銀座の水炊き料理やでゆぞ&松山氏のふたりで出版記念会を開いたときに聞いた奉公に出された子供のころの話の思い出がかたられている。
2023-02-05 21:50:35明治30年代に奉公先で、蔵の中で品物の出し入れ係をやっていた有三氏、蔵の中で本をこっそり読んでいたのが見つかって、没収され奉公先を飛び出す話
2023-02-05 21:51:5517の時の話なんですね、奉公先を飛び出したのが。実家に帰ってうちの手伝いをやってるときに文学ものを読み始めた。小学校を出てから奉公生活のため、学校に行くことがなかなか許されず、中学5年二学期に入学し、二年通ったあと、一高に入学して、『第三次新思潮』をやる企画が立ち上がる。
2023-02-05 21:57:07資金不足のため、本屋から金を出してもらう談判に、当時文部省の教科書編集をやってた井上氏が仲介してくれた。それで出せた。その時豊島与志推は帝国文学の編集もやっていて、豊島の『湖水と彼等』とくめの『牛乳屋の兄弟』の2作で彼らは広くみとめられ、文壇デビュー。
2023-02-05 22:00:37これが、大正3年の2月かな…ゆぞは『女親』を発表するも反響がなく、その年の9月に帝大に入学。郷里で学士の話をつけるも、生活費に窮して同郷の歌人半田良平の紹介で、『アカギ叢書』にハウプトマンの戯曲の梗概を執筆して生活費を稼ぐ生活をする。
2023-02-05 22:06:25大学卒業後は喜多村祿郎一座の座付きさっかとなったが、幕内の生活に不満があり、途中で職をやめて帰京。文学の道に精進することを決意する。他人に生活費を借りて、翻訳で稼ぎながら大正6年まで。その年の秋に早稲田高等学校の講師になり、生活が安定して、創作も落ち着いてできるように…
2023-02-05 22:10:34この本にはかいてないけど、大正5年11月に『白樺』に『ダマスクスへ』翻訳を執筆している。白樺から原稿料出たのかしらんけど…洛陽堂のストリンドベリ『死の舞踏』の翻訳の件はこの本にのっていますね
2023-02-05 22:14:25ひろしの気回しで新聞小説を執筆した件について、松山氏がひろしに聞いた話として、 劇作だけじゃあまり金にならないし、金を稼ぐには新聞小説が一番いいと毎日新聞への推薦を約束したそうで。
2023-02-05 22:17:43ここ、松山氏の目線がはいってて、ひろしは金の話してたけど、ゆぞは大衆に多くの読者を求めて書いたんだと思うよ、みたいなニュアンスがはいってて、前から思ってたんだけど、松山氏にひろしが何をしたんだろう( ˊᵕˋ ) なんか色々エピソード類一人だけ俗物批判目線はいってるような…w
2023-02-05 22:18:52明治時代に夏目さん上敏さんで文科をやって2年であまりにも生徒がこなかったからやめたことがあって、復興しようという話が教授や生徒からわきあがって、ゆぞのところに話がまわってくる、最初はずいぶん断っていたそうで、結局今までの大学の文学部とちがったことをしようという目的でやることに。
2023-02-05 22:23:51ゆぞは、身に付いた学問、講師のからだから出て来るようなもの(放射能、とよんでいる)が生徒に伝わるようなカタチをめざし、㌧・ナガヨ利一岸田こばひで豊島に声をかけたそうで。最も強くだしたのはこばひでだったという。
2023-02-05 22:26:35松山氏は、大正11年に、ゆぞの紹介で豊島を初訪問。千駄木にあったため近所だったんですね。そのころ、すでに作家として中堅な豊島なのであった。
2023-02-05 22:49:10第三次新思潮は、読まれる範囲が少な目だが、まだ対抗同人雑誌の数も少ないころだったので(せやね…大正5年からシラカバの下部組織のようなファンくらぶというか…が結構増えていく…)比較的内容は充実だったとかたられている…
2023-02-05 22:49:52小説では『湖水と彼等』と『蠱惑』が文壇でみとめられる。くめっちと同期デビューの豊島、よく座談でやりあってるのでまあライバルやろうねって
