第1話~18話
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花びんに水をدعونا نملأ المزهرية بالماء☘️ @chokusenhikaeme

『元気ですよ』と答えたら『よろしく言ってくれよ』と言って機嫌よく行ってしまった。この役をいい加減に演じていると、田所康雄は車寅次郎に追い越されるぞという不安のようなものを感じるのです」  肝臓の病と闘いながら48作目をつくり終えた翌年の8月、暑い盛りに彼は世を去りました。

2023-06-11 23:42:07
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「誰も気づかないうちに、消えるようにこの世を去りたい。野辺の送りは親戚も呼ばず、家族だけでひっそりやってほしい」という遺言を奥さんは守られたけど、僕たちスタッフは奥さんにお願いしてお別れの集まりをさせてもらった。

2023-06-11 23:42:07
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大船撮影所に大道具さん、小道具さんたちが工夫を凝らして祭壇をつくり、ファンにも呼びかけて蓋をあけたら、東京駅から東海道線で1時間かかるのに、3万5千人がお別れに来てくれた。炎天下、大船駅から撮影所まで約1キロの道に長蛇の列。1996年8月13日のことです。〈了〉🧵

2023-06-11 23:42:08
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【連載⑧】(夢をつくる・山田洋次)  正月と盆の年2回公開となり、その頃封切られた『ゴッドファーザー』を興行成績で抜いたということがアメリカで話題となって、ニューヨークの興行紙に、日本では『ゴッドファーザー』が『ネイティブフィルム』に負けたと。asahi.com/articles/DA3S1…

2023-06-11 23:49:25
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その頃から日本のメディアで「寅さん」に対してバッシングが始まりました。いわくマンネリ、人物にリアリティーがない、あれが男の恋か、なかには「寅さんというのは性的不能者か」といったからかい半分の嫌な批評もあった。

2023-06-11 23:49:26
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渥美さんの日常は禁欲的な哲学者のそれに似てました。寅さん以外の出演は一切断る、執筆や講演もやらない、彼の少年時代の波瀾万丈の物語が面白くないわけがないから何十社という出版社から自伝執筆の依頼があったけど、役者はもの書きではありませんと拒否。

2023-06-11 23:49:27
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撮影の合間は何をするかというと、読書、親しい友人と俳句の会、都内の演劇や映画を片っ端から観(み)て歩く。「僕は自分が芝居をするより観るほうが好きなんだな」と真顔で語ったことがある。酒は飲まないし、食事はいたって簡単。

2023-06-11 23:49:28
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身だしなみも一切かまわない。でも撮影が始まると高級美容室に行って、足の爪にはいつもペディキュアをしていた。寅さんは草履履きだから裸足の足の指が汚れていてはいけないという足指のおしゃれです。いつも手ぶら。財布やカバンは持たず、お金は封筒にお札を入れてポケットに収める。背広は着ない。

2023-06-11 23:49:28
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毎日芸術賞特別賞を受賞(1988年度)したけど、背広がないから授賞式に行かないというので、宣伝部で大騒ぎして部員のコール天のジャケットを着て、ようやく出席してもらった。マイカーは持たず外出は電車を愛用していましたが、仕事場のあった代官山駅の売店のおばさんに1万円を預けておいて、

2023-06-11 23:49:29
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新聞を買うたびに「まだお金は残っているかい?」と聞いていたのは有名な話です。  マスコミが私生活に触れるのを極端に嫌っていた。渥美清といういわば公人と田所康雄という私人の区別をきちんとしたかったのです。〈了〉🧵

2023-06-11 23:49:29
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【連載⑨】(夢をつくる・山田洋次)  今、90作目となる映画『こんにちは、母さん』を撮影しています。今まで僕が描いてきたのは家族の物語です。松竹には、小津安二郎監督に代表される「ホームドラマ」の伝統があったけど、asahi.com/articles/DA3S1…

2023-06-11 23:56:17
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僕も映画監督になった当初から家族とは何かを考え続けてきました。  「男はつらいよ」を描くにあたっての設定は、主人公の寅さんは父親が芸者に生ませた子で、さくらとは異母兄妹。おいちゃん、おばちゃんは親ではなく親戚。毎日とらやに顔を出す裏の印刷工場のタコ社長に至っては赤の他人。

