第4章、複数の環状島 第5章、複数のイシュー化と複合的アイデンティティ(抜粋②)『環状島=トラウマの地政学』宮地尚子著、みすず書房、2018.7.5. 第4章、複数の環状島 、第5章、複数のイシュー化と複合的アイデンティティ、第6章、脱アイデンティティとアイデンティフィケーション、第7章、ポジショナリティの問いかけ
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(抜粋②)『環状島=トラウマの地政学』宮地尚子著、みすず書房、2018.7.5. 第4章、複数の環状島 第5章、複数のイシュー化と複合的アイデンティティ 【とくに「許可証的(トークン)マイノリティ」について】 pic.twitter.com/YiVJUoEmoL

2021-02-03 15:15:24
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(p.75) 人間は多面的であるし、経験は多層的である。一人の人間の体験についても、一つの事件についても、複数の環状島が想定しうる。今は見えていないけれどもいつか可視化されうる環状島がある。つまり不在の形で存在する環状島がある。

2021-02-03 15:22:38
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(p.79) 〈波打ち際〉での発話の特徴とも言えるが、呼びかけや応答の重要性、聞いてくれる人の存在、聞いてもらえる場や空間の存在がどれほど発話に不可欠かということである。 (p.83) トラウマの重さが重いほど、逆に発話力は低くなる。トラウマに関する発言を可能にするための条件、能力や資源

2021-02-03 15:29:12
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として、第1章で、知的能力、コミニュケーション能力、論理性、聞き取る者と同じ言語で話す能力、識字能力、説得性をもたせるような演出力や社会的信用、話したり、書こうとする気力、体力、発話を可能にする身体機能、時間的余裕、「誰かが聞いてくれるかもしれない」という他者への信頼感や希望、

2021-02-03 15:33:15
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「自分が声を出してもいい」と思える最低限のセルフ・エスティーム、話したり書くことへの慣れや癖、練習の機会、発話が望ましいとされる環境、少なくとも抑圧・禁止されないような環境、を挙げておいた。 (p.84) 以前、著者はマイノリティが生き延びるための条件として、自己肯定と連帯の重要性を

2021-02-03 15:37:46
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指摘し、具体的にはピア(仲間・同類)の存在、ロールモデルの存在、安心できる居場所の存在、それらを可能にするマイノリティ・コミュニティの存在を条件として挙げたことがある。 (p.94) 複数の環状島を描く まず、同心円状での複数化がある。さらに、少しずつずらしていく形での複数化もある。

2021-02-03 15:44:49
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

イシュー化や問題設定のあり方が変わることで、「仲間」だったはずの者が簡単に潜在的「敵」に分類され直されたり、今まで「内側」だったはずの者が「外側」の人間とみなされたりするようになったりするのは、全然不思議なことではない。 (p.96) 〈外斜面〉の人間は「味方」ではあるけれども、

2021-02-03 15:51:17
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「内側」の人間ではない。「当事者」ではない。あくまでも〈尾根〉より外は「非当事者」であり、「よそ者」である。「仲間」と「味方」は似ているようだが、「内側」と「外側」という意味では決定的な違いを持っている。  内/外という分類と、味方/敵という分類がずれを起こす部分に、〈外斜面〉の

2021-02-03 15:56:44
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人たち=「味方」である支援者は位置している。この支援者のもつ、内/外、味方/敵という分類のずれはあまり一般に認知されておらず、そのための混乱や傷つきが頻繁に起きているように思われる。何かの運動にかかわって内側に入れてもらえたはずなのに、ある時点から急に自分が外側の人間のように

2021-02-03 16:00:48
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扱われ、疎外感を感じて運動を去っていく、といったことも起きやすい。「よそ者」だけれど「味方」という立場にあること、それが〈外斜面〉に立つということであり、支援者の特徴であるということを、支援者自身も当事者も認識しておくことで、このような不幸な例は減らせるのではないだろうか。

2021-02-03 16:04:54
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(p.98) もう一つ、重要な出来事は、同じ環状島に立つ者同士で、特に〈内斜面〉において、被害や傷つきの程度が相互比較されるということである。差別の種類による生きがたさの違いは、質的な違いのほうが大きいわけだが、それでも人は被害の重さを比べ合い、生きがたさの重さを比べ合うことをやめられ

2021-02-03 16:10:39
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ないだろう。法的救済の場面においても、究極的には被害の重さを、補償金の金額という一元的なものさしによって算定するしかないのが現状である。運動体の分裂は内部での被害の重さ比べとそれへの補償金による序列化の問題が関与している。asahi.com/articles/DA3S1…

