他国人にもかかわらず、敵本陣に乗り込むような役目を、引き受けてもおかしくないと思われている辺りに、中岡慎太郎という人物の一面が表れているとも言えよう。 参考文献 『中岡慎太郎全集』(「海西雑記」) 『懐旧記事』 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 『伊藤公直話』 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…
2022-03-04 14:03:33◆現存する慎太郎の脇差
第六回です。今回めちゃくちゃ短いです。 #千里の向こう #文春文庫 #中岡慎太郎 #こぼれ話追補 #第六回 小説はこちら→books.bunshun.jp/ud/book/num/97… コラムはこちら→books.bunshun.jp/articles/-/693… これまでのこぼれ話(min.t)はこちら→min.togetter.com/XPL10Vn pic.twitter.com/CBMpesBCIx
2022-03-05 12:58:54◆現存する慎太郎の脇差 「慎太郎が近江屋事件でも使用した、信国の短刀の行方はわからない」という話は、文庫収録のコラムでも書いたが、これとは別に、慎太郎所用と伝わる無銘の脇差が現存している。 由来は定かではないものの、慎太郎の愛刀として、親族の子孫に相伝されたものだ。
2022-03-05 12:58:55現在は、高知県立歴史民俗資料館に寄託されており、同館の2012年の特別展「刀 武士(もののふ)の魂 -備前の名刀と土佐ゆかりの刀剣-」でも展示された。 この特別展の図録の解説によれば、 「室町時代末期の作、刃長43.6cm、反り1.2cm」
2022-03-05 12:58:55「地は板目肌流れごころ。刃文は互(ぐ)の目(め)刃連れて、匂口(においくち)締りごころとなる」 近江屋事件の際に、慎太郎がわずか八、九寸(24~27cm)の短刀ではなく、こちらの脇差を帯びていれば、いま少し抵抗出来たのだろうか。
2022-03-05 12:58:55参考文献 高知県立歴史民俗資料館編 図録『特別展:刀 武士(もののふ)の魂 -備前の名刀と土佐ゆかりの刀剣-』 なお、余談ながら、この脇差の写真は、雑誌「歴史探訪 vol.8」 (ホビージャパン2019年12月号増刊) にも掲載されている。 hobbyjapan.co.jp/books/book/b48…
2022-03-05 12:58:56◆真木菊四郎暗殺事件
第七回です。今回は長い上に、ちょっとマニアックです。ややこしかったらすいません #千里の向こう #文春文庫 #中岡慎太郎 #こぼれ話追補 #第七回 小説はこちら→books.bunshun.jp/ud/book/num/97… コラムはこちら→books.bunshun.jp/articles/-/693… これまでのこぼれ話(min.t)はこちら→min.togetter.com/XPL10Vn
2022-03-06 12:53:48◆真木菊四郎暗殺事件 真木菊四郎は、「禁門の変」で斃れた久留米志士の巨魁・真木和泉の子である。 慎太郎とは、共に長州に身を寄せる尊攘派の同志であり、福岡藩士の早川養敬が、激徒に襲撃されそうになったとき、二人で護衛を務めて守ったこともあった。
2022-03-06 12:53:49慶応元年2月、その菊四郎が、馬関において何者かに暗殺された(享年23)。 慎太郎が、薩長同盟実現に向けて、京の薩摩藩邸を訪ねていた時期のことだ。 馬関の商人で、志士たちのシンパである白石正一郎の日記によれば、事件があったのは14日、菊四郎の叔父・真木外記(直人)の日記には10日とある。
