前掲書② 29. 生まれ変わるためには死なねばならない 人間は生まれ変わるためには、死なねばならないのだ。と言って、それは身体の死に到ってはならず、あくまで象徴的に行わねばならない。大切なことは、人の自殺を止めることにばかり熱心になると、それは、その人の「死んで生まれ変わろう」とする pic.twitter.com/GD7FbukCs7
2019-07-08 14:23:31せっかくの動きをとめてしまうことになる、ということである。自殺を単純にとめるのではなく、それを象徴的な「死と再生」への過程としてすすめてゆくことを…実際の自殺を避けつつ…援助することを考えねばならない。なので、「死にたい」と言われても、すぐにとめることをせずに、なおも話を聴くこと
2019-07-08 14:28:00にする。「自分を変える」ことが非常に苦しいので、仕事が面白くないとか、死にたいとか、の気持ちがでてくるのである。このような人がよくなられた時に、「死にたい、死にたいと言っておられましたが、いったい自分の中の何が死んだのでしょうか」などと問いかける時もある。堅い自分が死んで、少し
2019-07-08 14:34:05柔軟性がでてきた、などと答えた人もある。いつも同じ方法が成功することはないのを、よく知っていなくてはならない。象徴的な死と再生の過程の背後には、実際の死が存在している。肉体的死を回避しつつ、象徴的死を成就することが必要で、ただただ「死」を避けていたのでは何事も成らないのである。
2019-07-08 14:39:1632. うそは常備薬、真実は劇薬 中毒症状に陥らぬためには、われわれはここぞという時に、真実を言う練習をしておかねばならない。しかし、真実は劇薬なので使い方を間違うと大変なことが起こることを、われわれはよく知っておかねばならない。
2019-07-08 14:47:14他人を非難したり、攻撃したりする時、うそが混じっている間はまだ安全である。その人の真実の欠点を指摘する時、それは致命傷になる。このことを知らず、ともかく真実を言うのはいいことだと単純に確信している人がいる。このような人は劇薬や爆弾をあちこちにバラまく「確信犯」みたいな人である。
2019-07-08 14:50:49このような人にはあまり近寄らない方が賢明のようである。 時にはうそがはいったり、そして、ここぞという時のみ真実を言ったり、そのさじ加減こそが大切ということになる。いったい、自分は会話の際に、どのような処方箋をもって臨んでいるのかを反省してみると面白いだろう。
2019-07-08 14:55:0833. 逃げるときはもの惜しみしない 火事の時もそうだが、やはり命あってのことだから、逃げると決めたからには、もの惜しみしないことが肝心である。戦いの場合でも敗れて退くときが一番難しいと言われている。戦いの際の一番槍も大切だが、負け戦さに殿軍をつとめることは、戦国時代では功績だった。
2019-07-08 20:59:24木下藤吉郎が殿軍の役をつとめたときは、まったくもの惜しみをせずに、すべてを棄ててひたすら走って逃げるところが素晴らしかった。華々しく一戦を交えて、などと考えていると、下手をすると全滅してしまうかも知れない。無傷で逃げて次の戦いにそなえる方がよほど効果的である。
2019-07-08 21:05:00この社会を生きてゆくためには「逃げの極意」を知っておくことが必要と思われる。うろうろとしないことが肝心だ。逃げるか、逃げないか、どちらが正しいかいくら考えてもわからない時もある。要は、どちらに判断するかではなく、できるだけ早く決断して、逃げると決めれば徹底して逃げる。
2019-07-08 21:10:05逃げないのだったら逃げないでやり抜く。いずれにしてもそれ相応の覚悟が必要である。覚悟を決めずにうろうろしていると、損害をこうむることになってしまう。自分のかかえている課題や関心の在り方によっては、「機構維持」の仕事から「逃げる」ことも必要であろう。
2019-07-08 21:15:0634. どっぷりつかったものが本当に離れられる 本当に離れるためには、一度どっぷりつかることが必要である。このことは人間関係ばかりに限らない。趣味などにしても、一度どっぷりとつかると、それと適当な距離をとれるようになる。中途半端なことをすると、「心残り」がするのである。 #沼
