父の恩人である酒田市農協組合長水越主基さんの本。非売品。 私も水越さんの想いを引継ぎたいと願っています。
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遠田大亮 @DaisukeEnta

流れて来るけれど惰性のようなもので勢いがない、堰にはアゲといって板を張って堰止め、目張りといって一滴の水も漏らすまいと泥で隙間を塞ぐのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-11 16:56:16
遠田大亮 @DaisukeEnta

それでもチョロチョロと入ればよいでのあるが、自ずと時間が掛かり、時々夜の十二時 過ぎに起きて見回るのであった。その時暗いので、水の入り具合を見るために、クローバーの白い花を千切って流して見るのであった。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-11 16:57:12
遠田大亮 @DaisukeEnta

そんなに苦労しても田んぼの尻には届かず、干ばつの年は稲に勢いがなく倒れたので、税務署の評価では上田と評価された割には収穫は少なかった。 亀ヶ崎今昔物語水越主基 pic.twitter.com/tx4lGCCGOY

2024-02-11 16:58:39
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遠田大亮 @DaisukeEnta

昭和四十三年(一九六八)白糸の滝の所より流れる草薙隧道の国営疎水工事が完成し、 遙か我が末流の田んぼにも届いた。それまでの難儀はウソのようで、最上川の水は昼夜の別なく流れて来たのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-11 17:04:17
遠田大亮 @DaisukeEnta

やっと上流の田んぼの人をうらやみ、そして早く下に流して くれと懇願しへりくだり、下流の人に気を使わなくてもよくなり、重荷になっていたストレスの一つが無くなったのである。その年から稲も上出来で、田んぼの尻の方の桿もいきいきとし、晴れやかにみえた。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-11 17:04:47
遠田大亮 @DaisukeEnta

にもかかわらず、夢に見た疎水工事の喜びの余韻いまだ醒めやらぬうちに、耕作者の心が揺れてきたとは、人一倍苦労してやっとそれより開放された者にとっては、住宅地に変えることを納得するまではかなりの時間が必要であったのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-11 17:05:16
遠田大亮 @DaisukeEnta

昭和五十三年(一九七八)亀ヶ崎土地区画整理組合として発足し、酒田市始まって以来の最大の宅地造成事業であった。みずほ一丁目・二丁目、松原南の住宅街の中に、中学校、小学校、そしてケヤキ並木のみずほ通りの商店街、住む人に夢を持たせる土地で好評であった。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-11 17:05:51
遠田大亮 @DaisukeEnta

近隣公園と称された二ヘクタールの亀ヶ崎公園も、当初の計画では大町部落と亀ヶ崎地区との中間地点にあったが、一定以上の公園面積確保の規則(公共減歩)があり、無償で提供と、公園に当たった土地所有者の換地など、わずらわしい手続きをきらってその位置は宙に浮いていたのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-12 13:10:48
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遠田大亮 @DaisukeEnta

その時、役員の皆さんは「よし観音様の後ろに持って行こう。」観音様の森と公園を含めて、末永い亀ヶ崎地区の人々の信仰と憩いの場にしようとした決断は、地区の歴史に残る大英断と永く伝えねばならない。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-12 13:11:33
遠田大亮 @DaisukeEnta

平成元年の御開帳にそなえて、観音堂の大改修の際にも寄付金は理論上不可能であったが、観音堂が区画整理の地区内に入っていたことと、亀ヶ崎公園を築造中にダンプなど重量車が走り、一部観音堂が傾いたという名目で、補償費として二千万円を頂戴している。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-12 13:12:29
遠田大亮 @DaisukeEnta

その外に観音堂駐車場、そのわきの児童公園の設置など、観音様のみならず地区の未来の人々に有形無形の財産を残してくれたのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-12 13:13:11
遠田大亮 @DaisukeEnta

【亀ヶ崎農業の崩壊】 地区内田畑は約二八〇ヘクタールあったとされる。現在は、扇谷地稲荷神社の一帯に約四〇ヘクタールを残すのみとなっている。 亀ヶ崎今昔物語水越主基 pic.twitter.com/GZGqdv5CHG

