(抜粋)『差別と弾圧の事件史』筒井功著、河出書房新社、2019.6.20 第3章、千葉県・福田村事件
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(p.56) 利根川の工事でモッコ担ぎの重労働をしていた朝鮮人の二人は、風早村の朝鮮タコ部屋で、長い丸太を枕に寝かされ、朝になると、部屋頭が木槌で丸太を叩いて人足みんなを飛び起こさせた。地震で堤防が壊れたので、人足は利根運河と利根川の二手に分かれ、復旧工事をやらされた。

2022-12-10 14:49:01
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9月4日、突然大勢の自警団が押し寄せ「朝鮮人を出せ」と部屋頭に詰め寄った。「川の仕事があるから出せない」と言うと、頭を殴りつけ人夫を片っ端から縛り上げた。馬に乗ったお巡りが制止するも「あのお巡りは非国民だ!」と自警団は聞く耳を持たなかった。

2022-12-10 14:53:13
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やがて軍隊が鉄砲を持ってきて、松戸の警察署に連れて行かれたが、牢屋がいっぱいだったので、習志野収容所に連行された。 (p.57) 自警団関係の事件は、9月20日頃から、殺人犯の検挙が始まり、千葉県内で16件の裁判が行われている。  90名以上も検挙されながら、収監されたのは17名である。

2022-12-10 14:58:35
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「一日裁判」と呼ばれたほどおざなりなもので、傍聴人も「外国への言い訳を与えるための裁判だったと思う」と述べている。裁判にかけられた犯人にしても、代表として引っ張られたという暗黙の捉え方があったようだ。  執行猶予付きとはいえ、殺人罪に問われている多くの自警団関係者に対して、

2022-12-10 15:02:52
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軍隊による虐殺で明らかにされたものはきわめて少ない。明らかになったものに対しても「適法行為」とし、また殺人を指示したという証拠があるにもかかわらず、「殺人教唆をした事実はない」としている。 (p.93) 田中村は同年10月2日に村会議員・各区長・各団体長を招集し、事件への対処方法を協議。

2022-12-10 15:09:40
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隣村まで追いかけて行ったことを問題視する意見も強く、弁護料として出すことは出来ないが、「役場に於いてか又は公共団体の如き団長より命令の元に行動したるならば止むを得ざる故」と、小金町の場合を参照して4人に対し350円の見舞金を戸数割りによって徴収し、支給することとなった。

2022-12-10 15:13:58
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彼らは自分たちの代表で捕まったのだという同情の意識があったようだ。見舞金のみならず、村をあげて農作業の援助もしたといわれる。 (p.130) 受刑者の一人は服役後、村長をつとめ、合併後は市議にまでなっている。お国のためにやったのだという村民あげての意識が動いた証拠であり、

2022-12-10 15:18:48
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いっぽう被害者への思いは全く欠落しているという特殊な構図が浮かび上がってくる。これほどの事件で控訴審まで行われていながら、被害者の遺族や関係者には何一つ知らせず、地元の新聞社(香川新報)も、事件を把握していたにもかかわらず、まるでなかったことのように報道の跡が見当たらない。

2022-12-10 15:22:43
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(p.131) 1926年12月25日、大正天皇の死去により、翌年、福田村事件の被疑者8名も、第二審から2年5ヶ月後に全員恩赦で無罪放免になっている。 (p.136) 『大津波を生きる』の著者高山文彦は、「大杉栄事件で甘粕正彦が逮捕された時、甘粕に対する減刑嘆願運動が起きたというのも、なにか正気を失った

2022-12-10 15:30:34
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人間の恐ろしい闇を見る思いがする。早稲田大学の右翼グループや各地の在郷軍人会を中心に集められた署名嘆願書は、じつに65万人に達した。65万の署名をした人々は、甘粕を助けようとしたのではなく、無政府主義者大杉とその一家を殺すことに賛意を表したのである。」nhk.jp/p/ts/46GRNGJ8Y…

2022-12-10 15:35:52
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(p.141) 福田村事件真相調査会に対する2002年4月8日の野田市からの回答は、「福田村事件は、地元自警団と行商団一行との間の📌民民の事件であり、市が追悼碑の建立に関わることはないとの基本姿勢に変わりはない」というものだった。  田中村ではこの事件の対処法として「役場に於いてか又は

2022-12-10 16:04:11
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公共団体の如き団長より命令の元に行動したるならば止むを得ざる故」と、逮捕された4人に対し350円を支給したのである。「地元自警団と行商団一行との民民の事件」とする行政の姿勢には強い疑問を抱かざるを得ない。

