(第1章、学校の神話) 第2章、医療の神話
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花びんに水をدعونا نملأ المزهرية بالماء☘️ @chokusenhikaeme

{Moment用下書き} (抜粋➀)『イバン・イリイチの現代産業社会批判~学校・医療・交通の神話~』山本哲士著、新評論、1979.7.20.初版第1刷  コロナ禍の時節柄、本書の「第2章、医療の神話」がずっと頭の片隅にあったので、本棚から引っ張り出してみた。 pic.twitter.com/AVi8nPFYe7

2020-04-22 10:50:54
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ちなみに本書の「第1章、学校の神話」のp.129以降には、「脱学校論」と「非学校化」の違いについて述べられているので、教育実習を控えて心穏やかではない教育学部生たちにも一読をお薦めするw (p.132) 「脱学校(Deshooling)」のタームとは、学校改革論であり、教育や学習を学校形態の新しいあり方

2020-04-22 11:17:18
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(学校がなくなるのも含めて)の中でもって、しかも教育のみの水準で語っているものである。それは、様々の多様な「教育」実践の可能性を同時に探っている。 「非学校化」とは、社会、政治の転換を語っているもので、ただ学校は、政治や経済を媒介変数にして変わるのではなく、学校化それ自体の転換が

2020-04-22 11:23:49
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社会全体の根源的な転換となり、学校化という構成は社会そのもののあり方であると示している。「教育」の再生ではなく、むしろ、自律的な「学習」の誕生を示そうとしている。

2020-04-22 11:31:25
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【世界中の国が今、オンライン授業をしている最中に、なぜ日本の文科省だけが対面授業にこだわり続けるのか。考察のヒントになる箇所があるので、いくつか挙げておきます】

2020-04-22 11:44:47
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(p.59. 序章、産業社会の制度と神話) 「過剰計画(Overprograming)」世界を通じて高度に資本主義化された道具手段は、高度に資本主義化された人間を求める。  学校の『影のカリキュラム』(hidden curriculum)を通して人々は、市場における価値、累進的消費の価値、主要な制度が視えない物(教育や健康)

2020-04-22 11:48:42
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まで含んだ価値を生産すること、段階的前進の価値、官僚のために訓練された競争能力、知識ストックの保有者の意味、自己の地位の容認などを学ぶ。 (p.89) 人類史において近代は、「子ども時代(childhood)」を発見し、それを普遍的教育(universal education)の名でもって

2020-04-22 11:58:27
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「義務的学校化(compulsory schooling)」した時代である。それは、社会そのものをマクロ的な時代でもって特色づける「学校化の時代(the age of schooling)を創造した。現象的に、学校教育はいわゆる義務教育の期間だけにとどまっているようにみえるが、自分の個体史のある時期が学校に鉤止めされた

2020-04-22 12:10:27
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ということによって、わたしたちは想像もつかないような特異な生活世界に押し込められている。その生活世界は一言でいえば、「産業的に制度化された生活様式」である。 (p.98)イリイチは「影のカリキュラム」の役割を次のように示した。 ➀学校を通してのみ人々は社会的メンバーとして認められる。

2020-04-22 12:18:27
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②学校の外で教えられたことは価値 value がない。 ③学校の外で学んだことは価値 worth がない。 (ここで、「教育」にあてられた価値とは"value"であり交換価値の意味を内在している商品的なものであり、「学習」にあてられた価値とは"worth"で、本来の価値であることは非常に重要である。)

2020-04-22 12:23:33
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そして、これが不動の枠組みとなっているのは「学校の現象学」で語られた3要素が学校制度の中で営まれているからだ。それは、 ➀年齢別に区分された30~40人の集団。 ②資格ある教師の下で監督されている生徒として定義づけられた児童。 ③年に1000~1500時間の段階的カリキュラムへのフルタイム出席。

2020-04-22 12:29:05
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これらの3要素がある限り、学校は、経済的、政治国家的な、諸々の関連を現状のまま再生産できる。つまり、学校は社会を再生産しているのである。社会が学校を再生産しているのでもなければ、学校がマルクス主義のいうように労働力商品を再生産しているしているのでもない。