2022-03-06 12:53:49当時、博多に出張していた外記は、19日の朝に、菊四郎暗殺を耳にした(この時点では半信半疑)。その後、同郷の淵上謙三と会い、暗殺が事実だとを知った。 外記の日記によれば、下手人と噂されていたのは、土佐浪士・池内蔵太だった。池はこののち、長州を出て坂本龍馬の亀山社中に加わるのだが、
2022-03-06 12:53:50これは、外記たち久留米志士による仇討ちから、池を守るためではないか、という説もある。 ただし、池が馬関で龍馬と再会したのは同年閏5月、社中に加わったのは翌年3月頃のこととされる。 事件から一年以上後の社中加入が、本当に暗殺容疑と関係しているかは、いささか疑問を覚える。
2022-03-06 12:53:50そもそも、菊四郎はなぜ殺されたのだろう。 一般的には、菊四郎が、慎太郎や福岡藩士と共に、五卿遷座や薩長の融和に携わったため、薩摩を憎む志士たちの反発を招いたのではないか、と言われる。
2022-03-06 12:53:51一方、福岡藩御用達の勤王商人・馬場文英は、維新後に著した『七卿西竄始末』の中で、城兼文(西本願寺侍臣・西村兼文)の「防長探索日記」なるものから紹介する形で、菊四郎暗殺に関する、異説と詳細を記している。
2022-03-06 12:53:51※西村兼文は、事件があった時期、西国を遊歴していた。その際、どういう経緯か、彼は長州の情勢探索もしていたらしく、「西村芳三郎」名義の報告書が、『肥後藩国事史料』に収録されている。 また、馬場と西村は旧友であり、「防長探索日記」なるものは当人から提供されたのではないか
2022-03-06 12:53:52西村の探索によれば 「禁門の変で、槍傷を受けながらも勇戦した菊四郎は、以後、血気を誇るようになり、稲荷町(馬関の色町)で散財し、遊女の身請けのための金策に走り、暴行の振る舞いがあった」 「かつまた、芸州藩に内通したとの嫌疑もあり、稲荷町新地で暗殺されてしまった」
2022-03-06 12:53:52「菊四郎の屍は、両足を縄で縛られ、海中に投げ捨てられたようだったが、荒波によって打ち上げられて、岸辺に晒された。屍は右の背後から左の肋(あばら)にかけて、袈裟懸けに斬り割られていた」 のだという。
2022-03-06 12:53:53事件当時、巷ではこのような噂もあったということだろうか。慎太郎と共に、たった二人で早川養敬を護衛した菊四郎の姿からは、西村が記したような堕落は、にわかに信じがたいが……。 ところで、薩摩藩の文書『五卿ノ従者氏名』(「玉里島津家史料4」所収)に、興味深い記述がある。
2022-03-06 12:53:53これは、五卿の太宰府行きに随従した面々と、長州や福岡の代表的な志士たちを記した名簿だが、この中で、土佐浪士の清岡半四郎について 「古木(真木か)暗殺の一条存じ候者と疑有之」 また、慎太郎について 「真木暗殺之策謀存居候半、是以正義中之姦と存候」 と記されている。
2022-03-06 12:53:54どうも、薩摩藩側は、慎太郎と清岡の両名が、菊四郎暗殺の計画に携わっているか、あるいは犯人をかばっているとでも疑っていたようだ。 さらには、三条実美に仕える小松泉四郎についても、 「菊四郎於馬関被致暗殺候者」と関与を疑っている。
2022-03-06 12:53:54小松から土佐浪士グループに暗殺が持ち掛けられ、このグループの誰か(たとえば池内蔵太)が実行した……というのが、薩摩藩側の推測ということだろうか?
