本田一成著、新評論、2019.2.25
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会社側が食堂の使用を禁止した。そこで、食料庫から食材を運び出し、女達が交代で料理番を務めることになった。調理場は男子寮の廊下にあった。p.54 pic.twitter.com/YcCAEQsEUC

2019-07-23 06:54:36
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富士宮支部の食事風景。本社から遠いせいか、当初、富士宮工場では食堂の使用制限が緩かった。ハチマキをしたまま食卓につく女達の笑顔がはじけている。p.55 pic.twitter.com/d0YlixN3ug

2019-07-23 07:03:22
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富士宮工場の正門前。争議前は、「ピケを張る」ことなど、誰も予想していなかった。全繊同盟の指導よろしく10列に並び、スクラムを組み、労働歌をうたう。隣同士でおしゃべりする者、ほほえむ者、真剣な顔つきの者、…労働運動に無縁だった若者たちが様々な表情を見せた。p.56 pic.twitter.com/YslbOIDYC2

2019-07-23 07:09:49
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(上) 東京支部は、8月中旬以降の第2次スト体制下でピケを敢行。 組合員16人に富士宮支部から応援45人が加わり、24時間体制で2列でスクラムを組み労働歌をうたう。 (下) 入口に声明文を貼る。営業所は従業員数が少ないため、労使の板挟みは過酷となり、自殺者3人のうち2名は東京支部の役員だった。 pic.twitter.com/ZF9QtXLhJs

2019-07-23 07:21:17
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(1枚目) 津工場第二組合のメンバーが、塀の外から内側にいる若者たちに「一緒にひどい会社と闘おう!」と新組合への加入を懸命に訴える。 (2枚目) しばらくすると、一人、また一人と塀を乗り越えて外へ出てきた。第二組合側はどっと沸き、拍手で迎える。組織の力は着実に伸びていった。 前掲書 p.60 pic.twitter.com/iczkRV7BTl

2019-07-23 07:30:20
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「北海道の暴力団が彦根工場に向かっている」という情報を滋賀県警がキャッチした。列車の到着時間が特定できたところで、直ちに彦根警察署員が工場に動員され、警戒態勢をとった。ただならぬ事態に新聞記者たちも集まってきた。もちろんピケ破り目的の会社側の差し金であった。p.65 pic.twitter.com/5sCahgEYCz

2019-07-23 07:36:48
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富士宮工場の正門では、出荷強行を身を挺して阻止しようと、組合員たちが人壁を作った。だが、警官隊500人による容赦ない弾圧に遭い、30数名の負傷者が出た。この不当弾圧を目撃した約1000人の市民が富士宮警察署に急行して取り囲み、投石で窓ガラス約300枚を割って、ジープをひっくり返した。p.67 pic.twitter.com/18240mYW8G

2019-07-23 07:43:16
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6月13日、市中デモへ出かけようとしていた彦根支部に、鐘紡労組から大量の握り飯の差し入れが届いた。同士たちからの友情の証に「ワッ!」と歓声が沸いた。今日は何も口にできないだろうと思っていた女性組合員、少し涙が混じったこの塩味を一生忘れない。p.68 #カネボウ pic.twitter.com/c6uYfDzLw6

2019-07-23 07:53:55
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(1枚目) 中津川支部では、提灯行列を模して楽しさも盛り込んだデモを実施。はつらつとした笑顔も見え、普段のデモより活気と華が感じられる。 (2枚目) 彦根支部が京都まで出てきて募金活動。胸には新組合のシンボルマーク。横でメガホンを握るのは、支援に駆けつけた全繊同盟京都府支部の役員達。 pic.twitter.com/xPQ2flXj8W

2019-07-23 08:11:27
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彦根支部に、執行官がロックアウトの強制執行のために作業員を引き連れて来て、杭打ちをした。柵の外にいる女性組合員は無邪気に手を振る。これまで報道陣からカメラを向けられた経験などないから、笑うしかない。しかし、これで工場内の移動が大きく制限され、労組にとって非常に不利な状況となった。 pic.twitter.com/PFpc7ljPpN

2019-07-23 08:19:20
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地裁の仮処分が大阪高裁で覆り、彦根支部でのロックアウトの解除が決まった。1954年、7月20日、再び地裁から執行官たちがやって来て、ゆっくりと杭や柵の撤去作業を始める。焦れた男性組合員たちがたまらず手を出し、「もういいよ、俺たちでやるよ」と、勝手に柵の撤去をはじめる。P.81 pic.twitter.com/2nwc2TDFYy

