作品『スイミー』は、世界との出会い方、向き合い方を、幼い読み手にも伝わるように巧みに物語化した秀作となる。それは物語の表層を辿るだけでは発見できない、深層への読み深め、絵と十分に吟味された訳文双方の詳細な考察によって初めて可能になる。twitter.com/chokusenhikaem…

2023-07-15 16:48:15
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

「民主主義に簡単なコースはない。その過程は緩慢で痛みの伴う、多くの間違いに満ちたものとなります。そのことを理解することが大事です」  クロアチアでも、市民社会が少しずつ成熟してきている。民族主義の存在は今も無視できないが、「東欧のメンタリティー」の負の側面を克服しようとしている。

2023-07-14 11:56:17
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

〈みんなで一つになって力を合わせることは、巨大な敵をもやっつけられる〉といった、〈集団化〉の賛美や同調圧力の強化、一人称の主語を失う怖さにも通じる危険性を『スイミー』は確かに孕んでいる。twitter.com/chokusenhikaem…

2023-07-15 16:53:53
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

「メディアと社会は合わせ鏡。メディア内部で、個々人が自主規制や忖度から思考停止し、一人称の主語を失うことの怖さをまず皆さんには気づいてほしい」(聞き手・石川智也)〈了〉🧵 pic.twitter.com/CWD5hK1KQa

2023-07-14 22:33:54
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

前引の日本とフィンランドの子どもたちの意見の相違は、日本のSNSにおける異質性排除のように、社会構造の影が色濃く反映されている。  「見ること」「考えること」への深い問いつめの過程から世界解釈を転換させていくこと。優れた文学作品は、物語の秀逸さを武器に、世界の根底に伏在している

2023-07-15 17:00:47
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

諸問題の根の部分を暴き、それの解決策に至るヒントを読者に教える役目を担う。(馬場重行) twitter.com/chokusenhikaem…

2023-07-15 17:03:59
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ウクライナも同じだろう。その未来は当然、戦況次第ではある。だが、自立した人間が少しずつ増え、幻滅を乗り越えた先に、きっと「西欧」としてのウクライナがある。ドラクリッチさんの話は、そのことを教えてくれる。(田島知樹)〈了〉🧵

2023-07-14 11:56:18
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

➁ 教材化採録の問題点 └d) 解釈の差異[←b]  以上において、『スイミー』(b) の主題解釈の相違を先に述べた。  逆順になったが、『あおくんときいろくん』(a) の谷川訳〈きいろちゃん〉の問題点にも触れておこう。 ➁ 教材化採録の問題点 └c) 各国語訳と谷川(日本語)訳の差異[←a]

2023-07-15 18:49:36
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

"Piccolo blu e piccolo giallo" とイタリア語版にある通り、piccolo giallo であって、piccola ではない。  それゆえ原作背景で前引したように、2015年に、ジェンダー問題に触れていることを理由にヴェネツィアの保育園や幼稚園から撤去される事件が起きた。 youtu.be/rliz3XJfqPk

2023-07-15 18:59:05
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

高鷲志子は英語版の文章で考察している。 「もし作者の レオ・レオー二が little yellow の性別を確定したい、あるいは確定すべきだと考えた時、1カ所だけそれが可能な場所がある。第3文である。 ここを関係詞で受けずに、代名詞 he または She で受けることもできたはずである」 pic.twitter.com/9A64xZl4GJ

2023-07-15 19:11:19
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花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

「ここで曖昧にしたことは作者の意図として考えることもできる」  次に第12文を検討する。ここで大事なことは、二人がしっかり抱き合ったからみどりになったということである。しかし、日本語訳の「よかったね あおくんときいろちゃんは うれしくて もううれしくて とうとうみどりになりました」

2023-07-15 19:19:04
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

では、その点が欠落している。「うれしい」という感情が二人をみどりにしたのではない。「うれしい」という感情に突き動かされて出てきたhugという行為によってみどりになったことが、英語の文からうかがえる。日本語からは、二人の主体的な行動が見えてこない。

2023-07-15 19:24:38
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

「きいろ」と「あお」 を混ぜ合わせれば「みどり」になるという単なる現象面だけが強調され、色を擬人化した面白さも、そこから生まれる深みも損なわれてしまった。  そして、二人は公園に出かけるのだが、第13文の主語は、theyである。

2023-07-15 19:31:54
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ところが、日本語では「あおくんときいろちゃんはこうえんへあそびにいきました」と訳されている。公園に出かけてゆくのは、確かに「あおくん」と「きいろちゃん」なのだが、実際は重なり合って「みどり」になった「あおくん」であり、「きいろちゃん」である。

2023-07-15 19:35:51
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

この作品は、「あお」と「きいろ」を混ぜ合わせたら「みどり」になりました、というだけの作品ではないはずだ。色を擬人化することによって、レオ・レオー二は「存在」という深い意味を付加したのだと思う。単純でわかりやすい作品であるがために、訳者は想定した読み手を間違ったのではないか。

