初出 『新刊ニュース』1988.2. ~ 1991.12.
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(抜粋) 『こころの処方箋』河合隼雄、新潮文庫、1998.6.1. 初出『新刊ニュース』1988.2月号~1991.12月号 1) 人の心などわかるはずがない 専門家は、人の心というものはどんな動きをするのか、わかるはずがないという態度で他人に接しているのである。 pic.twitter.com/YcbCWTQ1bI

2019-06-04 13:57:27
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一番大切なことは、この少年を取り巻くすべての人が、この子に回復不能な非行少年というレッテルを貼っているとき、「果たしてそうだろうか」、「非行少年とはいったい何だろう」というような気持ちをもって、この少年に対することなのである。「悪い少年」だと決めてかからないことが大切である。

2019-06-04 14:02:02
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大切なことは、われわれがこの少年の心をすぐに判断したり、分析したりするのではなく、それがこれからどうなるのだろう、と未来の可能性の方に注目して会い続けることなのである。 速断せずに期待しながら見ていることによって、今までわからなかった可能性が明らかになり、人間が変化してゆくことは

2019-06-04 14:06:52
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素晴らしいことである。しかし、これは随分と心のエネルギーのいることで、簡単にできることではない。むしろ、「わかった」と思って決めつけてしまうほうが、よほど楽なのである。この子の問題は母親が原因だとか、札付きの非行少年だから更生不可能だ、などと決めてしまうと、

2019-06-04 14:13:20
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自分の責任が軽くなってしまって、誰かを非難するだけで、ものごとが片づいたような錯覚を起こしてしまう。こんなことのために「心理学」が使われると、たまったものではない。 「心の処方箋」は、未知の可能性の方に注目し、そこから生じてくるものを尊重しているうちに、おのずから生まれ出てくる。

2019-06-04 14:18:25
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5) 「理解ある親」をもつ子はたまらない 子どもたちの力が爆発する時、その前に立ちはだかる壁になるのではなく、「子どもたちの爆発するのもよくわかる」などと言って、その実は、それをどこかで回避し、自分はうまく衝突を免れようとしているのではなかろうか。

2019-06-04 14:37:27
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壁が急になくなってしまって、子どもたちはいったいどこまで自分が突っ走るといいのか、どこが止まるべき地点かわからなくなる。不安になった子どもは、壁を求めて暴走するより仕方なくなる。しかし、本当のところ、子どもたちは法律の壁なんかではなく、生きた人間にぶつかりたいのである。

2019-06-04 14:54:24
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子どもに対して壁となれるために、親は自分自身の人生をしっかりと歩んでいなくてはならないのである。厳密に言うなら、理解のある親が悪いのではなく、理解のあるふりをしている親が、子どもにとってはたまらない存在となるのである。理解もしていないのに、どうして理解のあるようなふりをするのか。

2019-06-04 15:01:10
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それは自分の生き方に自信がないことや、自分の道を歩んでゆく孤独に耐えられないことをごまかすために、そのような態度をとるのではなかろうか。 子どもを真に理解することは、大変素晴らしいことである。しかし、真の理解などということは、ほとんど不可能に近いほど難しいという自覚が必要である。

2019-06-04 15:06:19
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そんな難しいことの真似事をやるよりは、まず自分がしっかり生きることを考える方が得策のように思われる。(p.29) 6) 言い始めたのなら話し合いを続けよう 「黙って耐える」という日本の古い倫理観を破る第一歩を踏み出したのなら、そこでやめてしまわずに、相手の言い分も聞き、更に自分の考えを

2019-06-04 15:13:09
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述べ、話し合いを続けることによって妥協点を探し出すべきだ。黙っているのは辛いことだ。だからといって、発言すれば楽になるなどというものではない。自分の意見を言うだけでなく、相手の意見も聞き、話し合いを続けるのは、黙っているのと同じくらい苦しさに耐える力を必要とするだろう。

2019-06-04 15:17:07
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どちらをとるにしろ、人生というものは、それほど楽なものではないのである。  われわれは日本流を引きずっていて、何かを言うことは最後通告のように行い、実はそれが話の始まりであることに気がつかないことが多いのではなかろうか。

