父の恩人、水越主基さんの本の続編(下巻)。主基さんの学生時代〜兄の戦死〜農協理事〜組合長〜父への想い〜母の想いを抜粋しました。
0
前へ 1 2 ・・ 6 次へ
遠田大亮 @DaisukeEnta

あちこちで、敵戦闘機の機銃掃射の音や、爆弾の音が聞こえだしたので、松の大木の根元に目と耳をふさいで伏せていた。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 06:20:15
遠田大亮 @DaisukeEnta

だんだん近づいて来るではないか、我々の避難したと ころは旧酒田競馬場(元酒田自動車学校)に近かったので、当時はまだ松林の中に木造の観覧用スタンドが残っていたので何かの施設に見えたのだろうか。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 06:20:33
遠田大亮 @DaisukeEnta

それをめがけて機銃掃射が始まった。空気を裂くとはこのような音であろうか、耳どころか体を震わす機銃の走る弾丸の音波は、この世の音と思えない物凄さであった。弾丸飛び交う戦場はこの様であろうと覚悟し想像もした時でもあった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 07:06:11
遠田大亮 @DaisukeEnta

米機は超低空で襲ってくるので、何機いるか松林の中では分からず、一区切り攻撃を終えると、何処かの高空に集まり、そこから目標を定めて急降下して、攻撃を繰り返している様子であった。この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 07:06:43
遠田大亮 @DaisukeEnta

早く別の所へ行ってくれと願いつつ、数回の攻撃を受けたような気がする。 終戦直前になって、今の酒田税務署の先、光が丘の小高い松林の中に、高射砲三門を据え付けで備えていた。いつも帝マグに通う時、砲門が空に向かっていたのを、役に立つのかと期待半分くらいで見ていた。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 07:08:15
遠田大亮 @DaisukeEnta

弾丸は亀ヶ崎と大町の間にある「煙硝倉」という貯蔵庫に保管していたとされている。その高射砲も空襲の時に応射したといわれているが、当たらなかったらしい。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 07:10:08
遠田大亮 @DaisukeEnta

その日は我が家もどうなったか心配で不安げに帰って来たが、情報は今のように早くはなかったので、外はどうなっているか分からなかった。また何時敵機が襲うかも知れない中で、行動範囲も狭くせざるをえなかったのである。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 07:10:46
遠田大亮 @DaisukeEnta

次の日、工場に来てみると、第四マグネと第五マグネの工場の間の防空壕の近くに爆弾が落ち、工場は大破し、防空壕の中の工員はかなりの衝撃を受けたが、かろうじて無事であったらしい。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 07:22:11
遠田大亮 @DaisukeEnta

又当時の帝マグ工場の南側、今の石油備蓄タンク群があるところに「小松原」があり、大浜運河で鉄興社とへだてていた。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 07:23:30
遠田大亮 @DaisukeEnta

その運河に浮かんだ材木の作業員が、動かないで伏せていればよかったのに、怖さのあまりに近くの小松原に逃げ込んだのだろう、動いたのを見られ、爆弾を落とされてしまった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 07:24:15
遠田大亮 @DaisukeEnta

その跡を見に行き、何人犠牲になったのだろうか、血痕とか汚物とかでハエが騒ぎ凄惨であった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 07:25:41
遠田大亮 @DaisukeEnta

その小松原の近くに三門くらいの対空機関砲陣地があった。皮肉にも陣地に隠れて一発の応射もしなかったとのことと聞いている。若し応射していればすぐに見つかり、反撃されたと思う。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 17:07:01
遠田大亮 @DaisukeEnta

砲を隠し防空壕にもぐっていたといわれ、軍人としては卑怯といえばそうだが、一方的な攻撃なので、どうしようもなかったのだろう。今も時々現地の石油備蓄タンク群があるわきを通るたびに、犠牲者が誰であったか、もう数日すれば戦争が終わったのに、非運の時代の陰を思い出すのである。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 17:08:03
遠田大亮 @DaisukeEnta

その空襲で中国人の荷役従事者が二名犠牲になったといわれている。 我々ももう少し船舶による物資が入っていて、岸壁での荷役作業が続いていればどのような運命になっ ていたか、想像することは出来ない。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 17:08:29
遠田大亮 @DaisukeEnta

