◼抜粋『校正のこころ 積極的受け身のすすめ 増補改訂第2版』大西寿男, 2009.12.10. 創元社 Q8(pp.208-9) 「フリーで月刊誌の校正をしています。差別表現にしょっちゅう出くわし、そのつど、編集者に問題提起をしているのですが、聞いてもらえません。どうすればいいでしょうか🥺」 pic.twitter.com/9OuH1g9R9t
2024-02-11 09:23:28校正の仕事の責任範囲をはっきりさせておきます。 あなたの仕事とあなた自身を守るために、差別表現をめぐる編集者とのやりとりを、記録に残らない口頭ではなく、ゲラへの書き込み、メールなどの文書などで行ったほうがいいでしょう。自分はちゃんと警告を発していた、という証拠を残しておきます。
2024-02-11 09:23:29あなたが孤立しないように、社内の他の編集者や校正者にゲラを見せて、意見を求めます。できるだけオープンな環境をつくり、編集長など上司に直接、相談します。 それでも問題が改善されない時には、なにも校正料とひきかえに、あなたの「校正のこころ」を売り渡してしまうことはありません。
2024-02-11 09:23:30月刊誌という定期収入源を失うことは大きいですが、それよりもあなたのストレスと心労のほうが勝るのなら、思い切って縁を切ったほうが得るものがある、と私は思います。 仕事を選ぼうと思えば選べるのがフリーの強みですからね。
2024-02-11 09:23:32納得できる仕事を重ねていく日々が未来への扉を開くのであって、不本意な仕事を続けていても、よいことはあまりないのではないでしょうか。 一時的に減収になっても、将来への投資と考えて、あなた自身の仕事を守っていってください☺️
2024-02-11 09:23:33Q7(pp.205-7) 「差別表現の言い換えは〈言葉狩り〉になりますか🤔」 差別表現を本として世に出すとは、巨大で凶悪な怪物を社会に放つようなものです。メディアとは、一つの権力にほかなりません。権力である以上、善悪を越えて、暴力性を常にうちに秘めていることは避けられないということです。
2024-02-11 09:23:34言葉狩りを否定する人は、それが暴力的な押しつけであり、表現の自由の権利を侵害する、というでしょう。またある人は、特定のイデオロギー集団からの恣意的な攻撃だというでしょう。 しかし、まったく同じ論理でもって、差別表現を糾弾することはできるのです。
2024-02-11 09:23:35つまり、差別表現は、被差別者への暴力的な押しつけであり、基本的人権と人間の尊厳を侵害するものであって、特定の共同体からの恣意的な攻撃であり、表現の自由というだれもが反対できない正義を掲げて、真の差別意識を覆い隠すものだ、と。 これでは、解決はもちろん、歩み寄りも建設的な和解への
2024-02-11 09:23:36道筋も描けるはずはありません。 この相克を克服するためには、もっと別の論理が必要です。前提条件は、あらゆる人間がいついかなる時でも、ほかならぬこの自分が差別し、差別される可能性があるということを、だれもが共通の認識としてもつことです。
2024-02-11 09:23:37差別問題は、被差別者の言葉だけでは解決できません。差別者の言葉だけでも解決できません。その両方の言葉がそれぞれのうちに秘めるものを、一人ひとりの人間がどれほど深く認識し合えるかにかかっています。 x.com/chokusenhikaem…
2024-02-11 09:23:39(書評・藤田結子) 著者は、無知が人種差別思想を生み出し、それを信じる人々が人種差別政策を生んだ、という説を否定する。現実はその逆で、人々が政治的・経済的な利己主義から人種差別政策を実施し、それを正当化する人種差別思想が生まれ、無知や憎悪を生んだという。 asahi.com/articles/DA3S1…
2024-02-10 05:52:15差別者と被差別者の境界をうやむやにして、差別者の責任をあいまいにするようなごまかしとは正反対の痛みを伴います。 差別こそが優越感と劣等感を生み出すのであって、優越感と劣等感が差別を生み出すのではありません。 x.com/chokusenhikaem…
2024-02-11 09:23:40政策→思想→無知の関係が米国の歴史を動かしてきたのだ。そうであれば、是正勧告や教育では人種差別はなくならない。反人種差別に尽力する人々が権限を掌握・維持するしかない、と訴える。 netflix.com/jp/title/81321…
2024-02-10 05:52:15差別への衝動は生理的な嫌悪感と分かちがたく結びついています。異物を排除しようとする強烈な嫌悪感です。嫌悪感は自他に境界を引き壁を築くだけでなく、そこに優劣を持ち込んで、嫌悪を快感へと転換させようとします。破壊と支配への快感です。差別への衝動は、破壊を呼び寄せて暴力を産み出します。
2024-02-11 09:23:41差別への衝動と同じく、人はみな破壊への衝動を秘めています。差別と破壊が結びついて生まれた暴力は、相手を圧倒的に自分より劣っている、あるいは逆に勝っていると見なした時、暴力をふるわれて当然と正当化される時に、牙をむきます。x.com/kirikousaito/s…