2022-03-06 12:53:55だが、もし薩摩藩が、慎太郎を「正義中之姦(攘夷派の中の姦賊の意か)」と見なし続けていたのなら、その後の薩長同盟、薩土盟約等の周旋や、慎太郎の島津久光への拝謁など、とても実現しなかっただろう。 少なくとも、彼に対する疑いは、間もなく氷解したと見ていいのではないか。
2022-03-06 12:53:55結局のところ、菊四郎がなぜ殺害されたのか、確かなことはわからない。 犯人の容疑をかけられた池内蔵太についても、現状、風聞以上の根拠はなく、池自身も事件の翌年、航海中に嵐に襲われ、遭難死してしまった。もし維新後も存命していれば、彼自身による弁明の機会もあったかもしれないが……。
2022-03-06 12:53:56伝記『真木和泉守』(宇高浩著)によれば、菊四郎の遺骸は、生前に親交のあった医師の田中春水と、「魚新」という魚屋が協力して埋葬したという。 維新後、兄の真木主馬によって墓碑が建てられ、明治35年には従四位を贈叙された。
2022-03-06 12:53:56参考文献 『玉里島津家史料 4』(「五卿ノ従者氏名」) 『維新史料 七卿西竄始末初篇』(巻之十二) 『維新日乗纂輯 第1』(「白石正一郎日記」) dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 『維新日乗纂輯 第2』(「日知録(真木直人日記)」) dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 『真木和泉守』 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid…
2022-03-06 12:53:57◆飢饉の村を救う
第八回です。小説本編でも扱った、慎太郎の大庄屋見習い時代のエピソードです。 #千里の向こう #文春文庫 #中岡慎太郎 #こぼれ話追補 #第八回 小説はこちら→books.bunshun.jp/ud/book/num/97… コラムはこちら→books.bunshun.jp/articles/-/693… これまでのこぼれ話(min.t)はこちら→min.togetter.com/XPL10Vn pic.twitter.com/XHRli6HElJ
2022-03-07 14:24:28◆飢饉の村を救う あるとき、安芸郡北川郷の小島・和田・平鍋の三村が飢饉に見舞われ、住民たちは窮した。 北川郷大庄屋見習いであった慎太郎は、四方を奔走して薩摩芋五百貫を確保し、人々に提供したが、それでも食料は足りなかった。 「藩の蔵にある貯蔵米を、救済に充てるよう訴えるしかない」
2022-03-07 14:24:28慎太郎はそう決意し、高知城下へ出て、夕刻、家老・桐間蔵人の屋敷を訪ねたが、応対した桐間家の家臣は、 「もう日暮れではないか。明日まで待て」 と言うばかりで、慎太郎がいくら、 「一日を争う急務にござる」 と主張しても、主人に取り次ごうともしなかった。
2022-03-07 14:24:29(こうなれば、蔵を開けると言わせるまで、一歩も動かんぞ) と慎太郎は思ったのだろう。そのまま門前で、一睡もせずに夜を明かした。 早起きの習慣があった桐間蔵人は、翌朝、起きて邸内を歩いていると、門前に見知らぬ男が、姿勢を正して座っているのを目にした。
2022-03-07 14:24:29不審に思い声をかけると、北川郷の大庄屋見習いであるという。 慎太郎の必死の陳情を聞いた桐間は、すぐに蔵を開き、村民の命は救われた。 村民はこの恩を忘れられず、明治44年、小島村(現・安芸郡北川村小島)に、慎太郎の遺徳を讃えた頌徳碑を建てた。 この碑は、現在も同地に残っている。
2022-03-07 14:24:30◆三条・岩倉両卿を結ぶ
第九回です。慎太郎の大きな功績である、あの話です。 #千里の向こう #文春文庫 #中岡慎太郎 #こぼれ話追補 #第九回 小説はこちら→books.bunshun.jp/ud/book/num/97… コラムはこちら→books.bunshun.jp/articles/-/693… これまでのこぼれ話(min.t)はこちら→min.togetter.com/XPL10Vn pic.twitter.com/5VYYt5gLtr