2019-07-08 21:24:47どっぷりつかるのと「溺(おぼ)れる」のとは異なる。溺れる人はやたらとあちこちにしがみつくが、そこを離れることはできない。子どもがファミコンに熱中する時、それにどっぷりつからせるのは、そこを離れるためのよい手段となる。一般には、「どっぷり」体験をするためには、そこに人間の信頼という
2019-07-08 21:30:14ことが存在する必要があるようだ。これがわからず、どっぷりつかることを避けるほど離れてゆきやすいのだと思う人もある。このような人は、「どっぷり」体験を持たないので、それを基本として、人やものに対する距離をはかり、適当に離れていることが難しくなるのである。
2019-07-08 21:55:54そして、知らない間に、どっぷりした関係の生じるはずのないところに、それを期待したりするので、人間関係がチグハグになる。幼少期に母親とうまく「どっぷり」体験を持った人は幸福である。しかし、それがなくとも、人間はその後の人間関係や、その他の世界との関係で「どっぷり」体験をすることが
2019-07-08 22:06:48できるものである。それは、その人の個性と大いにかかわるものとして、創造の源泉となることもある。どっぷりつかるのと溺れることとは似ているので、そこには恐怖感が伴うこともある。しかし、そこを体験しないとなかなか次のところへは進んでゆかれないものである。
2019-07-08 22:10:1135. 強い者だけが感謝することができる 他人に心から感謝する、ということは大変なことである。まず、そのためには、自分が他人から何らかの援助や恩義を受けた事実を認めねばならない。弱い人はそもそもそのような現実の把握ができないのである。一人の人間と一人の人間との関係として見ることが
2019-07-09 11:58:14できず、自分は世界(世間)から害を受けているのだから、そこから少しぐらいのお返しがあって当然、というわけで、カウンセラーを「世界」の代表のように思われるのである。ところで、誰か他人から恩義を受けたとか、援助を受けた、ということを認めた場合、下手をすると、その人の方が自分より「上」で
2019-07-09 12:02:39あり、自分がその「下」であると認めねばならない、と思う人がある。別にそこには上下の関係などはなく、援助したりされたりして人間は生きているのだから、別にそれを有り難いと感じても、上下関係ではないのだが、そのように受け取ってしまう人がある。それが嫌だから、何のかんのと理由をつけて
2019-07-09 12:05:49感謝しない人もある。あるいは、感謝をするという感じではなく、一種の「重荷」としてそれを感じてしまう人もある。そんな人は他人の援助を不必要にはねつけたり、受けたとしても、重荷に耐えかねて、かえってその人を嫌に感じたり、何かと非難することを見つけたりする。
2019-07-09 12:08:51こんなわけだから、感謝するのはなかなか難しい。なかには、感謝するのが難しいものだから、やたらに「すみません」を連発して、あやまり倒すような人も出てくる。感謝をすると、そのことは心に抱いてずっと持っていなくてはならぬので、それを保持し続ける強さをもっていない人は、「すみません」を
2019-07-09 12:13:11連発して、心の中に入って来る前に、水際ではねのけているようにさえ感じられるときがある。 感謝と言っても、適切な感謝ということが大切で、不必要に有難いを繰り返されたり、不相応な贈り物をもって来られたりする時は、感謝の拒否と同等のことが心の中に生じていると思って間違いないだろう。
2019-07-09 12:17:00自分の受けた恩義を適切に評価し、これに相応した感謝の心を持ち続けて、しかも、自分の存在は何らおびやかされることがない、となると、よほどの強い人でないと難しいことがわかる。 ここで「適切な」というところが重要で、感謝病にかかっているような方は、あまり強くはない。
2019-07-09 12:21:53だいたい感謝の心というものは、それほど外にギラギラ出てくるものではないからである。 36. 勇気にもハードとソフトがある 日本の男性で伝統的な生き方にどっぷりつかってきた人は、男が女に礼を言うということは、その人の「人生観」の解体につながるのである。解体、つまり死の恐怖の伴なうこと
2019-07-09 12:27:03なのだから、そこに「勇気」が必要なのも当然である。それは単に「妻に礼を言う」ということではなく、自分の今まで生きてきた人生観や世界観の改変をさえ迫ることなのである。 勇気に支えられていない「優しさ」は、どうしても「弱さ」の方に近づいてゆく。