2019-06-04 15:20:51
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黙っているのではなく、もし、ものを言い始めたのなら、そこから困難な話し合いを続行してゆく覚悟が必要と思われる。(p.33) 10) イライラは見通しのなさを示す イライラは、自分の何か…多くの場合、何らかの欠点にかかわること…を見出すのを防ぐために、相手に対する攻撃として出て来ることが多い

2019-06-04 15:26:07
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イライラは見通しの無い所に生じる。だいたい心の問題は「急がば回れ」の解決法が得策のように思われる。(p.49) 12) 100点以外はダメなときがある 後から考えて「よかった」と思うことは、多くの場合、マイナスの形をとって顕われてくるものである。ピンチ即チャンスである。父親が会社で残業して

2019-06-04 15:34:14
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頑張ったがいろいろとチグハグなことが起こる。疲れ果てて家に帰ると、妻と子が浮かぬ顔をしている。話を聞くと、中学生の子どもが仲間に誘われて窃盗したのが露見して、母親が学校に呼び出されたという。こんな時が「100点以外はダメ」という時である。いい加減に説教しても、怒っても80点では駄目。

2019-06-04 15:39:02
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98点でも駄目である。この場合、父親が100点の答えを出せば、それは親子が真に対話する絶好のチャンスである。こんな時に父親が「疲れているし、わずいので早くすませて」などと考えると、もう駄目である。この時、父親がどのようにするべきかという模範解答はない。

2019-06-04 15:43:06
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しかし、自分には今100点満点が要求されている。これしかない、という自覚があるかないかで結果は大いに違ってくる。自分のもっているだけのものを、全力をあげてぶっつけてみるのだ。そこにはじめて本当の対話が生まれる。家族の対話が必要などといっても、それほどいつも出来るものではない。

2019-06-04 15:47:42
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ピンチ即チャンスを生かしてこそ可能である。  仕事でもそうだが、ここぞという時100点をとっておけば、それ以外は60点でいいのだ。平均点は80点以下でも、その効果はまるで違ってくるのである。  人生にも、ここぞという時がある。それはそれほど回数の多いものではない。

2019-06-04 15:53:03
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とすると、その時に準備も十分にせず、覚悟も決めずに臨むのは。まったく馬鹿げている。ところが、あんがい、そのようなときでも90点も取ればよかろう、という態度で臨む人が多いように思われる。このような人が、自分はいつも努力しているのに、運が悪いと嘆くのは、ことの道理がわかっていない。

2019-06-04 15:56:50
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他方、いつでも100点を取らぬと気がすまぬ人もいる。いつも100点をとるために、だんだんと疲れて来て、一番大切な、「100点以外はダメ」というときは腰砕けになったり、うまく理屈をつけて逃げ出してしまったりする。いつも100点を狙っている人は、不用な努力を払っている分だけ不機嫌になったり、

2019-06-04 16:01:40
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他に対して攻撃的になったりしがちになるものだ。100点は時々でいいのである。 13) マジメも休み休み言え マジメな人の無反省さは、鈍感や傲慢にさえ通じる処がある。自分の限定している世界を開いて他と通じること、自分の思いがけない世界が存在するのを認めること、これが怖くて仕方がないので、

2019-06-04 16:08:09
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笑いのない世界に閉じこもる。笑いというものは、常に「開く」ことに通じるものである。「マジメも休み休み言え」というときの「休み」が大切なのである。休んでいる間に人間は何か他のことを考える。休みという余裕が、一本筋の自分の生き方以外に多くの他の筋があることを見せてくれるのである。P.61

2019-06-04 16:13:17
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15) 一番生じやすいのは180度の変化である 自分の親のような生き方をしない、と決心した場合、その方向を20度とか30度変更するのではなく、180度の変化をしているのが多いと思われる。風が吹いている時、それに抗して20度、30度の方向に向くよりも、180度変わってしまうと楽なのである。

2019-06-11 11:31:45
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つまり、何かの方向づけの力が働いている時、逆転してしまう方が、少し変えるよりはまだやりやすいのであろう。このようなことがわかってくると、180度の変化が生じても、やたらに喜ぶことなく、じっくりと構えていられるようになる。ここで、「じっくり構える」ことが大切で、