2023-02-05 22:51:53特異な短編作家として活動を続けるも、生活には恵まれず貧乏になやまされていた。大学で教鞭をとる以外に、『帝国文学』の編集や翻訳の仕事で、大きな借金をかえしていた。
2023-02-05 22:53:27このため、大学時代から借金生活で金を借りることが板について、逆に借金をしていないと落ち着けないという借金好きの性格に… どういう解説なんだ松山氏よ。ぶらおくんなどが翻訳仕事の恩人だとかいってたなあ(載ってないけどねこの本には)
2023-02-05 22:55:42豊島といえば囲碁である。借金業界にムダに詳しい豊島……今風にイメージするなら危ない橋をわたってる大人みたいなイメージなんだろうかw自分の口添えでかりてやろう、なんて今日日ヤのつく自由業映画でしかみたことないわな
2023-02-05 22:58:06大学在学中に差し押さえや競売をちらつかせられるのに慣れてしまったことを自ら語るので、松山氏ひいてるやん…w
2023-02-05 23:00:14雑誌記者や編集者の仲間では、豊島の世話で高利貸から金を借りて首が回らなくなったものがあり、保証人になっててこまったとか完全にカタギではないわけなのだが、自分自身がこまっても、他人に迷惑をかけることはせず、前借すらもしなかったという。
2023-02-05 23:02:23前借をしまくっていろんな社に迷惑をかけていた当時まだ有名になっていなかった直木の話を豊島にしたところ、高利貸しもかしてくれないだろうと信用の大事さを語るのであった… いやなんのエピソードなんだこれ…
2023-02-05 23:04:27世界文学全集の円本印税が百万部あったので、それで借金の利子をはらったあと、本郷に自宅を新築。う~ん、さすがの販売数だな
2023-02-05 23:06:09その屋敷もしばらく新しい借金の抵当にはいって、奥様の死後困っていたが、たまたま戦後の新本ブームでやはりかつての円本全集が復刊し、また売れた。自分の父と違って、子の代に借金を残さない結果に。
2023-02-05 23:08:09今日は、自分で忘れそうな本の内容を要約してつぶやいているんですが、もうちょっとで秋江のところ読めるぞ~ことつむの裏とりしてるときには気になってて時間なくて読めてないところだ ぶんあるちゃんあれだけ大正アイドルそろえながら秋江ノータッチなのよね
2023-02-05 23:33:45あの……事実だから別に否定しないけど、いきなりトピックが「愚痴っぽい性格」なのね。当時の東中野から徒歩15分も歩かなければならないところに住む秋江なのであった。
2023-02-05 23:35:20林芙美子が文学少女時代に女中として働いてたのが秋江の家なのよな。大正10年当時50近くで、女あんまをしていた20歳くらい下の女と同棲していた秋江は、「人間」の随筆は小説なみの原稿料をもらえるのかの話でいつもの秋江節ですげえめんどくせえこといってる。たかが手紙なのに読ませてくるな…
2023-02-05 23:40:34随筆を書いて安っぽくみられるのがイヤ、書いてる人間が安っぽいからかもしれませんが、世の中にはヨタ物でも小説といえば随筆以下に無価値なものでも小説として通用するのを見受けますから、ほかのやつと自分のやつのあつかいどうすんのみたいなことをつらつらかいてて、ワッ秋江だ~キャッキャ
2023-02-05 23:43:56話をしていているうちにウンザリしてきて口の中でぼそぼそ神経質なことを言ってる、と書かれている。 作品そのままの痴情と愛欲の世界に常駐している彼の性格によるものではないかといわれていて、また一方で金のことを伝えるにはハッキリ伝えることもできると… そういった内容ですねw
2023-02-05 23:52:24秋江は、よしーくんとムなどと批評家にやり玉に挙げられることがあって、お互いになんか常に同期感をだしてくることでわたしにしられている、語りは面白いがとにかくいつまでしゃべるんだコイツ…と思わせるほど長く、フリーダムなのだ
2023-02-05 23:54:34同時代の作家仲間なので、あんまり売れっ子じゃなくなったときに、ほかの自然主義作家たちと同様にムさんが気にかけているようだ。
