(第1章、学校の神話) 第2章、医療の神話
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花びんに水をدعونا نملأ المزهرية بالماء☘️ @chokusenhikaeme

専門エリートである医師は、同じ人間仲間が適応できない社会状態を批判しないで、むしろ病人となった個人は、「他の専門職者たちがエンジニア化し管理した環境に一致できないのである」と判定をくだし、可能な限りの適切な復帰対策を個人の病気を治療するために遂行する。

2020-04-23 03:10:50
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病気が実体として確認されるという、その文明の様態それ自体は、このように政治的な安定化の方向づけをもったものである。このとき、疾患の分類…疾病学…は、社会組織の鏡となっている。「診断が確信されればされるほど、治療はますます価値あるものとなり、診断と治療の両者が必要であるのだと

2020-04-23 03:16:11
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ますます容易に人々は信頼し、産業成長に対して反乱するということはますますなくなっていく。」 (P.176) 産業的人間の政治的不能は、臨床的死の平等性にいたって、完全に階級を個人に解体させられている。「自然死」という死の概念は、自然死を誰でもが平等に保障されるものであるという権利要求に

2020-04-23 03:21:37
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なっているとき、産業労働の害悪の変革や自己ケアの自由の力の取り戻しとはならずに、医療サービスの平等な消費という要求に転じてしまった。患者となった私達は、殺人的環境を思い煩う必要がなく、生命までも救ってくれる医療サービス下での消費者の死に甘んじる階級なき存在となった。

2020-04-23 03:26:09
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(p.177) 「個体の健康に対する医療的損害が、社会政治的な転成様式によって生産される」のであって、社会的医療発生病とは「社会経済的変容に主要に負っている、健康へのすべての損傷を指す」とイリイチは言う。これは、産業的成長からもたらされた社会経済的変容が医療サービスの諸様式を特異な

2020-04-23 03:46:45
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様態とし、それが社会政治的に伝導されて、社会経済の破壊的・病的状態が社会政治的に再生産されるという意味である。 (p.180) 診断基準は道徳的力をともない、新しいアウトサイダーをうみだし、すべての異常は医学上のレッテルをはられる。それほど医療化は徹底されている。

2020-04-23 04:02:50
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診断が価値体系の主体となっている点を見落としてはならない。  イリイチは診断を帝国主義と呼ぶ。イリイチの帝国主義観は、経済的・軍事的・政治的なものよりも根源的な、「専門帝国主義」が現代において見逃されているという視座から考察される。 第一に、医学的見解と証明による人間の分類がある。

2020-04-23 04:08:22
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学校・職場・政治は、新しい治療機能をもつようになった。 第二に、現代ほど生存期間すべてを医療の監視下においた社会はない。つくられた環境に適するように、それぞれの年齢で常に特異な障害者であるかないかが検査されている。 第三は、生存期間の医療化の顕著な例を示す「老人の医療化」である。

2020-04-23 04:13:44
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第四は、乳幼児が医学的な監視と危険にさらされる消費者となったことである。新生児は健康であると証明されるまでは入院患者である。そして、産業の機械道具手段に適合する者たちを遺伝的に選択するところまで医社会学的コントロールはエスカレートする。それが、予防の市場化として現れている。

2020-04-23 04:18:37
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疾病ケアだけにとどまらず、健康ケアまでもが商品になっているのが、予防の市場化である。この地点において人々は病気でもないのに病人にされる。あらゆる形での検査とチェックが実施され、「疾病狩り」が徹底して実施されようとする。健康であると感じている人を、予防検査は判定を心配する病人に

2020-04-23 04:22:57
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変えてしまう。一度、烙印をおされた者は、前科者と同様永久にその烙印を背負う。診断は患者に病気があるとしたほうがよいように思われ、病気が定められると医者も患者も安心する。「診断は常に、ストレスを強め、不能力を定義づけ、不活動を課し、不治や、不確実性や、将来の医学的発見への依存に、

2020-04-23 04:27:44
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危惧を集中するようにし、こうしたすべてが、自己限定的な自律性を喪失するようにしている。」診断は、こうして、人を特別な患者の役割の中に孤立させて、正常なもの健康なものから切り離し、専門家の権威に従属させている。「治療文化(thertapeutic culyure)の最後の勝利は、平均的な健康人の自立を、

