いわゆる性格とひとくちに言っても、それには少なくとも三つあります。 ①私が考える私の性格 ②誰かといる時の私の性格 ③多くの人の中にいる時の私の性格
2015-01-24 13:33:03①は、私が自分のことをどう考えるかであり、アイデンティティと呼ばれるものです。 ②は、関係性の中の性格で、家族といる時と恋人といる時とで同じ行動をしている人はいないでしょう。違う性格が出ているはずです。 ③は、他者とのアンケート式比較で決められるような性格を指します。
2015-01-24 13:34:09②の性格においては誰でもひんぱんに性格を変えています。私といっしょにいる兄弟や友だちは、いつも同じ性格でしょうか。もしかしたら「状況としての私」が他の人の行動を安定させているのかもしれません。「私の」兄弟や「私の」友だちだからこそ、私から見た時の性格はあまり変わらない。
2015-01-24 13:38:28そして、それは私自身の第2の性格にも言えることです。実体のない概念だとはいえ、性格が変わらないと悩むときには、性格を変えることを妨げる要因を探してみます。あるいは、自らアクションを起こして、環境や人間関係を変えてみます。
2015-01-24 13:48:31まず自分の周りの人への接し方を変えてみます。そうすれば相手(のうちの幾人か)は必ず変わり、それがまた自分の可能性を豊かにしてくれます。 ←Ⅲ) でつぶやいた、らせん的な成長。
2015-01-24 13:52:12Ⅵ) 自己イメージの描き直し 自分は自分にどんな言葉をかけているかという話です。 社会の求める理想像に届かなかったとき、無意識のうちにどんな マイナスメッセージを送っているんでしょう?
2015-01-24 13:55:03サリ・ソルデンの言葉を借りれば、わけのわからない困難を、生まれてこのかた、ずっと余分の努力でカバーし、首まで水につかりながら暮らしているのですが、そのことに気づいてさえいない。「おぼれないこと」が唯一の目標になっていて、おぼれずにすんでいるだけで「結構うまくいっている」と思う。
2015-01-24 14:09:38「快適な生活」ではなく「苦しくない生活」を目指すようになっています。他の生活を知らないのですから、オーバーワークでカバーするか、人生の選択肢を極端に制限して、小さめ小さめに生きている。日常生活を破綻させないことが第一目標になってしまい、
2015-01-24 14:12:22友だちや家族と付き合うこと、やりがいのある仕事をすること、余暇を楽しむことなどは犠牲になってしまう。ルールを変更することも知らない。「快適」というのがどういう感覚なのかも知りません。「別の暮らしかたがある」ということ自体を知らない。夢は半永久的に先送りされるばかりです。
2015-01-24 14:15:32自分でもわけがわからないのですから、他人に説明しようもないし、周りの人たちも理解できないから、「わけのわからない子だよ」などと言われてしまう。そうして身体をこわすか、精神的に追いつめられるかして、精神科医の元を訪れることになるのですけれど、
2015-01-24 14:17:09「心因性のものです」と言われて、信じてしまうかもしれませんし、意思の力でもっと努力すればいいんだわ、と決意してしまうかもしれません。 この世には違う世界もあるということ、これまでと違うやり方でも生きていけるということを、まず知りたい。
2015-01-24 14:19:24a) 神経の問題を性格と混同しない 「わけわかんない」自分の状態を、まず自分が把握し、それを周りの人間に伝えるための共通言語を手に入れる、ということからスタートしてみたいです。 ①の自分が考える自分の性格と、神経学的な症状とを混同しないようにすることが必要です。
2015-01-24 14:27:26症状といわゆる性格とは別ものです。脳内物質のアンバランスによる神経学的な問題と心理学的な問題を区別します。神経回路上のアンバランスで生まれる症状と心理学的な問題を区別できるようになれば、症状と性格・人格を混同しなくてすむようになります。
2015-01-24 14:30:34自分という人間と症状とをきちんと分けて理解できるようになれば、症状が出ても、発作のようなものだと割り切って、やりすごせます。症状を注意信号として利用できるようになります。「そろそろ一息入れなさいってことね」と考えることができます。
2015-01-24 14:33:09症状は「このままではいけない」という信号であって、この世の終わりではありません。それさえわかっていれば、一度はうろたえても、自分を取り戻すことができます。症状の嵐も、ずっと続くわけではないのですから。
2015-01-24 14:34:06そのうち、自己イメージの核の部分と、症状に対するもろもろの感情とは、別のものだということがわかってきます。「神経過敏になるときもあるけど、理由もわかっているし、最初から覚悟もしている、対策も知っている、だから平気」と思えるようになります。
2015-01-24 14:36:05今までは、選択肢を見比べるどころか、選択権があることさえ知りませんでした。症状が出るたびに取り乱して、落ち込み、引きこもっていました。自己イメージに芯ができると、症状が出ても、自分を見失うことはなくなります。自分を罵ることも、人を避けることも、チャンスを見送ることもなくなります。
