"Dialogical Meetings in Social Networks" Jaakko Seikkula / Tom Erik Arnkil 2006
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しかし、このコミュニティは、クライエントの人生全体にわたってかかわれるほど持続的な仕組みはもっていない。この治療プロセスは、対話に参加した人たちがこれからどう生きていけばよいのかということを主体的に知るための「体験」なのである。

2017-01-13 09:29:59
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普段の生活の普通の言葉で話し合う 専門家が使う言葉は、言い換えようのないものが多い。しかし、たとえ専門家が使う言葉であっても、今の事態のもとで行われている話し合いにちゃんとかみ合うようでなければ意味がない。これは避けられない事実だ。

2017-01-13 09:35:04
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専門用語が現実的で有効な意味をもつようになるには、〈対話〉が必要である。対話の中で言葉が共有されるためには、その専門用語がクライエントにとってどのような意味をもっているのかを注意深く聞かねばならない。

2017-01-13 09:38:58
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バフチン(Bakhtin,1984)によれば、〈対話〉とは実践的な会話であり、それは専門的な言語よりも意義がある。実践的対話では、私たちは文脈に身を任せている。著者たちが目指しているのは、実際の会話と、そこで使われる言葉や表現形式にぴったりと寄り添うことである。

2017-01-13 09:42:45
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ケース提示 …家族は皆、この過去に強いトラウマをもっていて、それについては決して話さないようにしてきたのだ。それは言葉なき歴史であった。 …ここで、話し合いは新しい局面に入った。医師と家族とのあいだでの話し合いがはじまったのである。全員がこの事態に身を入れてかかわるようになった。

2017-01-13 09:48:55
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家族はこれ以後の話し合いで、(35年間、統失で入院したままの)「父方の祖母」(彼らは「おばあちゃん」と呼ぶようになった)についての自分たちの経験を新しい見方で話せるようになり、今まではなかった「語り」のための言葉を話せるようになった。

2017-01-13 09:58:59
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おそらく最初の医師は「統合失調症」と正しく診断することによって、ラルス少年の行動を説明しようとしたのであろう。統失という診断がつくことで、医師の関心は一段落したのである。

2017-01-13 10:09:59
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しかし合同ミーティングの場では、ラルス少年が統失であるということに次々に新しい意味が加えられ、それはひとびとのあいだであけっぴろに語り合われ、新しい意味をまとうようになったのである。

2017-01-13 10:13:05
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参加者のひとりひとりのあいだにできあがった「意味のネットワーク」では、統失という診断も、この話し合いの中心的テーマとしてきちんと位置づけられた。

2017-01-13 10:16:50
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その統失という言葉は患者の心理的・生物学的な病気を意味する言葉ではなく、かつてあの場所で現実に交わされた「統失」という言葉について、それぞれの参加者が抱いていた意味として話し合われたのである。

2017-01-13 10:19:06
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こうして、統失についての各人の独自の経験や「おばあちゃん」やラルス少年の将来のことが、参加者たちのポリフォニーな思考に響くようになった。ひとりの声…モノローグ的な言語が多声的な(multi-voiced)ダイアローグとなった。つまり〈対話〉となったのである。

2017-01-13 10:22:46
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未来語りのダイアローグでは、対話はまず家族のメンバーにその好ましい未来像について話すよう求めることからはじまる。サポートされるべきは家族メンバーの日常である。

2017-01-13 10:29:21
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最初に専門家たちが話し始めてしまうと、専門家たちが使う特定の専門用語ばかりに注意が向いてうまくいかないだろう。それに、こういうやり方をしてしまうと、結局ミーティング前と同じバラバラな見解のままに終わってしまいかねない。

2017-01-13 10:32:24
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インタビュアーは、「この家族にとってどんな未来が良いのか」と専門家たちに尋ねることはしない。専門家はその家族と生活を共にしているのではないし、その家族が自分たちの未来をどうしたいのか決めることは、専門家の仕事ではない。彼らの仕事は日常生活をサポートし、不安を軽減することである。

2017-01-13 10:35:59
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不確かさへの耐性を高めることを可能にする特別な条件が、未来語りのダイアローグにはある。それは以下のような状況で生じている。 ﹅ 参加者が平等に扱われていると感じるかどうか ﹅ テーマに自由に深入りできるかどうか ﹅ 具体的に行動に移せる確かなプランが話し合われるかどうか

2017-01-13 10:41:19
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これに対してオープンダイアローグでは、症状や問題行動を表現した言葉にかわって、もっと治癒的に働くような新たな言葉が皆に共有される。チームはそれぞれの〈声〉を尊重し、全ての声を聴こうとする雰囲気が生まれるように援助する。そのためにチームは以下のことに注意しなければならない。