2023-06-11 23:56:17
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🖍️あの一家の特徴は血のつながりが薄いことです。  血の濃淡にはこだわらず、みんなが仲良く暮らすことを意思的に努力する。つまり「家族をする」という努力ができる賢さがこの人たちにはあったのです。  「寅さん」シリーズが始まったころ、日本では三世代家族が崩壊し、核家族化が進み始めました。

2023-06-11 23:56:18
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血縁より、地域社会を含めた新しい価値観をもつ社会に切り替わらなきゃいけない時代が来ていた。血のつながりを重視する気風は同じ民族であることが大事だという他民族を排除する精神になる。 🖍️血や民族とは別の結びつきで人間同士の絆は築かれるべきなのでしょうね。

2023-06-11 23:56:19
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そもそも「家族はいいもの」というのは幻想ではないか。家族をつくりあげるのは理性と努力を要する面倒なものです。僕がそういうことを考え出したのは、僕自身の体験もあると思います。  山口から上京し1年間の浪人生活を経て大学生活を始めたとき、両親が離婚、僕の家族は分解しました。

2023-06-11 23:56:19
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ある日、母から父と「離婚をする」という手紙が突然来て、僕は驚き、うろたえた。そこには「好きな人ができた」と母が追われるように家を出たいきさつが書かれていた。  昼過ぎ、学生寮でその手紙を読みながら涙をこらえていると、同郷の友人が来て「山田、どうしたんだ」。

2023-06-11 23:59:32
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母の手紙を見せると、彼は慰める言葉が見つからなかったのでしょう。黙ってたばこを取り出すと「吸えよ」。戦後まもない、たばこが貴重な時代です。友人の優しさが心にしみるとともに悲しみが押し寄せ、涙を流しながら「光」というたばこを吸ったことをよくおぼえています。〈了〉🧵

2023-06-11 23:59:33
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【連載⑩】(夢をつくる・山田洋次)  撮影中の映画『こんにちは、母さん』(2023年9月1日公開予定)の主人公は下町に暮らす福江という女性です。息子の昭夫は仕事でストレスを抱え、妻とは離婚寸前、娘ともうまくいっていない。asahi.com/articles/DA3S1…

2023-06-12 00:10:34
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ある日、実家に帰ると、母の福江の様子が前と変わっている。イキイキしている。どうやら恋愛もしているようです。  原作は永井愛さんの戯曲。2001年に舞台の初演を見て、映画にできないかと思っていました。

2023-06-12 00:10:35
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僕の母は旧満州(中国東北部)生まれで女学校を卒業するまで日本の土を踏んだことがなく、外国人のような開放的で華やいだ雰囲気をもつ人でした。日本の因習や軍人を嫌い、戦争中でもモンペをはかず、禁止されていたパーマもかけていた。僕はこの明るく楽天的な母が好きで仲もよかった。

2023-06-12 00:10:36
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僕が映画で働く快活な女性を描くことが多いのは、母を見て育ったからかもしれません。  母に好きな人が出来て、追われるように家を出たと知り、茫然自失したのは大学1年の夏。子ども心にも両親がうまくいってないことはわかっていた。

2023-06-12 00:10:36
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父は実直なエンジニアでしたが、男尊女卑の気風が残る九州生まれ、古い女性観をもっていたと思います。  夏休みに帰省しても家に母はいない。母は家を出たあと行方知れずになり、父に内緒で母を捜しました。姫路にいるらしいと聞き、帰省帰りに姫路で下車したこともあります。

2023-06-12 00:10:37
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居場所がなく一人であちこちを転々とした末にやっと再婚相手と落ち着いた母に再会するまで4、5年かかりました。  母は逆境にあっても前を向いて生きる人で、再婚後、自分の将来を考え、英語の教師の資格を取ろうと40代半ばで大学に入った。

2023-06-12 00:10:38
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年をとってもゼロから新しい生活へと羽ばたこうとする母のバイタリティーに驚いたものです。  その再婚相手と死別した母を僕は東京に呼び寄せ、家の近くにアパートを借りました。でも母はいつまでも息子に頼っていてはいけないと思ったのでしょう。

2023-06-12 00:10:38
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60代になっていましたが自分で縁談を見つけてきて「私、結婚するわ」。3度目の結婚は生きていくために母なりに考えた選択だったと思います。  母は渥美清ファンでした。ある正月、「『寅さん』を一緒に見に行くかい」と誘ったら渋谷の映画館にうれしそうに付いてきた。

