スティーブン・C・ヘイズ、カーク・D・ストローサル、ケリー・G・ウィルソン著 武藤崇・三田村仰・大月友監訳
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花びんに水をدعونا نملأ المزهرية بالماء☘️ @chokusenhikaeme

先日来、引用しているのは解説書ですから、多少わかりにくいかもと反省しています。昨年に出版された第2版『アクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)』(星和書店)から平易な文章をあわせて抜粋するようにしまふ♡

2015-03-23 18:02:44
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どれほどたくさんの幻聴があり、どれほど多くのパニック発作を体験していたとしても、その人もやはり、考えて、感じて、記憶する一人の人間である。健康に機能するうえでは、幻覚そのものよりも、幻覚に対してその人がどう反応するかのほうが決定的に重要だろう。(p.15)

2015-03-23 18:08:54
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自殺は(アメリカでは)乳幼児には事実上みられないが学齢期初期からは早くもみられはじめる。全人口の10%が人生のある時点で自殺を企図し、別な20%が希死念慮に苦しんで自殺するための計画や方法を検討する。さらに別の20%は具体的な計画こそないものの希死念慮に苦しんでいる。(p.16)

2015-03-23 18:14:51
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人口全体のざっと半分が中程度から重度の希死念慮を人生のどこかの時点で経験する。希死念慮を「異常(アブノーマル)」なものと考えるなら、これは説明を必要とするほど大きな、衝撃的に高い発生率である。(p.16)

2015-03-23 18:17:50
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何よりも、劇的に「不健康」なこういった形態の活動が、ほとんどの人間の人生の中にある程度みられる一方で、他の動物にはみられない(よく例に出されるレミングの大量溺死は、水から這い上がろうともがき、水から出るのに成功した場合、そのまま陸地にとどまっているので、自殺の企図とはいえない)

2015-03-23 18:23:20
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としたら、そこからはある明らかな結論が導かれる。その違いをもたらす何かこそが、人間が生きる上での何か特有のものだろう。何らかの人間の心理に固有のプロセスがそこに機能しているはずであり、それこそが、これほど多くの心理的な苦悩をいとも簡単に引き起こしているといえる。(p.17)

2015-03-23 18:27:01
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人間は誰もが痛みを抱えている。ある人は他の人よりも多く痛みを抱えているというように、単にその程度に差があるだけのことなのだ。苦悩があるのは普通なことであり、これまで精神病理学によって「アブノーマル(異常)」とされてきた状態は、むしろノーマル(健常)なのである。(p.18)

2015-03-23 18:30:39
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それがどんな形であるかによらず「シンボルを用いた活動(symbolic activity)」のことを、人間の言語と呼ぶ。(p.23) 言語に振り回されるのではなく、それを使いこなす方法を身につけなければならない。(p.24)

2015-03-23 18:35:44
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苦悩は自分自身の内的世界への一種の自己免疫反応だといえる。苦悩を取り除くことによって苦悩を取り去ることはできない。なぜなら、人間は、必然的な困難を内に抱えた存在だからである。(p.27)

2015-03-23 18:38:36
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苦悩は、人々がマインド(言語的または認知的能力)の字義どおりの内容を強く信じ込むあまり、自分自身の認知とフュージョンするときに生じる。(p.29)

2015-03-23 18:41:30
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認知的フュージョン(Cognitive Fusion)は、言語事象(認知、言葉に彩られた感情、記憶、身体反応)の「行動調整機能」のこと。感情統制、理由づけ、言葉を真に受けることを推進する文脈下で問題になります。仏教の執着(attachment)、森田療法の囚(とら)われと似てます

2015-03-25 17:15:36
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人は、フュージョン(融合)している状態では、一つ一つの思考とそれに関連する事柄をあまりにも強く結びつけているため、意識(awareness)を認知的な物語から区別できなくなってしまう。(p.29)

2015-03-25 17:21:15
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意識と認知的な物語がこのように結合した状態では、その人が、言語を通じて社会的に伝達される指示に対し、盲目的に従ってしまう可能性が高い。(p.29)

2015-03-25 17:24:26
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自らの認知とフュージョン(融合)している人は、現実に起きている直接的な体験を無視する傾向にあり、環境からの影響に対しても比較的鈍感になりがちである。

2015-03-25 17:29:06
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彼らには自らのやり方が見事なまでに見えていないため、これまでおこなってきた基本的な対処の仕方を変えてみようなどとはつゆも思わない。それはまるで、自らのマインドによって作り出されたルールの檻に監禁されているかのようである。(p.29)