2023-02-05 23:59:34リアタイでは、一応早くからワセブンでシガの作品に評をつけてくれているハズなのだが、なぜかのちにうのくんと紙面で論争になってしまい、その時にムさんの比較者としてシガを持ち出したことを語ってしまい、な、なんかフォローしろよ! と私に思われてしまった面白委陰キャなのだ
2023-02-06 00:02:43大杉栄や幸徳などの非戦論に共鳴し、政界の首脳に建白書をおくり、戦争回避の異論を喚起したこともあるという、熱い一面もあるそうで、昭和6年には『水野越前守』政治小説を時事新報に連載、当時の浜口内閣の寓意で執筆したもの。
2023-02-06 00:10:38自称政治家志望だったという。宇野浩二の『蔵の中』の主人公のモチーフになったのは秋江で、質に入れた着物を虫干しに来るので質屋が困っていたものだが、これは確かひろつがうのに教えてあげた噂からなのよね
2023-02-06 00:13:00生活苦の中にも前借してまで身近に美花を買う小粋さを語る。松山氏、たぶん秋江のこと好きじゃないんだろうな……w 印税の前借をしてまで盆栽の鉢を買ってきて得意になっていたこともあれば、京都の女の仕送りに困って細切れに送金していたりといったエピソード類の書きかたをみるとおもう
2023-02-06 00:16:41改造社全集が出版されたときは相当の収入があったので、熱海伊豆山に一万五千坪の土地を買い込んで、温泉を掘りだしたが、持ち金を使い果たし、計画していた別荘も立てることができず、土地が遊んでいたのは、彼の死後まで放ってあったあと、戦後の農地改革でタダ同然でささげられることに…
2023-02-06 00:19:06特に気の毒だったのは、妻と同棲しながら自分は下宿人同然で、来客に茶も出してもらえず、何から何まで秋江が全部やってたそうで…明治男で自分でアイロンまでかけてるのは珍しいんじゃないかな…( ˊᵕˋ )
2023-02-06 00:21:03大正10年文化学院の学監だったころに与謝野晶子を初めて訪れた。美貌のひとではないけれど、特別な派手好みで、気品のある霊活な美しさを身辺にまとわせ…オーラがある人として書かれている
2023-02-06 00:31:10脳溢血で病床についていても、派手な友禅の寝間着で寝ていたという。おいて髪が薄くなっても神さびた女詩人であったとも
2023-02-06 00:33:18それまでの女性がてをつけなかった大胆な感覚や空想をはばからず歌った女流歌人として世の驚異の的となった 新詩社は、短歌を詩の一部とするための詩歌改良機関紙として創刊。与謝野寛氏はもともと浅香社の門下生であった。
2023-02-06 00:41:16みだれ髪に収録された歌は完成したものではなく、後年になって訂正した。それというのも、晶子氏が、みだれ髪に寄せられた賛辞を過ぎたもののように思ったからで、虚名にすぎなかったと本人は語っていたという。
2023-02-06 00:45:32もきちの評と、晶子氏の独学の源氏物語からの影響を語る本人言、そのほかに藤村の『若菜集』や泣菫『暮笛集』の新体詩の模倣のこと、はるおの語りがのっている。
2023-02-06 00:51:05相変わらず光太郎さん、むしゃ大好きだな……wむしゃは過去の文壇のひとたちとちがって、人ではなくその人間の持ってる考えだけをやっつけるので、当初の感情が薄らいで、武者さんを愛するようになる、誰にでも好かれてフェアだったと、光太郎さんがめっちゃ褒めてくれているのが紹介されておる。
2023-02-06 00:58:26真っ先にやっぱりむしゃとの相愛良好関係がイメージにあがるんだねー 久々にこういうの見るのでそういえばそっか。ってなっている
2023-02-06 00:59:09光太郎さんが関係した時代の白樺は、根強い白樺の抵抗でもって文壇を相手にしていたが、しまいには彼らがけむたがられるようになって見て見ぬふりをするようになったところで、彼らの存在を初めて認めたのが正宗白鳥であった
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