2019-06-11 11:36:46
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生半可にこのようなことを知った人は、180度の変化など、「どうせ信用できない」と冷たい態度に出て、せっかくの変化をすぐぶち壊してしまう。ともかく、一番生じやすいことにしろ、180度変化したことは喜ぶべきであって、何も冷たくすることはない。

2019-06-11 11:42:25
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実はこの時に生じた変化によって経験したことは、その人が次に自分の在り方と照合しつつ、あらたな方向性を見出してゆくための参考になることが多いので、それはそれとして大切にすべきことなのである。ただ、その時の喜び方が手離しになってしまわないところが一味違うのである。

2019-06-11 11:46:38
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そのような態度で接していると、その人が逆転現象を起こして元にかえっても、それほど腹が立つこともないし、悲観することもない。このような時、本人は自己嫌悪に陥ったり、やけになったりするが、われわれが以前と変わらぬ態度で接していることに助けられ、もう一度、自分の生き方についての検討を

2019-06-11 11:58:48
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はじめられることになる。その時になって、われわれは180度の変化は案外生じやすいものであることを話したりして、その時に経験したことなどじっくりと話し合い、さて、次はどうするかということを共に考えてゆく。そのためには、今まで吹いていた「風」とは異なる方向の「風」の存在を探し当てねば

2019-06-11 12:06:59
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ならないし、そうなってくると変化はだんだんと本物になってくるのである。もちろん、180度の変化がその人にとっては本物だということもあろう。それもじっくりと確かめているとわかることである。 p.69

2019-06-11 12:11:42
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16) 心の中の勝負は51対49のことが多い 人の助けなど借りるものか、という気持ちと、藁にすがってでも助かりたい、という気持ちは共存する。しかし、物事をどちらかに決める場合は、その相反する気持ちの間で勝負が決まり、「助けを借りない」という方が勝つと、それだけが前面に出て来て主張される。 pic.twitter.com/fS6V9ONM0o

2019-06-11 12:26:22
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しかし、その実はその反対の傾向が潜在していて、それは、51対49と言いたいほどのきわどい差であることが多い。多くの場合、底の方の対立は無意識の中に沈んでしまい、意識されるところでは、2対0の勝負のように感じられている。サッカーの勝負だと、2対0なら完勝である。

2019-06-11 12:32:48
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従って、意識的には片方が非常に強く主張されるのだが、その実はそれほど一方的ではないのである。  51対49ということは、自分から相談に来て、「ノイローゼが治りたくてたならない。先生の言われることは何でもやってみますし、熱心に通って来ます」と言われる場合も同じである。

2019-06-11 12:45:32
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このような人は確かに「熱心」ではあるが、いざノイローゼの克服のための困難な問題に直面し始めると、「この人、治りたくないと思っているのだろうか」と言いたいような動きを始めることが多い。この場合は、何としても治りたいが51、簡単に治ってたまるかが49、なのである。

2019-06-11 12:50:09
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こんな時に、こんなに熱心な人だからすぐうまくいくだろう、などと安易な気持ちで引き受けると失敗してしまう。本人は、2対0、という意識で話されるし、それはまったくその通りで、嘘ではないのだが、受けとめる側としては、できるだけその底にある深い事実の方も見るようにしなくてはならない。

2019-06-11 12:57:04
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51対49がもっと接近してきて、50対50に近づいてくると、それに耐えかねたり、何とかごまかしたりするために、「大きい声」を出す人が多いように思う。ある時、登校拒否で無理やり連れて来られた高校生が、椅子を後ろに向け、私に背を向けて座った子がいた。このような時は、われわれはむしろ、

2019-06-11 13:09:36
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やりやすい子が来たと思う。こんな子は会うや否や、「お前なんかに話をするものか」と対話を開始してくれる。彼はよほど強い姿勢で「お前などに話さない」ということを示さないと、「何とか助けてほしい」方が前面に出てきそうでたまらなかったのだろう。こんな時に、相手の「大きい声」につられて、

2019-06-11 13:14:09
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こちらも「大きい声」を出し、「こちらを向きなさい」などと言うと、せっかくの逆転の動きがとめられてしまって、「やっぱり、こんな時にものを言うものか」というふうになってしまう。もっとも、人間は時に本当に「大きい声」を出さねばならぬ時もあるので、「場にそぐわない大きい声」とか、

