自分が思い出しのフックに使うための健忘録です。
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win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

こんなとこに住んでると東京から原稿依頼に来てもらうのが気の毒で、どうしても来ると一日や半日は時間潰れちゃうし、自分のほうでも応接に時間を取られて原稿が書けなくて困る。書き溜めてから自分から東京に出ようとおもってるんだけど、雑誌社の希望もあるので、はくちょ原稿は競売にしようと考えた

2023-02-01 13:46:47
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

松山氏はすぐには賛成というわけにはいかなかったが、奇抜だ…… とおもってそんなのうまくいくのかな…などとおもってたわけだ

2023-02-01 13:48:06
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

原稿競売は、常宿にしていた神田の旅館に各社に電話で招集されたが、約束の時間に来たものが一人もいず、松山氏の前に来ていたぶらおくんに「近頃の編集者は時間を守らなくて困るね」と不満そうに話していた、とのこと 初めてのこころみなので時間から始まるとかしらんし想像つかんかった~ とはなす

2023-02-01 13:53:04
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

編集者がそろわないと入札もはじまんないし、原稿に目を通す時間がかかるので作者や早くに来ていた編集はそろうまで待たないといけないのでちょっとシュールだ…

2023-02-01 13:54:26
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

はくちょう流の出版社の原稿料や基盤だけで見ない公平な態度としてそういうのを考えたわけだが、第一回目のていたらくに企画したはくちょ本人も笑っていたと

2023-02-01 13:56:40
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

こうして原稿競売は2,3回つづけられたが、自分だけじゃなくて作家が共同組合をつくって、期日を互いに申し合わせて書けた原稿をもちよって入札制度を実施する案も考えていたこともあったそうで やはりルーラーですね

2023-02-01 13:58:41
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

ジイド研究が作品に影響した話、翻訳で生活をしたものの、縁の下の力持ちにすぎないことを悟ったあと、読売で芸術欄を担当していたころに、藤村の自費出版が好評だった噂をききつけ、新聞媒体の連載に適するかも度外で自信をもって社長に藤村を推し、「春」の連載までこぎつけた話などがのっています

2023-02-01 14:04:25
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

しかし、一般読者からあんな面白くない小説は連載を注視しろという投書が毎日のように舞い込んだ。社長をはじめ編集長からはくちょに行くたびも中止を命じられたが、依頼した責任上強硬な続行の態度を貫きとおした  はくちょがいなかったら『春』は打ち切られ作品は完成しなかっただろうと松山氏

2023-02-01 14:07:42
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

毒舌家と呼ばれるほど辛辣ではないが評論に定評があり、蘆花の『富士』を酷評し、それははくちょが学生時代から兄である蘇峰氏を尊敬していたというのもあって、その酷評ぶりが紹介されいてる。

2023-02-01 14:11:24
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

蘆花氏の晩年の枯れ具合を酷評するはくちょ、藤村の『新生』の材料の詩化に比して事実を書こうとつとめたあとは認められるが、材料が生身過ぎて材料に扱われた人間が迷惑だろうと 最後に蘆花小説の酷評がトピックにあがっている。

2023-02-01 14:16:03
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

大正十一年くらいに、はるおのところのお使いをしてるんだな藤森淳三。

2023-02-05 13:30:32
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

twitter.com/mikemekimi/sta…

2023-02-05 13:30:39
win( ˊᵕˋ )ことつむ頒布物発送しました @mikemekimi

ブッセの早稲田文科の同級が富ノ沢、利一などで、ブッセとは別のグループで利一&富ノ沢と学生同人雑誌をだしていたのが藤森淳三という感じだったな… ゴシップ記事というよりも友人の身辺にあった事感覚?

2022-12-01 03:16:49
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

こういう時にはるおくんの臨川全集の改題があれば…とおもうんだよな でもうちに置く場所がない…「私の日常生活」の原稿を持ってるのが、藤森淳三なわけだな

2023-02-05 13:36:48
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

雑誌『金星』は金星社の出版月報を兼ねて発行していた文芸雑誌…… なるほど、そういうカタチの文芸雑誌もあるわな

2023-02-05 13:39:30
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

一番気になる手紙はぶかれてしまった…Σ( ˊᵕˋ ) はるおくんの児童モノは研究があまり進んでいないらしく、赤い鳥事典にすらそう書かれてしまう始末なのだ

2023-02-05 13:41:06
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

「童話劇といっても子供がよむものではありません」とは……

2023-02-05 13:44:15
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

長江先生の、よく見るエピソードだ 春夫君は批評家ではあるが、教育者ではないですよ。彼はあまりに本当のことを言うので、天分あるものは勇気を持つが、天分のないものは悲観させられますよ