酒田警察署調べ、空襲と被害状況によると、(酒田市政五十年より) 八月十日午前九時、空襲警報発令、数分後酒田駅方面よりグラマンF一六機侵入、二回目十一機、計二十七機 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 17:10:02
遠田大亮 @DaisukeEnta

投下爆弾、大浜工場地帯八個はじめ、第一国民学校(琢成小)、四ヶ浦漁業組合、酒田 駅付近、両羽橋、など計三十二個、 建物被害、第一国民学校(琢成小)雨天体操場除いて全校舎大破、鉄興社、帝マグ工場、舟場町の会社民家、酒田駅裏上林鉄工所、四ヶ浦漁業組合、 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 17:10:58
遠田大亮 @DaisukeEnta

艦船被害、貨物船正吉丸(九七〇)、油槽船南輝丸(七〇〇”)火災発生後沈没、外に 吹浦付近で海防艦敵機と交戦、火災発生沈没、 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 17:15:12
遠田大亮 @DaisukeEnta

その他施設の被害 酒田港クレーン二基破損、両羽橋らんかん約二十五㍍両側破損、橋架四カ所に約一尺の貫通口、酒田駅、港駅の貨車、客車数両破損 人員の被害状況、死亡十六名、行方不明十四名、重傷十五名、軽傷十八名 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 17:15:33
遠田大亮 @DaisukeEnta

【防空壕堀り】 六月三十日の機雷投下、七月十六日の釜石の米機動部隊の艦砲射撃は、日本海側の酒田 にもいんいんと響いてきたのを聞いたし、八月十日の空襲、我々の足下にも現実に戦争は迫ってきたのである。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基 pic.twitter.com/J3GWxH2SRF

2024-03-14 18:10:22
拡大
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

この際我々も身を守る防空壕が必要になったのである。我が家でも父親などで掘っていて頑丈であったが地下水が高いので下のほうが水につかっていた。早速、先日の空襲の際に避難した元競馬場近くの松林と決め取り掛かった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 18:12:24
遠田大亮 @DaisukeEnta

我々非力な体力で一番問題だったのは、砂丘地であったので、掘れば掘るほど崩れることと、松の根が邪魔することであった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 18:45:11
遠田大亮 @DaisukeEnta

帝マグ動員の班単位で、あちこちから砂止めの板や抗を集めたり、その準備に追われ、 一番苦労したのは屋根の部分で、砂の重みに耐えるのか、先日の空襲の爆撃の際の機銃の空気振動音さえも耐えられず、逆に生き埋めになるのではないかと思うようなちゃちな壕であったような気がする。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 18:45:38
遠田大亮 @DaisukeEnta

どうやら完成したのは八月十四日であり、出来てみれば何か明日重大な放送があるらしいような話が伝わってきた。そしてあくる十五日は終戦の日、その危なそうな防空壕に一度も入ることはなく、つわものどもというより、柔らかき少年どもの、時代の冷酷な夢の崩れた跡でもあったろう。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-14 18:45:52
遠田大亮 @DaisukeEnta

【終戦の日】 昭和二十年八月十五日は暑く晴れで、私達にとっても決して忘れることが出来ない日である。終戦といえば何となくどちらも矛を収めて平和になったとなるが、国家が戦に破れ たのである。それも無条件降伏で完全に負けたのである。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基 pic.twitter.com/6Rb9P7ihIu

2024-03-15 06:42:57
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

私達は帝マグ工場事務所の広場に正午集まった。その場所は今の光ヶ丘を折れて花王石鹸工場に向かい、突き当たりにあった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 06:44:42
遠田大亮 @DaisukeEnta

重大放送といっても、四月には沖縄玉砕があり、いよいよ本土決戦といっていたが、こんな酒田まで空爆されるありさまでは、その放送がいかなる内容であろうかと、徹底抗戦または敗戦と、振幅の大きい疑心暗鬼の心がゆれていたのである。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 06:47:18
遠田大亮 @DaisukeEnta