2020-04-22 12:34:37
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(ちなみに、エバレット・ライマーは、学校を制度として考えるにあたって、次の角度から機能的分析をしている。) (1) 学校とは何をするか? …社会的組織を考察。 (2) 学校とは何であるか? …学校を定義づける4要素を指摘。 (3) 学校はいかに働いているか? …イデオロギーと現実の差異を示す。

2020-04-22 12:43:05
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(4) 学校はいずこからやってきたか? …発生史的な実証。 (p.110) たとえば教育制度の根源的な問い返しにまで深まった反戦派教師の活動が、学校内での実践…それは教育を「共育」にかえるとか「学習」にかえるとかいう表現をとっているにせよ…にしかいたらなかったことにより、さらに制度化は

2020-04-22 12:58:17
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強化されている。そしてほんのわずかな教師たちは、アウトサイダーとして尊敬とともに軽蔑をも受けて学校から追われた。このとき教師や運動の主体や実践を問うのは、誤りであろう。問題は、学校への制度化が徹底した世界そのもの、その「制象化された価値」がうみだされる世界を分析することである。

2020-04-22 13:03:02
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(p.112) 制象化 … 自分の個人的な認知能力の成長は学校が念入りに計画化し操作したことの結果である、となる。 媒介 … そして、これが「学校を必要とする」ものとして受け入れられると、他の諸制度の必要も容易に受容する。制度の依存(dependence)が、制度の受容acceptanceとなった時、

2020-04-22 13:10:55
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制象化は制度化に同一化されていく。 制度化 … カリキュラム教授によって自分のイマジネーションが形作られると、人々はあらゆる種類の制度的計画化を受け入れるように状態づけられる。そして学校の制度的存在そのものが、いろいろな様式を学校化し、制度化するのである。

2020-04-22 13:15:42
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(p.117) わたしたちは、古典的な理論世界における労働の疎外を得る以前に、自分自身の「学び」から自分を疎外している。「学ぶ」ことが必要とされ、学校化の需要に転じられている時、「育つ」質は専門的な取り扱いによってつけられた「価格表」に変わっている。そして、親しさ、相互交換、生活経験を

2020-04-22 13:21:55
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示していた「知識」は、学校化された社会では専門的にパッケージされた商品、市場化しうる資格、抽象的な価値へと変わってしまっている。 (p.127) 学校は「義務的であり、終わりがなく開かれ、競争的である」点で、あらゆる国々に共通し、健康ケア、商業、人間管理、政治生活に同じような影響を与え

2020-04-22 13:26:48
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それらがスペクトルの操縦的な側に集まるように仕向けている。 この管理社会は、次の3点に集中している。 (1) 物をつくること。 (2) 儀礼的なルールをつくること。 (3) 執行されることが真理であるというイデオロギー、あるいは命令をつくること…そして、修正すること。 pic.twitter.com/wMreRYsBdy

2020-04-22 13:35:03
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それは、生産物に帰属されるべき現行の価値を正当化するものである。  そして、テクノロジーが技術科学は万人のものであるとして、そのパワーをより強大化して、消費者から自律能力をますます奪っていくのである。

2020-04-22 13:48:14
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{pp.143-45} 最近の教育学が理論の面で無力なのは、学校と教育の同一視によった前提をそのまま理論として、体系的理論の欠如をその内部でしか補うことができず、"教条主義"と結びついたうえで、千差万別であるかのような非国際的で、しかも非interdisciplinary は排他性に流れているからである。

2020-04-22 13:55:31
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歴史的にさまざまな教育組織なり教育様式が共同社会とどのように、また"個人"とどのように関わってきたのか、さらに、一体「教育」とは組織体の総和であるのか、それとも共通分母であるのか、そうした問題は放置されたままである。そして「普遍的教育」は「普遍的学校化」として前提されたまま、

2020-04-22 14:00:08
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狭い科学と実証主義に一致していく。未教育=未就学は、未開状態の段階で、最終的には科学的教育にとってかわらねばならないという、19世紀的な進化論である。  教育が宗教制度から世俗化された時、教育は学校制度へと聖化され、教えること・学ぶことも聖化されていった。学校は神聖にして