2023-06-12 00:10:39
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そこは時々、渥美さんが見に来る映画館で、その日もロビーを見渡すと、サングラスをかけキャップをかぶり、マスクと手袋をしている渥美さんがいた。一般人に変装したつもりだろうけど、逆に目立ち、一目で渥美さんだとわかった。

2023-06-12 00:10:40
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「渥美さん、僕のおふくろです」と紹介すると、渥美さんはスッと背筋を伸ばし、サングラスとマスクと手袋をはずし、その手を差し出して恐縮する母と握手、「息子さんにはいつも大変お世話になっております」と、歯切れのいい挨拶(あいさつ)の言葉を残して去って行った。

2023-06-12 00:10:40
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言葉のかけ方といい、おじぎの仕方といい、実に洗練されていて、母は「ジェントルマンねえ」とつぶやいてぼーっと渥美さんの後ろ姿に見とれていました。  91歳まで生きた母は、最期、苦しそうな息の中で、僕に言いました。「洋次、私は、決して後悔してないからね」。母らしい言葉でした。〈了〉🧵

2023-06-12 00:10:41
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【連載⑪】(夢をつくる・山田洋次)  『馬鹿まるだし』(1964年)から『男はつらいよ』最終作の48作目までの三十数年間の僕の作品はすべて高羽(たかは)哲夫という人がカメラマンでした。この人がいてくれたから僕はなんとか監督の仕事を続けてこられた。asahi.com/articles/DA3S1…

2023-06-12 00:16:04
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この人がいなければ『男はつらいよ』シリーズも生まれなかっただろう。それくらい僕にとっては大切な、恩人ともいうべき人でした。  俳優が演じる芝居をどうカメラがとらえるか、について彼は助手時代から勉強していて、それを僕に教えてくれた。

2023-06-12 00:16:05
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僕が役者の芝居を何だか気に入らなくて「もう一回行こう」と言うと、彼が僕の肩をそっとたたき「今のはよかったよ、レンズを通して見てごらん」と言うこともあった。言われるがままにカメラのルーペをのぞいてテストを見ると、確かに肉眼で見る場合と違っていい場合がありました。

2023-06-12 00:16:05
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倍賞千恵子さんに「僕が芝居をして見せるからルーペをのぞいてごらん」と言って、カメラの前で芝居をして見せることもあった。自分の芝居がどう映るかを知ることで役者はどれほど勉強になったかわかりません。もっとも今はフイルムでなくデジタルだから監督はモニターで芝居をチェックできるのですが。

2023-06-12 00:16:06
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彼は藤沢の公営団地に愛妻と二人で暮らしていた。撮影所のある大船へは東海道線でひと駅、僕は世田谷だったから大船は遠くてよく彼の家に泊めてもらいました。

2023-06-12 00:16:07
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2DKの室内の小さな風呂に交代で入り、布団を並べて寝ながら明日の撮影の相談をしていると、ふすまの向こうで奥さんが夜なべをしている音がする。今思えば、充実した日々でした。〈了〉🧵

2023-06-12 00:16:07
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【連載⑫】(夢をつくる・山田洋次)  僕が山口の田舎で大学受験準備をしていた1949年ごろは日本が貧しく、引き揚げ者の父に就職口がなく一家で働いていたから塾などに通える訳がないし、受験塾もなかった。asahi.com/articles/DA3S1…

2023-06-12 00:25:25
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東京の大学を受験するとなるとまず汽車賃をバイトで稼ぐことをしなければならない。宿泊は知人を頼って泊めてもらうしかない。  大学の4年間は寮生活、授業料は生活難を訴えて免除してもらい、生活費は育英資金とアルバイト、父は苦しいやりくりの中からときどき金を送ってくれたが、

2023-06-12 00:25:25
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あまりあてにはできなかったし、それが当然だと思っていた。  満州にいた僕たち一家は山口県に嫁いだ父の長姉、つまり僕の伯母さんを頼って引き揚げた。当時の田舎で素封家といわれる家の周辺には戦災の疎開者や植民地からの引き揚げ者が大勢暮らしていたものです。

2023-06-12 00:25:26
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大柄でゆったりとしゃべる上品な伯母さんにずいぶん世話になった。  松竹撮影所の助監督に採用された春、田舎に帰り、伯母さんに挨拶(あいさつ)に行き、卒業の報告をしました。伯母さんが「で、洋次はどこに就職したのかね」と尋ねる。「松竹という映画会社です」と答えると、