正午に天皇陛下のお言葉がラジオより流された。電波が悪いのか時々雑音が入り、陛下の肉声も初めてで、特徴ある抑揚と、節回しは何故か哀調を帯びていた。それが終戦の詔書で戦いに敗れた言葉だとは段々理解されてきたが、内容はほとんど聞き取れず、重苦しい時間のみ流れていったのだった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 06:52:23
遠田大亮 @DaisukeEnta

これからどうなるであろうと整理の着かない気持ちが電撃のようにかけめぐり、涙を流す力もなく、お互いの心をおもんばかり、まともに級友の顔を見ることなく、うつろな眼ははるか遠く何見ることもなく放心状態であった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 06:52:56
遠田大亮 @DaisukeEnta

【昭和二十年の大雪】 今日まで生きて八十年余り、今でもこの年の大雪は最高で、その昔は分からないがこれ以後は経験したことがない。私は中学三年生、当時は国民学校低学年以外は授業は停止の状態であった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基 pic.twitter.com/pLGFv54Egw

2024-03-15 06:57:21
拡大
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

【昭和二十年の大雪】 今日まで生きて八十年余り、今でもこの年の大雪は最高で、その昔は分からないがこれ以後は経験したことがない。私は中学三年生、当時は国民学校低学年以外は授業は停止の状態であった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基 pic.twitter.com/1ZU93rGyYa

2024-03-15 06:58:50
拡大
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

十九年の夏から大浜の帝マグの工場に動員され、マグネシュウムの鋳造作業に従事していた。私の家からは片道四・五キロちょっと、通うにはできるだけ近道と、市内の寺院屋敷や個人の敷地などをすれすれに斜めに市内を横断しても、一時間たっぷりかかった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 07:02:13
遠田大亮 @DaisukeEnta

十九年の夏から大浜の帝マグの工場に動員され、マグネシュウムの鋳造作業に従事していた。私の家からは片道四・五キロちょっと、通うにはできるだけ近道と、市内の寺院屋敷や個人の敷地などをすれすれに斜めに市内を横断しても、一時間たっぷりかかった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 08:27:18
遠田大亮 @DaisukeEnta

終業時間八時前につくには、少なくとも一時間半前出発しなければならなかった。夏場は良いとしても冬は暗くて大変であった。十九年の暮れはさほどでもなかったが、新しい年昭和二十年に入ると連日の大吹雪が続いた。 まれにみる厳冬の日々に、一番困るのは食物と衣類であった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 08:29:31
遠田大亮 @DaisukeEnta

頭の方はマントをかぶり目を出すだけでよかったが、その下のズボンは麻織のような荒い布製、ズボン下もはかず、直接肌に触れるので、横なぐりの風雪は体温にとけ、また風雪に凍り、荒めの布のズボンはカチカチと凍る有様であった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 08:31:16
遠田大亮 @DaisukeEnta

それ以上に困ったのがゴム長靴であり、新品は手に入らなかったし、求めても品質が落ち直ぐに切れたりするので、自転車の古チュウブで修理し、バンソウコウだらけの長靴のようであった。また一日通勤の往復と作業とで一〇キロも歩くとなれば、ゴム靴の底の山は直ぐにすりへりつるつるになってしまうのだった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 08:32:54
遠田大亮 @DaisukeEnta

いくら雪が降っても、今のように除雪車があったわけでないし、降った雪を歩いてまたはソリで踏み固めるだけであったので、道路はつるつるピカピカであった。その上をつるつるの底の長靴で通うので、必ず三回か四回すべって転ぶのが普通であった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 08:33:34
遠田大亮 @DaisukeEnta

いつも亀ヶ崎から通う級友と賭けをして、今日は絶対転ばないとしてもなかなか実現できなかった。一冬で全然転ばないですんだ日は、三日くらいしかなかったと思う。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 08:33:59
遠田大亮 @DaisukeEnta

そのような雪も我が家の屋敷は一メートルあったかと思ったが、一月と二月は毎日のように大吹雪、ことに立町の吹き溜まりは言葉で言っても、誰も信じないと思う。一番雪の深いところは現在の市立病院へ曲がる角、佐藤カジ屋さん両隣とその前の石沢商店付近であった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 08:35:20
遠田大亮 @DaisukeEnta

