戦後における戦争に敗れたことが日本の「敗戦」の本当の意味である。戦闘に勝った他の国々は戦後もずっと自分の戦争を戦いつづけていたのに、日本はそれを忘れ、戦争といえば自分の戦争のことを思い出すこともなく、戦争一般の概念に所を譲った。
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遠田大亮 @DaisukeEnta

【死者はなぜホトケになるのか】 生活にかかわる文化神は次の三種に大別される。 (一)社会集団の神々として、屋敷神、部落神、血縁神、同族神、道祖神、境の神などがある。 国民の歴史西尾幹二 pic.twitter.com/OJC7cpcpyZ

2023-07-19 07:25:02
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遠田大亮 @DaisukeEnta

道祖神は村境や辻に祀られ、集落の外部から入ってくる疫病や災害を防ぐのである。神体は丸石のこともあれば、 男女二体の石像のこともある。今でもよくみかける。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-19 07:27:19
遠田大亮 @DaisukeEnta

境の神も似たような役割を果たす。血縁神は氏神といったほうがわかりやすいだろう。村や町の鎮守神、産土神(生まれた土地の守護神)と同じことである。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-19 07:27:42
遠田大亮 @DaisukeEnta

(二)職能にかかわる神としては、産神、疫神、縁結びの神、死神といった人間の一生の出来事にかかわる神々。穀物神、田の神、山の神 (狩猟の神)、漁撈神、市の神 (商業神)、航海神、軍神、学問神などがある。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-20 06:51:38
遠田大亮 @DaisukeEnta

家の中の小さな場所を守護する神もある。竈神、井戸神、納戸神、神、厩神などである。お正月を迎えるときに戸口や水場にしめ飾りをつるす習慣は、まだわが家では守られている。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-20 06:52:03
遠田大亮 @DaisukeEnta

(三)は人間が神になるケースである。死んで神となるという場合は珍しくない。もっとも、ホトケになる、といういい方で死を表すほうが多いが、私には同じことに思える。日本では仏壇に仏像をおかずに身内の位牌をおいていることに、人は疑いを持たない。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-20 06:53:44
遠田大亮 @DaisukeEnta

宗教民俗学者の故・堀一郎氏が、『日本の仏教』で知られたチャールズ・エリオットの言葉を引例している次の部分が面白かった。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-20 06:55:14
遠田大亮 @DaisukeEnta

エリオットを驚かせた日本仏教の現実は、生前ほとんど仏教に関心を持たず、寺院に足をふみ入れることのなかったような多くの日本人が、死ぬとはじめて仏教儀礼をもって葬られることや、浄土真宗を除いて多くの家庭の仏壇なるものが、仏像の安置礼拝の対象ではなくて、実に死者の位牌棚にすぎないことや、死者のことを民衆が何の疑いもなくホトケサマといい、 ただホトケの祟り、ホトケの供養などと慣用していることであった。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-20 06:56:16
遠田大亮 @DaisukeEnta

一般に死者をホトケサマとよぶ「この大胆ないい方は、わたくし(エリオット)の知る限り全仏教国のなかで日本だけの独自の用例である。これは神道の模倣というほかない。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-20 06:57:28
遠田大亮 @DaisukeEnta

神道では死者は神となる(なぜと説明はされないが)。だから仏教徒はみずからの中の死者を神道の人々の死者より低い地位に置くことができなかったのだろう。神と仏とは日本の民衆の考えでは全く同じものなのだ」、と彼は言っている。 【堀一郎『日本のシャーマニズム』】 国民の歴史西尾幹二

2023-07-20 06:57:49
遠田大亮 @DaisukeEnta

【Godを「神」と訳した事が生む誤解】 その当時、前田多門が議会で行った答弁をここに掲げておく。 「天皇はカミであり、またカミでない。なぜならば、神という日本の言葉と、ゴッドという意味を持った神との間には非常なちがいがある。〜 国民の歴史西尾幹二 pic.twitter.com/zOMETBjZzG

2023-07-21 08:16:57
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遠田大亮 @DaisukeEnta

〜 ... 日本の神というのは、キリスト教でいうような全智全能の神とか、造物主とかいうような意味でなく、至上至高の地位に居られる方と言う意味ではないか。 〜 国民の歴史西尾幹二

