現存する世界最古のシンクタンクとされる、天武天皇の遁甲の発想によって忌家として隠された日の巫女の王の家=息長氏の姬姓斎皇家で天照大神の神託を下す神事を担当してきた斎皇の一人です。世界連邦政府の設立に向けたプロジェクトを推進しています。家業を離れた専門は、先代の斎皇=母と同じく,散逸構造を持つ脳と思考の自己組織化です。
ローマの騎士エクィテスの末裔を名乗る忍び姿で世の中の動きを見聞してきましたが、そろそろ秦氏の商人=ファイナンシャルリートのシンクタンクを統べる者として世界連邦政府の設立に向けて未来構想も述べていきます。情報を捻じ曲げる偏向工作員が多いので洗脳に注意!
古事記🎌言霊学👩❤️💋👨神文😇
1:混同してはいけない 姬 姫 日女:6/23
全部同じ「姓」の家の人のことだから、格下の「姫」の文字は使用不可。
歴史からは巧みに隠されたようですが、日本は古代より、日の巫女(卑弥呼様)の神託により導かれてきたようです㊙️ 卑弥呼様=日の巫女、天照大御神=妙齢の巫女、瀬織津姫=背の曲がった高齢の巫女、神功皇后=あらゆる巫女の象徴 明治政府が発行した日本最初の紙幣に描かれた人物は... pic.twitter.com/sthOvgh0V0
2021-06-22 19:22:44@tenkyublog 姫と姬はまったく別の文字です。 姫は臣下の娘… 日本の国姓は“姬”です。 古い時代はすべて姬の文字が用いられていました。 皇統を産み出した神功皇后の家の宗主の高御座の台座には、黄色い麒麟が描かれていますが、天皇の高御座の麒麟は斎皇家に憚って一段格式を落とした青色の聳孤です。
2021-06-23 10:35:10@tenkyublog 昔の縄文文化圏の国々は母系継承の妻問婚社会なので、どんなに高貴な家もルーツを辿ると母方の家に行き着きます。 したがって、 日本の国姓の姬を母系継承する皇祖神の祭祀を司る御家に対しては、天皇も畏まるしかないのです。 姫の字を用いるのは、下に見ることになってしまいます。
2021-06-23 10:40:10「精神を高める修行」を否定する 神道音楽家
形だけ修した人だったみたい・・
神の道は人の道。不思議を求めたり、神秘的な力を得よう とすることには非ず。日々の勤めを果たし、ただただ人道 を歩むこと。真なる神の導きも、人事を尽くしていく上に、 本人も気づかずに現れ、真なる行法も、何も聞こえず何も 見えずで、ただ天晴れたる平常の我があるのみ。。 pic.twitter.com/BWzg44SEzX
2021-06-22 07:44:36@yakabe_yukihiko 神道は多彩な神々を祭祀しているので、定まった信仰形態や教義がないようにも見えますが、 少なくとも、祭神との精神的な交流を行って、自らを高めていくことが基本です。 自我と対になる蘇我=祭神の優れた精神が存在し、日々導かれていることを悟れば自ずと道が開けますよ。
2021-06-23 11:29:43@yakabe_yukihiko ユングに連なる心理学者達は、生命を自然調和する方向に導いて、生かし続ける内なる働きを擬人化した象徴的人格が、夜見る夢の中に出現することを理解していますが、 より積極的に交流を持つ神事が日本の神道界に伝承されてきたことまでは充分な理解が及ばないようです。
2021-06-23 11:30:18※びっくりしたのか、レス無しで終わり。
「姬」の話題に戻る
@tenkyublog いえいえ。 姬と姫の文字は似ていて、旧字から新字に切り替わる過程で、どちらか一択する話になって、二転三転しているので、よく分からなくなっている人が多いと思います。 姬は、母親が姬水のほとりで黄帝=太陽帝を産んだ故事に因む黄帝の別姓で、 姬姓を名乗った王朝は周などがあります。
2021-06-23 14:29:05@tenkyublog 姬が日本の国姓で、日本は東海姬氏国と呼ばれたこともあり、 なぜそうなのかについては、“日本書紀私記”で解説されているので、目を通しておかれると良いと思います。 皇室には姓がないとされるのに、なぜ日本は姬が国姓とされているのか? それは、天照大神と神功皇后が皇統の祖とされるから。
2021-06-23 14:31:21@tenkyublog 日本書紀は、 あたかも神功皇后が天照大神であるかのように、盛んに仄めかす書き方をしていますが、天照大神=太陽の女神の信仰は非常に古いですから、三韓が存在した時代の巫女がモデルの筈がありません。 卑弥呼=日の巫女の王=斎皇の中国大陸に派遣された使者は、周の官職名を名乗っています。