来る日も来る日も大吹雪、最上川河口から吹き上がる地吹雪で、その地吹雪が竹藪(若竹町)という畑を払い、西河原(西谷地ともいった、千石町)という田んぼの雪を巻き上げ、昔の土手の松並木をすりぬけ、四㍍ほどもある防風雪用の囲いを埋め立て、それを飛び越えて立町を襲ったのである。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 08:36:22
遠田大亮 @DaisukeEnta

朝家を出ると長泥町を通って立町に出るところで、山に登るような感じで、その山も新雪でなく地吹雪の山であったのである。長靴どころか体まで埋まるほどの吹き山をラッセルで進んだのを思い出す。連日除雪し積み上げた山と山との間の通路が一夜にして埋まってしまっていたからである。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 08:37:09
遠田大亮 @DaisukeEnta

何も誇張していうのではないが、電線をまたいで歩いた程であったのを思いだす。今の郵便局前の級友の市橋家に寄っていったが、玄関に入るにも六尺ぐらいの穴に落ちるようであった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 08:37:53
遠田大亮 @DaisukeEnta

春になってもその大雪は遅くまで解けず、佐藤カジ屋さんと隣の家の間は陽が当たらず、五月十日の鵜渡川原祭り頃まで残っていたように記憶している。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-15 08:38:07
遠田大亮 @DaisukeEnta

【兄との最後の別れ】 私の兄の名は「越郎」、私より五才上である。高等科を卒業すると、上山国民高等学校(上山農)内原訓練所などを経て家の農業を手伝いながら、二ヶ月ほど満蒙関拓研修に参加のため満州に渡り、〜 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基 pic.twitter.com/DNQGAGIGzN

2024-03-16 07:43:59
拡大
遠田大亮 @DaisukeEnta

当時満州に応召していた日田権蔵さんの部隊を訪ねて行ったのか、今は亡き日田さんがこんな満州で越郎と合うとはとびっくりしたと語っていた。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-16 07:44:15
遠田大亮 @DaisukeEnta

戦争も激しく、どちらかといえば余り体の丈夫でない兄にも、青森県弘前の部隊に現役入隊の通知が来て、入隊日は昭和二十年二月二十一日だったと思う。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-16 07:46:44
遠田大亮 @DaisukeEnta

以前はあれほど盛大に駅前での出征兵士の見送りも、当時は軍事情勢が敵に知られるということで、家族单位でひっそりと駅で送るようになっていた。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-16 07:47:07
遠田大亮 @DaisukeEnta

兄の出発の日、私は大浜の帝マグ動員で工場に行かなければならなかったので、灯りのついた神棚と仏壇に一緒に手を合わせ、朝家を出る前に「それではおれ行くさげの、無事で帰って来ての」と簡単な言葉で私の方が早く家を出たのであった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-16 07:47:44
遠田大亮 @DaisukeEnta

ところが今日で別れたはずの兄が、夕方家に帰ってみるとまだ居るではないか、どうしたのだろうと事の次第は、酒田の駅まで行ったところ、大雪で弘前までの汽車が不通で、父はあわてて入営する弘前の連隊に電報を打ったとのことであった。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-16 07:48:30
遠田大亮 @DaisukeEnta

それから汽車が開通したのは一週間もかかり、兄が弘前に発ったのは二月二十六日頃であったと思う。父親は近所の人たちと複雑な別れをまぎらすために、その間毎日飲んでいたようである。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-16 07:49:31
遠田大亮 @DaisukeEnta

兄との別れは二度したことになり、それが本当の最後の別れであった。 兄が弘前騎兵連隊にいたのはそれから一週間ほど、すぐに満州に連れて行かれた。 この亀ヶ崎に生まれて下巻水越主基

2024-03-16 07:52:05
前へ 1 2 ・・ 6 次へ
0
まとめたひと
遠田大亮 @DaisukeEnta

農業、農政、農協等“農”に関してのツィートが多いです。 (個人的には)GHQの占領政策や押し付けられた憲法を金科玉条としたままでは、日本農業はもっと衰退すると考えています。 山形県農協中央会勤務。農協監査士。明治大学法学部卒。山形県酒田市出身。 過去のツィートは、以下↓のまとめサイト(min.t)からどうぞ。