置かれていた。黒人に対する私のメッセージはこうだ。「「自分を憎むのはもうやめにしよう。神が黒人を創造されたのだから、自分自身を、その顔を、大きな鼻と唇を愛そうではないか。そうして始めて、私たちは神のことも愛せるのだから。黒人であることは、神から人間への贈り物なのだ」。
2020-06-08 09:16:55私はまた、白人のためにもこの本を書くつもりだった。特に白人の教会と神学者に向けて。彼らの白人キリスト教がイエスの福音でないことを伝えなければならなかった。白人優越主義はアンチキリストなのだ! 同時に私は神学者として、世界中の抑圧されている人々のためにもこの本を書かねばならないこと
2020-06-08 09:22:15を認識していた。自分たちが何者であるか、もはや黙っている必要はない。私が黒人性について声をあげ、書いたように、彼らもまた自らのアイデンティティについて声を上げ、書くことができる。黒人性という個性は、しかし黒人の内にのみ留まるのではなく、世界中の貧しい人々の闘いへと広がっていく。
2020-06-08 09:27:58(P.50) 白人は私たちについて好き勝手に言うが、それを嘘だと証明できるかどうかは私たち次第なのだ。自分に与えられた知的な可能性を出来る限り成長させなさい。それはあなたの責務なのだ。 (P.51) 自分を成長させてくれた人々は、神からの贈り物だと私は信じている。
2020-06-08 09:32:41限界を決めてはいけない。何だってできる。 人間はそのルーツによって形成される。私のルーツはビアーデンにあるが、それは奴隷制や奴隷船、そしてアフリカまで遡る。黒人たちが守ってきた伝統を学ぶことがなければ、私は自分が何者であるかわからなかっただろう。
2020-06-08 09:36:40ビアーデンの白人は、ニグロが、特に高校以上の教育を受けることを好まなかった。ニグロの教育の機会は少なければ少ないほどいいのだ。 (P.53) 1955年、14歳の少年だったエメット・ティルがミシシッピでリンチされた事件があってからは、苦しみの問題がよりいっそう現実的なものとなった。
2020-06-08 09:41:20私はまだ17歳の少年で、リンチが決して珍しいことではない州に住んでいたのだ。同じことが私の身に起こるかもしれない、そんな考えが頭から離れなかった。教会で聞くように、もし神がニグロを愛しているなら、なぜアメリカ中でいまだにリンチが起こっているのか。これが私の問いであったが、
2020-06-08 09:46:4017歳の少年に答えはなかった。 (P.56) ニグロの共同体では、たとえ大学であったとしても、書くことではなく、口で語り、説教することに重点が置かれる。それゆえ、紙の上で言葉を文字にする際の英文構造を、私は理解していなかった。博士課程で、私は中学校の英語の教科書を買い、生まれて初めて、
2020-06-08 09:52:43英語という言語が持つさまざまな側面について、特にそのリズムと美しさについて学んだ。 (P.57) 自分が誰であるのか白人から教えてもらうことを拒否し、自分が何者であるかを自分で決められるかどうか、ボールドウィンがよく言ったように、それは「自分次第」なのだ。
2020-06-08 09:57:13(P.58) 「私の文章は、私の血から押し出されてきたものなのだ」とクロード・マッケイは言っている。私の場合、それはビアーデンの黒人の血であり、他の黒人たちの血なのである。黒人の歴史を読めば読むほど、私の痛みは深くなり、言葉がなくなっていく。白人が享受してきた特権の代価として黒人が
2020-06-08 10:01:04背負った軛(くびき)を、白人が真に理解できる日がいつか来るだろうか? (P.59) ボールドウィンの戯曲『白人へのブルース』のファニタが、思いやりあるリベラルな白人に問うたことを、私も白人の友人に聞いてみたかった。「君は自分が何も知らないことを、どうして知らないでいられるんだい?」
2020-06-08 10:07:55しかし私は訊ねなかった。そうすることは私たちの友情の終わりを意味していたから。何年か後に、それは現実となってしまうのだが。 ペンを取って「キリスト教とブラック・パワー」を書き始めた時、私は自分に誓った。黒人としての尊厳がかかっている時に、仮面をかぶることはこんりんざいしないと。
2020-06-08 11:46:54