✅その2つの対処の仕方の違いでは、クマの事実を変えることはない。 理屈によるアプローチは、クマがいると両親が来て守ってくれてクマは隠れる、ということを意味する。 怒りのアプローチは、クマがいる時はひとりぼっちだ、ということを意味する。 どちらにしてもクマはそこにいる。
2018-11-27 12:09:29ジェダーが成長すると、妄想という形で原初の歪みが再現されない限り、彼の世界のイメージや脚本装置ははるかに精緻化され、上手に隠される。夢に現れるまでは普通何の兆候もない。しかし夢に現れた途端、患者の行動の多くが首尾一貫して理解できるようになる。
2018-11-27 12:28:52ワンダという女性は、夫がいろいろな雇用主との複雑な金銭上のいざこざに巻き込まれてしまった、という金銭問題に心を奪われていた。実際には、両親は裕福で、いつでもお金を借りることができたのだが。ある晩ワンダは「脚本の夢」を見た。
2018-11-27 12:36:40彼女は「丘の上に住んでいる金持ちの人たちが運営する強制収容所に住んでいた」のだ。十分な食料を得るには、これらの金持ちを喜ばすかごまかすかしかなかった。彼女の夫は、彼の雇用主と「ジョーイをまんまとだましてやろう」の心理ゲームを行うことでワンダが「帳尻を合わせる」の心理ゲームをする
2018-11-27 12:41:48ことができるようにしていたのだ。明らかにそれは不毛なことだったが、認めてしまうと心理ゲームが終わってしまう(最終的にはそうなるのだが)ので、ワンダはグループで、怒りながらこれをすべて否定しなければならなかった。そのため彼女は、実際に、自分の夢の中と同じように生きていた。
2018-11-27 12:45:10その夢は、彼女の両親や彼女の夫の雇用主が丘の上に住む金持ちであって彼女の人生を取り仕切っている、生き残るために彼女はその人たちを喜ばせるかごまかすかしなければならない、というものだった。ここでは、強制収容所が彼女の世界のイメージや脚本装置だった。
2018-11-27 12:50:06ワンダは、夢の中の収容所で生きるように現実を生きた。それまでのワンダの治療上の「進歩」は単に「どうすれば強制収容所でより心地よく生きられるか」を意味していた。これはワンダの脚本に何の影響も及ぼさず、彼女が収容所でより心地よく生きるようにしただけだった。
2018-11-27 12:54:16✅治るためには、彼女は自分にとって心地よい強制収容所を出て、現実の世界に足を踏み入れなければならないが、それは家族の問題が落ち着いた後になるかもしれない。 📌ワンダと夫が補完し合う脚本を持っていることに気づき、お互いをどのようにして選んだかに注目するのは興味深いことだ。
2018-11-27 12:58:14夫の脚本は、丘の上の金持ちをごまかすことと怯えた妻を求めていた。 ⚠️彼女の脚本は、彼女を奴隷化することで人生を生きやすくさせてくれる詐欺師を求めていた。 脚本装置は通常患者の人生の現実からあまりに離れているので、単に観察や解釈だけで再構成することはできない。
2018-11-27 13:03:00最も鮮明なイメージを得ることが期待できるのは、夢を通してだ。「脚本装置の夢」は、患者がそれについて話すとすぐにいろいろなことのつじつまが合うので、見分けがつく。それは、イメージとしては患者の実際の生き方とは似ても似つかないが、交流分析的にはまさに複製だ。
2018-11-27 13:07:46思春期は幼児期の恐ろしいトンネルに、より現実的で現代的な形が与えられる時期であり、それは患者の人生プランに効力を持つ脚本装置を作り上げるためだ。ワンダが夫の「企み」を探るのを渋っていたことから、脚本シーンがどれほど不快かと文句を言いながら人がいかにそれに執拗にしがみつくかがわかる
2018-11-27 13:14:48I. スウェットシャツ これまでに討議してきた項目は、患者の態度、「誘い」方に要約することができ、それをその人の「スウェットシャツ」と呼ぶ。それは患者のお気に入りの暇つぶし、心理ゲーム、感情、その人の愛称、表と裏の部屋で何をするか、どんな精神世界に住んでいるか、脚本はどのような終わり