2020-04-22 14:06:42
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侵すべからざる「聖なる牛」となった。そして現在、学校は教育にとって有効でないばかりか、社会生活そのものにとっても有効ではないのが歴然としてきた。ところが多くの批判は、教師や教育行政や組合組織やさらに両親・子ども自身にまで向けられてしまい、制度内での主体的なあり方がとりあげられても

2020-04-22 14:10:58
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そうした主体を突き動かしている見えない背景、つまり、「学校化」の生活様式そのものはまったく疑われていない。学校制度の表層構造が喧噪に批判されたり改革されているだけである。それは、イリイチに対する理解や批判にさえ現れている。

2020-04-22 14:15:52
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第2章、医療の神話 (p.157) 社会的には、人間が生産者としてだけでなく、消費者としても役立たずになったとき、その死が同意されて認められる。 (p.158) 高度に産業化された社会の進歩した文明は、死のイメージと死の扱いを「商品化」している。死という、ある不確実な日に起きる確かな出来事に

2020-04-23 00:12:09
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対する、イメージや文化的な条件は、いかなる社会であれ「制度的構造、深く根ざす神話、有力な社会的性格」からつくられる。現代も例外ではない。 (p.160) ブルジョア家の興隆にともない、死は階級的な特権を有し、余裕のある者は死を遠ざけるために金を支払い始めた。

2020-04-23 00:19:30
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「年をとることは資本主義化された生を生きる一つの方法とな」り、好色漢のベッドルームにありながら死ぬのを理想とした。➀長く生き残る能力、②死以前に隠退せずにいられること、③不治の状態であっても医療の助けを求めること、の3つによって病気の新しい概念がつくられるとともに、

2020-04-23 00:24:55
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「健康を気にする人」の役割がうまれた。自然の死を死ぬ能力は、ブルジョア階級のために与えられた。それはまた「患者として」死ぬ余裕のある者たちであった。 (p.161) 20世紀になってはじめて、臨床的な訓練を受けた医師の治療をうけながら死ぬのが市民の権利となった。

2020-04-23 00:29:57
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資本家の特権がプロレタリアの要求に敗北し、一生の間、制度的な医療ケアを与えることが要求される。「臨床的な死における平等」として少数の特権が多数の者に一般化していく。それにつれ、医師と死との関係が変わる。  伝統的な紐帯からばらばらにされた個人は患者としての役を得て、

2020-04-23 00:35:42
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健康消費者というインターナショナルな大衆へと統合されたのである。「死の医療化を通じて、健康ケアは完全に異質分子のない一枚岩的な世界宗教となり、その信条は義務的学校で教えられ、その倫理的規範は環境の官僚主義的改造に適用される。」

2020-04-23 00:39:41
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死に対する医療的な闘いは、「死の予防」までをも含めて、患者の生活スタイルを支配し、産業消費者の生活様式を支配し、発展の代理人によって貧者や貧しい国が守らなければならない規範となり、帝国主義的介入の一形式を形成するものにまでなっている。そこで死は包装商品になりさがっている。

2020-04-23 00:43:36
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(p.166) 臨床的測定は社会全体にまきちらされ、社会が一つのクリニックになり、すべての市民はいつも血圧をはかられ、正常範囲内に血圧を安定させられる患者となってきた。  イリイチはこのように、病気が客観的な実在として考えられる文明は、自らの状態に対して責任を取る必要のない、

2020-04-23 00:50:06
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御されやすく、政治責任を免れる人間をつくりだしているという。  さらに自分の身体の出来事であるのに、理解できない言語でもって病気が示される。身体についての言語が科学的な用語でもって構成されるとき、専門エリートの特別な言語に依存するのを強め、病気は階級支配の道具にまでなってしまう。

2020-04-23 00:57:04
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労働者は主人の言語を話さぬひとりの主体となっているわけだ。資本家や経営者だけが主人ではない。彼らは破壊的な産業状態で生活を守る賃金を払ってくれる、そして医者は身体を守ってくれる、精神までも守ってくれる。だから労働者はもはや生産様式の転換に向けて闘う必要はない…というわけだ。

2020-04-23 01:01:01
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死だけでなく「病」も「商品化」されている。 (P.168) 大衆が痛みに打ちひしがれている時、大衆が社会を呪うことのないよう、その耐え難さをそらすために産業システムは医療的な痛み止めを大衆に与える。より多くの薬、病院、医療サービス、非個人的な諸団体によるケアへの要求に、痛みは変じてしまい

