「分かりませんなあ」は指し示してくれるが、それは言葉を失っていいということではない。そこのところを、河合さんは上田閑照(しずてる)の言を引いて「言葉から出て言葉に出る」と言っている。 《言葉から出るとは…言葉によって「わかったつもり」になっているさまざまなことについて、それは
2019-07-09 14:47:36果たして何かと問い返すことだろう…言葉のないままに問い続けると、それは苦しい過程ではあるが、その答えがふと「言葉に出る」。これも言葉には違いないが、はじめの「わかったつもり」の言葉とは異なるはずである。》
2019-07-09 14:52:20「感激」などという言葉は今ではほとんどの人が使わない。感激は感動より心の動きが「激しい」のである。だが河合さんはいわゆる「感激屋」ではない。海千山千の河合さんが何千回と繰り返してきただろう箱庭療法のひとつの展開に大感激するのである。
2019-07-09 15:01:36感激することのできる河合さん、生き生きと反応することの出来る河合さんだからこそ、「難しいですなあ」「分かりませんなあ」を繰り返す勇気があるのではないか。難しいこと、分からないことの中に、言葉になりにくい人の心の豊かさと可能性がひそんでいる。人の心に終点はなく、究極の答えもない。
2019-07-09 15:06:51先週、モーメントにまとめました "(抜粋)② 『こころの処方箋』河合隼雄、新潮文庫、1998.6.1." の最終稿、谷川俊太郎が寄せた「三つの言葉」について、削った行間を補足したいと思いますので、少しく訂正してぶら下げ直します。💦
2019-07-16 16:17:24三つの言葉 (谷川俊太郎) pp.235-41 河合さんがよく口にされる言葉が三つある。ひとつは「分かりませんなあ」、もうひとつは「難しいですなあ」、そして三つ目は「感激しました」である。 自分ではどうあがいても分からない大事なことを、河合さんなら分かってるだろうと思って尋ねると、
2019-07-16 16:22:20まず「難しいですなあ」という答えが返ってくる。難しいことはこちらも先刻承知だから、どうしてももう一押ししたくなる。すると「分かりませんなあ」ということになる。 河合さんの「分かりませんなあ」は、終点ではない。まだ先があると思わせる「分からない」なのだ。
2019-07-16 16:26:38「分かりませんなあ」という関西弁は、「分かりません」という断定的な共通語とは異なるニュアンスを持っている。「分かりませんなあ」の「なあ」という語尾の余韻が、「分からないこと」の深さを計っているのだ。つまり河合さんと私は「分からないこと」において気持ちが通じる。
2019-07-16 17:08:42もちろん河合さんと私とでは、「分からないこと」の深さが違う。それでもその「分からないこと」が、簡単に答えの出るような「分からなさ」ではないということを、私たちは「分かり」合える。安易に答えを出すよりも、まず「分からない」と思う方が答えに近づく道だということを、私は納得する。
2019-07-16 17:15:09「分かる」だけが答えに近づく道ではないことを、河合さんの「分かりませんなあ」は指し示してくれるが、それは言葉を失っていいということではない。そこのところを、河合さんは上田閑照(しずてる)の言を引いて「言葉から出て言葉に出る」と言っている。
2019-07-16 17:18:24《言葉から出るとは…言葉によって「わかったつもり」になっているさまざまなことについて、それは果たして何かと問い返すことだろう…言葉のないままに問い続けると、それは苦しい過程ではあるが、その答えがふと「言葉に出る」。
2019-07-16 17:22:47これも言葉には違いないが、はじめの「わかったつもり」の言葉とは異なるはずである。》 「難しいですなあ」という言葉にも、「分かりませんなあ」とおなじようなことが言えよう。河合さんほどの学識と経験をもってしても、「難しい」としか言えないことがある、
2019-07-16 17:26:03そう思うことで私たちはかえって励まされるのだ。難しいからあきらめるのではなく、難しいからこそ難しさの密林に分け入って行く、そこに生きることの手応えがある、そんなふうに私たちは感じる。p.238. (了)
2019-07-16 17:29:38