2019-07-23 08:25:38
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三ヶ月を超えた1954年9月16日、中央労働委員会のあっせん案を労使が受諾し、協定書に調印したことで争議は近江絹糸労組の勝利に終わった。  この中労委のあっせん案は第三次となるもので、二度のあっせん案をもってしても、労使には解決の兆しが全く見えないまま激しく争っていたのである。

2019-07-23 08:32:42
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このため近江絹糸労組は、長期闘争体制の確立を目指しつつも、解決の糸口を探しながら、各地で真相発表会を開催したり、労働者、通産省、人権擁護局、国会、首相官邸などへの陳情を続けた。労組の陳情先は大株主である銀行にまで及び、6月中旬になると、まず労働大臣が調停に乗り出して、財界代表の

2019-07-23 08:40:26
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勧業銀行の頭取、三菱銀行の頭取、同和鉱業の副社長という3人にあっせんを依頼している。これによって夏川嘉久次社長の態度は軟化したが、それもつかの間で、ピケを解くことに固執して再び強気の姿勢に戻り、この財界あっせん案を蹴っている。そのため、7月中旬に労働大臣は中労委へ調停を依頼した。

2019-07-23 08:46:50
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7月26日、中労委は労使双方へ5日間の争議休止を行い、休戦期間は労組がピケを解き、会社が物資搬入をやめて労使代表者会談を開くことを提示した。当初、夏川嘉久次社長が無条件で受諾したため、解決が期待されることになった。  しかし、7月29日の予備会談で早くも労使が対立し、夏川嘉久次社長が

2019-07-23 08:54:08
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全繊同盟の排除に固執したほか、最後は会談を欠席した。このため中労委は、争議休止2日間を追加して個別交渉に入り、あっせん案を提示した。  この第1次あっせん案は、要求に対する具体的な解決や一年契約者の待遇改善に触れられておらず、御用組合を否定していないなど不満足な内容であったため、

2019-07-23 09:02:56
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全繊同盟会長の滝田実が中労委へ抗議しているが変更されることはなかった。近江絹糸労組は失望し、全繊同盟も内部で受諾拒否論が湧き上がった。滝田実は最終的に苦渋の決断で受諾に踏み切ったが、このあっせん案による協定書の調印直後に行われた団交で、就労日時などが理由で紛糾し、会社側は以後の

2019-07-23 09:09:55
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団交を拒否することになった。これを受けて労組は、再度闘争体制の確立を急ぐことになった。8月7日、就労を見通して早朝の闘争体制解除を指令した近江絹糸労組と全繊同盟は、同じ日に闘争体制の確立を指令することとなった。人権争議が就労闘争に切り替わった瞬間である。

2019-07-23 09:14:12
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労組側は、不誠実団交を続ける会社側に見切りをつけて団交を打ち切り、ILO提訴を含む国際的な視野による争議戦術に切り替えた。中労委は、8月11日、労使個別に折衝したあとに、就労開始、給食開始、組合員への立ち上がり資金支給などを骨子とする第二次あっせん案を提示した。

2019-07-23 09:20:46
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8月13日、第二次あっせん案の拒否が決まって争議再開が宣言されると、中津川支部での77時間に及ぶハンストは中止された。他方で労組側は7月末、第19回国会衆議院労働委員会において、3日間にわたって近江絹糸労組の各支部代表者が参考人証言席に立っている。 pic.twitter.com/BblvcdzTfz

2019-07-23 09:33:59
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労働委員会は、近江絹糸に関する事実調査に基づいて基本的人権の侵害、「労働組合法」および「労働基準法」違反が認められ、厳重な処置と監督を求め、速やかな争議解決について決議した。そして8月19日、日本紡績協会に近江錦糸の除名と原綿割当停止を申し入れた後、近江錦糸糾弾地方大会を全国の

2019-07-23 09:40:09
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十数か所で大規模開催して、合計6万人を集めるなどデモ活動に邁進した。また、国内外の友誼団体を通じて、近江錦糸製品のボイコットも要請している。海員組合は製品輸出の船積みを拒否した。総評加盟労組も、会社側の輸送活動や生徒の就職阻止などを行って協力した。

2019-07-23 09:48:13
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全繊同盟は、人権争議中、総評系労組を排除したとされているが、争議現場に入る共闘は拒絶しながらも、第二次あっせん案拒否後には、カンパを含めて間接的な支援を受け入れていた。さらに、国際自由労連、国際繊維労組同盟、英国繊維工場労働者組合、英国労働党議員ら海外勢の支援者たちが続々と来日し

2019-07-23 09:54:54
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巨額のカンパを行っている。  これらの争議戦術で会社側は大きな損害を負い、夏川嘉久次社長の強気な姿勢がようやく崩れ始めた。9月4日、なんと、会社側が中労委へあっせんを依頼したのである。9月8日、この動きを得て全繊同盟は中労委へあっせん申請を行い、三度目のあっせん案へと駒を進めた。