2024-02-13 08:36:41
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遠田大亮 @DaisukeEnta

それでも亀ヶ崎地区外に求めた土地が約一七〇ヘクタールといわれているが、約二四〇ヘクタールの土地を宅地造成に提供し、田んぼを 求めたり、貸家・アパートを建築し、又生活費に費やしたことであろうと想像される。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 08:37:19
遠田大亮 @DaisukeEnta

今更、理屈をこねても仕方ないが、国の財政でも、地方団体でも、会社でも、収入に対 する支出のバランスシート(貸借対照表)を作成して、経営のカジを切っている。その中でも個人である我が家の経営でも、その感覚が大いに必要であったのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 08:37:53
遠田大亮 @DaisukeEnta

それが短期的に見れば一反歩一〇俵しか収穫のない土地が一挙に何千万円となれば、計算する必要もないのである。それが永遠に続く時間の流れと、世の中の変化の方程式の組み合わせの答えを忘れさせる原因となりがちなことは当然である。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 08:39:26
遠田大亮 @DaisukeEnta

失われた田んぼを求めて面積を増やしたが、それは後継者のためなのか、我が家の農家としての看板か、先祖への贖罪か、譲渡税のがれか、理由はいろいろあろうが、今は米の値段も半分になったし、その影響で田んぼの価格も暴落して、売ろうにも買う人がいない 現実である。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 08:41:38
遠田大亮 @DaisukeEnta

昭和五十二年(一九七七)頃より米価は最高になり、六十㎏二万二千円を超え、それにつれて田んぼを求める勢いは盛んであった。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 12:39:04
遠田大亮 @DaisukeEnta

その最高潮に達した時は、田んぼを売るという情報が広がるとわっとかけつけ、一人は玄関より入って交渉し、同時にもう一人の人は 裏口より回って掛け合い、つり上げていったという笑い話もあり、一反歩最高七百万円にもなったといわれている。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 12:39:25
遠田大亮 @DaisukeEnta

又、遊摺部の方は亀ヶ崎地区の人に、亀ヶ崎に近い田んぼを高く売って、距離的にそんなに差がない砂越地区の安い田んぼを買い、面積は減らすことなく、その差額で豪邸を建築した頭のよいチャッカリした人もあったといわれている。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 12:39:59
遠田大亮 @DaisukeEnta

一方、両羽橋を渡り、川南地区の国道七号線を車で行くと田んぼが広がる。その西側の国道端の田んぼは亀ヶ崎・大町地区の農家の所有で、広野までは、よその地区の田んぼを踏まなくても行けるといわれていた。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 12:41:08
遠田大亮 @DaisukeEnta

国道端ということで、いずれ開発されると二匹目のどじょうを狙ったが、米の品質が土質の関係かあまり良くなく、平田方面に買い換えた人もいた。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 12:42:41
遠田大亮 @DaisukeEnta

それまでして求めた田んぼは、老齢化にともなう後継者の問題、安くなった米価により魅力がなくなってしまった。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 12:48:00
遠田大亮 @DaisukeEnta

それにより委託耕作が急速に増え、地区外率七十五%という特殊な形態の農業と、如何に機械化の時代とはいえ農業の後継者への対応が心配される。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 12:48:24
遠田大亮 @DaisukeEnta

安い米価には面積を増やす受託は収入を増やす方法だが、グローバル化した農業の先行きはと見通しは暗い。若し不動産所得がなければどんな思いで農業をやるのであろうか。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-13 12:49:21
遠田大亮 @DaisukeEnta

【不景気と貸家】 農業の収入を補うためや、後継者などの理由で農業を諦めた人は不動産に頼った。そういう人はそれぞれの道を歩まねばならなかったが、一番心地よい計算は一件の家賃が五万とすれば十件あれば月に五十万になることだった。 亀ヶ崎今昔物語水越主基 pic.twitter.com/jy32poS20w

2024-02-14 08:11:46
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遠田大亮 @DaisukeEnta

いまは計算機があるから直ぐ出来るが、 これもまた基本的な方程式が必要であると思う前に、最初の答えで頭がくらくらとしてしまうのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-14 08:12:23
遠田大亮 @DaisukeEnta

