Karl Marx, Karl August Wittfogel 序, 石井知章・福本勝清編訳, 周雨霏訳, 白水社, 2023.3.15
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花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

現時点でプーチン人気にさしたる陰りがないことと弊国の保守人気には通底する傾向がある点について、マルクスとウィットフォーゲルの著書から少しく呟く。 『18世紀の秘密外交史~ロシア専制の起源』Karl Marx, Karl August Wittfogel 序, 石井知章・福本勝清編訳, 周雨霏訳, 白水社, 2023.3.15 pic.twitter.com/VHIUmUri3J twitter.com/russia_watcher…

2023-06-27 00:46:26
Russia Watcher @russia_watcher

How did Russian public opinion respond to Prigozhin's rebellion? Approval of Prigozhin tanked from >50% approval rating on June 23 to ~30% on June 25. Note that we code DK/NA responses as approval=0 in this graph. These are averages w/ a daily sample size of n=500. 🧵 1/ pic.twitter.com/WrOaTTB5ZS

2023-06-26 07:20:54
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花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

あとがき p.250) レーニンはやがて「アジア的」な用語を避けるようになり、その代替として「中世的」「家父長的」「前資本主義的」といった言葉を用いて、基本的な考え方を変化させていった。この後に続いたのが、スターリンによる『弁証法的唯物論と史的唯物論』(1938)での「五段階発展説」である。

2023-06-27 00:55:58
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

さらにこれに基づいてまとめられたのが、毛沢東の『中国革命と中国共産党』(1939)である。ここで「アジア的」なものは世界史の発展をめぐる公式見解から排除され、それ以来、この「単線的」発展段階論が中国共産史においても公式見解として定着し、今日にまで至っている。

2023-06-27 01:01:12
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

「アジア的」なものをめぐる問題性を社会思想史的に遡ってみれば、19世紀初頭以降のロシアでは、当時のドイツ・ロマン主義の影響を受けて、西欧派とスラヴ派の間で嵐のような論争が引き起こされていた。  西欧派は、ロシアが合理主義、法による支配、個人の尊重に基づいた秩序に向かって、

2023-06-27 01:10:30
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

つまり西欧の路線に沿って発展すべきであると考える一方、スラヴ派はピョートル大帝の西欧化を否定し、ロシア国家独特の精神的、温情主義的な道に戻ることがむしろ近代ロシアが歩むべき道であると主張した。  これらは今日の中国におけるリベラル派と新左派の論争を想起させる。

2023-06-27 01:17:40
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ソ連共産党、および中国共産党の正統史観から完全に黙殺されてきた、18世紀イギリスの秘密外交文書をめぐりマルクスによって再構成された歴史的事実を、マクロ・ヒストリーのレベルにおいてどう評価すべきか。  反スターリン主義者である石堂清倫が『スターリン全集』を翻訳したのは皮肉な運命だが、

2023-06-27 01:28:07
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

本人は『20世紀の意味』(2001)で、『マルクス=エンゲルス全集』『レーニン全集』が商業ベースで出版されたものの、『スターリン全集』は日本共産党直営によって出されていることを明かしている。

2023-06-27 01:33:26
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

メドヴェージェフの著作によって実際にスターリン主義であったものが「マルクス・レーニン主義」と称されてきたことが明らかになると、日本共産党は自信を失って「科学的社会主義」という言葉を使うようになったが、スターリン主義については明確な自己批判を行っているわけではないと指摘している。

2023-06-27 01:36:44
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

解説 p.214) イギリスは北欧諸国を牽制するためにロシアを、自らの外交的な利益のために利用した。その結果、ロシアの強大化に力を貸すことになった。専制国家は彼らから遠い限り、利用価値のある存在であった。だが、それはヨーロッパ諸国の市民的自由を犠牲にしてのことであるとマルクスは警鐘を

2023-06-27 01:43:46
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

鳴らしている。さらに、そのロシア的専制の起源に東洋的専制があること、それゆえ他のヨーロッパ諸国の独裁とは質的に異なるものであることを明らかにした。  ウィットフォーゲルは、ソ連、中国などの社会主義を、東洋的専制が復活したものであり、共産主義と称するものは赤色全体主義にすぎないと