2015-01-24 14:41:37人に助けを頼み、環境を整えるすべを学べば、持てる能力を活かせるようになります。自分のことは自分で把握し、選択し、決定している実感がもてます。何よりも、誰か他の人になろうとするのをやめます。成長を続けていっても、別の人間になることはなく、ますます自分らしくなっていくはずです。
2015-01-24 14:47:47症状を個性としてアイデンティティにとりこめるようになると、もう、人に助けを頼むのも以前ほど恥ずかしくなくなります。精神的にも安定しますから、弱みを見せるのも平気になります。人にものを頼むにも、これは特別扱いでも責任逃れでもない、必要なことだとわかっているので、堂々と言えます。
2015-01-24 14:50:03恥の意識を感情から切り離せるようになると、自分自身のことを恥じることはなくなります。自分はダメなのではなく、変わっているだけだと思えるようになります。自分は個性的な人間だと思えるようになります。混乱の元だった想像力も楽しめるようになります。
2015-01-24 14:51:34コミュニケーションが前向きになり、過剰防衛にも、攻撃的にもならず、冷静に要望を伝えられるようになります。自分に自信がつけば、NOと言っても大丈夫だと思えるようになります。健全な方法で自分を守ることも覚え、相手と自分のニーズをすり合わせるのがうまくなります。
2015-01-24 14:52:35必要なときには人の手を借り、薬も飲み、刺激過多や過労はあらかじめ予防するようになると、精神的にも余裕が出てきて、エネルギーをとり戻せます。失敗をしても、あわてて被害を大きくしたりせず、すぐバランスをとり戻せるようになります。
2015-01-24 14:54:15自分は神経系の障がいがあるだけで、性格が悪いわけではないとわかっているし、自力で改善できることと、どうしようもないこととの区別がつくようになります。そうして、自分で自分に送るメッセージがポジティブになり、心が明るくなってきます。
2015-01-24 14:55:28b) 「恥」の意識を手放し、「理想像」を見直す 神経が原因の問題と、心の問題とを混同せずにすむようになると、自力で解決できる問題と、共存するしかない問題とを区別できるようになります。長所も短所も自覚して、どちらも自分の一部として受け入れられるようになります。
2015-01-24 14:57:07そのためには、恥や罪の意識を克服し、手放さなければなりません。薬を飲んでも、やはりまだ少しだらしなく、忘れっぽい自分を受け入れる。また、目標となる「理想像」のほうも見直します。何をもって「自信もあり、実力もある、大人の女」と呼ぶのか? という条件も考え直さなければなりません。
2015-01-24 15:00:28小さい時に教え込まれた「女はこうあるべき」「女ならこれができなくては」という条件にとらわれず、それなりにいいところのある人間だ、という発想の転換が必要です。 自分に向けるマイナスメッセージには、子どものときから聞かされてきたものが、2種類あります。
2015-01-24 15:03:25ひとつは、社会全体、文化そのものから女性一般に向けて発せられたメッセージであり、もうひとつは、近しい人々から与えられた、もっと個人的なメッセージです。どちらも、長い時を経た後、「羞恥心」と「罪悪感」というネガティブな影を落とす原因になります。
2015-01-24 15:05:11文化が与えるマイナスメッセージのせいで起きる問題は、①人の頼みを断れない、 ②頼みごとができない、 ③目立つ行為ができない、 ④自分のニーズを説明できない、 等です。
2015-01-24 15:08:19幼いときに家族に教え込まれたメッセージも障害になって、成人後に、人の手を借りる必要が生じたり、生活パターンを改めたいと思ったりしても、踏み切れないこともあります。家族なりのルールや儀式、伝統は神聖なもので、投げ捨てるのは非常に難しいからです。
2015-01-24 15:08:53幼いころから、親や先生に、「お前はなんて~なんだろう」「もっと~しなさい」といった言葉をたっぷり浴びせられて育ってくると、それらの浴びせられたメッセージは、大人になって、いざ困難に気づいて、発想の転換をしよう、生活様式を見直そうとしたときに、顔を出してじゃまをします。
2015-01-24 15:11:23幼いときから「女はこうあるべき」「こうすべき」というメッセージを刷り込まれてしまうと、人に助けを求める勇気を失ってしまいます。さらに「罪悪感」それに「恥の意識」という邪魔が控えています。自分の都合をはっきり言うと人を怒らせるのではないかと怖れていることが多い。
2015-01-24 15:12:56あるいは一度断られただけで、すぐにひるんでしまう。要望を伝える技術が足りないせいもありますが、弱気になっているせいでもある。自分なんかこんな配慮をしてもらうに値しないのだ、という気がしてしまう。