2022-12-10 16:04:12
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この時の警視庁官房主事は、大正の米騒動を鎮圧した、後の読売新聞社主であり「原発の父」でもある正力松太郎であった。 (p.144) 2003年(平成15)9月、圓福寺の大利根霊園内に慰霊碑が建立された。碑の裏面左には何らかの文章を入れることを想定したスペースが設けられている。

2022-12-10 16:05:08
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いつの日か国家の責任を明確に問う碑文が入れられることを願ってやまない。  「福田村事件を心に刻む会」の事務局長市川正廣さんは、「私たち一人ひとりの生き方考え方が、逆に石碑の方から見られていくのではないだろうか」と述べている。  " 無辜なる10人の魂 " から私たちは見られているのだ。🧵

2022-12-10 16:11:45
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『集合的記憶と個人的記憶~記憶の共有性と忘却性をめぐって』 ( 有末賢)  戦争の記憶は、個人的記憶の部分を絶えず集合的に再生産されない限り、歴史的時間の流れの中で風化してしまう。集合的記憶の共有性がなければ、もともと個人的記憶を表出する術も存在していない。

2022-12-11 22:59:40
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多くの「自死遺族」たちは、沈黙し、「語りにくいこと」を抱えて生きている。まさに、このような例が個人的記憶である。それに比べて、戦争の記憶は、集合的記憶、社会的記憶として存在している。それらは、戦争と戦死者として、集合的記憶につながっている。

2022-12-11 22:59:40
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『戦争の記憶と忘却』(平林 美都子)  ヤン・アスマンの「伝達の記憶」は時間軸に沿って最長80年から100年までという個人の人生の枠内が想定され、アルヴァックスの集合的記憶に近い。 「文化的記憶」は個人が生きている年限を越えた古い出来事に関する記憶である。メディアと文化的実践を媒介として

2022-12-12 00:15:53
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過去を能動的かつ選択的に構築する文化のプロセスだとしている。  ピエール・ノラは、歴史の加速現象から記憶と歴史の断絶を論じた。これまで共同体を結び付けてきた集合的記憶が希薄になり、取って代わる歴史は「もはや存在しない記憶を再構成したもの」になる。

2022-12-12 00:15:54
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ノラによれば、古文書や記念碑、記念日の祝典などの「記憶の場」は、失われた集合的記憶の代替物であり、象徴的な場となる。  戦争の記憶は国民国家のナショナルな記憶の創出に繋がる。(岩崎稔)  生き証人の世代が絶えかけると「体験者の記憶は文化的記憶へと移行していく」。

2022-12-12 00:15:54
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戦争の記憶は記念碑や記念式典というコメモレーションを通じて「ナショナルな悲しみへと変換されうる」。  記念式典などの「記憶の場」は、それ以外は忘れているという「記憶の外在装置」にもなる。  J・ウィンターは、戦死者の追悼の目的に関し、「国家共同体と死者にとって身近な存在だった個人や

2022-12-12 00:15:55
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小グループとでは大きく異なっているため、公的記念行事の際に死者追悼の目的が異なる両者間では葛藤が生じやすくなる」という。  J・アンドレスによれば、共同体に属するメンバーは共有するアイデンティティを育む一方で、共同体の遺産や歴史は時代とともに修正されていく。

2022-12-12 00:15:56
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侵略・虐殺に至る行為が歴史から削除されるのは、歴史が政治的強者によって書かれるからであり、弱者が忘却を強いられるからである。  「権力に対する人間の闘いとは忘却に対する記憶 の闘いである」(ミラン・クンデラ)  掘り起こされた作品は、忘却の歴史から作られた共同体のアイデンティティを

2022-12-12 00:15:56
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批判する役割を持つ。  告発は、歴史の〈取り戻し〉と歴史認識の共有を求めるための智恵なのだ。  ポール・リクールは権威づけられた共同体が公的歴史を操作することによって、特定の出来事が忘却されていく危険性を懸念する。「社会の当事者たちがみずからを語る根源的な力を剥奪されるところから

2022-12-12 00:15:57
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生じる、よじれた形がそこには働いて、忘却が集合的記憶の規範として機能する」。  このような「歴史の特権」とは、共同体を維持するために「特定の共同体の記憶を修正し、批判し、さらに否認さえする特権なのである」。  そもそも文化的記憶の中に過去を正確に保存することは可能なのか。

2022-12-12 00:15:57
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アンドレスらは、忘却から作り出される芸術がトラウマを美的に片づけてしまう危険性を指摘する。  文化を監視し解釈する社会的責任の必要性。(加藤幸実)   ホワイトヘッドも「記憶から忘却へと言説のシフトが始まっている」という。  ステーブン・レッグは、特定の時代や場所での個人的記憶は、