2019-07-23 10:04:09
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9月12日、第三次あっせん案が提示され、翌13日には、全繊同盟が緊急中央執行委員会で労組の勝利であることを確認して受諾を決定した。その夜、近江錦糸労組も中央執行委員会で受諾を決定して、9月14日以降は各支部への説明と意思確認に入った。9月16日、全支部受諾報告を受けた全繊同盟は中労委へ

2019-07-23 10:10:37
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受諾回答を行った。同日、あっせん案協定書に滝田実、渡辺三郎、夏川嘉久次の3者が調印し、労組の勝利解決となった。各支部は、翌17日の操業再開に向けて就労準備に入った。 (3枚目) 調印の翌日、生産再開の朝、中津川支部にて。 pic.twitter.com/1CSxEB0D8e

2019-07-23 10:18:16
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近江絹糸人権争議中、3名の自死犠牲者を出し、組合員たちは3度の葬儀に参列した。最後の犠牲者、東京支部副支部長の川又きみは寮で服毒自殺を図った。人望あるリーダーで、つい先日、東京支部代表参考人として衆議院労働委員会で快活に意見を述べたばかりだった。東京支部長田所光男宛の遺書には、 pic.twitter.com/egsMZkexzN

2019-07-23 10:28:17
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「夏川一族を倒すまでがんばって下さい」とあった。小規模な営業所では、少人数の労使双方の間で個人が押しつぶされた。 (1枚目) 9月8日、五反田の池田寮で営まれた川又きみの葬儀において、無言でうつむく女性組合員たち。 (2枚目) あと1周間で争議が解決する所まで来ていたのに。出棺の時。

2019-07-23 10:41:50
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1954年9月12日22時5分、中労委にて労使双方に第3次あっせん案が提示された。全繊同盟と近江錦糸労使が受諾の態度を決し、あっせん案が各支部に持ち帰られた。全支部の受諾率は91.1%であった。写真は、第3次あっせん案の説明を受ける中津川支部の組合員。この後、挙手で受諾を採択した。p.104 pic.twitter.com/hBvI7WfId0

2019-07-23 10:48:59
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(1枚目) 彦根支部はこの夜、ファイヤーストームで勝利を祝い、気持ちの区切りをつけた。会社が支給し、若者たちの行動を縛ってきた忌々しい「鑑」手帳がすべて焼き捨てられた。 (2枚目) 大垣支部では、腕を突き上げて生産再開を宣言。 pic.twitter.com/biZwSTMuTv

2019-07-23 10:58:42
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1946年7月に全繊同盟は結成されている。各地繊維連合会の全国連合体で、結成当時から総同盟に加盟していたが、1950年10月、総評(日本労働組合総評議会。GHQの意向で当初は労働組合主義や共産党排除を標榜し、多くの産別組合が参加した)へ加盟したことで総同盟から脱退している。

2019-07-23 11:06:59
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だが、左傾化の著しい総評を批判し、1953年11月に総評を脱退し、1954年4月に全労会議(全日本労働組合会議)を結成した。全繊同盟と言えば、1964年にナショナルセンター同盟(全日本労働総同盟。労働運動では総評と対抗し、民社党を支持した)を結成した盟主であり、総評と直接に対立する同盟路線の中心に

2019-07-23 11:13:49
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あった。だが力量評価では未熟さも目立ったし、人権争議の経験と教訓こそが、のちの財産となった。全繊同盟の会長であった滝田実は、労組内部からもっと激しい闘争を求められて何度も吊るし上げられたうえ、暴漢から二度も命を狙われている。

2019-07-23 11:20:14
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(1枚目) 全繊同盟初代会長松岡駒吉は1947年4月の第23回衆議院選挙に当選し、衆議院議長に就任した。同4月の第1回参院選では赤松常子が当選した。 (2枚目) 彦根支部にて労働歌を学ぶ女性組員を見つめる赤松。 (3枚目) 津支部の工場の外からハンドマイクで支援演説をする赤松。pp.120-3 pic.twitter.com/iTrqnziegR

2019-07-23 11:27:01
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(1枚目) 真相発表会が開かれる東京に向けて新橋に到着した富士宮支部の組合員たちに緊張が走る。 (2枚目) 全繊同盟歓迎コーラス本番の日。田んぼの中に建設された津工場付近へ集まってくる組合員たち (3枚目) 津支部の組合員が、向かい側にいる全繊同盟への感謝を込めて、練習してきた歌声を披露する pic.twitter.com/WtmPcH1IVo