2024-02-11 09:23:43子ども含む50人のパレスチナ人を殺したと嬉しそうに話すイスラエル兵。 #日本語字幕付き #パレスチナ I don’t know what to say. pic.twitter.com/DDp7RQhz1z twitter.com/hamzah_1948/st…
2024-02-06 22:58:21ここまで考えてきて、差別用語の言い換えがなんの問題の解決にもならないことは、明白でしょう。根はもっと深く、社会の根底に張り巡らされているのです。 x.com/chokusenhikaem…
2024-02-11 09:23:44Kendi, I.X. 批判的人種理論(Critical Race Theory=CRT) 保護者も教育者も、子どもにとって人種差別を学ぶことがいかに重要かを、まず認識すべきだ。黒人の子どもが自分の肌の色に何の落ち度もない、ということを学ばなければ、社会に出て誤った考え方に陥る。 x.com/asahi_globe/st…
2024-02-10 06:02:27反差別は反暴力につながります。反暴力は非暴力を導きます。そして、非暴力は創造へと還り、平和を希求します。平和を希求する人間は、自らの痛みを、他者の痛みへの想像力に変えうる人間です。 あなたは、みずから痛んでいると認める勇気を持っているでしょうか? x.com/chokusenhikaem…
2024-02-11 09:23:45私たちは外見の違う人に会い、その人について知るべきなのだ。同じ外見の人の場合と同じように接するべきなのだ。それこそが、反人種差別主義者である、ということだ。自分の国にどうやってより平等をもたらすかをだれもが考える必要がある。(聞き手・望月洋嗣)
2024-02-10 06:04:14その自己認識から、すべての想像力はきっと始まるのです。 私たちは、自分自身を孤立させて自暴自棄に走らせてはなりません。ありのままの自分の姿を認めることを、ありのままの他者の姿を認める連帯へと、転換させていこうではありませんか。
2024-02-11 09:23:46校正の仕事は、言葉のいのちを全うさせる仕事です。言葉は、相手に充分受け止められて、はじめてそのいのちを成就させます。 Q6(pp.202-4) 「言葉の自律性を支援するというお話でしたが、差別表現、ポルノや暴力描写も支援しなければいけないのですか🤔」
2024-02-11 09:23:47言葉には独り善がりな力が働いており、これをそのまま援助すれば自己満足的な本になります。それを防ぐには、受け手である読者の側、つまり結果の側から言葉に問うことを、校正者はしなければなりません。「受け手である読者」の中にどれだけ多様な人の心を含められるかが校正者の踏ん張りどころです。
2024-02-11 09:23:48創作者と受け手を結ぶ、秘め事のように隠微な了解への衝動には、言葉の持つ排他的な魔力が潜んでいます。この言葉の仕組みが、差別や暴力の構図を社会に定着させるのだといえます。個人のうちにひっそりと潜むだけだったはずの差別や暴力への衝動が、言葉の持つ排他的な魔力に導かれて、
2024-02-11 09:23:49一気に社会的な怪物となって立ち現れてきます。 校正の仕事は、それが世に出る前に、いったいどれだけの被害が予想されるかシビアに想定して、メディアである出版社が怪物をどのように御するつもりなのか、問いただしておかなければなりません。 x.com/FoxNews/status…
2024-02-11 09:23:50Curtis Sliwa slams NYC mayor for shocking migrant attack on NYPD trib.al/m8nyd9e
2024-02-02 04:20:40この怪物はあまりに巨大で凶悪なため、つねに想定を上回る破壊力をもっていると考えておく必要があります。いったん立ち現れてしまった怪物は、産みの親である著者や育ての親である編集者でさえ、コントロールのきかないものです。 x.com/ndrew_lawrence…
2024-02-11 09:23:52what the fuck did i just watch pic.twitter.com/FxVUPmEDte
2024-02-07 11:52:04けれども、方法はあります。言葉が怪物となる前に、さまざまな角度から別の言葉の光を浴びせ、怪物の危険をはらむ言葉と対話させるのです。対話こそが、排他的な言葉の呪縛を解き放ちます。少なくとも、自分がいま何を言っているのか、これから何をしようとしているのか、言葉自身がはっきりと
2024-02-11 09:23:53意識化する貴重な契機となります。言ってしまってから〈こんなはずじゃなかった〉と、後戻りのできない後悔を重ねるのではなく、逃げずに、きちんと結果を引き受けることができるように、言葉自身がみずからの姿を直視しておくことは非常に大切です。 asahi.com/articles/ASS29…