2023-07-15 19:36:50
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

悲しくなって泣き出すと、二人の流した涙が「あお」と「きいろ」のつぶつぶになった。すっかり「あお」と「きいろ」の涙になった二人は、自分たちの涙をかき集め little blue と little yellow に戻る。pulled themselves togther と 表現されている、二人の意志を持った行動に注目したい(第22文)。

2023-07-15 19:39:52
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

自分のすべてを、まるごとわかってもらえると思っていた両親に、受けとめてもらえなかった時に、「自分っていったい何なのだろう」と、問い直さずにはいられなかった。その時、あおくんが自分を掘り起こしてみる(自分を解体していく)作業と、きいろちゃんのそれが同じであるわけはない。

2023-07-15 19:42:00
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

〈自分〉の構成の仕方が異なっているのだから。自分をつき崩して始まりを確かめようとする過程も異なる。〈みどりのつぶつぶで〉はなく、ばらばらに〈あおのつぶつぶ〉と〈きいろのつぶつぶ〉になるしかなかっただろう。

2023-07-15 19:45:23
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

色を擬人化することによって見えてくるのは、「自分」と「他者」とのあり方の違いであり、自分を確認するという作業である。涙になった一粒一粒の自分をかき集めて、再構築することで、little blue も little yellow も自分の存在を認識したのである。 pic.twitter.com/HVEHoZTmDs

2023-07-15 19:51:21
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花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

したがってその行為は、pulled themselves togetherと表現されているように、主体的な言葉が選びとられなければならない。ところが、第22文は、「あおのなみだはあおくんに、きいろのなみだはきいろちゃん になりました」と、訳されている。

2023-07-15 19:53:52
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

つぶつぶになったそれぞれの涙が意思の力を持って、再び「あお」と「きいろ」になってはじめて、二人の自己確認の作業 が完成されるのである。この日本語では、その二人のエネルギーが感じられるだろうか。 藤田氏の翻訳からでは、残念ながら、この二人の存在をかけた行動の意味が伝わらない。

2023-07-15 19:54:55
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

第17文と第18文は、papa and mama という順序になっている。しかし、第23文では mama が先に来ている。これにも何か意味があるのだろう。  この littie blue and little yellow という作品は、「自分を知る」というテーマを持った作品である。

2023-07-15 19:58:09
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

『あおくんときいろちゃん』の日本語からは、この「読み」が感じられない。 「あおのなみだはあおくんに、きいろのなみだはきいろちゃんになりました」という文で は、自分を再び構築するという、little blue と litle yellewの主体性が表現されてない。

2023-07-15 19:59:26
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

自分を知るとは、他者を受け止めること。「みどり」になって、新しい自分を発見するためには、相手を hug しなければならない。hug という行為は、相手を受け止め、そのことによって、自分の痛みがいっそうひどくなったとしても、それも引き受けることである。 pic.twitter.com/aBXgFTvfJe

2023-07-15 20:02:54
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花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

最後のページは、親たちが抱き合って、みどりになっている場面が描かれている。彼らは、little blue と little yellow がはじめて抱き合った時のように、ぴったり重なっていない。その姿は、ぴったり重なってしまうほど抱き合うことは、とても怖いことを知っている大人の姿が現されているのだろうか。 pic.twitter.com/l9FwV2Jfl7

2023-07-15 20:09:58
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花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

TLで話題の谷川訳の「でも」については、岡田温司から引いておく。  ブレイクの「黒人の少年」という詩は、「ぼくの母さんは南の荒れ野で僕を産んだ / だから色は黒いけれど、おお! 僕の魂は白い」とはじまる。 「置換神学Supersessionism」の名で呼ばれるこの種の傾向は、twitter.com/DividedSelf_94…

2023-07-15 20:27:39
-------- @DividedSelf_94

谷川訳のスイミーは子供のことに何百回と読んだ本だが、この「でも」に随分と引きずられた解釈で記憶してたなと今になって思う。「みにくいアヒルの子」みたいな話の印象があった。実際原文で読んでみるとすごくプレーンな話だった。全く肌色を強調した話ではない。

2023-06-25 23:18:31
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

すでに古くからあったものたが、反ユダヤ主義とともに19世紀に改めて表面化する。  シバの女王は「花嫁」にして教会のタイポロジーでもあった。紀元前3世紀頃の七十人訳聖書では、「花嫁」は「わたしは黒くて美しい(メライナ・エイミ・カイ・カレー)」と歌う。min.togetter.com/BXQNw3C

2023-07-15 20:31:09
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

「黒い」と「美しい」は順接でつながっていたのだ。シバの女王に関して、本来は、「黒い」と「美しい」とが順接によって結びついていたのに対して、初期キリスト教の時代になって(3世紀のオリゲネスの『雅歌注解』、5世紀のヒエロニムスによるラテン語訳、ウルガダ聖書、1611年の欽定訳聖書)、

2023-07-15 20:31:57
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

両者は逆説でつながるものに書き換えられ、(「黒いけれども愛らしい」)さらに近世において美的というよりも性的なニュアンスが表面化されてきた。  シャルトル大聖堂の北扉口を飾る彫刻では、同じエチオピア人ながら、シバの女王は白い肌の西洋人、足下に踏みつけられている従者は黒い肌の現地人の姿