2015-03-25 17:31:48
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マインドによるルールは、根拠もなく作り出されたのではなくて、内容的には、個人の健康とそれを達成するベストな方法について、その文化特有の指向に従っている。また「問題の解決には、言語ルールと考え練り上げた対処プランこそがベストかつ唯一の方法である」という前提に暗黙裡に基づいている。

2015-03-25 17:37:05
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フュージョンしている状態にあっては、気分変調性障害のある人は、そもそも「正しい在り方」というものがあって、「正しく在る」ことこそが幸せであるというルールに従っている。すると、その人は正しい気持ちを感じるために絶えずもがき(struggle)はじめるようになる。(p.30)

2015-03-25 17:42:22
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自らのコントロール感を維持するためにも、好ましくない反応が起きつつあるサインを早いうちに発見できるよう用心深くなっておかなければならない。こうした正しい気分になろうとするための苦闘という解決策は、警戒、そして内的・外的環境への監視を強め、自らのコントロールを高めることで成り立つ。

2015-03-25 17:47:26
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しかし、そういった自己観察や評価を行うこと、感情的に反応すること、コントロールしようと努力すること、そして一層自己観察しようとすることなど、クライエントたちが自らに課すこういったサイクルは、本当の意味での障害の解決策などではない。むしろ、それこそがまさに障害なのである。p.31

2015-03-25 17:51:35
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私たちは、マインドが有効な時とそうでない時とを区別するトレーニングを受けていない。

2015-03-25 17:57:41
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フュージョンしている問題解決モード(problem-solving mode)から、記述的に従事するモード(descriptively engaged mode)へというように、マインドのモードを切り替えるスキルを発達させていない。(p.31)

2015-03-25 17:58:44
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苦悩のサイクルの中でのもうひとつのプロセスは、体験の回避(experiential avoidance)である。これは、苦痛になると予想される体験を抑制、コントロール、または除去するように促す心理的なルールが内面にあって、意識がそれとフュージョンしていることから生じる。(p.32

2015-03-25 18:03:45
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望まない私的出来事を回避、抑制、または除去しようとする試みには、本質的なパラドックスが伴っており、それらを試みることで、避けようとしている当の体験の頻度と強さをむしろ急激に高めることになる。

2015-03-25 18:06:57
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最も苦痛を伴う内容については、とうぜんながら、随意的な行動によって制御できるようなものではない。クライエントに唯一残された方略が、感情的もしくは行動的に回避することになるのである。

2015-03-25 18:10:44
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しかし、この方略を長期にわたって採用し続けると、その人の生きる空間は縮み、回避すべき状況は膨れ上がり、回避したいと願う当の思考と感情はさらに押し迫ってくる。結果として、その人は、現在の瞬間にしっかりと入り込んで人生を楽しむ力を次第に失っていくのである。(p.32)

2015-03-25 18:15:40
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認知的フュージョンと体験の回避は、いずれも私たちが自分を何者と考えるかに大きく影響を与える。私たちは、自らで作った物語にますますがんじからめになっていき、自らで築いた自己概念が脅かされることが人生にとっての一大事となっていく。

2015-03-25 18:20:52
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たとえ、自分自身のルールの外側にはさまざまな可能性が秘められていたとしても、物語の筋に沿わないそういった事実は避けられるか否定されることとなる。この傾向は、その物語がどんなに酷くてもどんなに楽観的でも変わらない。(p.33)

2015-03-25 18:25:31
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私たちは、物語のつじつまを合わせたいがために、都合の悪い事実を無視しようとして、結果的に新たな事実から学ぶ機会を失ってしまう。(p.33)

2015-03-25 18:28:47
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「confidence(自信)」の語源。「con-」は「with(共に)」。「-fidence」はラテン語の「fides」からきていて、それは fidelity(忠実)と faith(信頼)の語源でもある。つまり、「confidence」は字義的には「忠実に」や「信頼して」の意。

2015-03-30 17:00:00
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いうなれば、それは自分自身に忠実であることを意味する。もっと自信を持ちたいといって恐怖から逃げるならば、まさにその行為は自己への忠実さや自己への信頼のなさの証明であるため、回避は自信のある行為にはなり得ない。

2015-03-30 17:03:26
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恐怖が表われた瞬間にその人が振舞うことのできる行為の中で、機能的に最も自信に満ちたものとは、それらの感情を全面的に感じることである。体験のアクセプタンスこそが、真に自信に満ちた行動なのである。(ACT第2版、星和書店2014.9. pp.122-3)