2018-11-27 13:19:41をもたらすかを示し、また時には括約筋、ヒーロー、トーテムを経験豊かな人の目に示す。 スウェットシャツは通常、それが人気となる年代のハイスクールや大学の早い時期に身に着ける。後の人生で脚色されたり少しだけ言葉が変化したりするかもしれないが、意味の核心はずっと変わらない。
2018-11-27 13:23:58それゆえ精神分析的な「性格防衛」や「性格のよろい」という発想、ユング派の「態度」に関する概念、アドラー派の「人生のウソ」や「ライフスタイル」に関する見解、そして交流分析の「スウェットシャツ」のメタファーはすべて、大変類似した現象を述べている。
2018-11-27 13:27:43実際のスウェットシャツは、その人がどの集団に属するかを示し、その人の哲学、ある刺激にどう反応する傾向にあるか、を示唆している。しかしそれは、彼がどう誰かを引っかけるか、期待する結末は何かを正確に示すわけではない。
2018-11-27 13:33:08「誰も私が見てきた苦しみを知らない(`Nobody Knows the Trouble I've Seen' : NOKTIS」の特徴は、苦しみの合計量ではなく、誰も知らないという事実だ。NOKTISもまた、決して誰にも見つからないようにするが、それは、もし誰かが見つけてしまったらその人は「誰も知らない」と言えなくなり、
2018-11-27 13:38:33スウェットシャツはその特徴を失うことになるからだ。 スウェットシャツは普通、「世の中の誰もあなたのお父さんやお母さんのようには愛してくれない」というような、親たちのお気に入りのスローガンに由来する。あきらめてトボトボ歩くこのスウェットシャツは離接的接続詞であり、
2018-11-27 13:42:25単にスウェットシャツを着ている人とその人の周りの人を切り離すためにだけ働く。 簡単なひねりを加えることによってスウェットシャツは他者を遠ざけるものの代わりに他者を惹きつける接続詞に変換することができ、それにふさわしい「それってひどくない?」の暇つぶしと心理ゲームに導く。
2018-11-27 13:46:36それは、「誰も、お父さんやお母さんのようには僕を愛してはくれない」だ。だが人々を惹きつけるのはこのスウェットシャツの裏面であり、「あなたはどうなの?」と書かれている。 「誰も信用できない」と書かれたスウェットシャツ 誰も信用しない、ということをすぐにはっきりさせる人がいる。
2018-11-27 13:52:02その人は人生についてもそのように話すが、彼らの行動と言うことは全く一致していない。というのは、彼らは実際には人を「信用」し続けているのに、それがいつも悪い結果になるからだ。 スウェットシャツの概念は、性格防衛・態度・ライフスタイルと言う、より単純な取り組み方に比べて強みを持つ。
2018-11-27 13:56:51「誰も信用できない」(`You Can't Trust Anybody Nowadays' : YOCTAN)のスウェットシャツは、額面通りに受け取ることはできない。そのスウェットシャツを着ている人は、他者を信用しないので人との関わり合いを避ける、ということを意味するのではなく、それとは正反対だ。
2018-11-27 14:05:03✅それはその人が、自分のスローガンを証明してポジション(私はOKー彼らはOKではない)を強化する、という明確な目的のために人間関係のもつれを求めることを意味する。したがってYOCTANを行う人は📌信用できない人を選んであいまいな契約を結び、何かうまくいかなくなると喜び、さらに上機嫌で茶色の
2018-11-27 14:10:19スタンプを集める。そして、自分のポジションである「誰も信用できない」を追認する。極端なケースでは、その人は「対価なし」の殺人をする資格があるとさえ感じるが、それは自分が注意深く選んだ信用できない人たちから繰り返し受けた裏切りによって正当化されるのだ。
2018-11-27 14:15:54YOCTANを行う人は、ひとたびそのような結末のために十分に茶色のスタンプを貯めたら、おそらく一度も会ったことのない公人で、殺人に「暗殺」のレッテルを貼ることに値する人を犠牲者として選ぶ可能性がある。 YOCTANのスウェットシャツは、着ている人に関する次のような情報を提供する。
