風はコントロールできない。できるのは、帆を調節することだけだ。 (画は、坂口尚『3月の風は3ノット』(少年の詩短編集)希望コミックス(80)潮出版社の表カバーから) pic.twitter.com/gF0JakmNfw
2015-05-10 19:05:06「平静の祈り(serenity prayer)」は、アルコホーリクス・アノニマスが12のステッププログラムで採用したことで、広く知られるようになりました。 神よ 与えたまえ 変えられないものを受け容れる心の平静を 変えられるものを変える勇気を そして違いを知るための知恵を
2015-05-11 12:54:20平静の祈りは、人生を穏やかに生きるためにはある種の「知恵」が必要だ、と伝えている。私たちは、コントロールできることと出来ないことを学び、それに応じてエネルギーを振り分け直さなければならないのである。(前景書 p.429- )
2015-05-11 12:58:03コントロールが及ばない事柄がなかにはあるという事実は、認めるのに勇気がいる辛い現実だろう。なぜなら、それを認めると、おそらくそうした事柄によってもたらされる私的影響も「飲み込まなければ」ならない状態で私たちは取り残されるからである。
2015-05-11 13:02:27また、コントロールできる時でも、コントロールすることが苦痛な私的内容を生み出す可能性も考えられるので、それを認めることもまた勇気のいる行為である。
2015-05-11 13:04:24このように、活き活きとした人生を生きるには、知恵と勇気の両方が必要だ。ところが、それをどのように実践するかについては、私たちの文化はほとんど何の指針も示さない。
2015-05-11 13:06:20フュージョンは、回避を「あおりたて」て、アクセプタンスを不可能ではないにしても難しくする。これは、フュージョンが、それらが言い表していることがそれらそのものであるという体験の幻想を作り出すからである。
2015-05-11 13:11:11フュージョンがあると、感情、思考、イメージ、記憶は、モノ的で言語によって接触できるものになってしまう。たとえば感情について考えてみよう。私的体験のうちでも、感情は、いちばん濃密に言語的な評価がまとわりついている部類のひとつである。ある意味では、これは理にかなっているともいえる。
2015-05-11 13:13:57なぜなら、感情に適用された評価的な用語は、感情に社会習慣上の機能と力を付与して、情動的な対話を通じて私たちのニーズと欲求を他者に伝えられるようにするからである。
2015-05-11 13:17:21感情(emotion)は単語の語源がまさに示唆するとおり、人々を動き出すように仕向けるもので、それにまとわりついた評価は、その動きがどの社会的方向性をとるべきなのかを指示するといえる。
2015-05-11 13:20:34ところが、言語的内容とのフュージョンがある状況では、こうした評価は、残念ながら社会的な機能を助けるだけにとどまらない。それは、内面世界との苦闘も促すようになる。その状況では、もしも不安が「悪い」と評価されるなら、不安の感情そのものが排除されるべきだと推測されることになるからだ。
2015-05-11 13:24:50苦痛な内容が表れた時、私たちは、ひとまず、それに対してどの姿勢をとるかを選ぶ。その時に、すぐにも「より良い気持ちになる」には、望まない私的出来事から逃げる、それを回避する、あるいはそれを抑制しようとするなどいくつかの方法がある。
2015-05-11 13:28:42そのようにして嫌悪的な感情、状況、または相互作用を逃れた時に得られる即座の安堵感は、あまりにも強力な強化子として作用するため、ほとんどすべての人がある程度は体験の回避をするといえる。
2015-05-11 13:32:25たとえ長期的な効果が目を背けたくなるようなものだったとしても、人間の行動は、やはり直後の随伴性に支配されるのである。体験の回避は、まさにこの種の行動的トラップのとてもわかりやすい例だといえる。
2015-05-11 13:38:03体験の回避には、注目すべき3つのコストが伴う。 第一に、今の瞬間が自分の(今まで生きてきた人生の)歴史とどのようにつながるかの認識との接触を弱めると、体験的な知性も弱めることになる。
2015-05-11 13:41:24自分の歴史とのつながりを保っている状態は、自分自身の行為をより意味づけられたものにして、何が機能していて何がしていないのかを読み取ることのできる文脈を作り出す。