2023-06-27 01:49:36
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

強く非難した。  彼によれば、スターリン体制における中央集権的な党官僚機構による政治支配、農業集団化に象徴される「社会主義」とは、ロシアの旧社会に内在したアジア的性格が復活したもの、すなわちアジア的復古であった。

2023-06-27 01:56:40
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

p.216) プーチン政権の性格に関しては、権威主義的独裁やファシズム、帝政民主主義(中村逸郎)などによる規定も存在する。  だが、ペレストロイカによる混乱とソ連の崩壊(ゴルバチョフ期)およびその後の民主化の挫折(エリツィン期)を受け20世紀末に登場したプーチンがtwitter.com/masatheman/sta…

2023-06-27 02:09:14
Okuyama, Masashi ┃奥山真司 @masatheman

@t_gordau BBCでインタビューされていたプーチンの元アドバイザーであるセルゲイ・マルコフは「これで国民からのプーチンの支持率は上がる」と言明。理由は「プーチンはロシア国民にとっての安定のシンボルだから」とのこと。open.spotify.com/episode/4oO6Fx…

2023-06-26 18:11:31
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

20年余の時間をかけ、忍耐強く積み重ねてきた権力の集中が、議会や選挙といった近代的な装いにもかかわらず、ツァーリ専制(ロシア帝国)や書記長専制(ソ連)といった過去の専制体制の遺産、専制へと傾斜させるもの(専制の轍)に助けられ、過去の国家的威信を回復するとの目的をtwitter.com/royterek/statu…

2023-06-27 02:18:09
直立演人 @royterek

プーチンはプリゴジンの反乱の後始末において、すべてを曖昧にすることで、利益集団、イデオロギー集団、プリゴジン推しの民衆など社会の様々な階層の願望を調整するような玉虫色の解決を志向しようとしているのではないか。ポツポツ出てきた反乱後の動向やクレムリンの発言からはそんな印象を受ける。

2023-06-26 23:03:13
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

目指して、それに助長されてきたことは間違いない。  今回の戦争の直接の発端はやはり、プーチンのクリミア占領を欧米諸国が黙許したことにあろう。ウィットフォーゲル序文が述べているように、「西側の愚かな無関心な政策」が、ソ連とナチスによるポーランド分割を許し、twitter.com/royterek/statu…

2023-06-27 02:23:26
直立演人 @royterek

と、プリゴジンの処遇をめぐるすべてにおいて曖昧なクレムリンの方針は、もしこれが本当に上手く行ったとしたら、ある意味で一石何鳥にもなり得る、意外と賢いやり方なのかもしれない。全然褒めたくないのだが…、利害集団の調整を要する多民族帝国を長年治めてきただけのことはあるのかもしれない。

2023-06-26 23:27:48
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

戦後におけるソ連陣営による東欧の乗っ取りを可能にしたように、今世紀においてもなお、列強の黙許が、旧専制国家の再専制化を助け、その周辺諸国への横暴を可能にしているのである。  ウィットフォーゲル『オリエンタル・デスポティズム』は、東洋的専制主義をソ連・中国などtwitter.com/chokusenhikaem…

2023-06-27 02:29:19
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

" Russia lives inside a TV. Critical thinking is absent there and the population is completely passive - a result of 20 years of regime's work. " twitter.com/Gerashchenko_e…

2023-06-26 23:38:29
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

社会主義国家の基底に見出すものであった。マルクスにせよウィットフォーゲルにせよ、彼らは、東洋的専制主義の基礎をアジア的生産様式に求めており、その根底、そのアジア的生産様式の物質的基礎の中核には、主として、大規模水利事業が存在した。

2023-06-27 02:33:46
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

『オリエンタル・デスポティズム』(1957)において、モンゴル以前のロシアは水力世界の亜周辺的地域に属するとされている。水力世界=水力社会とは、大規模水利事業を物質的基礎として成立する社会であり、「社会よりも強大な国家」=専制国家をその特徴とする。