2021-06-23 14:44:18@tenkyublog 宇佐神宮の前身となった香春神社には、 息長の日女神=天照大神は、神代に唐土=中国大陸に赴いて里帰りしたとあり、 約7千年前の鬼界カルデラの破局噴火のときに大陸東岸部に集団疎開したグループが東夷族と呼ばれて王家を構え、様々な文化を育んでから日本に戻っていることが分かります。
2021-06-23 14:48:04@tenkyublog 黄帝の息子は東夷族とされるので、黄帝もまた縄文系の東夷の王族と見るのが妥当な状況です。 ですから、 黄帝の母親は天照大神=羲和の祭祀を行う斎皇家の日の巫女の王=斎皇で、姬姓は元から斎皇家の姓と見るべきです。 姬水は現在の昭陽湖と斎皇家では内々に伝わります。 goo.gl/maps/ZEDeHGTiN…
2021-06-23 14:55:11@tenkyublog 殷墟からは漢字のルーツになった甲骨文字が大量に出土しましたが、 この占いがどのようなものだったか正確に解説できるのも、今となっては斎皇家のみです。 現代人から見れば、骨を焼く占いなど原始的と映るかもしれませんが、実際にはそうではありません。極めて論理的な理由があるのです。
2021-06-23 15:01:02@tenkyublog 国が栄えて都市に人が集まりすぎると、しだいに大人数を養いきれなくなり、遷都が必要になることがあります。 各地で獲れた鹿などの動物の骨を焼けば、その動物の栄養状態が分かります。栄養豊富な草食動物が多く育つ場所は、肥沃な土地なので、遷都に適していることになります。
2021-06-23 15:01:37@tenkyublog 同じように、 各地で獲れた食用の亀の甲羅を集めて焼いて、その断面の様子から、水田を作るのに適した肥えた土地も割り出せます。 もとは地名などの目印になる絵文字を刻んでいたようですが、そのうち占いの目的が分からなくなった人々が、様々な文字を刻んで儀式を行うようになったようです。
2021-06-23 15:05:51@tenkyublog 漢字を産んだ殷=商の国王家は東夷系と考える学者も多く、 太陽の女神羲和=天照大神の子孫を名乗っていて、斎皇家の甲骨文字の占いを頼りに遷都していたのですから、 漢字はズバリ斎皇家から生まれたと見るのが正解です。 ですから、姬姓を中華圏から貰ったと考えるのは間違いです。
2021-06-23 15:09:14@tenkyublog 秦が中国を統一したときに、多くの戦争難民が出て、その人々は始皇帝の命令で万里の長城を築く仕事に従事されていたようですが、 大脱走して朝鮮半島の南端まで逃げて、辰韓→新羅の国を興し、日本にも里帰りしています。 これによって、日本は縄文時代から弥生時代へと変わっています。
2021-06-23 15:15:32@tenkyublog 斎皇家のエージェントの徐福は金山師=鉱山技師が家業で、始皇帝に巧みに取り入って姻戚関係を結んで、始皇帝の嬴姓の傍流を表す瀛姓を賜っています。 徐福がもたらした水銀は、始皇帝が不老不死の糸口と考えて重視した液体金属です。
2021-06-23 15:19:29@tenkyublog 徐福は、戦争孤児を率いて蓬莱=日本に行って水銀を掘って来ると始皇帝を言いくるめて、大船団の建造許可を貰って、縄文系東夷族の難民を引き連れて日本に里帰りしましたが、 坑儒を目の当たりにして恐ろしさをよく知っていたので中国大陸には戻らず、子孫に対して徐福の名を出すなと遺言しました。
2021-06-23 15:22:47@tenkyublog 徐福の直系の子孫が支配した日本列島の地域は、瀛姓から瀛州と呼ばれるようになりました。 厳島神社系列を束ねる、皇室神道の指南役の白川伯王家は、名を隠した徐福の直系の子孫です。
2021-06-23 15:28:09@tenkyublog 華北と華中の稲作農業が地球規模の寒冷化によって破綻して黄巾の乱が起こって乱世に突入すると、 中国大陸の人口は激減して、登録している農家の数が6分の1まで減ってしまった地域もあったほどです。
2021-06-23 15:31:04@tenkyublog 多くの人が難民となって南の暖かい地域に移動したのですが、 縄文系東夷族のほとんどは、日本列島へ都里帰りしています。 乱世の前と後では中国大陸の漢民族の中身が違うと指摘する研究者が数多くいます。 倭の国の女王卑弥呼が登場したのは、この里帰りによる倭国大乱を鎮めた時期です。