2023-02-05 13:46:39
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

ここでは春夫門下の高弟概念として、井上靖、だざ、檀の枠なんだなあ。そうか、金星社から人間社の所属の人間から見るとそういうピックアップに

2023-02-05 13:48:38
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

ういおくんの処女作のせいで『銀皿』が雑誌の発禁にみまわれてしまう…『銀皿』が新人向けの投稿雑誌で無名の人を有名な作家に推してもらって掲載するコンセプトだったらしい。㌧は西貝という女性を推してたんだけど、それが原因で雑誌自体が発禁と同じ本の中でいっていたが、新人どんだけ挑戦的なんだ

2023-02-05 13:51:21
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

でも、確かういおくんは最初㌧のところに訪ねて、緊張してはるおの話ばっかりしちゃって、はるおんとこ行きなよ…って紹介されているはずなので、確かに筋は一定数通っているな…

2023-02-05 13:52:39
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

松山氏に結果的に損害を与えたういおくんは、春夫にいわれて、母を伴い松山氏にお詫び訪問してるそうで、春夫も一緒になって弁償したいと申し出をするも、松山氏たちはお断りしたらしい。これがお互いの語り草になったのですね

2023-02-05 13:56:23
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

犀星のところ、いきなり庭づくりや骨董趣味からの隠遁趣味の話なんですね 世俗から離れようとしてる一方で、大正7年~8年の詩集からの小説へ…以外はいきなり昭和年代の枯淡に現実的となった話に富んでいるんだが

2023-02-05 14:11:31
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

、大正後半のというか大正10年ごろ(だっけ??)のすさまじい執筆量で新潮社の年譜に載ってるやつとかノーマークなのね松山氏

2023-02-05 14:11:44
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

リアル芥川にとっては犀星の作品が「バタくさい」と業界人に言われてるニュアンスで表現されてるのね 題材は和風なのに、西洋の小説の翻訳みたいだとか

2023-02-05 14:14:13
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

大正9年ごろに芥川作品の風潮変化に言及する犀星、黒幕のかげから人物を操ってるのではなく、若い女性の中に自分の心をおいて、対象に対する食い入り方を深くすべし…みたいなこといってるのね、犀星が。 私小説・心境小説概念のはなしかしら

2023-02-05 14:19:12
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

震災後の復興をふるさと金沢で待っている間、自宅をひろしに貸し出していた犀星、当分は東京にもどれなくなっていたそうで 思っていたよりも復興が早くて出遅れたんですね

2023-02-05 14:21:16
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

ひろしが住んでる間に訪問客が多すぎひろし雑すぎで手入れしていた庭が荒れ放題に…

2023-02-05 14:22:20
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

芥川の仲介の手前、ひろしに文句を言って立ち退かせることもできず、相談のため芥川が金沢を訪れる、この後ひろしが買うことになっていた学習院の教授・新関良三邸の明け渡しに合わせて帰ってくれば?的な日程を調整することに

2023-02-05 14:27:13
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

芥川、金沢の茶屋の6間を一人で使用していいことになって、なんかのびのびとできたようだ。大正13年のことだそうで

2023-02-05 14:28:38
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

晩年の馬込のうちの犀星の客間は日本式の茶室のようで、犀星自身も足を崩さないので、若手の編集は堅苦しくて苦手(意訳)だとはなしていたという。

2023-02-05 14:31:43
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

1964年に金沢犀川のほとりに文学碑がつくられ、地元の美術界のこだわりのものだった、という内容がかいてあった。

2023-02-05 14:33:13
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

川端、横光、中河の諸氏校正に従事。金星社から『文芸時代』を創刊しているため、これも金星堂の中で『人間』の編集部長をやってた松山氏の観測範囲でよく顔をあわせていたという。

2023-02-05 14:50:50
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

挑戦的な横光とちがって、文学運動の面においても理論を積極的に展開したことがない川端の話。川端の技法のなかには、枕草子にあるような純日本的感覚があって、泉鏡花の作品を愛読し、平安期の古典を愛読していたというのもあったそうで