2019-06-11 13:19:51
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「不必要な大きい声」を出すときは逆転の可能性が高い、と言うべきであろう。ともかく、勝負を焦ることはないのである。 p.73 21) ものごとは努力によって解決しない これはクリシュナムルティの言葉である。子どものために出来る限りの努力をした、などという人に会うと、この人は、

2019-06-11 13:27:59
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解決するはずのない努力をし続けることによって、何かの免罪符にしているのではないか、と思わされることがある。それは、何の努力もしないで、ただそこにいる、ということが恐ろしいばかりに、努力の中に逃げ込んでいるのではないか、と感じられるのである。努力などせずに、子どものために

2019-06-11 13:35:24
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父として母として、そこにいること、これはすごく難しいことだ。それよりは、飛行機に乗って偉い先生を訪ねて行く方がよほど楽である。  解決などというのは、しょせん、あちらから来るものだから、そんなことを「目標」にせずに、せいぜい努力でもさせていただくというのがいいようである。p.93

2019-06-11 13:40:01
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22) 自立は依存によって裏づけられている 自立ということを依存と反対である、と単純に考え、依存をなくしてゆくことによって自立を達成しようとするのは、間違ったやり方である。自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれ出てくるものである。子どもを甘やかすと、自律しなくなると思う

2019-06-11 14:06:11
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人がある。確かに、子どもを甘やかすうちに、親の方がそこから離れられないと、子どもの自立を妨げることになる。このような時は、実は親の自立ができていないので、甘えること、甘やかすことに対する免疫が十分にできていないのである。親が自立的であり、子どもに依存を許すと、子どもはそれを十分に

2019-06-11 14:16:05
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味わった後は、勝手に自立してくれるのである。自立と言っても、それは依存のないことを意味しない。そもそも人間は誰かに依存せずに生きてゆくことなどできないのだ。自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していること

2019-06-11 14:21:02
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ではなかろうか。依存を排して自立を急ぐ人は、自立ではなく孤立になってしまう。 p.97 24) 健康病が心身をむしばむ 健康病の恐ろしさは、伝染性をもつことであるし、そもそも健康病の人は他人に伝染させることを生きがいにしているようなふしがある。なぜ、健康病の人は他人のことを気にするのか。

2019-06-11 14:29:20
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それは自分のことが何となく不安なのである。健康第一にしがみついていても、何となく不安なので、どうしても仲間をつくり、しがみつく相手を増やしたいのである。多様な見方によって豊かな人生を送れるはずを、健康というただひとつのことに縛られてしまうことの精神の貧しさを指摘したい。p.104

2019-06-11 14:35:00
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25) 善は微に入り細にわたって行わねばならない そんな面倒なことはしたくない。ともかく善意でやっているのだから、と言う人は、それは自分が好きでやっているだけのことで、称賛に値しないどころか、きわめて近所迷惑なことをしているのだ、という自覚ぐらいは持ってほしいと思う。

2019-06-11 14:54:00
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ボランティア活動というのは、よほど気をつけてやらないと、逆効果を生ぜしめたりするものである。それが嫌な人は、微に入り細にわたってやっていただきたい。一旦それをはじめると、善を行うことがどんなに難しいことであるかがわかるだろう。自分では善と思っていても、本当はどうなのかはわからない

2019-06-11 14:59:19
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と思えてくる。善とか悪とかいうことよりも、自分の好きなことをさせていただいている、ということが実感されてくる。ウィリアム・ブレイクの「他者に善を行わんとする者は、微に入り細にわたっておこなわなければならない」という言葉は、こんなことにも関連しているのだろう。p.109

2019-06-11 15:03:03
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26) 「耐える」だけが精神力ではない 日本人は精神力が好きなようだが、それに輪をかけて出てくるのが、精神力を養うために、いかに耐えたか、という話である。スポーツに「耐える」ことを期待しているのは、どうも人生全般について、日本人は「耐える」ことが好きなためではなかろうか。

2019-06-11 15:18:10
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勝利を得るためには、耐えや苦しみがなければならない、と決め込んでいる。ところで、少し考えてみるだけでも、人間の「精神」というものが、耐えることだけに用いられるほど貧困なものだろうかという疑問が湧いてくる。「耐える」ことだけを精神力と思う日本のスポーツマンの訓練法が、

2019-06-11 15:21:59