2020-04-23 04:33:21
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許しがたい異常の一形態へと変えてしまう。」現代社会は、その経済的生産体系から政治構造に至るまで、病気をつくりだす社会的諸関係を保持する医療化社会である。 (p.185) 実際に消費者自身が正確な情報と知識をもって、良い薬を選べるというのは、医療化社会での商品としての薬物の世界においては

2020-04-23 04:40:17
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ありえない妄想なのである。 (p.188) イリイチの医学的治療に対する批判は、人間の自律性を麻痺している産業的文明、産業的生産様式の強力な担い手となっている専門医療への批判と攻撃である。 (p.194) 病人の役を専門医師が振り分け、その独占に素人が頭を下げている間は、「影の健康ヒエラルキー」

2020-04-23 04:49:19
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はコントロールできない。 (p.196) 健康な環境をデザインしようとする環境衛生学的なエンジニア化の対策では、人間の感情と人間の健康への関心を忘れ、破滅を最小限に留める諸々のシステムのエンジニア化にのみ集中する、とイリイチは批判する。

2020-04-23 04:55:13
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(p.202) 健康であると証明されるまで市民は病気とみなされる。社会正義によって医学証明を与えられるのが健康となってしまった。こうした医療文明の中で、健康は医療ケアの結果であると制象化され、商品価値にかわってしまっている。

2020-04-23 05:19:06
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健康とは痛みを殺し、病を排除し、生命を引き伸ばすことではない。痛み、病気、死を人生の不可欠の部分にし、この三者を自律的に処理し闘う能力が、健康という行為の基本であるのだ。人間は意識的に、弱さ、個体性、関係づけに生きているため、痛・病・死は避けがたいものなのである。

2020-04-23 05:23:46
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この自分の親しい内奥を管理的な扱いに託してしまう時、わたしたちは政治的自律性を放棄し、健康を衰退させているのである。 (p.207) イリイチは、わたしたちの限界設定における「責任性」について、次のように述べている。  それはまず、健康とは自分自身のしたことに責任を持つことであり、

2020-04-23 05:28:11
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他者に対して他者の自律性を侵さない範囲で部分的に責任を持つことである。「人は他者に対して主体的に責任をもちうる、あるいは応えうると感じる時にのみ、自分の失敗の結果が、批判(criticism)、中傷(censure)、罪責(punishment)となるのではなく、残念に思い(regret)、良心の呵責を感じ

2020-04-23 05:37:49
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自責し(remorse)、それを真に悔い改める(repentance)のである。」つまり、過ち・失敗を感じ→悲しみ→(完全に)認知・自覚して今後のやり方を改めていく意志を持つ、悲嘆・苦痛の自律性のある、復回と治癒することへの兆しとなるもので、罪の感覚とは全く異なる、と主張する。

2020-04-23 05:43:38
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(p.207) 制度的な扱いは、失敗を自律性への不信として処理する体系をととのえる。そしてこれを、救済として編成する。健康という個人の任務は、自己の気づき(self-awareness)、自己の訓練(self-dicipline)、内的資源(innerresources)の結果に大部分負うものである。

2020-04-23 05:50:21
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同輩や年長者から、望ましい諸活動を導く知識、その有能な実施、そして他者の健康を強めるような関わりを学び、それは個人が育った文化によって形作られるのである。 イリイチによれば、地理的条件や技術的状況に一致する健康の諸々のパターンの大部分は永く続いた「政治的自律性(political autonomy)

2020-04-23 05:56:01
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に依るものであり、決して画一化されるものでなく、健康的な慣習や社会生理学的環境に対する責任性、つまるところ、「文化のダイナミックな安定性」に依存するものであるというのだ。

2020-04-23 05:58:55
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(p.208){了} イリイチは、「健康」を政治的自律性として示し、上部構造の産業制度化された「政治」がいかに不健康で、人間の健康を損ねているかを明確化するとともに、専門医療のサービス処置が政治的に、政治的自律性を麻痺している、健康に反するものになっていると示したのである。

2020-04-23 06:02:37