2021-02-03 16:17:53
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

(p.100) 私たちはどうしても重さ比べをしてしまうのだ。その事実を認識しておくことがまず必要であろう。そして比較の中で、質的に異なるものがそこに加わっていることがわかれば、それを込みで重さを測ると同時に、別の環状島を打ち立ててみる。常に複数の捉え方に開いておくことこそが重要だ。

2021-02-03 16:27:08
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

(p.101) 👥複合的アイデンティティとは、一人の人間がさまざまな属性や帰属集団、さまざまな役割をもっていて、アイデンティティを一つにくくることはできない、という捉え方である。  アイデンティティを単一のものではなく、時には矛盾し、葛藤し合う役割の束のような複合的なものとして捉えた方が

2021-02-03 16:32:59
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

現実に起きていることも理解しやすい。特に民族・階級・ジェンダーなどの要素が複雑に絡み合うポスト・コロニアルな状況に置かれたマイノリティにとって、役割葛藤や矛盾は差し迫ったものであることが多く、複合的アイデンティティという捉え方は不可欠なものになってきている。

2021-02-03 16:37:21
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鄭暎惠(チョンヨンヘ)は、「民族」内にある差別の問題を取り上げ、「在日朝鮮人」のコミュニティの中で、女性や子どもへの家父長的な暴力が黙認されてきたことを指摘する。そして「在日朝鮮人」の女性や「子ども」(二世たち)が解放されるには、日本社会にはびこる民族差別からの解放だけでなく、

2021-02-03 16:43:09
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「暴君〈父〉によって支配されてきた〈家〉や〈民族〉からの解放」も必要だったと述べている。また、鄭は、単一的なアイデンティティの捉え方が、「混血」の人たちや帰化した人たち、「祖国」の記憶もなく、ハングルも話せない二世や三世など、「どっちつかず」の人間に必要以上の

2021-02-03 16:48:46
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

アイデンティティ・クライシスをもたらしやすいことも指摘する。差別が激しく、それに対する抵抗運動が厳しいほど「在日朝鮮人差別」という環状島は強固になる。それだけに〈内斜面〉にいるのか、〈外斜面〉にいるのかはっきりしない「どっちつかず」の人間は、「本当はどちらの人間なのか」と常に

2021-02-03 16:52:53
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詮索され、うさんくさい目で見られるだろう。本人も「自分は何者なのか」「どこにいるべきか」「どちら側にいるべきか」につねに悩まされるだろう。けれども、アイデンティティを複合的なものと捉えれば、いろんなものが混ざり合った「どっちつかず」の自分をそのまま受け入れやすくなる。

2021-02-03 16:56:26
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

鄭はこのことを、「純血でない自分を受け入れる」「自分の中にある不純性、多元性、複合性、混沌性、外部との連続性、つまり無境界性を引き受ける」「不純な「日本人」となる」という言い方で表現している。 pic.twitter.com/NR5MnyiBIf

2021-02-03 17:12:30
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(P.103) 一方、ポスト・コロニアルな状況から現れた流れとして、一見マイノリティの権利を尊重するような多文化主義の政治がある。そこではマイノリティがマイノリティとして語ることが保証されるようになる半面、マイノリティがマイノリティとしてしか語れないという皮肉も生まれる。

2021-02-03 17:18:02
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

マイノリティが自分の声を挙げようとする時、それが成功すればするほど、その声は外部に対して「代表性」をもたされてしまいかねない。そして毎回会議のたびにマイノリティの「代表者」として呼び出され、結果として他のマイノリティ・メンバーの声を抑圧してしまったり、「マイノリティの声をちゃんと

2021-02-03 17:22:25
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聴きました」というマジョリティのアリバイにも使われてしまう。こうしてマジョリティからマイノリティの代表として祭り上げられた人間を _人人人人人人人人人人人人人人人人人人_ >「許可証的(トークンマイノリティ) 」 <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄ という。

2021-02-03 17:30:50
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誰がマイノリティの代表なのかを決める権限は、あくまでもマジョリティの側がもっており、マイノリティを定義するのはマジョリティであるという構造は温存される。 (P.104) このような「トークンマイノリティ」に祭り上げられる可能性に対抗するために、鄭はスピヴァックを引用しつつ主張する。

