したがってハビトゥスを変容させる必然性が生じてくる。ここで新たに立ち現れる準拠点が体重やカロリーといった数値化のための尺度である。これら自然科学の準拠点は、ハビトゥスとは一線を画する準拠点である。
2015-08-08 09:13:18しかし自然科学の時空間に準拠点をおいて食べ始めると、その代償として食に伴う体験が抑圧されてゆく。食のハビトゥスに準拠しながら食べるということは、日常の時空間の文脈を瞬時に体感し、感覚的に食べ方を調整することである。
2015-08-08 09:21:49一方、自然科学の時空間に食の準拠点を移動させるということは、そのような感覚を一切排除することだからである。自然科学の時空間に食の準拠点を移動させた場合、自分は食べ物をどう感じるかという、食べ物との主観的なかかわりを放棄せざるを得ない。
2015-08-08 09:27:52その結果、体験の積み重ねによって育まれ、維持されてきた食のハビトゥスが身体から流出し、さらにハビトゥスによって構築、維持されていた人と人との紐帯が少しずつ断ち切られていく。ますます人と食べることができなくなるという悪循環にはまり込み、さらなる孤独を生み出す。
2015-08-08 09:34:13ところで、自らの食の軸足、食の準拠点を日常生活の外部に移動させる際の移動先には、専門的言説の時空間もある。拒食や過食の原因を親に求める家族モデルなどの学説や、医師や専門書といった、専門家の言説空間と親和性の高い人とモノを通して専門家が編み出した学説に準拠した食べ方をするようになる
2015-08-08 09:54:54家族モデルに参与した医師や親といった人々の中では救済を得られるのだが、その救済はその人々の内部に閉じ込められてしまうため、その外側にいる人々との乖離はむしろ進んでしまう場合があると著者はいう。
2015-08-08 10:00:25クリフォード・ギアツは、人間は自らが生み出した意味の網の目の中で生きる動物である、と述べた。 出された食べ物を、糖分と油分の多い、決して口にしてはならないものと意味づけることもできるし、誰かが自分のために作ってくれた心のこもったものと意味づけることもできる。
2015-08-08 10:24:24食べ物や人生の意味は固定されておらず、また絶対的ではないからこそ、私たちはそれらに異なる意味づけをする他者と意味を提供し合い交渉をし合って、食べ物や人生の意味を改変したり、これまでとは異なる新たな意味を見出したりすることができる。 #摂食障害 #過食 #拒食
2015-08-08 10:32:07そしてその意味を生み出す作業こそが、新たな人々とのつながりを作り出し、それを維持する(時には破壊する)ことに寄与しているのである。
2015-08-08 10:36:27(本書で紹介されている)彼女たちの語りからは、食べ物と人生の意味が硬直化し、流動性を失っていることがわかる。食べ物や人生に自ら意味を見出すことをやめ、他人の作った意味にただ従属していることがわかる。
2015-08-08 10:41:19カロリーや栄養素、家族モデルといった食べ物や拒食・過食に対する意味づけは、自分の人生とは直接かかわりのない人々が作り出した、食べ物や生き方についての意味づけのひとつのありかたにすぎない。
2015-08-08 10:52:05しかしふつうに食べられない人々は、やせようと思った過程でこれまで自分が食べ物に与えてきた意味づけを進んで放棄し、そのような人々が作り出した意味づけに従って食べ方や生き方を調整するようになる。
2015-08-08 10:54:22食べ物を炭水化物の塊と意味づけるか、誰かが自分のために作ってくれたものと意味づけるかは任意であるが、自然科学の時空間、専門家の言説空間に食の準拠点が移動している場合、自分なりに目の前の食べ物を意味づけることができなくなり、炭水化物という意味がそれ以外の考え得る意味を凌駕してしまう
2015-08-08 10:59:41自分ではない他の誰かが作り出した意味を受け取り、それに従って生きることばかりが人間の姿ではない。自らの人生の軌跡の中から意味を紡ぎ出し、それを他者の作った意味とぶつけ合い、混ぜ合わせながら意味を作り出して生きることも人間の姿である。
2015-08-08 11:05:25しかしふつうに食べられない人たちから後者の人間を見出すことは困難である。食のハビトゥスを捨てるということは、自らの人生の軌跡の中で作り出してきた食べ物や生き方に関わる意味づけを放棄し、他人の作り出した意味に従属して生きることと同じなのである。
2015-08-08 11:09:35心と身体が正常であればふつうに食べられると措定する還元主義は、個人の中に異常を見つけることに力を注ぐため、食べることが人と人とのかかわりの中で行われる事実にしっかりと目を向けることができない。
2015-08-08 11:16:41食べることが人と人とのかかわりの中で成立していることを重く見るのであれば、やせていることが美しさの大前提となる社会、結婚を考え始める時期の女性にやせ過ぎが顕著に増える社会が、どのように個々人の食に影響を与えるのか、注意深くみてゆく必要がある。 #摂食障害 #拒食 #過食
2015-08-08 11:24:31社会・文化的背景を個人がまとうマントのようなものとみなし、それをはぎ取ったところにあるとされる「純粋な個人」(とその家族)に目を向け、そこを修正しようとするモデルは、人の食の内実を見損なう。
2015-08-08 11:28:08ダイエットはその気軽な響きの中に、概念優位・体験否定型の世界観を内包し、私たちを自然科学および専門家的言説の時空間にいざなってゆく。
2015-08-08 11:41:43では自然科学と専門的言説の時空間に食を準拠させたら、私たちは生きるために食べていると言えるのだろうか。私たちは科学的に正しい食べ方をし、専門家の目から見て適切な心身をつくるために生きているのだろうか。