2017-01-13 10:45:59
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① できるだけ気楽にストレスなく自分たちの物語を話せるように尋ねること。そのためには、日常の言葉を使って相手の言うことを詳細になぞり、人びとの反応にコメントを求め、出来事に対するポリフォニックなヴィジョンを生み出すようにこころがける。

2017-01-13 10:54:32
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② どの話し手に対しても真剣に共感的に耳を傾け、それが精神病的な話であってもすべての話を受け入れる。そうすることで、精神病的なコメントであっても通常の会話に組み込まれて、いわば「ノーマライズ」されるのである。

2017-01-13 10:59:25
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ノーマライズするということは、体験の困難さを貶めることではなく、実際はその反対なのである。チームメンバーはできるだけ正確に、当事者が体験しているままに問題の深刻さを捉えるように努める。こうしてはじめて精神病的な考えや絶望感の背景となっている彼らの人生の極限的状況を正しく理解できる

2017-01-13 11:05:35
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③互いを深め合う対話がチームメンバーの間で進められる時には、ネットワークのメンバーの発言にコメントが加えられるだけでなく、それぞれの発言について互いに発信したことに対してもコメントがなされる。大事なのは、話すことと聞くことのどちらについても余裕をもってできるよう保証することである

2017-01-13 11:12:31
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オープンダイアローグでは、専門家はインタビューする立場から他の専門家にコメントする立場に変わることで対話が内省的になる。この時に、クライエントを見るのではなく、自分が話しかけている相手を見るということが大切である。

2017-01-13 11:15:52
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こうすることで、クライエントは専門家のあいだで話し合われていることについて、自分自身の内部で考えるゆとりがもてるようになる。

2017-01-13 11:19:40
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クライエントの考えを直接聞くのではなく、こうしたあいまいな状況に耐えることで、ネットワークメンバーの中にこの状況を共有しているという雰囲気が生まれ、心理的に使える手立てが見つかり、どうしていけばよいのかがわかるのである。

2017-01-13 11:20:12
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チームメンバーが、自分たちの発言を患者とその近親者の発言に寄り添わせながら会話をはじめていくと、こんどはネットワークメンバーが自分たちの言葉をチームの言葉に寄り添わせるようになるかもしれない。自分自身を理解するように他人の発言を理解すれば、さらなる理解が進むだろう。

2017-01-13 11:24:50
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話を聞いてもらっているとわかった時、自らも他人の話を聞きはじめ、他人の経験や意見に興味をもちはじめることができるだろう。チームとネットワークメンバーは一緒に共同の言葉の世界をつくりあげていく。

2017-01-13 11:30:25
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そこでは今の状況で話されている言葉を同じように理解するようになる。この共同の言葉の世界は、対話の参加者の「あいだ」に生じ、その言葉にこめられた出来事や感情の経験が分かち合われたことをあらわしている。

2017-01-13 11:33:57
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共有された経験は、現実の生々しい感情とその感情についての心理学的記述、記述されたものの社会的意味とを結びつける。これらは切り離すことができず、バフチンが主張したように、「一回性の存在の出来事(once occurring event of being)」において同時にあらわれる。

2017-01-13 11:38:53
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チームの大切な役目は、対話におけるこのようなまとまった局面があらわれる可能性を保証することである。しゃべっている時には、話している事柄に関連した感情を十分に体験できるように、ゆっくりと会話を進めるとよい。

2017-01-13 11:43:17
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📌 こうした時に、チームメンバーが性急に会話を進めようとすると、理屈ばかりの上滑りの会話になってしまう。最も苦しいトラウマ的な記憶は、非言語的であり、身体的な記憶として隠されている(van der Kolk,1996)。こうした感情を表現する言葉をつくりだすことが重要である。

2017-01-13 11:48:02
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言葉を見つけ出すためには、感情を持続していなければならない。強い感情に耐えていくために人間関係の力を用いるならば、ネットワークメンバーはその力の結集によって励まされ、悲しみや無力さ、絶望のような強烈で苦しい感情をもちこたえる。

2017-01-13 11:54:05
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このようなことができるためには、対話的なプロセスこそが必要である。会話が対話的に進むためには、チームメンバーは身体が発する多くの声が表現している感情に注意を向けることである。たとえば目に浮かぶ涙、固唾を呑むこと、姿勢や表情の変化などである。

2017-01-13 12:59:41
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クライアントがとても苦しい体験を話そうとすると、身体が感情に絞めつけられてこれ以上話せなくなることがある。 このとき、チームメンバーはこれに敏感に気づき、共感的にふるまってクライアントの言葉をうまく引き出すように反応するだろう。

2017-01-13 13:17:01
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✂  身体の記憶に症状としてたくわえられてきた経験は、ヴッゴツキー(Vygotsky,1934)が「気化 ( vapolized )」と表現したように、言葉へと解き放たれる。 Id. at 131

2017-01-13 13:18:14