2023-07-21 08:17:41
遠田大亮 @DaisukeEnta

〜 そこで御質問が、天皇はゴッドのような神だと考えるか、とこうおっしゃるならば、それは神ではないと答える外はない。ところが日本の古来からの観念で、現世において最も上位にいらっしゃる方であるという意味ならば、それはやはり神である……」 国民の歴史西尾幹二

2023-07-21 08:17:59
遠田大亮 @DaisukeEnta

【"中華の華は日本なり"】 幕府がキリシタン禁止令を決めたこと、貿易を一手に集め国家統制下においたこと、日本人の海外渡航の自由を禁じたこと――これらの事実は間違いなくあった。しかしそれは当時、「鎖国」という言葉では表現されてはいなかった。 国民の歴史西尾幹二 pic.twitter.com/dKhz5XqGCo

2023-07-22 09:29:01
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遠田大亮 @DaisukeEnta

それらの事象が意味するものは日本の”守り"であると同時に“余裕”である。幕府が海外交渉のあるべきかたちを求めつづけ、必要とみて断固実施した外交政策上の積極的な表現にほかならなかった。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-22 09:29:45
遠田大亮 @DaisukeEnta

外国の怪しげな諸勢力が侵入するのを拒絶する自由独立の意志の表現であると同時に、17、18世紀にかけて主権国家体制をとり始めた西欧各国と歩調を合わせ、日本が統一国家としての体制を確立せんとしていた証拠である。ちなみに独立国家オランダの誕生は1648年であった。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-22 09:30:44
遠田大亮 @DaisukeEnta

怪しげな外国、といってもその外国とは、すでに落ちめのポルトガルとスペインの2国に限られていた。1673年、イギリス船リターン号が長崎港に現れ追い払われたのは、日本が通商をオランダに限っていたからではなく、イギリス王チャールズ二世がポルトガル王女と結婚し、日本がイギリスを恐るべきカトリックの協力者、敵国とみなしたことが主たる原因であった。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-23 09:08:05
遠田大亮 @DaisukeEnta

同じ頃、日本はタイ国王の申し出に応えて、40年間絶えていた関係を再開しているから、日本の外交が外の世界をいっさい拒否し、接触を絶とうとしていたという証拠にはならない。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-23 09:09:17
遠田大亮 @DaisukeEnta

それどころではない。徳川幕府は17世紀から18世紀へかけて朝鮮王朝と琉球王朝とを手なずけ、東アジアに日本中心の外交秩序を作ろうと腐心していた。日本は序列を重んじていた。貿易国オランダと中国は両国より下位に位置づけられていた。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-24 10:46:15
遠田大亮 @DaisukeEnta

中国は軽視され、徳川時代を通じ正式の序列の外に弾き出されていた。日本は清朝と正式の国交をあえて結ぼうともしなかった。新しい北京政府をかりに無視しても、外交的にも、経済的にも十分にやっていける自信が日本にはすでにあったからだ。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-24 10:47:20
遠田大亮 @DaisukeEnta

明が滅んだとき、満州族に滅ぼされた北京政府は軽蔑に値するものであるという意識は、江戸時代の知識人の中に根強くあった。とりわけ、明の滅亡直後に明の家臣が、日本に救援を求めてくる。そのとき 将軍家光は、実際に2万の大軍を大陸に上陸させて彼らを救い、明を再興しようという計画を本気で考えた。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-24 10:49:46
遠田大亮 @DaisukeEnta

それが実現しなかったのは、明が滅んでからの状態に関係がある。清朝内部の反乱軍、つまり、明の家臣たちの反乱が失敗に及んでしまったために、とてもだめだという情報が入ってきたからである。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-24 10:50:16
遠田大亮 @DaisukeEnta

以上をみてもわかるとおり、徳川時代になっても、このように鎖国なんてしていたわけでは全然ない。いざとなったら、出兵するぞという気があったということは、まことにもって鎖国の語がこの時代に不的確であったことを証す歴史事実である。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-25 07:13:13
遠田大亮 @DaisukeEnta