2023-06-27 10:38:57
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

モンゴル以前のロシアは、ウィットフォーゲルのアジア的生産様式=「水の理論」の分類において、きわめてマージナルな存在であった。  ロシア社会の専制化は、バトゥ驥下のモンゴルの来襲と、キエフ・ルーシに由来する諸公国の敗北、ゾロターヤ・オルダー(金帳汗国)へのロシア諸公国の従属、

2023-06-27 10:49:46
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ジュチ・ウルスの属国として、その後200年余のタタールのくびきのもとでのロシア社会の変質によって進行したものである。タタールのくびきのもとでの、ロシア諸公国の変質、とくにモスクワ国家の専制国家への転質については、マルクスもウィットフォーゲルもこの仮説に立っている。

2023-06-27 10:55:26
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ウィットフォーゲルによれば、タタールのくびきのもとで水力世界の周辺部に組み込まれ、その圧倒的な影響のもと、モスクワ大公国は軍事編成と財産的所有形態を、東洋的専制主義に適合的なものに転質させていった。モンゴル帝国に関する東洋的専制主義について、ウィットフォーゲルは、遊牧農耕両社会の

2023-06-27 11:03:58
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

支配者であった遼(契丹)の役割を強調し、遼によって統合された統治法、政治制度および軍事組織がモンゴルに継承されたとしている。  現代の我々は、タタールのくびきのもとでのロシア専制主義起源仮説を、20世紀後半に従属論や世界システム論とともに流布した接合論的な視角から捉える。

2023-06-27 11:12:10
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

アジア的生産様式に基づく東洋的専制国家の支配のもとに、その周辺的な社会構成として長期にわたり組み込まれた、元来がプロト封建的なロシア社会の、漸進的な転質、専制化である。  歴史ある民族には、規範となるような国家像がある。分裂は国家の範型に反するのである。

2023-06-27 11:21:16
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ロシアにおいても、国家の範型は存在する。プーチンがピョートル大帝に言及する時、この国家の範型(帝国)に触れているのだ。  ルーシ諸公の後、モンゴルの支配から離脱する歩みは、あらためて国家の範型を創り出す歩み、彼ら自身の政治システムの専制化への歩みでもあった。

2023-06-27 11:53:34
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

彼らが、金帳軍団の前に惨敗を喫し、その支配のもとに屈した時、遊牧民族から人民を守るという統治の根拠の一つを失ったといえる。属国の地位に甘んじているとはいえ、彼らは統治の根拠を見つけなければならなかった。  それは、西側からのカトリック勢力から正教の世界を守ることであった。

2023-06-27 12:00:22
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

東側からの過酷な支配に耐えながら、西側の攻撃から正教世界を守ることが、タタールのくびきのもとで生き抜くルーシ諸公の新たな戦略であり、その後の彼らの歴史選択に決定的な影響を与えるものであった。正教世界の防衛は、カトリックと正教の分裂が深まるとともに、ビザンツ国家の衰退・滅亡とともに

2023-06-27 12:10:54
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

より強く意識されるようになる。  モスクワ国家は、内に向かっては、モンゴル統治を代理し、その収取システムを取り入れ、実力を蓄え、大公に、あるいはツァーリに権力を集中しつつ、東側・南側からの遊牧民族の圧力を押し返し始める。西側に築いた高い壁と、東側・南側からの圧力を強く押し返す

2023-06-27 12:28:42
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

運動の間に、広大な領土が広がっていく。  16世紀前半、キプチャク・ハン国(金張汗国)の滅亡後も、いくつかの後継ハン国が残存し、なかでもクリミア・ハン国は強力で、アストラハンやカザンなど諸ハン国滅亡後も、なお勢力を維持し、17世紀においても依然としてロシア南部への襲撃を繰り返していた。

2023-06-27 12:34:45
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

それらモンゴル諸ハン国に対峙しつつモスクワ国家もまた、それらと同じような君主への権力の集中をはかることになる。  権力の集中に最も有効な施策は、臣下の土地所有(世襲地)への権利の制限であり、国家・君主への奉公・勤務を土地所有に結びつけることであった。