2021-02-03 17:35:17
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

マイノリティに属する人間が、マジョリティとの二項対立で自分のアイデンティティを打ち立てないこと。マイノリティ同士の間の差異についても語り、ステレオタイプ化を許さないこと。マイノリティとしてマジョリティに向かって語らないこと。マイノリティはマイノリティに向かってこそ、おおいに語る

2021-02-03 17:38:49
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

べきであり、マイノリティとして括られた者同士の間にもある〈差異〉を浮き彫りにしていくこと。これはまさに、「在日朝鮮人」という環状島だけではなく、マイノリティ同士の間で差異を生むさまざまな事柄についても環状島を想定し、声を挙げてみるということであり、そういった差異を

2021-02-03 17:44:37
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「あってはいけないもの」としてごまかすのではなく、多様性や豊かさのもととして取り扱うということであろう。 鄭は「マイノリティ間の差異を浮き彫りにすることは、差別によって埋もれた〈自己〉を発掘していくことでもある」と指摘している。ここで発掘すべき「差別によって埋もれた〈自己〉」とは

2021-02-03 17:49:50
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被差別者である「在日朝鮮人」としての自己アイデンティティだけではないだろう。被差別集団内部でのさらなる抑圧によって「埋もれた〈自己〉」も発掘されるべきだし、差別に巻き込まれなければもっと自由に探索できたであろう多様な可能性をもつ自己も発掘されるべきである。

2021-02-03 17:54:40
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

被差別者が、その差別を告発するのは、差別をなくす責任を一手に引き受けたからではなく、差別を自ら内面化しないための自分に対する義務だからである。差別告発のために自己を犠牲にするのではなく、自己を取り戻すために差別を告発するのだ。

2021-02-03 17:58:29
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昨晩引用した、朝倉・久保田の〈排除の臨床〉で、「排除してきたものとは、どこかで出会い直す必要がある。社会から排除され、自分自身すらも排除することによってなんとか生き延びてきた人やものと出会い、再び一緒にあろうと志向することが求められる」とはこのことかも💦twitter.com/chokusenhikaem…

2021-02-03 18:28:06
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

(P.106) おそらく環状島を浮き上がらせることに成功したり、環状島の上で雄弁に発話をして注目を浴びた人ほど、環状島がもたらすアイデンティティを相対化し、そこから身を剥がすのは難しい。「許可証的(トークン)マイノリティ」の罠も、環状島の上で雄弁に発話しうる、マイノリティの中でも意識の

2021-02-03 18:32:10
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

高い若者や優秀な学生を特に襲いやすいだろう。まじめで良心的であろうとすればするほど、自分に与えられた課題を一身に背負おうとして、単一的なアイデンティティに呑み込まれて苦しむかもしれない。

2021-02-03 18:41:31
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こういった記憶を背負っておられたであろう方々が、相互さんに多々見られ、少なからぬ人たちが静かに垢を閉じてゆかれた・・・「いてくれ。いなくならないでくれ」と念じるしかなくてですね・・・😭 twitter.com/chokusenhikaem…

2021-02-03 18:49:49
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

マイノリティだからこそ、生きる上での豊かさや柔軟さ、安心感を得るために、自分が何者かを考えなくていい、「存在証明」から解放された時間や空間を保証されることが必要だと思う。複合的で「不純な」自己であることに、罪悪感を負わされないですむことが必要なように思う。

2021-02-03 18:57:24
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第6章、脱アイデンティティとアイデンティフィケーション (宮地は上野のアイデンティティ「同一性」の構築性・変容性・多元性を、アイデンティフィケーション「同一化」の投企性・暫定性・部分性に捉え直す。) (p.117) 脱アイデンティティ論が「人間は簡単に変われるはずだ」という安易な主張に

2021-02-04 19:10:57
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

すり替えられてしまうなら、それは自分の置かれた場所から逃げられず、簡単に変わることができないマイノリティへのさらなる暴力にもなりかねない。

2021-02-04 19:15:45
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

第7章、ポジショナリティの問いかけ  あなたは何者として語るのかというアイデンティティの政治に加え、ポスト・コロニアルな状況で問題になるのが、ある問題を、誰が、どんな立ち位置から、誰に向かって語るのか、というポジショナリティの問題である。

2021-02-04 19:17:14
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ポジショナリティが問われる時、それは、(FGMをめぐる論争だと)「欧米や日本人フェミニスト」に対する「現地の女性」というように、非当事者でありながらも支援者や代弁者としてふるまう発話者に対する、当事者からの異議申し立てであることが多い。これは環状島でいうと、〈外斜面〉の人に対しての、