2022-12-12 00:15:58
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「何を忘れるか」「何が我々から隠されるか」といった「社会的条件づけに依存している」と語り、公的規範(物語)の操作を認めている。   だが、公的規範の物語である集合的記憶は対抗する解釈を排除する物語であるが故に、「別の記憶や忘却への抵抗という潜在的な可能性につきまとわれる」。

2022-12-12 00:15:58
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アムニージア( amnesia 記憶の喪失 )とアムネスティ( amnesty 大赦 )の語源的近似性について、リクールは、大赦は記憶喪失の組織的行為であり、当事者間の良心にもたらす赦しの平和的和解とは別物だとし、「大赦は赦しと正義を妨げる」と批判する。

2022-12-12 00:15:59
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ピーター・クラップは、「忘却の政治学として理解される大赦は交渉の産物だ」と言う。 「赦しも大赦も共同体の記憶と忘却の修正版」と考え、赦しが過去を現在に呼び出す記憶であるのに対し、大赦は当事者が忘れることを前提にしていると両者を区別する。

2022-12-12 00:15:59
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クラップによれば、大赦は「何も起こらなかったかのように、心理的・社会的痕跡を消すことを求める」。  マーサ・ミノウは、赦しを与えて罰を与えないことは、行為そのものが忘却されてしまうという理由から、被害者の尊厳を守らない大赦には批判的だ。

2022-12-12 00:16:00
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「赦しは犠牲者(被害者)に保持された力」だというミノウの見解から、記憶の当事者性の問題が浮上してくる。犠牲者以外の第三者による赦しは、出来事そのものが忘却されてしまうことを意味し、真の赦しの行為にはならない。  赦しも復讐もできない死者の思いは誰によって、どのように記憶されるのか。

2022-12-12 00:16:01
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代理の誰かが死者の記憶を特権的に占有することは許されるのか。  追悼行事やモニュメントなど「死者の記憶の場は、生者のアイデンティティを形成・構築・解体する場として使ってよいという前提」が共通しており、死者の記憶を生者の「アイデンティティ創出装置」にしてしまっている。(佐藤啓介)

2022-12-12 00:16:01
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さらに死者の記憶を代表=代理して記憶を占有するアイデンティティ・ポリティクスが復讐を正当化していく。  死者に「復讐する可能性と赦す可能性を返してやること」とは。  ミシェル・ロバーツは、死者の暗い記憶という表象不可能な非言語の存在を認めている。🧵

2022-12-12 00:16:02
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ハンナ・アーレントは、「赦し(ゆるし)」と「約束」について語っている。彼女はそれらが「再開の可能性への賭け」になるという。復讐に対しての「赦し」、支配に対しての「約束」。  復讐とは過去のくりかえしであり、赦しは過去の呪縛からの解放になる。twitter.com/chokusenhikaem…

2022-12-12 00:26:58
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『傷を愛せるか(増補新版)』宮地尚子、ちくま文庫、2022.9.10. pic.twitter.com/krb0ikKmDv

2022-10-29 16:17:56
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(p.210) Foote, Kenneth E. は、『記念碑の語るアメリカ』で、米国において暴力や悲劇がいかに景観に刻み込まれ、社会の記憶をつくりあげてきたかを分析している。  彼は景観の変容を「聖別」「選別」「復旧」「抹消」という4つに分類する。

2022-12-12 00:26:59
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「聖別」は、慰霊碑や記念碑を建て、記憶を永続化させる行為。「抹消」はその逆で、事件の痕跡はすべて破壊され消し去られる。「選別」と「復旧」はこの両極の間にあり、「選別」はそこで重要な事件が起きたということを示す行為、「復旧」は事件の痕跡を取り払って元の状況や通常の使用に復帰させる。

2022-12-12 00:26:59
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過去を再解釈することによって調整や変更がなされ、抹消された場所が再発見されたり、聖別された場所が抹消されることもある。  景観の抹消への強力な動機づけとなるのが、恥辱である。  ベトナム戦没者記念碑は、そういう意味でも「負の遺産」=「傷跡」の保存の稀有な成功例である。

2022-12-12 00:27:00
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傷のある風景から逃れることはできるかもしれない。傷のある風景を抹消することはできるかもしれない。けれども傷を負った自分、傷を負わせた自分からは、逃げることができない。記憶の瘢痕から身体が解放されることはない。

2022-12-12 00:27:01
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それでも、人は生きつづける。  傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当をし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生きつづけること。

2022-12-12 00:27:01
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映画『アメリカの森 レニーとの約束』は、ベトナム戦没者記念碑をジェイクが訪れるところで終わる。  傷のある風景が残り続けることによって、人はときに癒やされる。終わらない、長い「戦後」がそこに記される。🧵

2022-12-12 00:27:02