2019-07-23 11:37:11
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(1枚目) 全繊同盟は工場労働者を励ますため、セスナ機を手配して激励ビラをまいた。1954年6月9日、彦根上空から5万枚を配布。会社側も対抗して全繊同盟を中傷するビラをセスナでまくが、全繊同盟はそれに倍返ししていった。 (2枚目) 1955年、海外組織から届いた支援資金で街宣カーを購入し10年使う。 pic.twitter.com/4TwxbtwCpM

2019-07-23 11:45:57
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(1枚目) 6月25日、大垣支部を訪れて応援演説を行う浅沼稲次郎。 (2枚目) 岸和田支部にて。日本毛織加印工場労組から差し入れ。 (3枚目) 1954年7月19日、国際自由労連(ICFTU)執行委員ボーレが彦根支部で激励。 (4枚目) 全繊同盟の上部組合の国際繊維労組同盟(IFTWA)書記長グリーンホールは10月に来日。 pic.twitter.com/GVKFbEDlqx

2019-07-23 11:57:47
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会社側は組合員の家族宛てに、「お子さんは全繊同盟にだまされている」「風紀が乱れており妊娠している」「争議で借金を背負うことになる」などと記した手紙や電報を大量に発送した。 (1枚目) 各家庭に組合員が出向いて親に真相を話す (2枚目) 会社側の「風紀デマ」を問題にして団交を要求する長浜支部 pic.twitter.com/TWsWMotQoN

2019-07-23 12:06:32
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近江錦糸労組は大幅な賃上げと一時金の獲得、工員呼称の廃止や制服の全社員統一、一年契約者の雇用保障と制度撤廃、深夜労働の中止、舎監制度の廃止などの課題を解決していった。だが、その間に夏川一族と銀行関連役員との確執が生じていた。繊維不況が厳しくなり、合理化が現実化していくなかで、

2019-07-23 12:16:58
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この対立構造が飛び火する形で近江錦糸労組を襲った。1956年11月以来大銀行による経営支配となっていた近江錦糸の経営権を公正取引委員会が取り上げた。すると夏川嘉久次前社長の排斥の是非をめぐって労組分裂の芽が生まれた。1957年5月に開催された第3会定期大会で、支持政党議案で共産党を支持しない

2019-07-23 12:24:16
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旨の明記をめぐって激しく意見が対立した。その結果、共産党支持者が現出する形で派閥を生み、社会党支持の本部派と反本部派の色分けが明らかになった。1957年5月22日、公正取引委員会が銀行側の介入を独禁法違反とする審決を出した。これによって、銀行団は手を引いた。しかし会社の危機は深まった。

2019-07-23 12:29:31
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すると企業防衛を旗印として、夏川嘉久次の復帰を主張する再建派が公然と本部派に反旗を翻して活動を始めた。いわゆる、企業再建闘争である。全支部において再建派が誕生し、小競り合いが頻発した。企業再建闘争に入ると、人権争議の時には協力を惜しまなかった各支部の地元住民の態度が変わり始めた。

2019-07-23 12:38:19
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企業再建闘争という名の闘いに抗うほうの労組は、どうしても正義と見なされず、本部派にとっては不利となった。泥沼化した「労労関係」だが、予想外の方法で収束した。1958年3月、全繊同盟と会社側は、中労委員長の立ち会いのもと、全繊同盟を唯一の交渉相手として全面操業を図る協定を締結した。

2019-07-23 12:44:30
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近江錦糸労組にとっては、頭ごなしの措置によって会社側との交渉権を失うことになった。全繊同盟側は、本部派組合長である渡辺三郎の名前で調印しておらず、決して再建派を外すのではなく、近江錦糸労組は全繊同盟を通じて交渉する、と表明した。このため両派痛み分けで労組一本化を実現しない限り、

2019-07-23 12:50:16
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実質的な労組機能を失う事態に陥ることになる。大きなしこりを残したまま、労組再統一へ多難な歩みを始めた。両派は、統一のための委員会の設置、現場の吊るし上げの即刻中止、両派の情報ルートの統一を決めた。1958年10月に統一大会を開催し、労組再統一を実現。夏川嘉久次は1959年4月8日急逝した。 pic.twitter.com/TomSNALa8S

2019-07-23 12:59:08
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1960年6月、全繊同盟の働きかけを受け入れた近江錦糸労組が臨時大会を開催し、会社側との交渉権の返還を決定し、労組の自主機能が約2年ぶりに回復した。  全繊同盟は、近江錦糸労組の左傾化を封殺してきたことになる。だから、近江絹糸人権争議は一般に勝利解決と位置づけられながらも、一部では

2019-07-23 13:04:59