2021-02-05 15:07:31
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

〈内斜面〉の人からの問いかけであると言える。そこで問われているのは、発話者がその問題を語る人間として適切なのかということである。ポジショナリティについて議論する場合、自分を問われる側つまり〈外斜面〉に想定するか、問う側つまり〈内斜面〉に想定するかで、引き起こされる思案や感情は

2021-02-05 15:13:04
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

大きく異なってくる。〈内斜面〉の人間は、〈外斜面〉の人間を、支援者だからといって必ずしも歓迎はしない。そもそも当事者でもない者がなぜ関わろうとするのか、隠れた思惑はないのか、疑うだろう。どのくらいコミットする気なのか、いつ逃げ出すつもりか。

2021-02-05 15:20:35
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〈内斜面〉と〈外斜面〉には、その問題から逃げられるか、逃げられないかという大きな違いがある。〈内斜面〉にいる当事者は、その問題から逃げられない。一方、〈外斜面〉は外側に向かう力のほうが強い。関わろうという熱意を持ち続けなければ、そこにとどまれないし、熱が冷めればいつでも去っていく

2021-02-05 15:24:37
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ことができる。この「逃げられるかどうか」というコミットメントの選択余地の有無、「そこに居続ける」ことの必然性の有無の差が、ポジショナリティをめぐる問いの根底にある。支援や代弁という形での搾取や領有、パターナリズムによる支配への警戒も、そこから了解可能になるtwitter.com/machico_1919/s…

2021-02-05 15:32:37
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ポジショナリティは〈外斜面〉の人に向けて〈内斜面〉の人から問われると述べたが、問われる側は、自分のことを当事者だと思っている場合も多い。その場合は、〈内斜面〉の上での、より内側から外側に向けての問いかけとも理解されうる。同じ出来事についてもイシュー化のあり方は複数可能であり、 pic.twitter.com/oM9pDbHtSO

2021-02-05 15:49:07
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複数の環状島が描かれうる。ある二人の位置関係も、当事者同士であったり、当事者と支援者になったり、被害者と潜在的敵になったりする。 (p.133) ポスト・コロニアリズムは、これまで中立とか普遍的とみなされてきた判断や知識が、いかにある種の特権を前提にした、たとえば先進国、男性、白人、

2021-02-05 16:13:07
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

健常者、大人といったマジョリティの視点からの判断や知識でしかないのか、ということを繰り返し指摘してきた。ポジショナリティを問うことによって、マイノリティの人間は、マジョリティからの介入に異議申し立てをすることができる。

2021-02-05 16:47:15
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マジョリティの人間は、たいてい自分のもつマジョリティ性に気づかず、その特権性を意識せず、自分の思考や判断が中立で普遍的だということを疑わずに、支援や救済という形でマイノリティに介入してこようとする。twitter.com/moriteppei/sta…

2021-02-05 16:50:54
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

そういうマジョリティ、発言力や周囲への影響力をより多くもつ側が行なうイシュー設定に対して、弱者やマイノリティの側から異議申し立てを行なうこと。異なる環状島を想定してみろと迫る行為。議論の暗黙の前提を疑ってイシュー化をやり直してみること。twitter.com/Roxanistxxx/st…

2021-02-05 17:02:35
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

議論の表向きの平等性の水面下に隠れている不平等性を、テーブルの上に引っ張り上げてみること。 (p.134) Arnold Mindell 流に言えば、それは、主流派に自分たちが無意識に持っている「ランク」を意識させる行為である。 twitter.com/ganimataimo/st…

2021-02-05 17:07:01
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

一見平等な話し合いの場に見えても、マジョリティが発する「ダブルシグナル」を感知し、隠れた力関係の非対称性を顕在化させることが、紛争や衝突を解決していくための真のコミニュケーションに不可欠であると彼は指摘する。(Sitting in the fire, 1995)twitter.com/hinoeumathurma…

2021-02-05 17:13:02
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

このようにポジショナリティを問うことには大きな意義があるが、いくつかの構造的な危険性や陥りやすい罠もある。  まず、ポジショナリティの問いかけは、「弱者の権利が尊重されるべきである」という前提が共有される関係性や場においてのみ有効である。ポジショナリティを問う行為は、あくまでも

2021-02-05 17:22:55
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まとめたひと
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

彫心鏤骨を心に掛けたひ🌱 min.t ▷ min.togetter.com/id/chokusenhik… 古新聞処分時に備忘のため滝ツイしまふ。すまぬ。

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