今は昔、浜田地区の小島勝朗氏は区画整理の神様といわれ、その先鞭をつけた人であった。晩年の氏の口癖は「貸家をあてにしてもだめなもんだ、家賃収入を暮らしにつぎ込んでは絶対だめ、全部貯めておかないと後で大変なことになる、貸家が古くなり、修繕するときすべて吐きださねばならないもんだ」。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-14 08:13:10
遠田大亮 @DaisukeEnta

儲けなどほとんどなくなると、耳にタコが出 来るほど開かせられた。そして小島氏は「みんな頭にお湯が入っておかしくなってくる」 と慎重に冷静に考えるべきだと強調していた。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-14 08:13:35
遠田大亮 @DaisukeEnta

小島氏でなくとも、慎重に計算すれば答えは簡単に出てくるのだ。借入金の利子は銀行と農協のどちらが高いか安いかは厳しく論ずるが、かんじんの元金を借りて返すのを忘れているのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-14 08:14:23
遠田大亮 @DaisukeEnta

貸家の始めの頃は借入の返済期間は十五年であったが、建築費・税金・維持費が高くなった割に家賃が上がらず、採算ベースに乗せるためには二十年、三十年と延ばし、今では四十年保証もしますよ的なものも現れてきている。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-15 06:52:26
遠田大亮 @DaisukeEnta

人間の一代は平均三十年といわれている。一生借財を返済しなければならず、相続税対策であっても、相続する子や孫に借金を残していくことである。それが必ず利益を生むものであればよいが、三十年後の誰が保証するのですか、三十年後でも新築と同じですか。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-15 06:53:13
遠田大亮 @DaisukeEnta

最後には土地が残るという人もいる、三十年後の土地の評価はどうなっていますか。 そんなことをいえば、何も出来ない。わかり切ってもやる、これが人間の業である。それで良いのかもしれない。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-15 06:54:52
遠田大亮 @DaisukeEnta

誰も過ぎ去った日々を顧みる時、やってたらどう、やってなかったらどうと、両方一緒に出来ないので比較することは出来ないのである。そしてこれからの未来の予測も同様に迷うのであり、答は未来しか出ないのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-15 06:55:11
遠田大亮 @DaisukeEnta

【禍福はあざなえる縄】 亀ヶ崎地区は酒田市街地に隣接しているので、区画整理事業である宅地造成は必然で、 やらなければならないように運命づけられていたと思うが、二四〇ヘクタールという膨大な土地を売り払っても、特別に金持感とか裕福感とか感じている人が少ないように思っている。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-16 08:23:40
遠田大亮 @DaisukeEnta

又、地理的条件で宅地造成が出来ない近郷農村が、それがなくても暮らしを成り立たせているのと、どこがどう違うのか、今は祭りが過ぎて、その余韻を引きずっているようでないようで、おくればせながら冷たい現実を前に転換期に入ったと思う。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-16 08:26:10
遠田大亮 @DaisukeEnta

先祖以来の尊い財産も今はない。これからは個人個人の力で生きて行かねばならぬ。一つの歴史を残した時代も大きく動いた。そこに今更取り立てて何が残ったと聞かれてみれば、その時代の人にとっては恥ずかしい限りである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-16 08:27:05
遠田大亮 @DaisukeEnta

敢えていえば亀ヶ崎公園、欅並木、正法会館、悪くなったのは、固定資産税が高くなり昔からの広い農家の庭にモロにかぶって来ている。封建時代、軍国主義は遠くになった代わりに自由を得たが、これも違った意味で窮屈になっている。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-16 08:27:42
遠田大亮 @DaisukeEnta

人間生きて行くには困難で、どこの国に生まれても、どこの地方に生まれても、基本は自助努力で頑張って行くべきで、昔をなつかしんでも意味がないのであるが、ささやかであるが、少なくとも埋もれ去った稲の刈り株だけはなつかしんでもらいたいものだ。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-16 08:28:17
遠田大亮 @DaisukeEnta

格言に「禍福は糾(アザ)なえる縄の如し」とある。幸も不幸もからみあう縄のようなものであるの意味であるが、土地区画整理事業はその縄のようなもので、それぞれの土地所有者が幸か不幸かそのどちらをつかんだかである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-16 08:57:06
遠田大亮 @DaisukeEnta

