"Dialogical Meetings in Social Networks" Jaakko Seikkula / Tom Erik Arnkil 2006
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花びんに水をدعونا نملأ المزهرية بالماء☘️ @chokusenhikaeme

クライエントの行動や症状に対する私たちの見方が、それを説明しようとするのではなく、それのもつ意味を彼らの周りの人たちと共有しようとする姿勢に変わると、治療的かかわりが新たに深く人間的なものになる。前掲書、第6章、「〈対話〉はどのようにして苦悩を癒すのか」p.115- pic.twitter.com/1HepN32Foz

2017-01-10 12:23:16
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単に症状をなくすのではなく、それをもって実際に生きている人に直面しなければ、本当に援助することはできない。ある特別の治療法を探すのではなく、互いがかかわりあうシステムの全体を見なければならない。そうすればミーテイングを重ねるうちにクライエントの症状はやわらぎ、行動が変化し始める。

2017-01-10 12:36:26
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事態を操作することから体験を共有することへ  ミーテイングでクライエントの大変な体験にかかわり、私たちはしばしば、非常に感情をかきたてられるような、一筋縄ではいかない経験に巻き込まれていく。

2017-01-10 12:43:57
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当事者たちがこの危機的状況にかかわる事柄や彼らが躓いているところをうまく話せないようなとき、ミーティングで対話がうまくいけば、最初はこの状況のどうしようもなさを一緒に耐えていけるという感覚が生まれる。そして次に、場に一体感が生じるだろう。

2017-01-10 12:53:13
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専門家自身もまた強い感情によってこころを揺さぶられる。ここが対話の要である。私たちは、あれこれの技術をもった中立的な専門家としてだけではなく、全人的に生きているひとりの人として、そこにいるのである。

2017-01-12 23:11:35
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バフチン(Bakhtin,1981)は、〈対話〉は意識と意識のコミュニケーションそのものであり、個人の内にあるプロセスではないと考えた。この意識間のコミュニケーションが生まれるかどうかは、話し手が聴いてもらえて、受け入れられていると感じられるかどうかにかかっている。

2017-01-12 23:16:03
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話し手が「聴かれている」と感じるには、応答されていなければならない。バフチンが語ったように、人間にとって応答がないままおかれることほど恐ろしいことはないのである。

2017-01-12 23:18:36
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互いに聴きあう対話によって事態を分かち合おうとすることは、治療とコンサルテーションの基本となる。オープンダイアローグでは、支援者は前もってやり方を決めるのではなく、開かれた態度でクライエントに出会う。クライエントは初めからそこに参加している。

2017-01-12 23:22:32
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こうすることは、すべてが透明であるという意味でまったく新しい経験である。同時に、これこそが真のチームワークの形態であろう。

2017-01-12 23:27:45
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アイザックス(Isaacs,1999)にとって、〈対話〉とは一緒に考え続けることである。今なされている会話からお互いに理解し合おうというのでなければ、専門家たちはいつまでもこの新しい理解の仕方を分かち合うことができないだろう。

2017-01-12 23:28:19
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クライエントにとって、対話の内容こそが重要である。彼らは現在の危機状況を乗り切って、これからどうやって生きていけばよいのかを知りたいのだから。しかし支援者にとっては、もちろんその内容も大切ではあるが、どのようにして〈対話〉が生まれるのかということこそが重要である。

2017-01-12 23:33:04
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〈対話〉を生み出していこうとすることによって、治療者は、今は症状という形で表現されている経験を患者自身が新しい言葉に置き換えていけるように支援するのである。

2017-01-12 23:35:37
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皆で共有することは、未来語りのダイアローグにおいてもまた重要である。対話では聴くことと話すことはきちんと構造化されているが、共―言語(joint language)をつくりだすには相互性が必要であり、それは単に参加者それぞれが順序よく答えていくだけでは生じない。

2017-01-12 23:43:15
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好ましい未来像とそこにいたるための行動が話し合いのテーマとなるのだが、対話そのものも実際に何かをつくりだしているのである。  ここでは各人が自分自身の話したいことを話し、相手が何を話すかについて聴くということが重要である。

2017-01-12 23:48:09
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各人は自由に自分の望むことを「思い起こす」という作業をすればよく、相手からその思いについてとやかくは言われない。ポリフォニー的〈対話〉では、ひとつの〈声〉だけが優勢になることはない。

2017-01-12 23:51:07
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バフチンによれば、完全なモノローグというものも存在しない。それは必ずまた応答されるのである。