2023-06-12 00:25:26
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伯母さんはこんな疑問を呈した。「活動写真を作るには、まず種本(シナリオのこと)があって、タネトリ(カメラマン)がいて、役者が芝居して写すのだろう。監督というのは何をするのかい?」  シドロモドロしゃべっていたら伯母さんは諦めたのでしょう。

2023-06-12 00:25:27
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卒業祝いの袋をさしだして「決めたなら仕方がないね、いい活動写真を作りなさい」と溜(た)め息まじりに言い、僕が礼を言って立ち上がるのを引き留めておっしゃった。 「洋次、おまえの作る活動は、洋画かね、邦画かね」

2023-06-12 00:25:28
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僕が仕方なく、邦画ですと答えると伯母さんは真顔で「邦画より洋画のほうがいいよ、スマートじゃないか」と言ったものです。  伯母さんは僕が監督になる前に他界しました。もう少し長生きして、僕の邦画を見てほしかったと思います。〈了〉🧵

2023-06-12 00:25:28
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【連載⑬】(夢をつくる・山田洋次)  とりあえず入ったのは、セゾングループの創設者になった堤清二さん率いる「自由映画研究会」。  占領下、マッカーサー司令部の指令で大手映画会社からレッドパージされた映画人が大勢いて、asahi.com/articles/DA3S1…

2023-06-12 00:32:08
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この人たちが自分たちで映画作りをと立ち上げた独立プロ運動を大学生が熱心に応援していた。学園祭での映画上映、座談会、今井正、山本薩夫といった監督たちの講演会などを主催するなかで、映画人という人種に接触する機会があった。この人たち独特の雰囲気、集団創造の現場で働く人たちの醸しだす

2023-06-12 00:32:08
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自由闊達(かったつ)な空気が僕にはとてもうらやましく思えた。そんな現場で働けたらいいな、と憧れた。  マスコミや出版社の試験を受けるが、片っ端から落第、少し時期がずれて松竹撮影所が助監督の募集をしたので、ダメもとで受けてみたらいったんは落ちたけど補欠でかろうじて採用。〈了〉🧵

2023-06-12 00:32:09
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【連載⑭】(夢をつくる・山田洋次)  旧満州からの引き揚げ者はみなそうだったようにわが家は生活難で食べるのにせいいっぱい、中学生の僕も学費稼ぎでいろいろなアルバイトをしました。その一つにちくわの卸売りがありました。asahi.com/articles/DA3S1…

2023-06-12 00:40:29
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海岸に掘っ立て小屋のちくわ工場があって、そこの製品を自転車に積んで、市内の店や食堂に卸して売り歩く。サメやエイの魚肉が原料だから色が黒くてアンモニアの臭いがするような怪しげなちくわ、それでも結構買い手があった。

2023-06-12 00:40:30
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自転車の荷台に載せたミカン箱に50本から100本のちくわを積んで売り歩くのだが、きれいに売れる日ばかりとは限らない。ある日、大量に売れ残ってしまった。川を越えて隣町へ行くと私設の草競馬場がある、自転車を懸命にこいでちょっと怪しげな感じのする小さな競馬場にたどり着き、

2023-06-12 00:40:30
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一軒の屋台のおでん屋に入って白い割烹着(かっぽうぎ)のおばさんに「ちくわを買ってくれませんか」とおずおず言うと「坊やは中学生かね」と聞くので、引き揚げ者なので学費を稼ぐためにアルバイトをしていますと答えたら、おばさんは「残ったちくわをみんな置いていきなさい」と言い、

2023-06-12 00:40:31
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さらにこういう言葉を加えてくれたのです。 「明日から、もし残ったらここに持っておいで。おばさんが全部引き取ってあげるけえ」  荷が軽くなった自転車をこぎながら涙が出て仕方がなかった。  その後二度とその店に行くことはなかったけど、僕にとってあのおばさんは女神のような存在です。

2023-06-12 00:40:32
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生活する、いかに生きるかという課題、このリアリズムの世界から抜け出せないのは僕の特徴であり、限界でもある。そこから離れて、美や空想の世界になかなか行けない。そんな世界が描ける人たちがうらやましい。それは今に至るまでの僕の悩みです。

2023-06-12 00:40:32