2015-08-08 11:45:46生きることと、適切な食・正常な心身との間には乖離がある。生きることの本質は、数値化可能な個体の性質ではなく、人と人のつながりの中にしか現れえないからだ。
2015-08-08 11:49:36適切な食と正常な心身があって初めて人と人とのかかわりが現れるのではない。まずあるのは人と人とのかかわりであり、適切な食、正常な心身といった概念はそのかかわりを作り維持する際に参照されうる一つの知識でしかない。
2015-08-08 11:53:30しかし強大化する自然科学と専門的言説の時空間はその順序をしばしば転倒させ、どんなかかわりがあるかよりも、正常であるか否かに私たちの目を向けさせてしまうことがあるようだ。
2015-08-08 11:58:38ふつうに食べられない人たちの世界観は、還元主義だけではなく現代で推奨されている心身および食べ方の評価法とも相似形である。
2015-08-08 12:02:43人はかかわりの中でしか生きていけない。だからこそ私たちはかかわりを作り、かかわりの中で生きるために食べる。食べることの本質は科学的な数値の中にも、専門家の著書の中にも存在しない。食べることの本質は人と人との具体的なつながりの中に存在するのである。 #摂食障害 #拒食 #過食
2015-08-08 12:07:50✄---------- 『#なぜふつうに食べられないのか』磯野真穂(春秋社2015.1) から、ランダムに抜粋 ----------✄ 彼女たちは、就活生が面接に当たってスーツなど外見を一新するのと同じように、他者受容を求めてやせようとしたのである。p.81 #摂食障害 #過食
2015-08-12 17:26:15身体はそれが住まう社会の価値観を生き、映す。 健康はたゆまぬ自己管理のもとに達成されるという病気の自己責任論、自分らしくあることを讃える世界、差異化の欲望を原動力とする消費社会との交錯点に、やせた身体は現れる。Ibid.,87
2015-08-12 17:30:43若い女性のやせ過ぎには明らかにジェンダーの問題が絡んでいる。やせ過ぎの女性をピックアップし、適正体重と栄養学的に正しい食べ方を指導すれば解決する話ではとうていない。私たちは男性に、あるいは女性にどうあることを望んでいるのか。そして、なぜそうあることを望むのか。ibid.,91
2015-08-12 17:37:20著者(文化人類学者)が還元主義について挙げている問題点は3つ。①還元主義は絶対に外れることのない後出しじゃんけんである。治療者は拒食や過食という症状がありさえすれば、還元主義を目の前の患者に適応することができ、その正しさを証明する義務は課されていない。
2015-08-12 17:47:14ギャップを治療者側が埋める必要がないという構造により、結果ありきの議論が可能になる。「あなたは無意識のうちにストレスを抱えていますね」という言い方は、本人の自覚を必要としない。それは身体感覚や感情認識の欠如を示すアレキシサイミヤという用語で置き換えらたりする。ibid.,123
2015-08-12 17:53:06②否定的な感情が先行して過食が起こるとは限らない。③なぜ過食は他の行動に代わらないのかが説明できない。 Ibid,.124-126
2015-08-12 17:56:57食べるとは多様な体験を伴う行為の総称である。食べるとは五感を総動員した体験のアンサンブルで構成されており、拒食や過食は食べることに関する混乱だが、還元主義を用いると、食べることに関する体験の内実には一切触れることなく、食を語ることが可能になってしまう。Ibid.,129-130
2015-08-12 18:03:54食べ物と身体を物質として捉えるまなざしは、その代償として体験の周縁化を招く。Ibid.,160 #摂食障害 #拒食 #過食
2015-08-12 18:07:22彼女にとって食べ物はもはや「食べたい・食べたくない」ではない。それは、彼女の厳格なる健康観にもとづいて、「吸収させることを許す・許さない」のいずれかで判断されるようになった。Ibid.,151
2015-08-12 18:11:04還元主義の本質論は食べるという体験にいっさい踏み込まない形の解決法を提示する。 Ibid.,160 ふつうに食べられないひとたちが還元主義的なアプローチをとった場合、その人たちの食には何が起こるのだろうか。
2015-08-12 18:23:39家族モデルの専門知識を読み込んだ武藤の場合。これまでの体験から「やせた身体」が自分の言葉を代弁することを熟知し、自分の行動があるメッセージとして意味を持つ環境下に身を置きながら、母が自分のメッセージを受け取ってくれることを、ひたすら待っていた。
2015-08-12 18:24:24(武藤)「帰省中、母と私でたまたま中高の成績の話になった時、私が正直に、あの頃は勉強ばっかりで期待されて、すごくつらかった。いい学校でいい成績なんて、なんにも関係ない、というようなことを言ったら、母がカッとなって、私は勉強しろなんて一度も言ったことない!
2015-08-12 18:29:26あんたが勝手にやっただけなんにつらかったとか人のせいにされたらたまらんわ! とすごく怖い顔して言い放ちました。
2015-08-12 18:34:25そんなん、口で言わなくたって、成績良かった時くらいしか私に注意を向けてくれなかったくせに、ほめてくれなかったくせに、言ってるのと同じだよ。子供は親の喜ぶ顔を見るためなら何でもするし、必死だし、「こうすれば私を見てくれるんだ」と思ったら、そりゃ頑張るにきまってるよIbid.,200
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