と同時に、水戸光圀に庇護された朱舜水などの明の知識人が日本に救いを求めて、ずいぶん亡命してくる。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-25 07:14:27
遠田大亮 @DaisukeEnta

そんなことから江戸時代に入って以後は、「中華の華は日本なり」――そういう意識が率然として立ち現れた。林羅山はもとより、山鹿素行を越え、 くだって本居宣長に至るまで、もちろん、中華の華は日本だ、と。同じ頃から、神州不滅という意識が出てくる。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-25 07:14:42
遠田大亮 @DaisukeEnta

17世紀後半にはポルトガルやスペインの衰退に続いて、覇者オランダも衰退し、かわりにイギリスとフランスが欧州の大国として歴史に登場する時代に入ってなお、日本海域がすぐに両国に脅かされることはなかった。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-25 07:15:49
遠田大亮 @DaisukeEnta

イギリスとフランスは本国においてもたがいに戦争し、ひきつづき植民地先のインドやカ ナダにおいてもことごとに激しい男に大争奪戦を重ねた。 日本はしばしの間、 高見の見物を楽しんでいればよかった。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-25 07:16:47
遠田大亮 @DaisukeEnta

日本は 「鎖国」をしていたのでは決してない。 海外へあえて出て行く必要がなかっただけである。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-25 07:16:59
遠田大亮 @DaisukeEnta

蘇峰と和辻という正反対の思想家の鎖国罪悪論は、立場こそ違え、事実に立脚しないイデオロギー論である点で共通している。 国民の歴史西尾幹二 pic.twitter.com/usluwUO8Fv

2023-07-26 06:59:53
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遠田大亮 @DaisukeEnta

しかも西欧文明を価値尺度にし、鎖国がそれへの飛翔を妨げたとする西欧劣等感がともに基調にあり、ポルトガルやスペインとの断交を、いわば世界全体との断交であると一方的に思いこんだ前提に発していた。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-26 07:00:16
遠田大亮 @DaisukeEnta

西欧に"追いつけ追い越せ"に心がすっかり奪われていて、西欧が世界のすべてであった時代の日本人は、ポルトガルとスペインは当時の世界の代表であり、したがって「寛永の令」以来、日本は世界と断交するという愚かなことをしたのだと短絡し、取り返しのつかぬほど遅れてしまったというあせりと不安と劣等感に襲われ、正確に歴史を見る余裕を失ってしまったのである。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-26 07:02:09
遠田大亮 @DaisukeEnta

近世初頭は、世界史にとりこまれたという初体験のもとでどのように生きてゆくかという難間に、日本が必死の努力をもって対応した時代である。"鎖国〟という体制はその解答であった。 国民の歴史西尾幹二 pic.twitter.com/WM6CaARBVa

2023-07-26 07:24:51
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遠田大亮 @DaisukeEnta

"鎖国"という言葉のもつ語感から、われわれはわが国が、この行為によって諸外国にたいして国を閉ざして貿易、交通さえしなかったと誤解しがちであるが、鎖国後のほうがその前よ りわが国の対外貿易額は増えているのである。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-26 07:25:28
遠田大亮 @DaisukeEnta

また江戸時代の”鎖国”なるものを誤解しないためには、国家というものはどんな時代でも密度の差異はともかくとして、必ず鎖国体制(対外管理体制)をとるものであることを承知しておく必要があろう。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-26 07:25:52
遠田大亮 @DaisukeEnta

〝鎖国〟とは一度とりこまれた世界史の柵から、日本が離脱することではなく、圧倒的な西欧諸国との軍事力(文明力) 落差のもとで、日本が主体的に世界と接触するための手段であった。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-26 07:27:57
遠田大亮 @DaisukeEnta

つまり〝鎖国〟とは鎖国という方法手段によるわが国の世界への〝開国〟であったとすべきであろう。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-26 07:30:25
遠田大亮 @DaisukeEnta

したがって寛永の〝鎖国〟こそが日本の世界への第一次開国であり、世に〝開港〟という言葉で呼ばれている〝安政の開港〟は、江戸時代という時代の錬成を経たわが国の第二次開国であったとすべきである。 【大石慎三郎「江戸時代」】 国民の歴史西尾幹二