2015-05-11 13:44:21たとえば、性的または身体的な虐待を受けた歴史を持つ人にとって、虐待の記憶を呼び起こす状況で神経質になるのは必ずしも機能的に【悪い】ことではない。
2015-05-11 13:46:59適切に扱われると、そうした神経質さは、さらなる虐待を回避する主な方法となるし、また、他者との間に信頼できて敬意を払える関係を持つことをどれほど深く価値づけているかをその人自身が認識する方法にもなる。
2015-05-11 13:49:45そうした感情は問題にもなる。たとえば、その人は、健全な親密さに対しても不安を感じるかもしれない。しかし、こうした感情を取り除いたりそれから逃れたりしようとすると、一方ではまた新たな虐待的関係に入り込むリスクを、他方で意味深い人間関係を結べなくなるリスクを、それぞれ冒すことになる。
2015-05-11 13:53:50矛盾したことに、こうした感情は、内容として強調され過ぎたとたんに、行動のための賢明な指針としてはもはや使えなくなるのである。
2015-05-11 13:56:13回避に伴う第二のコストは、回避に従事していることを、自分でさえ認識しないようになるかもしれない点である。それはつまり、本当に回避を望んでいるのかどうかを自分自身で検討する機会を失うことを意味する。
2015-05-11 14:09:37重篤なトラウマの歴史や解離的な対処行動を持つひとたちもそうだが、結果として、私たちは人生をあまり自発的にコントロールできなくなり、人生がそれほど自由ではなくなる。
2015-05-11 14:11:18第三に、回避は、よりポジティブで価値づけられたパターンに向けて行動を進化させるのを妨げるため、実生活にも二次的なダメージをもたらす。
2015-05-11 14:13:46感情を回避することで特定の行為や状況を回避することになる。ところが、ほとんどの場合に、成長、また価値に基づいた人生には回避することになった行為が必要となるため、そこへ向かうと回避した状況に再び出会うことになる。 (前掲書 pp.429-32)
2015-05-11 14:22:19この本は、ADHDを自称されているフォロワーさんたちには、恐らく既読の書でしょうから、そんなに引用しません。この図は、ACTで使われる「きれいな痛みときたない痛み」のメタファーの前ふりとして、upしておきます。(前掲書 p.143) pic.twitter.com/Ewn2zEWUpw
2015-05-21 12:47:32引っ張り出したついでに、これも。 【三つのR】 生活設計の見直し (Restructuring) 人間関係の見直し (Renegotiating) 自己イメージの作り直し (Redefining) ( 前掲書、p.240 以下参照のこと )
2015-05-21 13:01:09✄----------ウィリングネスでないことのコスト-------------✄ 痛みにはきれいなものときたないものがある。(以下、『ACT第2版』p.448- )
2015-05-23 02:58:16きれいな痛みは、人生の中で起きる実際の問題への反応として私たちが感じる元来の不快さである。それは必ずしも気分の良いものではないけれども、結局のところは通常で、自然で、健全な体験である。
2015-05-23 03:06:57きたない痛みは、きれいな痛みをコントロール、排除、または回避しようとして不必要にもがく中で感じる痛みである。この反応グループは、痛みに対するその人自身の評価を含む。
2015-05-23 03:10:15紙切れに円を書いてみてください。その円が、あなたが、今、人生で経験している痛みのすべてを表しているものと考えてください。そして、きれいな痛みから来ている苦痛の割合を、丸いケーキを切り分けるようにして示してほしいのです。 pic.twitter.com/Hm3FgjKHFD
2015-05-23 03:14:53円全体が苦悩の100%分だとしたら、そのうちの何%がきれいな痛みから来ていて、オリジナルのきれいな痛みの上に、どのくらいのきたない痛みを上乗せしているのかを示してください。
2015-05-23 03:18:53仮に、トラウマの体験が半分で、フラバや悪夢は、どちらに入れていいかわからないので、とりあえずは、きれいな痛みときたない痛みの比率を50%ずつとしてみましょう。
2015-05-23 03:22:52ここで、提案があります。 あなたの苦悩のレベルを半分に減らす方法があるとお伝えしたらいかがですか? 興味はおありですか?