2015-01-24 15:13:43生活を変えるには、こんな思い込みを捨てる必要があります。幼いうちから、「あんたときたら全く~なんだから」「お前は本当に~なやつだな」と言われているうちに、抜きがたい恥の意識を身につけてしまいます。知らないうちに、「私はダメだ、悪いのは私だ」と思い込んでしまう。
2015-01-24 15:14:59また、幼いときからずっと浴びせられてきた文化的メッセージのせいで、自分でも気づかないうちに、社会の求める理想像を当然のものとして取り込んでしまうと、他の分野では実績をあげているのに、自分などダメだと思い込んでしまう危険があります。
2015-01-24 15:16:24細かな挫折のくり返しによって、何年も敗北感を味わい続けているうち、次第に自尊心を失ってゆき、自分の身を守ろうと、過剰防衛の癖が身についてしまいます。
2015-01-24 15:17:01子どものときに、さんざん「手のかかる子」「やっかい者」と言われて育つと、自己主張は難しくなります。自己主張の能力を失っていくと、人によっては自分のニーズを冷静に伝えるテクニックを知らないために、必要以上に攻撃的になってしまう。あるいは逆に、何も言えずに引き下がってしまう。
2015-01-24 15:18:24言い訳したり謝ったりせずに、事務的に説明する言い方に慣れていないからです。恥の意識を乗り越え、 「責任逃れかと思われたらどうしよう」という恐怖と闘わなければなりません。
2015-01-24 15:19:56「また悪口を言われるかも」と身構えていると、自分の身を守りたい一心で、助けを求めるのをためらってしまいます。「私は何をやってもダメ」という昔の感情がよみがえるのが怖くて、どんな代償を払ってでも、「できる人」という仮面を脱ぐまいとしてしまう。これでは必要なサポートが受けられません。
2015-01-24 15:21:22①恥ずかしい②社会の定めた「理想像」に縛られている③コミュニケーションが下手④自分だけ楽をするのは申し訳ない⑤子どものとき家族に教え込まれた価値観から抜けられない⑥自分には法律で認められた権利があるのを知らない⑦「できる女性」という仮面を外せない。必要な助けを求められない理由です
2015-01-24 15:24:24失敗をしたら、それまでほめてくれていた大人たちが急に怒りだした・・・子ども時代は、そんな経験の連続だったのですから、欠点を隠そうとすると、逆に極端に走って、「スーパーウーマン」を演じてしまいがちになります。しかしこれではいつか無理が来ます。
2015-01-24 15:27:56人の手を借りる経験も積んでいなければ、必要な条件を出すこともしないので、いつかはエネルギー切れを起こしてしまいます。「頼まれたことはやらなければ」と思いんでいると、人の頼みを断れなくなってしまいます。人の依頼が自分の都合とぶつかると、自分の都合のほうをあきらめてしまいます。
2015-01-24 15:31:17「できる女性」として尊敬されるのと、「これ以上は無理です」とはっきりさせることとは両立可能なはずなのですが、それが信じられません。しかし、何でも引き受けていると、いつかは疲れきって、本当に約束を果たせなくなる日が来ます。
2015-01-24 15:32:00「こんな私はダメ」と思い込んでいると、何か問題が起きたときに、すぐ自分のせいかと思ってしまいやすい。些細なことですぐに過敏な反応をするようになる。昔からの恥の意識に火がつき、自己防衛システムのスイッチが入ってしまい、逃げ出してしまう。
2015-01-24 15:34:23過剰防衛のせいで、かえって自分が避けようとしていた結果を生んでしまいます。 ←自己充足的予言
2015-01-24 15:35:00自分の得意分野と苦手分野をきちんと分けて考えていないと、能力というものを、ひとつのかたまりのようにみなしてしまいがちになります。そうすると、何か一つ苦手な作業があるだけで、「こんな私はダメ」という発想になってしまいます。自分は何ができて何が不得手か、よく見きわめる必要があります。
2015-01-24 15:37:50長所も短所も自分のオープンなシステムの一部なのだという認識がなじんでこない限りは、あれがうまくいったといっては舞い上がり、これが失敗したといっては落ち込むということのくり返しになります。
2015-01-24 15:50:49誰にだって、相手の助けを感謝しながらも、同時に自分の感情を尊重する権利はある筈なのですが、自己主張が難しくなると、それがわからなくなります。 いくら手伝ってもらうからといって、傷つきながら黙っていてはいけない。本当に助かる援助と、害のある援助を切り離して考えることを覚えるべきです
2015-01-24 15:56:14捨てられたらどうしよう、一人になったらどうしよう、という恐怖感を抱えていると依存につながる危険があります。また、必要な援助を失いたくないがために、怒りを感じても表現できなくなったり、断るべきときに断れなくなったりすることにもなります。
2015-01-24 15:59:11精神的な虐待としかいえないような関係から逃げ出せずに「何としても今の関係を続けなければ」と思い込むことにもなりやすい。 自分の誇りを守るため、声を上げることを学ばねばなりません。
2015-01-24 16:00:49