2015-03-30 17:07:54
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人間の感情反応とは、自分自身の歴史がそのときの文脈によって「今」へと引き込まれてきた〈こだま〉にすぎない。もしも私たちの反応が自分自身の歴史に根差したものであって、私たちの反応が私たちの敵であるならば、私たちにとって自分自身の歴史は敵だということになってしまう。

2015-03-30 17:12:08
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しかしながら、個人の歴史を取り消してしまうような効果的な方法は存在しないし、取り消したいものを選んで取り消すようなことはできない。時間も人間の神経系も二方向に進むことはなく、常に一方向にしか進まない。新しい経験はいつでも足し算であって、決して引き算されることはない。

2015-03-30 17:15:53
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歴史に根差した自動的な感情反応を避けようとすれば、心理的には、自分自身の歴史と接触しないような方法で人生を歪めなければならなくなる。体験の回避があると、ネガティブな感情が制限されるだけにとどまらずに、ポジティブな感情も失われ、健全な感情的区別と柔軟性も欠くようになる。(p.123

2015-03-30 17:20:48
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体験の回避に代わるのは、くるりと向きを変えて、その瞬間の体験に対しては、判断を加えずに、格闘することなく、受け止めることである。自らの歴史のすべてを招き入れるような開放的で包み込むような仕方によって、少しずつ自らの感情を変容していける可能性が生まれる。(P.123)

2015-03-30 17:25:01
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アクセプタンスは、あきらめやガマンではなく、能動的なプロセスである。Harrisはアクセプタンスの代わりに、エンハンスメント(促進、enhancement)という用語を使っている。

2015-03-30 17:33:06
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アクセプタンスは、簡単にルールに支配されない。「オープンで柔軟にすべきだ」という指示自体、それはまさにアクセプタンスではない。アクセプタンスがこの種のマインドの問題解決モードとリンクされてしまうと、もうそれは、まったくアクセプタンスではなくなってしまう。(p.124)

2015-03-30 17:35:16
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✄---------- 『凹んだ心はいつかふくらむ』を、ACT的に考える。3/25からの続き。--------✄

2015-04-04 16:37:46
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たとえ人生のチャンスが目の前に現れようとも、マインドの物語にとらわれた人には、それと一致しないチャンスには気づくこともできないだろう。あまりに熱心にマインドが語る自分自身になろうとのめり込むと、明らかに一歩引いたほうがよい時でさえ、そこから抜け出ることができなくなってしまう。33

2015-04-04 16:42:20
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物語の矛盾に気づかされた瞬間、その人は自らの物語から足を踏み外すことになる。そのため、認知的フュージョンと体験の回避の下では、そうした予期しない結果を避けておくためにも、注意は狭められ、柔軟性は欠いたままでなければならない。やがて時間と共に「人生がマヒしたような感じ」が立ち込める

2015-04-04 16:47:05
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言ってみれば、人生が自動操縦状態になる。そのヒトの行動は、欲求制御(appetitive control)よりもむしろ嫌悪制御(aversive control)の下で起こされるようになる。自然な誘因よりも回避と逃走により強く支配されるようになる。

2015-04-04 16:52:26
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人生の最も重要な選択は、苦痛な内容をいかに引き起こさずにすむかに基づいて行われるようになる。結果として、人々は、一つ一つの出来事、相互作用、または状況のはらむ危険性をチェックするのに忙し過ぎて、人生のコンパスが指す方向性を完全に見失ってしまう。『ACT第2版』星和書店(p.34)

2015-04-04 16:57:17
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思考と感情が何においても重要性を増し、行動に対し実質的に指図するようになってしまうと、むしろ私たちは心を開いた状態で感情や思考を体験するといったことをしなくなる。結果的には、思考や感情から学び取るべきことに耳を貸さなくなるのである。(pp.34-5)

2015-04-04 17:03:11
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機能的文脈主義では、信念は、その信念を抱いていることが有用(utility)かどうかに基づいて正当化される。プラグマティックな真理基準には、実在論の要素が含まれない。言語と認知に対する常識的な考え方に深く染み込んだ実在論的な要素をその日その日で手放していく。

2015-04-04 17:22:16
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ACTは、非実在論 ( a-ontological ) であって、反実在論 ( anti-ontological ) ではない。(pp.55-58)

2015-04-04 17:26:12
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ひとたび関係づけという学習が生じれば、それは抑制こそできても、未学習の状態にすっかり戻すことなどできない。「学習解除(unlearning)」と呼べるようなプロセスは存在しないのである。(p.79)

2015-04-04 17:34:21
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思考を変えようとするいかなる努力も両刃の剣である。論理的に役立つはずのものが、必ずしも心理的に役立つとは限らない。(p.81)

2015-04-04 17:37:07