2019-07-09 12:31:35優しさにも勇気が必要なこと、あるいは、勇気にもソフトとハードの両面があり、その両面をもっていない勇気は、怒気とでもいうべきものに下落してゆくと思われるのである。 p.153 40. 道草によってこそ「道」の味がわかる 青年期の一番大切な時期を病気療養で無駄にしてしまっている、という考えに
2019-07-09 12:37:29苦しめられるのはよくあることだが、その時に経験したことは後になって生きてくる。人に遅れをとることの悔しさや、誰もができることをできない辛さなどを味わったことによって、弱い人の気持ちがよくわかるし、死について生についていろいろ考え悩んだことが意味を持ってくるのである。 p.167
2019-07-09 12:42:25このような生き方の道として、目的地にいち早く着くことのみを考えている人は、その道の味を知ることがない。道草をくっていると、しまったと思って頑張ったりするから、全体として案外辻褄の合うものなのである。 道草によってこそ道の味がわかると言っても、それを味わう力を持たねばならない。
2019-07-09 12:47:0942. 日本的民主主義は創造の芽をつみやすい 日本で民主主義と呼んでいることは、欧米のそれと比較すると、かなり特殊なものである、という自覚がいる。欧米の民主主義は個人主義の確立を前提に成り立っている。アメリカの高校では、校長の提案に対して、すべての教員がそれに異議をとなえる権利を
2019-07-09 12:52:03持っている、という意味で民主的なのだ。もし意義のある人は、校長案に対して対案を出し、それは全員で討論され、全員の意志でどちらかに決定されるだろう。「争点」が明確にされ、それについて論じられる。これに対して、日本の場合は、多くの発言者は、細部にわたって疑問を提出するが、「争点」は
2019-07-09 12:56:04不明確で、「対案」を持っていないことが多い。日本的民主主義が「創造性の芽をつむ」という著しい欠点を持つことを、そろそろ日本人全体が自覚する必要がある。全体のバランスということと、創造性ということは、特にその出発点において相容れないものをもっている。
2019-07-09 13:00:24創造性とは全体のバランスを壊すことである。しかし、「個人」に対する信頼感と、各個人も個々の人生を生きているという事実によって、欧米においては「創造性」を育てる土壌ができている。それに対して、日本の民主主義は、全体のバランスの維持に心が向きすぎて、ゴツゴツした創造性を早くから
2019-07-09 13:04:12「円く収めよう」とし過ぎるために、その芽をつんでしまう。創造性の弱い人は、創造に使用すべき時間とエネルギーを持て余しているので、「民主主義」のためにそれを使用しているつもりで、創造的な人の足をひっぱることに全力を尽くしている時もある。
2019-07-09 13:09:1643. 家族関係の仕事は大事業である 「家族の対話」などと簡単に言うが、そんなことはわれわれが子どもの頃はなかったのである。これを行なうには、まず、家族関係のことが「大事業」であるという覚悟がいるのである。はっきりとした覚悟があるのとないのとでは、姿勢が異なって来るし、
2019-07-09 13:12:32正面から取り組んで事に当たる時、人間のエネルギーは不思議に新しく開発されるのである。 44. 物が豊かになると子育てが難しくなる 親たちは、子どもには物を豊かにやれば幸福だと安易に考え、「心を使う代わりにお金を使って」子育てをしようとしていないだろうか。
2019-07-09 13:18:21親の個性にふさわしい心のエネルギーの消費によって、子どもは親の愛を感じるのである。こんな時、ハウ・ツー式にやろうとしたり、人真似をしようとする人は、エネルギーの節約、つまり愛の出し惜しみをしているので、子どもに見破られてしまう。
2019-07-09 13:23:1645. 権力を棄てることによって内的権威が磨かれる 日米で評価が逆転する語の一つに、「権威」(authority)という単語がある。米国では好ましい感じの語とされるのに対して、日本では好ましくない感じの語とされる。アメリカでは権威というのは、その道に関してのオーソリティであり頼り甲斐のある