2021-06-23 15:33:10@tenkyublog 乱世の戦乱を嫌って多くの東夷族が日本列島に里帰りしたことで、弥生時代が縄文時代に推移しています。 大和の名は、里帰り=帰化組と、日本列島残留組が争うことなく、仲良くしなさいという、倭国を束ねた日の巫女の王=卑弥呼の天照大神の神託に由来すると、斎皇家には内々に伝わります。
2021-06-23 15:37:36@tenkyublog 皇の文字は、白+王の組み合わせですが、白の部分は古くは朝日を表す旭日旗と同じ光条が伸びる象形でした。 つまり、皇の一文字で太陽王を表しています。 日の巫女の王を斎皇と書いて、斎王とは別格の存在とするのは、 応神天皇や継体天皇を輩出した皇統母神の祭祀を司る家だからです。
2021-06-23 15:44:27@tenkyublog 秦の始皇帝の時代にはすでに、 周の時代に行われていた“封禅の儀”の本当の姿が見失われていて、 始皇帝は適当に再現して行ったようですが、 本当の封禅の儀は、 神体山を祖先神の依り代と見立てる“封”と、祖先の精神をその身に宿して蘇らせるための瞑想を行う“禅”に分かれています。
2021-06-23 15:48:29@tenkyublog 鬼という文字のもともとの意味は、神楽面を付けて、祭神に扮して事績を再現する舞をすることで、その精神と一つになって神託を下す巫のことです。 我は蘇り=蘇我=鬼。 卑弥呼の鬼道とは、なんのことはない、現代まで神社に伝わっている神楽を舞ったり神託を下す神事のことなのです。
2021-06-23 15:51:57@tenkyublog 中華圏の人々は、 封禅の儀は神聖で、卑弥呼の鬼道は人心を惑わすモノだと魏志倭人伝に書き留めているわけですが、 実際には2つは同じ儀式を指しているのですから、何やら滑稽ですね。 封禅の儀が中国に残っておらず斎皇家が伝承しているのは、もともと斎皇家が司る神託を下す神事だからです。
2021-06-23 15:56:19@tenkyublog 黄帝は、麒麟、白澤、鳳凰の三霊獣から祝福を受けていますが、 桃太郎は犬、猿、雉を家来にしています。 この三匹は、天皇の玉座=高御座の台座に描かれているので、 桃太郎は日本書記に収録されていない、皇祖の大王=黄帝のことだと分かります。 そして、鬼ヶ島=祖先の島は日本列島です。
2021-06-23 16:01:28@tenkyublog 素戔と書いても蘇我と書いてもソガと読み、素戔嗚尊がソガの社に祀られることは、出雲大社に行けば分かります。 皇統は、素戔嗚と天照大神の誓=奉斎集団同士の神婚によって生まれたとされますから、斎皇家に妻問婚した、素戔嗚尊の祭祀を行う一族が蘇我氏の正体です。
2021-06-23 16:12:25@tenkyublog 「鬼は外、福は内」は、 素戔嗚尊は来訪したとき危険な恐ろしい存在に見えたが、豆を与えて内に引き込んだら福の神になった、大和を祝うものです。 もとは追い払うものではありませんでした。 蘇民将来説話も「鬼は外、福は内」の流れになっていて、伝染病の災いから逃れられる話です。
2021-06-23 16:19:22@tenkyublog 中国大陸に残っている黄帝や羲和のエピソード、そして道教と、日本の桃太郎などのエピソードや神道が上手く繋がらない人が多いようですが、 縄文系東夷族の移動を考えると、両者の繋がりがはっきりしてきます。 大蒙古国=モンゴル帝国は、同じオボ信仰の文化圏という以上の繋がりはないですね。
2021-06-23 16:26:39@tenkyublog 大陸の高句麗は縄文系東夷族の国で、日本と同じ文化圏に属していました。 ですから、 建国の王=朱蒙の家臣は桃太郎の家臣と同じ三人。 高句麗も倭国も妻問婚の母系社会。 高句麗語と日本語は数詞がほぼ同じで、朝鮮半島の言葉よりも言語が近い。 もとは同族です。
2021-06-23 16:35:58@tenkyublog 朝鮮半島の付け根付近は天然資源が豊富で、 息長氏は鉱山を重視してきたので、 斎皇家は五女山城にも宮を構えていたことがあります。 五人のお姬様が住んでいて、地上に舞い降りて民を救ったという言い伝えが残ります。 五女山の外観を見れば、高天原のイメージと重なることが分かると思います。
2021-06-23 16:41:04