2023-06-27 12:40:10
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

キエフ・ルーシ以来のロシアの大貴族層ボヤーレは、世襲地については、完全な所有権を有していた。世襲貴族は、仕える君主を変えたとしても、その世襲地については、前の君主に没収されることはなかった。ところが、モンゴル支配下の東ロシア(とくにモスクワ大公国)において、勤務貴族化が進むにつれ、

2023-06-27 12:56:04
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

その領地が公への勤務によってもたらされるものと見なされるになり、君主を変えた場合、世襲地さえ没収されるようになる。貴族たちは、大公への忠誠に励む以外に、所領を守るすべはなくなった。オストロウスキは、モンゴル人たちが持ち込んだ、すべての土地は君主に属するという中国の原則が、

2023-06-27 13:05:51
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

既にモスクワ大公によって採用されたと述べている。  君主への奉仕・勤務を臣下の土地所有への権利に結びつけること、この原則はピョートル大帝期に最も徹底して実施されることになる。貴族であっても、皆、軍務など国家に勤務することが土地所有の条件となった。

2023-06-27 13:19:22
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

モンゴルから借用したはずのものが、自ら自身のものになったのだ。その後、勤務条件が緩和されたり、貴族の土地所有が認められたりしたが、基本的な趨勢としては変化することはなかった。ピョートルは、そのような貴族・士族からなる軍をもって北欧の雄であるカール12世率いるスウェーデン軍を破り、

2023-06-27 13:30:29
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

その勝利の上に、当時、神聖ローマ皇帝しか皇帝が存在しなかったキリスト教世界において、皇帝を戴く帝国を新たに出現させることになった。範型の創出であり、プーチンにとってピョートル期のロシアこそが、本来の国家の範型として想起されるべきものであった。

2023-06-27 13:34:23
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

だが農奴制の問題を忘れてはいけない。専制を育んだモスクワ国家、それを完成させたピョートルの国家は、農民の多大な犠牲によって成立していた。国家のために勤務する貴族・士族は、その領主所有地経営のために、彼らが国家に奉仕するように、農民もまた彼らに奉仕することを強く求めた。

2023-06-27 13:39:05
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

農民の土地を去る自由を制限することを、最終的にはその自由を禁止することを国家に要求し、認められていく。土地に縛り付けられた農民、農奴制の成立であった。  国家の範型として成立した、専制こそロシア国家の本来のあり方であったとする観念は、強固なものであった。

2023-06-27 13:44:44
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

この観念を支持したのは専制の当事者(専制君主)や専制政府の担当者ばかりではない。支配階級を構成する貴族・士族もそれを支持した。農民もまた、漠然とではあるがそれを支持した。農民たちは、自らの困窮の解放者として、よきツァーリの出現を望んでやまなかったのである。

2023-06-27 13:48:25
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

タタールのくびきのもと始まったロシアの政治システムの専制への歩みは堅固であったとはいえ、幾度か非専制化の機会が訪れている。だが、非専制化の試みはいずれも失敗に帰している。  一度目は、17世紀初頭のスムータ(動乱)と呼ばれた時期であった。リューリク朝の断絶を継いだボリス・ゴドノフ政権

2023-06-27 13:53:46
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

末期以後の混乱は、ゼムスキー・ソボール(全国会議)におけるミハイル・ロマノフの選出によって終止符が打たれる。しかし貴族や聖職者が「身分制議会」としてそれに依拠しようと試みることはなかった。  二度目は、1917年、2月革命によってロマノフ朝の統治に終止符が打たれ、臨時革命政府によって

2023-06-27 13:58:35
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ブルジョワ的改革が試みられた時期である。これを挫折させたものは社会主義革命であり、それもわずか十年余の後、書記長スターリンのもと専制が復活する。  三度目は、ゴルバチョフによるペレストロイカに始まる改革と混乱の時期であった。選挙による議会と大統領制、経済改革と、非専制化を超え、