2024-02-11 09:41:09校正者には怪物を引き留める力はなくとも、対話の力によって言葉にとっての鏡を用意することはできるのです。 しかし、対話には細心の注意が必要です。相手が対話を望まないことはいくらもあります。対話に失敗した結果、言葉がより一層かたくなに閉じてしまうおそれもあります。
2024-02-11 09:41:53守るべきことは、どんな言葉であっても、その心に真摯に耳を傾けて、けっして頭から否定したり拒絶しないことです。荒れ狂った怨嗟のように相手の言葉が対話を拒むのであれば、なおさら校正者は言葉に信を置かなければなりません。 x.com/NatsukiYasuda/…
2024-02-11 09:42:44「杉田氏が今後、同じような過ちを大切な人に対してしないで欲しいと心から願っています」 杉田水脈氏を提訴した際の、伊藤詩織さんの意見陳述全文です。 杉田氏の敗訴がようやく、確定。 d4p.world/news/7276/
2024-02-09 16:17:35あらゆる人の心に、あなたの心にも怪物は潜んでいます。校正者はあらゆる言葉の存在と自律性を尊重します。そこに例外はありません。 Q5(pp.200-2) 「言葉についてのセンスを磨くためには何に気をつければよいですか🙄」 言葉についてのセンスは、どれだけその人が〈生きた言葉〉に立ち会ってきたか
2024-02-11 09:49:35にかかっていると私は思っています。 いちばん大切なのは、言葉の息づかいを感じることです。言葉をただコミュニケーションのための記号(道具)と見なさずに、その生まれてきた道筋を想像することです。 他人の言葉を受けて、自分の中にどんな言葉が生まれてきたか、よく吟味してみてください。
2024-02-11 09:54:17このとき誤解しないように気をつけるべきことは、「言葉にしたとたん、言葉は嘘になる」というジレンマです。 逆に言えば、一つの言葉には、その言葉が切り捨ててきた幾千万もの思いが背負われてある、ということです。 x.com/menherashoujo/…
2024-02-11 10:09:13言葉はしょせん、言葉なのです。しかし、この「しょせん」という一言には、底なしの裂け目を覗き込むような、恐ろしいまでの奥深さがあることを感じて下さい。これは創作の言葉についても実体験の言葉についても同じことです。 x.com/menherashoujo/…
2024-02-11 10:14:54言葉には、さまざまな顔やかたち、声があります。思わず踊りだしたくなるような歓声もあれば、ほとんど聞き取れない内省的な独り言もあります。切り裂くように冷徹で分析的な声もあれば、激昂に身を震わせる憤怒の叫びもあります。 x.com/NourNaim88/sta…
2024-02-11 10:33:39"Her dream was to be a doctor and to return home!" Hind's mother speaks about her 6-year-old daughter, who was failed by the world. #Gaza_Genocide pic.twitter.com/FTqaZIuJ32
2024-02-11 06:34:39言葉はときに痛く、ときに心地よく、ときにつらく、ときに楽しく響きます。あなたがもし〈生きた言葉〉に触れたいと願うなら、あなたは言葉によってみずからが揺り動かされることをおそれてはいけません。 x.com/Timesofgaza/st…
2024-02-11 10:34:24Watch: Faisal Al-Khaldi describes how his father and mother were murdered by IOF soldiers in front of his very eyes. pic.twitter.com/V4Er6TziZ7
2024-02-11 08:13:00あなたの中で体験を歴史化するのです。歴史とはつまり物語であり、主観的事実にほかなりません。あなたはあなたの言葉の世界を生きると同時に、他者の言葉の世界をも生きるのです。他者の言葉は、あなたの言葉の狭さや偏りを正してくれます。 x.com/menherashoujo/…
2024-02-11 10:41:39他者の言葉に深い興味と敬意をもって耳を傾けること…それが、校正者にとってのみならず、人間にとって言葉のセンスを磨き、豊かにする唯一の近道です。
2024-02-11 10:45:55p.54 言葉と向かい合う校正者はある大きな困難に直面します。それは、言葉が秘めもつ自律性には常に独り善がりな力が働いているために、それをそのまま援助すれば、読者に言葉が届かない自己満足的な本ができあがってしまうという矛盾と葛藤です。
2024-02-11 18:37:26言葉には相反する二つの力が働いています。一つはできるだけ多く、できるだけ遠く、不特定の読者のもとへ届こうとする力。もう一つはごく限られた読者にのみ受けとめてもらおうとする排他的な力。どちらの力の一方が欠けても、言葉は成り立ちません。書き言葉だけではなく、日常の話し言葉も同じです。
2024-02-11 18:42:37校正者は、この相反する言葉の二つの力のバランスを常に意識する必要があります。そのとき頼りになる鍵が、何がどうあれば効果的かつ正確に読者に届くかという判断基準と、言葉の持つ色合い、体温、手触りにどこまでも即すという、言葉の自律性の尊重です。