2020-04-23 01:06:15
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それゆえ人間的・社会的・経済的な根拠には手を触れず、ひたすら成長・発展を政治的に支持する結果をもたらしている。  人間・社会・経済の変革をするのではなく、痛みをとめる医療ケアを人々は要求するのである。  医療はこのような耐え難い痛みという政治転換の危機状況を、常に、医療への要求へと

2020-04-23 01:12:44
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切りかえるものとして働きかけている。 (p.169) それでは文化の「意味の体系」における痛みとはどのようなものであろうか。それは、痛みの感覚を挑戦と理解し、その処理を通じて個人の体験を形成するものである。それは、痛みを苦悩へと変容し、耐える力を身につける自己自身に責任をもつ行為である。

2020-04-23 01:47:01
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痛みを必然と解し、耐え、治療するのでなく治癒する、それが文化である。痛みは遺伝的な所与としてまた刺激の性質や強度から体験されるだけでない。➀文化、②不安、③留意、④解釈にも依っている。これらは、社会的決定因、イデオロギー、経済構造、社会的特徴から形作られるのであって、

2020-04-23 01:51:59
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現代医療のいうように「客観的」な項目ではない。こうした諸要因の規制の中で、文化は、痛みを本質的で、身近で、伝達し得ない、「非価値(disvalue)」と認知する。自律的行為としての使用価値そのものを形作る人間の内界の体系である。

2020-04-23 01:57:23
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(P.171) 「内在的で、身近で、伝達不能な、非価値として経験される身体的痛みとは、苦しむ人間が存在する社会的状況で自分自身を見出す、というわれわれの気づきを含むものである。」 痛みとは、社会的性格が苦悩する個人のパーソナリティを形成し、彼ら自身が自分の身体の疼きや具体的な痛みとしての

2020-04-23 02:02:25
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傷を体験する方法を決定するのであって、「痛みを悩むという行為は常にひとつの歴史的次元を有する」のだ、とイリイチは考えた。 (P.173) 制度化された政治を、政治学とみなすことに、マルクス主義も共犯している。政治が制度化されている状況下では、人間の行為が制度化されていないならば、

2020-04-23 02:08:44
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それは社会的でないというだけでなく、政治的でさえないと見なされる。訓練され専門化されて制度化されていなければ、民主主義さえありえないというわけだ。 (P.174) 痛みを殺すという文明の進歩は、苦悩総体を減少させるものとなっている。苦悩総体が減少させられる時、「政治とは幸福を最大にする

2020-04-23 02:14:06
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というよりは、痛みを最小とする活動」と考えられるようになった。これは、痛みのあるところには悪しき政治があるという評価につながるだけではない。痛みに直面するのではなく、痛みを回避することが合理的であるとされるため、痛みに耐える限界状況で発生する反乱の噴出を回避し、激しく生き生きと

2020-04-23 02:18:00
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した状態を避け、独立や自立を失っても痛みのないほうが選ばれていく。  「搾取」は痛みが苦悩となり、危機的限界にいたる以前に、専門医学によって治療されてしまう。自らが政治的治癒をなす以前に、専門的治療がなされるのである。この専門的治療がどれほど制度的に編成されているかどうかが政治的

2020-04-23 02:37:59
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であるとされてしまった。労働者階級は自らの破壊的生産を変革せずに専門的医療保障を要求するのである。「高度産業社会は、人々が自分の置かれた環境と闘う力を奪うがゆえに、病気をつくりだすのである。」

2020-04-23 02:50:42
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人々は自分の病気を「物事のあり方」であると認めてしまうことによって、つまり、医学が定義つける疾患の発生認識的正統性を受け入れることによって、制御されやすい、つねに生産性に有効である存在へと変えられる。もし自分が病気で倒れたならば、彼はその病的環境状況を考察し、分析し、変革すること

2020-04-23 02:54:32
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はせずに、臨床的に治療され再びその環境に服属できる力を取り戻せるよう求める。「診断が患者に与える個人の政治的無垢の保証は、生産と消費にさらに従属するよう正当化する衛生のマスクとして役立つ」のである。

2020-04-23 02:59:01