2019-07-09 13:28:39存在というイメージがあって、「好ましい」感じを与える。他がどう見るかはともかく、自分が「権威者である」と思うことは、自分がエラクなった気がするのであろう。エライ自分を守るために権力を使いたくなる人が多いのも、当然と言える。教師が生徒の指摘に窮した時には、まず、教師として持っている
2019-07-09 13:33:29権力を棄ててかかることが大切だ。「君の質問は面白いが、今すぐには答えられない。来週までに考えて来る」と言って、次週にそれなりの答えをすると、権力を行使することなく、自分の権威を守ったことになる。このような労力を惜しまないことによって得た権威は、自分の身についたものとして、他人に
2019-07-09 13:38:27奪われることがない。「君の質問は面白いな。またこの次にでも考えよう」と言っておきながら、そのまま放ってしまう教師は、権力も行使しなかった代わりに権威の方も落としてしまう。「権力を棄てること」に意識的な教師は、それをするだけでよしとして後の努力を怠ると、権威の方が怪しくなってくる。
2019-07-09 13:43:51権威は努力によって「磨かれる」もので、安易に手に入れることが出来ないものである。 権力の座に居る人は、自分が権力と無関係な内的権威をどの程度持っているか、ときに考えてみるのもいいだろう。 p.189 47. 二つの目で見ると奥行きがわかる 眼を二つ持つ人間が、ものごとの「奥行き」を知る
2019-07-09 13:49:07ためには、二つの異なる視点を持つことが必要だ。 二つの目によって二つの像が並列的に見えているのは駄目で、一つの像として把握することが必要なのである。カウンセラーというものは、常に二つの目で人を見ることが出来ねばならない。 p.197
2019-07-09 13:58:0148. 羨ましかったら何かやってみる カウンセリングの中で、「羨ましい」気持ちが表明される時、その話に耳を傾けながら、その人と共にそのXの正体を見出そうと努力する。なかなかうまくゆかぬ時もあるが、結論を言ってしまえば、その人の心の中の何らかの未開発の可能性を見出すことになってくる。
2019-07-09 14:11:23特に何かが「羨ましい」という感情に伴なって意識されてくるのは、その部分が特に開発すべきところ、あるいは、開発を待っているところとして、うずいていることを意味している。「羨ましい」という感情は、どの「方向」に自分にとっての可能性が向かっているかという一種の方向指示盤としての役割を
2019-07-09 14:16:09もって出現してきているのである。そして、はじめは困難や苦痛を伴うにしろ、自分が発見したことをやり抜いてゆくと、ある程度たてば、その面白さもわかってくるし、その頃には「羨ましい」感情も弱くなってきているのがわかるだろう。p.201
2019-07-09 14:19:0054. 「幸福」になるためには断念が必要である 他人の「幸福」のために何らかの断念を行なったという人は、案外に多い。それは時に美談にさえなる。誇りにしている人もある。それは確かにそうだとは思うものの、あまり自慢を聞かされたりすると、今度は逆の気持ちが起こってくる。
2019-07-09 14:23:29この人は「これでよかったのだ」と自ら言えるような人生を生きることが怖いので、うまい弁解を見つけるために、他人の「幸福」などという看板を借りて来ているのではないか、と思ったりもする。毎度のことながら、ここにも正しい答えなどない。
2019-07-09 14:27:00各人は己の器量と相談しながら、自分の生き方を創造してゆくより仕方がない。「幸福」は大切なことながら、人生の究極の目標にするのはどうかと思う。断念せずに突き進むのもひとつの生き方である。その時は、「これでよかった」と言えるにしても、自分や他人の「幸福」を破壊することがあるかも知れぬ
2019-07-09 14:31:24という覚悟は必要である。 三つの言葉 (谷川俊太郎) 河合さんがよく口にされる言葉が三つある。ひとつは「分かりませんなあ」、もうひとつは「難しいですなあ」、そして三つ目は「感激しました」である。 もちろん河合さんと私とでは「分からないこと」の深さが違う。
2019-07-09 14:38:47それでもその「分からないこと」が、簡単に答えの出るような「分からなさ」ではないということを、私たちは「分かり」合える。安易に答えを出すよりも、まず「分からない」と思う方が答えに近づく道だということを、私は納得する。「分かる」だけが答えに近づく道ではないことを、河合さんの
2019-07-09 14:42:37