2015-05-23 03:27:43取引はこうです。苦悩を半分にしたければ、きれいな痛みを、その通りのものとして受け容れることにウィリングネスでなければなりません。あなたの評価が伝えてくるものとして受け取るのではだめなのです。
2015-05-23 03:31:46あなたは、きれいな痛みそのものに対しては、一切コントロールできません。でも、きれいな痛みを、きたない痛みと混ぜ合わせるかどうかについては、コントロールできます。
2015-05-23 03:33:02あなたは、二つの大きなダイヤルがついたアンプを操作しています。 左側のダイヤルには、「個人史」とラベルがついていて、特定のレベルに固定されています。まったく回せません。 pic.twitter.com/SGfZW07gyI
2015-05-23 03:37:47右側のダイヤルは、「個人史をありのままに受け容れるウィリングネス」とラベルづけされていて、こちらはダイヤルを回して高くしたり低くしたりできます。
2015-05-23 03:39:27ウィリングネスのレベルを下げる方向へダイヤルを回すと、きたない痛みが高まります。ところが、ウィリングネスのレベルを高く設定すると、きたない痛みのレベルは下がります。
2015-05-23 03:42:07これまで、あなたは左側の個人史のダイヤルを回そうとしてエネルギーを投入して来ました。そうしている間は、調節できる2番目の設定があることを、忘れていたのです。
2015-05-23 03:45:01痛みに立ち向かって、開かれて好奇心のある姿勢でそれを検証し始めるときに、痛みははるかにやっかいではなくなる場合が多い。もちろん、そうならない時もある。いずれにしても、人生は広がる。(前掲書、 p.453)
2015-05-23 03:56:20クライエントは自分の個人史を置いてくることはできない。神経系は足し算で機能するので、過去に条件づけられた反応を学習から消し去ることはできない。
2015-05-23 03:59:44私たちにできるのは、古い反応の文脈的な意味を変容するような新しい反応を追加することだけである。 痛みそのものになるのではなくむしろ痛みを観察するようにするのは、痛みの内容の消去ではなく、文脈の移行になる。
2015-05-23 04:04:21これは、クライエント自身とクライエントが感じる痛みとの間の関係を位置づけし直す作業だといえる。 ACTでは、クライエントに、いわば痛みを持って「一緒に移動する」ようにしてほしいと考える。 「#鍵束を持ち歩く」メタファーは、この要点を物理的に伝える。
2015-05-23 04:10:08さて、あなたが持っている鍵束を、ちょっとお借りして、テーブルの上に置きます。これらの鍵が、あなたが今まで回避してきた事柄をそれぞれ代表すると考えてみましょう。 pic.twitter.com/nzVZV4pjkG
2015-05-23 04:20:43たとえば、左のは、あなたが感じている不安。真ん中のは、毒親に対する怒りとしましょう。・・・「この鍵束を、どうしますか?」
2015-05-23 04:24:33あなたが「置き去る」と答えたら、2つのことが起きます。第一に、あなたは本当に鍵を置いて来られているか繰り返し戻って来て確かめる自分に気がつくでしょう。すると、あなたは出かけられません。第二に、鍵がないと、人生はなかなか大変です。鍵なしでは開かないドアもあるかもしれません。
2015-05-23 04:31:49さて、鍵束をどうしますか? pic.twitter.com/00M1FAMZvb
2015-05-23 04:37:36「手に持ち歩くなんて、耐えられない」と、あなたの感情が言うとき、その感情は、たとえば、この鍵だとします。 さてさて、鍵束をどうしますか? pic.twitter.com/e7LHXF9uof
2015-05-23 04:43:05あなたが鍵を拾い上げたのなら、次の質問です。 今からどこへ行きますか? pic.twitter.com/GZYFltt9hz
2015-05-23 04:46:53