2017-01-12 23:54:22
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行動に踏み出すための肝心なことは「あいだ」に生まれる。 モノローグ的な話し合いでは、患者の行動と診断ばかりが注目される。トラウマを生じるような状況では、ネットワークの人たちの話し合いはどうしてもモノローグ的になってしまいやすい。

2017-01-12 23:59:27
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しかし、このような事態ではクライエントの感情的な体験が根っこにあるので、対話的な話し合いのほうが状況全体の意味をうまく理解できるのだ。人が行動に踏み出す時に肝心なことは、参加者たちの「あいだ」に生まれる。

2017-01-13 00:03:12
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問題について話し合う時には、クライエントが主導権をもつ。専門家は参加者全員がその思うところを述べることができるよう、応答するよう心掛ける。話されるすべてのことには、その前に話されたことがとりいれられているので、そこから新しい経験への道が開かれていく。

2017-01-13 00:06:58
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皆で分かち合いながら一緒に会話を進めていくと、クライエントはその時できる限り長くそれを巡って皆で話し合えるテーマをおのずと選ぶようになる。

2017-01-13 00:11:10
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クライエントが再び自分の人生の主人公となることができるような理解を、皆が一緒にめざそうとするならば、問題となっていることやその原因についての理性的な説明をするだけでは足りない。

2017-01-13 00:12:21
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自分たちの人生をどうやって生きていけばよいのか、という理解が新たに目の前に開けて来るには、それがもっと具体的な経験として見えてこなければならないのである。

2017-01-13 00:15:48
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バフチン(Bakhtin,1984,1986)は〈対話〉はアイデアを生む培地であると考えていた。意味がつくられていくのは、その場の人たちのあいだのやりとりの個別性の中においてである。参加者個々の「頭の中」にあるのではなく、彼らの人と人との「あいだ」にあるのである。

2017-01-13 00:21:23
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最初はこれまで使われてきた歴史の中で豊かな意味をたくわえてきた言葉を「借りてきて」使っているのであるが、やがて対話をする者たちはその言葉の意味を今現在の独自の状況に合ったものにつくりあげていくのである。

2017-01-13 00:38:23
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発話はその意味を、聴き手からも話し手からも引き出す。言葉が意味をもつためには、応答を必要とするのである。意味が応答に依存しているということを、バフチンは対話の「完結不可能性(unfinalizability)と呼んだ(Holquist,1981)。

2017-01-13 00:43:11
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意味というものは、応答・応答に対する応答・そしてさらなる応答がつづく、という本来的に予測不可能なプロセスのうちに生み出され、変わっていく。それは中断されることはあっても、決して終結することのないプロセスである。

2017-01-13 00:48:51
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より多くの〈声〉が重なってポリフォニー的な対話になれば、理解はますます豊かになるだろう。それゆえ、チームメンバーはすべての参加者の声を引き出そうと努力する。対話は相互的行為である。だから、対話を心理療法のひとつとしてみれば、そこでの治療者の立場はすっかり変わってしまう。

2017-01-13 00:54:47
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その立場はもはや介入を行う者ではなく、自らも発話と応答の相互プロセスに入り込んでいるのである。当事者たちを対象としてみるのではなく、自らが彼らと主体どうしの関係となるのだ(Bakhtin,1984)。

2017-01-13 00:59:21
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新しい言葉を分かち合う 〈対話〉では、対話する者たちの内部に言葉をつくりだすことが、新たな意味を分かち合うための基礎になる。話すということは、自分が話したことが自分にとってどのような意味を持つのかを自分自身が理解できるようにする行為である。Id. at 120

2017-01-13 01:19:15
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話された言葉が聴かれていれば、モノローグとダイアローグの間をつなぐのは、自己中心的発話…われわれ自身に関する発話であろう。危機介入ミーティングでは、話し手は彼らが非常に困っている体験を、彼らの声帯を使って現実の言葉にする。これはたいていの場合、不安を呼び起こす。

2017-01-13 01:41:29
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なぜなら、これまで語られることのなかった感情をかき乱すような困難なことが語られることになるからである。初めて言葉にしていくその時に、話し手は自分が言葉にしたことが自分にとってどういう意味をもっているのかということを自分自身で聴くのである。

2017-01-13 01:45:24
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トム・アンデルセン(Tom Andersen,1995)は、話すことは伝達的(informative)であると同時に形成的(formative)であると言う。話し手は自分の経験を対話者に伝達するが、同時に話しながら経験を形成し、さらに意識的になるのである。

2017-01-13 01:49:52
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対話者たちが話し手の言う事を聴いていれば、彼が話したことは対話に参加するすべての人たちの間に降り立つのだ。こうして治癒的体験が生じる。