2024-02-11 19:04:49校正者自身が相反する二つの方向からの読みに同時に立つ。校正者自身のアンビバレントなバランスの上で、言葉による表現への問いかけをできるだけたくさん、多様に自らの血肉のうちに準備し、財産として持っていること。AかもしれないしBかもしれない。しかしここはCであるべきだと把握できる間隔。
2024-02-11 19:10:31辞書や資料にあたるのは、ただ一つの正解を求めるためではなく、この言葉に対する問いかけや感覚を豊かで柔軟なものにするためにおこなう経験の作業です。そのことを忘れての資料収集や疑問出しは、校正者の自己満足におちいる危険があることをいつも心にとどめておかねばなりません。
2024-02-11 19:16:57校正と他職種との決定的な違いは裁量権、自己決定権の有無です。校正者は原稿やゲラに勝手に赤字を入れることはできないという原則、そして、校正者はみずから新しく何かを生み出すのではなく、あくまで著者の創造物が完全なものとなるよう援助する態度。
2024-02-11 19:27:25そしてもう一つ画然とした違いは、その仕事が人間を相手にするのか人間でない何かを相手にするかの差です。 校正者が向かい合うのは、基本的に原稿とゲラのみです。あくまでも対象は純粋に言葉そのものです。校正者が編集者をとびこして著者と直接打ち合わせをしたり、製作の分野にタッチして
2024-02-11 19:32:14レイアウトを変更したりすることはできません。してはならないのです。校正者が受け身に徹することにはたいへん重要な意味がこめられています。 編集者の読みには、著者と読者の顔が見え、肉声が聞こえていなければなりません。校正者の読みは、生身の人間のいっさい介在しない世界です。
2024-02-11 19:36:56言葉を生み出したのは著者という生身の人間ですが、生み出された言葉はすでに著者の胎内から外界へと、自律の一歩を踏み出しています。校正者は一つの人格として言葉と向かい合うことではじめて言葉に内在する真の声に、積極的に傾聴する(active listening)ことができるのです。
2024-02-11 19:42:52編集者との打ち合わせで、校正者は出版の意図を理解しています。どこに校正の力点を置くか、編集サイドからのリクエストも把握しています。なおかつ校正者はゲラの言葉に耳を傾ける際には、著者・編集者・読者などあらゆる人間の存在を消し去らねばなりません。
2024-02-11 19:46:49もし校正者の読みに、第三者の肉声が混入してきたなら、生まれたばかりの言葉の産声、叫びを見失ってしまいます。校正者には第三者を抜きにして言葉に寄り添い、その成長と独立を見守ることが求められます。 編集者の読みは、いまだ言葉として生み出されていない〈いのち〉を、著者に直接働きかけ、
2024-02-11 19:51:06著者と一緒に新たな言葉として生み出すことができます。編集者には「編集」という名の加筆訂正や削除、本の構成(組み立て)を変更する裁量権があり、著者に直接、大幅な加筆や書き替えを提案することが許されています。しかし、校正者の読みは、現にゲラにある言葉の中で完結するものです。
2024-02-11 19:55:16ゲラに書かれていない言葉は相手にする(存在させる)ことはできません。できるのは、目の前にある言葉をより生き生きとあるべき姿にするため、誤りを正したり、かたちを整えたり、疑問や対案を提示することだけです。 編集・校正・製作・印刷・製本という工程を経てはじめて言葉は本という肉体を
2024-02-11 20:00:07持って読者の前に立つことができるのです。編集者を抜きにして校正の仕事はありえません。書き上げられたばかりの原稿をぽんと手渡されて校正しろと言われても、できないのです。なぜなら、そこにはどんな本の形にするかの見取り図がないからです。
2024-02-11 20:03:38校正者が受け身の立場に徹するとは、編集者を介して、ゲラの言葉との一対一の信頼関係を築くのに不可欠な条件です。単なる受動ではなく、校正者が積極的に主体性を持って受け身となって言葉に寄り添い、言葉の自律性を尊重し、支え、援助する受け身であることを積極的受け身と呼びたいと思います。
2024-02-11 20:08:34p.68 校正者の辞書に〈完全〉という言葉はありません。校正は絶対性が支配する世界にあるのではなく、常に揺れ動く相対性の世界に生きる営みだからです。 「これだけの時間しか与えられないなら、これだけの校正しかできません」と、予め自分の仕事の責任範囲を明確にしておくのがプロの仕事です。
2024-02-11 20:14:25人間の営みとして出版活動があるかぎり、相対性の必然はけっして動かない。校正者も含めだれ一人としてそこから逃れることはできません。 言葉・本というものは「ある時」「ある場所」「ある相手」の三つの必然がそろってはじめて生まれてきます。言葉が存在するのに言葉だけではたりないのです。
2024-02-11 20:19:54