2023-07-15 20:34:12
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

をしている。  中世からルネサンスにかけて頻繁に描かれたエチオピアの女王にして賢女は、たいてい白い肌の西洋人として登場する。明らかに黒か褐色の肌とわかっていても、むしろあえて真っ白い肌で描かれてきたのは、シバの女王ばかりではない。アンドロメダ、クレオパトラしかりである。

2023-07-15 20:34:54
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

そこには明らかに、潜在的なレイシズムとセクシズムの影が認められる。  西洋絵画の中で飽くことなく脱色され漂白されてきたのは、いずれも女性のキャラクターだ。このことは、レイシスムがセクシズムとも結託してきたことの証左となる。黒い肌の女性は二重のくびきを負わされてきたのである。

2023-07-15 20:36:02
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

③ 用語言語の操作性 └e) アフォーダンス (affordance) └f) 分人民主主義 (divicracy)  言語が世界のあり方を制作するというとき、用語言語とは言語の操作性を指す。言語の社会的文化的な約束事のことだ。視点人物をいかに相対化するかが教育における読みの方法で問われる。twitter.com/chokusenhikaem…

2023-07-24 19:48:44
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

インタビュー中も、何度も「石川さんはどう思う?」と逆質問が飛んできた。一人称を保て。そう言わんばかりに。  いつの間にか主客が反転する。この人への取材はいつもこうだ。(聞き手・(石川智也)digital.asahi.com/articles/DA3S1…

2023-07-15 20:58:35
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ケプラーのコピー説では、網膜像を見ている小人が頭の中にいるとされた。デカルトはこれに対抗して「こころ」を考えた。 ▪『新版 アフォーダンス』佐々木正人, 岩波科学ライブラリー 234, 2015.1.9 ▪『なめらかな社会とその敵 PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論』鈴木健, 2013.1.30 ゟ pic.twitter.com/K7uT46HeY4

2023-07-24 19:56:49
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花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

メロディのような感覚要素の総和以上のもの、総和とは異なったものを、エーレンフェルスは「ゲシュタルト質」と定義した。デカルトの後継者は、その知覚が中枢ー推論説によるとした(恒常性仮説)が、ファイ(仮現運動)現象の存在やホルトら新実在論者の特定性のアイデアによって反駁された。

2023-07-24 20:20:16
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

感覚器官の入力から知覚を説明するドグマからギブソンが抜け出せたのは、空軍視覚テストに携わってからだった。 「3次元の知覚、距離知覚の問題は、観察者の前に広がっている連続する面の問題である。地面は視空間知覚のベースである」youtu.be/33riAKZtF6s

2023-07-24 20:44:03
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ギブソンは、面の傾きに「光学的傾き」と「「地理的傾き」の2種類があることに気づいた。面は単独で存在しているわけではなく、面どうしの配置が重要で、地面は特別な意味を持つ。知覚者はその面を見ている自分の姿勢が地面に対してどのような角度であるのかを知覚している。youtu.be/Sb2wVlTGjiM

2023-07-24 20:51:11
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

動きを考慮し始めると、視覚を網膜像から説明することはきわめて難しくなる。動きが重要であるということは、形(form・ユークリッド幾何の単位)にではなく、変形に意味があることを示唆する。対象の変化にリアルな姿(shape)を見ている。知覚とは変化に埋め込まれている不変を知ることなのだ。

2023-07-24 21:05:38
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

着陸シミュレーターでは、外見の見えは、外界と同時に、それを見ている知覚者の位置や姿勢、動きもあらわしている。見えの変化の中に移動者の姿勢の変化が見えるのは、あらゆる視覚体験に共通する事実である。視覚は自己感覚でもあるのだ。twitter.com/aadaavaan/stat…

2023-07-24 21:12:54
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

馬・ヤギ・うさぎのパノラマ眼の215度の視野は1つの像には結ばない。ヨツメウオでは上下に分かれている。霊長類の眼だけをベースにして、動物の視覚全体を議論することは間違いである。しかしどれもが進化のもたらした環境への適応なのである。twitter.com/adelie_aquariu…

2023-07-24 21:27:19
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

凹状眼と凸状眼の違いは、受容する光の順序が逆であることだけで、周囲の光配列に対応している点では共通している。網膜像だけから視覚を説明するのは誤りなのだ。  ギブソンは、包囲する光 (ambient light) を生態光学と名付けた。包囲光は視覚の情報となる。 pic.twitter.com/2o9TDKQhbn

2023-07-24 21:45:29
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包囲光は周囲の1つの面を、観察者に対して1つの角度(立体角)として投映している。包囲光配列の全体は、立体角が集まって、ある構造をなした球である。観察者の動きに伴って変化する包囲光配列の構造をギブソンは遠近法構造と呼んだ。フォームの変化は変わらないシェープを特定する。

2023-07-24 21:51:13