2023-02-05 14:54:48
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

またことに、当時の文壇人としては秋声の自己放棄的発想法に深い関心を払っていたことなどものっている。

2023-02-05 14:59:19
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

『招魂祭一景』『十六歳の日記』でひろしにみとめられ文藝春秋同人になっていたが、大正13年同人のなかから若い作家グループが離反、川端も文芸時代の創刊を企画する。こっからコジマサくんから川端の話が面白いと芥川が紹介をうけて、一緒に震災被害、ことに浅草、吉原方面の見学のことがかいてある

2023-02-05 15:05:30
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

死骸のにおいも、悪くないね… という感じのくだりだね。

2023-02-05 15:06:38
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

川端は随筆の中では何を言ったかは覚えてなかったが、その内容はだいたい松山氏が芥川本人からきいてる 死骸のにおい体験をするりゅうタン、松山氏いわく、12,3歳くらいの子供の死骸をみて、うらやましさに近いものを感じていたらしいことをきいてるんですかね。

2023-02-05 15:09:52
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

痩身にヘルメット姿で荒れ果てたまちなかを駿馬のごとき快活さで飛ぶように歩くりあるりゅうタン、毒茸のような悪漢みたいに川端にいわれてしまうのであった。

2023-02-05 15:12:57
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

昭和13年の川端、東京日日と大毎に囲碁観戦記事を書いてるのか…囲碁観戦記は碁と棋士が主、記者は従で、棋士に傾倒する度によるところによって、記事の成功がきまるそうだ、この囲碁記録記事は成功だったのね

2023-02-05 21:10:15
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

川端、横光、中河の3名は朝寝坊で出勤が遅いらしい。

2023-02-05 21:15:37
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

菊池寛としては、文芸春秋同人から新進気鋭の反逆児を出したので裏切られたような気がして内心おもしろくなかったそうで、表向きは同人雑誌の域を脱して発展するためだといっていたと語る松山氏、内心の動揺を隠して穏やかな承諾文を発表した、といったことが載っている

2023-02-05 21:21:27
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

これと同時に、文壇諸価値調査表のゴシップを掲載、今東光を筆頭に横光が憤慨、掲載の責任は菊池にあるというので今は菊池を相手に論陣をはることになる

2023-02-05 21:23:30
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

横光も菊池に一矢むくゆる一文を新聞に掲載しようと送るも、すんでで川端に回収され、横光対菊池は表面に現れず危機を脱する。以下文芸懇話会賞を室生犀星とともに受賞した当時の評判、『日輪』を発表したときは文壇に大きなショックをあたえたという。

2023-02-05 21:26:43
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

自然主義や近代心理主義を根ざす当時の文壇的作品に対する挑戦、物語の非情さ、そのすべてが唯物的といえる絵画的な修飾などはすでにあらわれていたという、こののち、新感覚派としての誇張した言語のアラベスク趣味の運動の主導者になっていく、とのこと。

2023-02-05 21:29:28
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

『花園の思想』で新感覚派的手法を使いだしてはじめて人間的を強く放つものとなったあと、『病妻物語』により構成派の方法をみにつけることになった、とかいてある

2023-02-05 21:32:50
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

『上海』に関しては、本人ができる限り精神や意義などではなく物質を書こうとしたと松山氏はきいているのですね。一モダーニストの描いた唯物的な世界、人工的非情さ、度ぎつい絵画性を地で行くと解説されている。

2023-02-05 21:36:37
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

りあるゆぞ、都電の車庫に近い新開地の借家に大正10年ごろはすんでて、田端の芥川家に近く、帰りに寄れる位置にあったため、松山氏は初対面を果たしている。当時は人間の性格劇、社会劇でもあった戯曲を書いており、大衆性があって好評だったそうだ。

2023-02-05 21:43:47
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

戯曲で得たものを通俗長編小説に生かし、新聞小説にて常識的な倫理を大衆に広めた。ことに、広い読者に迎えられたのは『路傍の石』『真実一路』なので、映画化のため全国的にクローズアップされ、一時は太陽のかがやくような脚光を浴びたという。

2023-02-05 21:45:56
win( ˊᵕˋ ) タイツあるよ @mikemekimi

大正11年の最初の随筆集『塵労』を出版するため、その担当編集についた松山氏なのだ。ちなみに売れ行きはあまりよくなかったが、松山氏の仕事としては今までにない深い喜びのある本だそう。

2023-02-05 21:48:14