2023-07-26 07:30:55
遠田大亮 @DaisukeEnta

【西洋の革命より 革命的であった明治維新】 いったん歴史に関する固定観念が生じると、その逆の事実が証明されても、なかなか覆らない。 国民の歴史西尾幹二 pic.twitter.com/kwbO07d31Z

2023-07-28 06:22:23
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遠田大亮 @DaisukeEnta

私は、あるフランス外交官が20年ほど前にドイツと日本を論じた「孤高ナショナリズムの島・日本」という論文(「中央公論」 昭和53年4月号)を、あまりに屈折した論理のゆえに、いまだに忘れがたく覚えている。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-28 06:22:50
遠田大亮 @DaisukeEnta

それによると、ドイツと日本はもともと遅れた国で、封建体制を完全に壊さずに産業社会を形成したことが、現在有利に作用して、両国の経済繁栄の結果を生み出しているというのである。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-28 06:23:18
遠田大亮 @DaisukeEnta

封建時代の古い集団主義の体質を両国はまだ残していて、それが現代の規模の大きい国家資本主義に偶然にうまく調和し、効率のいい資本主義国家になっているのだ、と論じていた。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-28 06:24:19
遠田大亮 @DaisukeEnta

先進国家フランスの優越をあくまで前提とした、いかにも悔しげな、フランス人らしい負け惜しみの論に私にはみえた。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-28 06:24:32
遠田大亮 @DaisukeEnta

ジスカールデスタン大統領(当時)が、パリの自動車展示場の一隅に日本車を見いだし、フンと鼻先で笑って、「日本人にも車がつくれるとは知らなかった」と言って通り過ぎたとかいう逸話がまことしやかに伝えられていた時代である。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-28 06:25:53
遠田大亮 @DaisukeEnta

日本が自動車生産台数で世界一になったのは、昭和55年(1980年)で、それから間もなくのことであった。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-28 06:26:21
遠田大亮 @DaisukeEnta

【市民革命を経験すれば先進国なのか】 20世紀の初頭から現在まで、世界の知識人の意識の中には、拭っても拭ってもどうしても払拭しきれない一つのイドラ(偶像)が棲みついているように思える。 国民の歴史西尾幹二 pic.twitter.com/MxyLXXzePA

2023-07-28 06:45:29
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遠田大亮 @DaisukeEnta

すなわち、イギリスとフランスの先進性、ブルジョア ドイツと日本の後進性を決定づけた市民革命の有無に関するひとつの図式である。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-28 06:46:18
遠田大亮 @DaisukeEnta

イギリスやフランスのように「下からの市民革命」を早い時期に経験し、過去との「断絶」の自覚を強く持った国が、資本主義国家として典型的な調和ある発展を遂げ、先進国とみなされる。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-28 06:46:52
遠田大亮 @DaisukeEnta

ドイツや日本のように、ついに市民革命を経験せず、政府による「上からの改革」で漸進的に国家体制を整え、過去との「連続」を特徴とする国は、いびつで矛盾した発達過程をたどり、後進国とみなされる。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-28 06:47:30
遠田大亮 @DaisukeEnta

市民革命によって大土地所有をなくし、土地を平等に農民に与えた経験を早い時期に持ったか否かが、判断の決め手になる。ドイツや日本などの後進国は、資本主義が発達すればするほど、過去から引きずってきた封建的体質もまた必然的に肥大化するので、いつかは破局を招く。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-28 06:49:44
遠田大亮 @DaisukeEnta

以上のような歴史の見方は、とりわけ日本の諸学会において猖獗をきわめた。私たちに教科書的に与えられて、いやというほど聞かされてきたおなじみの歴史観でもある。 国民の歴史西尾幹二

2023-07-28 06:50:11
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まとめたひと
遠田大亮 @DaisukeEnta

農業、農政、農協等“農”に関してのツィートが多いです。 (個人的には)GHQの占領政策や押し付けられた憲法を金科玉条としたままでは、日本農業はもっと衰退すると考えています。 山形県農協中央会勤務。農協監査士。明治大学法学部卒。山形県酒田市出身。 過去のツィートは、以下↓のまとめサイト(min.t)からどうぞ。