今日幸運をつかんでも、明日どうなるかわからないのである。今不運でも明日は明るい展望が開けるかも知れない。どちらに転ぶにも人間精一杯頑張るしかないのだが、区画整理事業は先祖の残した財産に感謝し、思いを末永い子孫にいたす心くばりが有るか無いかで違って来たのではないか。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-16 08:58:47
遠田大亮 @DaisukeEnta

ただ、今の自分しか見えなかった人には最悪だったに違いない。今はあの熱病にかかったようなざわめきもなく静かになった。人々の営みは何時もと変わらない。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-16 08:59:31
遠田大亮 @DaisukeEnta

ゆっくりと代替わりになりながら、何事もなかったように過去へ過去へと消え てゆく。真剣に生きる道がすたれずに残っていれば、何時かは又よき日が来る、それでいいのだ。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-16 08:59:43
遠田大亮 @DaisukeEnta

【時代を走りぬけた群像】 人生五十年といわれた時代は遠い昔となり、現在の平均寿命は八十才を越え、やがて百才に届くのではないかと思われる長寿社会、それでも永遠の命は得られない。何時かは滅び去る運命、共に旅した人生の中で、別れはいつもつらいものである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基 pic.twitter.com/pdMafUrVwS

2024-02-17 06:28:23
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遠田大亮 @DaisukeEnta

今日は他人の身、明日は己が身、淋しくこの世から消えて行かねばならぬのである。人生を如何に美辞麗句で飾っても、今を生きる人々はせわしく、過去の人などかえりみることもなく忘れ去られるのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-17 18:15:31
遠田大亮 @DaisukeEnta

この世に生まれ、そして生きて来た者にとっては、明治・大正・昭和・平成と、数多くの群像が走馬灯のように去来する。それぞれの家々にも、その時代と共に少なくとも三世代は流れ、その光彩の中であの顔・あの声が踊るのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-17 18:16:16
遠田大亮 @DaisukeEnta

その一人ひとりが確かな意志を持ち、希望を持って生きてきたのであるが、一方、運命に流されて旅をして行かねばならなかったのである。その一人ひとりに光を当て、その生き様は推しはかることは出来ない。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-17 18:17:21
遠田大亮 @DaisukeEnta

ただ出来るのは面影をしのび、雄叫びをあげたその声を耳に残し、過去の風景をバックに時間と空間をさかのぼり、今、静かにこの世から消え果てた肉体と魂の前で、いたずらな人生の挽歌は、必定な運命に逆らっているに過ぎない。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-17 18:17:57
遠田大亮 @DaisukeEnta

それでも惜別の情は、寂しく重苦しくのしかかってくるのである。 人は悲しいかな、幸せの証として、地位や名誉・富貴を好むと同時に長命を願うのである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基 pic.twitter.com/QjSP9qCoxg

2024-02-17 18:19:49
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遠田大亮 @DaisukeEnta

人生の長い旅路を課程にあてはめては、喜寿・傘寿・米寿とたどる。上には上があり、 人の欲望はきりがない。果たして幸せは言葉のみで、本当の幸せはあるのだろうか。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-18 07:22:10
遠田大亮 @DaisukeEnta

大自然は春夏秋冬とめぐり、月日は還らない。光の速さ以上で旅をすることが出来れば、 追いつくことが理論上では出来るといわれている。それは可能だろうか。若し出来たなら、 過去の人に会えるかもしれない。このように想像の世界に遊んでも、何やら仏様の世界に入っていくようである。 亀ヶ崎今昔物語水越主基

2024-02-18 07:22:48
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まとめたひと
遠田大亮 @DaisukeEnta

農業、農政、農協等“農”に関してのツィートが多いです。 (個人的には)GHQの占領政策や押し付けられた憲法を金科玉条としたままでは、日本農業はもっと衰退すると考えています。 山形県農協中央会勤務。農協監査士。明治大学法学部卒。山形県酒田市出身。 過去のツィートは、以下↓のまとめサイト(min.t)からどうぞ。