2018-11-27 14:26:12その人のお気に入りの暇つぶしは、裏切りを検討することだ。お気に入りの心理ゲームは、他者が信用できないことを証明するYOCTANだ。お気に入りの感情は、「さあ捕まえたぞ、この野郎」の勝利感だ。その人のニックネームはケージ(用心深いヤツ)で、決定的に重要な意味を持つ括約筋は肛門だ。
2018-11-27 14:31:18ヒーローは、警察などの「権力者」が信用できないことを証明する人だ。彼が表の部屋ですることは、穏やかな正義や率直な方法での誘いだが、一方で彼は奥の部屋にいて、狡猾であって信用できない。彼の精神世界は、他者が信用できないことを暴く目的のためならいろいろ怪しげなことをする権利を与えられ
2018-11-27 14:35:37ている、と思うような独善的なものだ。彼の脚本は、自分が信頼する誰かにひどい目に合わされ、息を引き取る間際に「わかっていたんだ。今は誰も信用できないんだって」というスローガンを叫ぶことができるようにすることを彼に要求する。 彼のスウェットシャツの前面の「今は誰も信用できない」は、
2018-11-27 14:40:12自分たちは例外だ、ということを、不用心な治療者などの善意の人たちに証明するための退屈な招待なのだ。善意の人たちが事前に見る労力を惜しめば、闘いの粉塵が収まって勝利した彼が立ち去る時になって初めて、彼の背中にこう書いてあるのを見ることになる。「さあ、もうそろそろ俺を信用するかな」
2018-11-27 14:44:39しかし、治療者が機敏であっても、あまりすぐに動き出さないように注意しなければならない。さもなければ患者はこう言うだろう。「ごらんなさい。私は、あなたさえ信用できない」と。それで、彼が立ち去る時にキッカーはまだ有効なので、どちらにしても彼が勝つ。
2018-11-27 14:47:32「皆するんじゃないの?」と書かれたスウェットシャツ 人生へのこの取り組み方の命題は、「はしかにかかっても大丈夫だよ。だって皆かかるんだから」だ。もちろんはしかは危険になり得る病気なので、大丈夫ではない。キーワードであり、それに爆発的で策略的な特性を与えるのは、「皆」という言葉だ。
2018-11-27 14:58:02皆とはだれなのか?このスウェットシャツを着ている人にとって皆とは、「私がOKと言う人たち。その中に私も含まれていることを願うけど」だ。このため、彼らは普通、適切な機会に着るスウェットシャツをさらに2枚持っている。📌「皆するんじゃないの?」は知らない人の中に出かける時に着る。
2018-11-27 15:02:41しかし、彼らが称賛する人たちと一緒の時は、「僕はどうかな?」あるいは「僕は著名人を知っている」を着る。このスウェットシャツを着る人のお気に入りの暇つぶしは「僕も~」で、お気に入りの心理ゲームは、実際彼はずっと気づいていたが、「皆」は知らないで、「今、気がついた」だ。
2018-11-27 15:06:50だから彼のお気に入りの感情は(偽りの)驚きだ。ニックネームはクリービー(ゾッとする人)で、ヒーローは皆を抑えにかかる人だ。その人は、表の部屋ではOKな人たちがするだろうと思うことをして、これ見よがしにOKではない人たちを避ける一方、裏の部屋では異様な行動、ゾッとするような行動を取る。
2018-11-27 15:20:10その人は同類の仲間以外には誤解を受ける世の中に住んでいて、彼の脚本は彼に秘密の悪事ひとつで終わることを要求している。終わりが来る時も彼はあまり抵抗しない。それというのも、彼自身のスローガンが「皆のルールを破った者は苦しまなければならない」であり、
2018-11-27 15:24:38彼は実のところ、そのような報いを受けるに値する、と感じているからだ。そしてそれが彼のスウェットシャツの後ろのキッカーであり、「彼は間違っているーー彼は変人か、共産主義者か何かに違いない」と書かれている。 スウェットシャツと綿密に結びついているものが墓碑であり、それについては次章。
2018-11-27 15:28:16