2022-03-09 13:23:22◆三条・岩倉両卿を結ぶ 薩長同盟締結後、慎太郎は太宰府にいる三条実美ら五卿と、京の有志の公家との提携を企図していた。 尊攘派公家の巨魁として、諸国の志士から尊崇を集める三条らに、中央政局を切り回せる有力公家の助力があれば、慎太郎たちの目指す倒幕(廃幕)、王政復古はさらに実現に近づく
2022-03-09 13:23:23慎太郎は京で、有志と名高いいくつかの公家を訪ねたが、いずれも時勢に疎く、共に大事を計れるような者はいなかった。 そんなとき、土佐浪士の大橋慎三(当時の名乗りは橋本鉄猪)が、 「前中将(岩倉具視)に会ってみないか」と勧めてきた。
2022-03-09 13:23:24岩倉具視はかつて、帝の妹・和宮を、将軍・徳川家茂に嫁がせる政略結婚(和宮降嫁)実現に尽力したが、そのために尊攘派から「幕府に迎合した奸物」と敵視されるようになり、世論の沸騰と、朝廷内の尊攘派台頭に伴い失脚。洛中から追放され、洛外の岩倉村に隠棲していた。
2022-03-09 13:23:24「前中将は、佐幕の大奸ではないか。これと王政復古の大策を建議するなど、薪を抱いて火に飛び込むようなものだ」 慎太郎がそう不審がったのも無理はないが、大橋慎三の熱心な勧めにより、慶応三年四月二十一日、はじめて岩倉を訪ねた。 この日の対話の中で、慎太郎は岩倉の器量と見識に驚嘆した。
2022-03-09 13:23:25寓居に戻った慎太郎は、大橋に謝し、感激を語った。 「公卿の中にかようなお方がいようとは、いま、こうして岩倉卿と出会えたことは、天祐というほかない。我が大望、已(すで)に達せり」 以後、慎太郎は岩倉邸に出入りするようになり、六月二十五日には、坂本龍馬を伴って訪問し、両者を引き合わせた
2022-03-09 13:23:25その後、太宰府に戻った慎太郎は、三条実美に、岩倉との提携を進言した。 三条は、 「岩倉はかねて姦物をもって目されし人なり、天下の大事を共にすべき人とも思わず」 と難色を示したが、慎太郎の説得に加え、岩倉の親戚でもある、五卿の東久世通禧が弁明に努めたこともあり、最終的には受け入れた。
2022-03-09 13:23:26慎太郎が、三条から託された提携の親書を、岩倉は大いに喜んだという。こうして、三条・岩倉両卿は固く結ばれた。 「あの三条卿より信任を受けた」という事実は、世間で奸物視されてきた岩倉にとって、どれほどの追い風となっただろう。
2022-03-09 13:23:26そしてまた、その岩倉の政治手腕がなければ、三条が再び、京に返り咲くことは出来たかどうか。 もちろん、その提携実現において、三条からの信頼が厚く、人物と見込めば岩倉とも手を結ぶ柔軟さを持った、慎太郎の存在を無視することは出来ないだろう。
2022-03-09 13:23:27維新後、三条実美は太政大臣、岩倉具視は右大臣として、共に明治政府の首班を務めた。 『賜邸祝宴記』によれば、後年、岩倉は次のように語ったという。
2022-03-09 13:23:27「中岡、坂本の二子を獲たるは、すなわち大橋(慎三)子の恵みなり。 好(よしみ)を条公(三条実美)に通じ、 交を西郷(隆盛)、木戸(孝允)、広沢(真臣)、黒田(清隆)、品川(弥二郎)の五子と結びたるは、すなわち中岡、坂本二子の恵みなり」
2022-03-09 13:23:27参考文献 『岩倉公実記』 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 『維新土佐勤王史』 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… 内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』 佐々木克『幕末維新の個性5 岩倉具視』 服部芳則『公家たちの幕末維新 ペリー来航から華族誕生へ』 ※本項は主に『岩倉公実記』に依りました。
2022-03-09 13:23:28文庫版『千里の向こう』発売から約一か月ということで、今回で最終回とさせて頂きます。 ここまでお付き合い頂きありがとうございました。 小説の方もお手に取り頂ければ幸いです。 これまでのこぼれ話 min.t→min.togetter.com/XPL10Vn モーメント→twitter.com/i/events/14953…
2022-03-09 13:23:28