2023-06-27 14:03:25
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

民主化への歩みが期待されたが、20世紀末の10年の挫折を経て登場したプーチン政権において、その政権の安定化は独裁化と同義語であった。対外戦争は独裁者の権力伸長を加速する。ロシアの独裁者には専制への道が開けている。

2023-06-27 14:09:09
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

p.224) ウクライナの歴史選択 バトゥの軍団によりキエフが陥落(1240年)、キエフは衰退する。ウクライナの地は、ポーランドおよびリトアニアに征服され、ウクライナにおけるタタールのくびきは終わりを告げる。  ウクライナには南流する大河が多いが、河川流域の森林地帯に逃げ込んだ逃亡農民から

2023-06-27 14:12:57
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

コサックが生まれる。彼らはタタール系コサックとの対抗から騎馬を覚え軍事技術を習得し、自らを戦闘集団へと組織し、タタールを襲った。彼らの集会がラーダであった。その強力な武力ゆえに、ポーランドの傭兵としてしばしば使われることになった。

2023-06-27 14:16:56
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

1569年、ルブリンの合同により、リトアニアとポーランドは国家として連合し、ポーランド・リトアニア国家が成立。イエズス会を中心としたカトリックによる攻勢が一段と強まり、16世紀末、ウクライナの正教徒の一部はカトリックと合同することになる。典礼は正教に従うが、聖職者はローマ教皇の叙任に

2023-06-27 14:47:05
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

従う東方帰一教会(ユニエイト)が生まれる。正教徒にとっては教会の分裂であった。イエズス会からの圧力に対抗し、1634年、キエフ神学校が設立され、ウクライナ・コサックが保護者となり、コサック・エリートが卒業生で占められる。  コサックは、その強力な武力をもって自らの政権樹立(トマン国家)

2023-06-27 14:52:31
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

をはかるが、ポーランド、クリミア・ハン国、その背後のオスマン朝など周辺国家と種々の摩擦を生み、17世紀中葉のヘトマン、フメリニツキーは、ポーランドとの対抗から、モスクワに保護を求める。それが後の、ウクライナのロシアへの従属、最終的には併合につながることになる。

2023-06-27 14:56:26
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

自治は削られ、最終的なロシアへの併合はエカチェリーナ二世統治下の1783年であった。ポーランド領ウクライナも、プロイセン、オーストリア、ロシアによるポーランド分割の結果、ドニエプル右岸の地はロシア領、ガリツィアはオーストリア領となった。

2023-06-27 15:00:22
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ロシア帝国に併合されたウクライナであったが、19世紀中葉、インテリゲンツィアを中心としたウクライナ語による文学的創造およびウクライナの独自文化を見出す動きが始まる。それはロシア政府による度重なるウクライナ語による教育・新聞・出版の制限、禁止といった措置に遭う。

2023-06-27 15:05:41
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ウクライナ民族の覚醒に対する弾圧であった。だが、ロシアに比較すれば抑圧が穏やかだったオーストリア統治下のガリツィアを中心として、20世紀に向け、ウクライナの民族主義は昂揚していく。  20世紀、ウクライナは何度か独立を試みている。 1917年に2月革命を契機としてウクライナ・ラーダに始まる

2023-06-27 15:10:48
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

試み、1940年代、ドイツ軍のウクライナ侵攻を契機とした試みはいずれも成功しなかった。ペレストロイカとソ連崩壊を受け、1993年独立を勝ち得たウクライナの、最近20年の試みは、東部ウクライナと西部ウクライナの相克をいかに止揚するか、統一したアイデンティティをいかに創出するか、に集約される。

2023-06-27 15:16:55
花びんに水を☘ @chokusenhikaeme

ウクライナは、14世紀中葉、リトアニアおよびポーランド領となった時、モスクワ国家の専制化の道から離れることになった。モスクワ国家が西側世界に対し高い壁を築きつつあった時、彼らはその壁の外にあった。彼らが世界帝国(第三のローマ)に組み込まれた後も、西側への壁は依然として低いままであった

2023-06-27 15:21:29