2017-01-13 01:53:09
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📌 話し手は、社会的現実と同時に自身の内的対話の中の出来事を相手にしているのである。話し手は外部に向かって言語的に行動しながら、内的には主体性を取り戻していくのだ。

2017-01-13 01:56:43
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対話者は、話し手が語ったことをすっかり受け止めなければならない。それを解釈して余計な意味を与えてはいけない。解釈を与えると、話し手は自分自身の考えを守ろうとして身構えてしまい、新たなプロセスが妨げられてしまうのだ。

2017-01-13 01:59:31
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オープンダイアローグの場合、チームメンバーが激しい感情をどう扱えばよいかを何度も経験して熟練していることが、ミーティングの枠組みの安全性を生み出す。その枠組みの中で、ネットワークの参加者たちは自分たちの力でこの非常に困難な体験を話し合い続けることができるのである。

2017-01-13 08:25:20
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チームメンバーは他のネットワークで危機介入にかかわってきた経験があるので、今のこの危機状況も生き抜くことができるのだと信じ、それをネットワーク参加者たちに示すことができる。

2017-01-13 08:34:31
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チームメンバーだけがくぐり抜けてきた経験は、静かな自信や共感的なたたずまいとして周囲に放射されていて、彼らがいるだけでその場に生かされる。そうした経験をたずさえてミーティングに臨むことで、ここでは大変困難な経験を話し尽くすことができるという雰囲気がもたらされる。

2017-01-13 08:36:58
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その雰囲気に抱えられながら、ネットワークの参加者たちは安心してそのモノローグ的袋小路から抜け出すことができるのだ。

2017-01-13 08:38:52
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症状は、現実にある感情全体の中に存在している。同様に新しい言葉も、合理的な説明ではなく、具体的な体験全体の中で生み出される。支援者は危機に関する状況と感情の両方を理解しようとする。経験に言葉を与え、これまで言葉にされなかった現実の感情を経験し尽そうとする。

2017-01-13 08:44:05
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たとえば、精神病患者が体験することの大部分は、ミーティングに参加した人たちが現に経験した感情の中に存在している。なぜなら、最初のうちは精神病的体験そのものを理解することはできないからである。

2017-01-13 08:47:42
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理解を共有していくにつれ、当事者たちは自分たちに一体何が起こったのかということを、一貫した物語にまとめることができるようになっていく。こうしてトラウマ的な出来事を自分たちの生活史に組み入れて、自分たちの反応や感情を吟味し学ぶことができるようになる。

2017-01-13 08:51:13
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新しいコミュニティが生まれる 同じ人々と幾度かのミーティングをもったり、ミーティングは一度だけであってもその後に対話を続けながら言葉を分かち合い、経験を共有していくことで新たにコミュニティが生まれる。安心感に満ちたコミュニティは自然にできるわけではない。

2017-01-13 08:58:36
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支援者たちはクライエントと一緒にミーティングを行ってリハビリ計画を立てたことなどないかもしれない。このような支援者は、クライエントに独自の文脈から彼を理解するのではなく、このような問題ならばどう扱ったらよいのかという一般的な知識をふりかざす。

2017-01-13 09:03:05
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熟練した専門家ならば、クライエントに会わなくても正確な診断を下し、正しい処遇がわかるのだと言わんばかりに。  〈対話〉では、違う。新しい理解は、実際に会話に参加している者たちのあいだに生まれるのだ。話し合う者たちが現にそこに…お互いの〈声〉が届くところにいなければならない。

2017-01-13 09:09:21
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📌 新しい洞察は専門家の小手先で得られるものではない。そこにいるということは、聴いているということであり、聞こえているだけではだめなのである。

2017-01-13 09:13:55
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📌 支援者たちは自分の専門的な言葉を押し出さず、クライエントの言葉に身を寄せなければならない。自分をその場にさらけだすのでなければ、話し合われていることの機微はわからない。Id. at 124

2017-01-13 09:15:39
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オープンダイアローグでは、合同ミーテイングのたびにいろいろな社会的ネットワークが集まったり離れたりする。治療コミュニティは連続性と心理的安全が保証されていることが大切なのであって、従来の精神科ケアとはその点で異なる。それは病棟という人工的なコミュニティではない。

2017-01-13 09:20:54
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患者の人生や生活にとって大切な、現実に生きている人びとのネットワークなのだ。コミュニティは、当事者たちができるやり方によって危機的状況のつづくあいだは必要なだけ保ち続けられる。

2017-01-13 09:26:46