ちょうどこの穀雨の夜風のように。 「ほう。それはなんとも楽しそうだな。ぜひとも、俺も混ぜてはくれぬか」 「アンタがかい?まあ主に聞いてみれば否とは言わんだろうが……」 「どうした。何か問題でもあるのか」 「いいや?しかしなんだ。アンタはもっとこう、戦ごと以外には淡白に見えた
2021-04-23 05:48:21ものだからなぁ」 「主にそこまで興味があるようには見えなかったと?」 「……ま、正直に言うとそうだな。とは言っても、この本丸の連中は皆どこかしら主に甘いとは思っていたが」 一番の新参である己を棚に上げてよく言うものだ、と三日月は胸中に独りごつ。 「まあおぬしの言う通りだ。長く生きる
2021-04-23 05:48:21我らにとって、若い主は孫のようなもの。話をされれば耳を傾け、聞かれれば答えを授け道を示すというもの」 「そいつはまた。天下五剣に授かる知恵とは大層徳がありそうだ。……それで、主はどんな教えを請うたのかな」 微温い風が三日月の頬を撫でる。 試すような、値踏みするような不遜な瞳。
2021-04-23 05:48:22三日月は老獪を装う時よりも勝気なその意気の方が心地よいと感じた。 だからこそこちらも試さずにはいられまいと。 「——名を捨てるとはどんな心地か、と聞かれた」 「……!」 虚を突かれた片目が見開かれる。 「主はここに来る時に本来の名を捨てている。審神者は皆そうらしい。どこの時代の誰か
2021-04-23 05:48:22割り当てられれば、存在ごと消されかねん。まあ、政府にいたおぬしからすれば、今更講釈をたらされる話でもないか」 「……そうさな。監査官の権限を持ってしても、審神者の真名を開示することは許可されちゃいないくらい、名とは重要なものだ」 「名は体を表す。名は俺たちを形作り定める縛りであり、
2021-04-23 05:48:22人の与えし我らの誉。……それは多少重みが違っても、人の子にとっても変わりはない。では、その名を捨てるとは、如何なる意味があるのか」 月影が雲に隠れる。則宗の表情は暗がりでよく見えない。 「……やれやれ。おしゃべりな口にも困ったもんだ」 「はっはっは。秘密にしておきたいことはきちんと
2021-04-23 05:48:22言い含めておかなければ、この本丸では隅から隅まで筒抜けだぞ」 「壁に耳あり障子に目あり、だな」 うはは、と楽しげに笑ってみせる口元が見える頃には、その指先が主の髪を鷹揚に梳いている。 まるで今にも壊れそうなものに触れるかのように。それは、刀の身であった頃には到底叶わなかったこと。
2021-04-23 05:48:23嗚呼。三日月は思った。 「……愛しているのか」 「あぁ、愛しているとも」 言葉に迷いはなく。それでも金糸に縁取られた瞳は寂しげで。 「……俺たちは刀だ」 「知っているとも」 「守るのも役目だが、主を戦に導き、勝利をおさめ、また次の戦に誘う。その足並みを乱すことを看過するわけにはいかん」
2021-04-23 05:48:23ひたり、と舞い散る桜すら斬り払う静寂が落ちる。 「それは本丸の仲間たちのためか?」 「そうだ。そして何より、それこそが主のためだ」 「……主のため、か」 微苦笑。そして、眠る幼子を見守るようだった瞳がこちらを向けば、凪いでいた水面が潤んでいることに三日月は息を呑んだ。
2021-04-23 05:48:23「捨てられるものならば、捨てたかった」 この刀は、己よりもよほど——。 「名も、物語も、刀であることすら忘れて、この手を取ってどこか」 遠くへ。 三日月の脳裏に浮かぶ光景。 幼き主の手を引いて、同じように楽しげに笑うその顔は、まさに。 「けれどそれは見果てぬ夢」 ぱちりと扇を閉じて、
2021-04-23 05:48:23ゆったりとした瞬きひとつ。揺れる湖面はまたもや霧の向こうに追いやられる。 「それができぬからこそ。そうしなかったからこそ、今の僕はここにいられる。届かぬからこそ美しいものも、この世にはいくらでもある」 「……そうか」 その言葉を聞いて、少し安堵した気でいた時であった。
2021-04-23 05:48:24「——だがこれは僕のものだ」 ギラリと霧の帷を割いて虹色の瞳が光る。 月虹だ。三日月宗近は我を忘れて見惚れていた。 美しいと謳われてきた欠けたる月の己よりなお儚く、しかして眩く鮮やか。 「人の与えし名も、物語も、この愛すらも、捨てろというなら手放そう」 喪失を重ねたこの刀が得たのは、
2021-04-23 05:48:24諦念か深い絶望か。 「それでも。この僕が抱いた想いだけは、僕ただ一振り(ひとり)のもの。たとえ千の時を重ねし宝剣であっても、譲るつもりは毛頭ない」 けれどその下では、その身を鍛ちし焔にも及ぶ情念が渦巻いている。 なんという、歪な美しさであろう。 それを一身に受ければ、主の器はたやすく
2021-04-23 05:48:24ひび割れてしまうことを知っているのだから。 「主は、よき縁に恵まれたな」 「……本気で言っているのか」 鼻を鳴らして笑う様に滲み出す血の気の多さを、彼女の愛する近侍と比べたらさすがに気に障るだろうか。 玻璃の盃に清酒を注ぎ足して、三日月はしたりと笑う。 「俺としては、いつもそのくらい
2021-04-23 05:48:24の威勢でいた方が、この本丸では馴染みやすいと思うがな」 はた、と目を丸くする顔はいっそ幼くすら見える。 「……ああ、ったく。あまりじじぃを揶揄わんでくれ」 「ははは、じじいとしては俺の方が先達だからな」 「アンタの前だからこそ言ってるのさ、くそじじい」 緋扇の向こうに赤面を隠す姿など
2021-04-23 05:48:25主の前では折れても見せたくはないに違いない。 だからこそ、その想いの一端を見られてよかったと思う。 盃を差し向けて、三日月宗近は瞳に映る月光を細めた。 「俺は、おぬしを好ましいと思うぞ。一文字則宗よ」 ぱちん、と扇を閉じれば月虹の瞳に見合う挑戦的な笑みを佩く。 「光栄だ。三日月宗近」
2021-04-23 05:48:25求愛給仕
「くぁーっ、つかれた〜」 「おつかれ。少し休憩を入れて夕食にしよう」 「そうだねぇ。最近大広間にあんまり顔出せてないなぁ……長義も付き合わせちゃってごめんね?」 「気にするな。それが近侍の務めだ。それより、何か食べたいもののリクエストはあるかな?」 「えっ、長義が作ってくれるの!?」
2021-04-23 19:39:53「特別にね」 「じゃあボンゴレパスタ」 「……昨日もパスタじゃなかったか?」 「昨日はボロネーゼで今日はボンゴレビアンコの気分です!」 「はいはい」 「わーい、今片付けてっ……とと!」 「おっと。立ちくらみを起こしてるじゃないか。水分をとって大人しく待っていることだな」 「はぁーい」 *
2021-04-23 19:39:54「ん〜!おいひかったぁ!」 「まだ書類仕事が残っているんだが……なぜワインボトルが出ているのかな」 「大丈夫だよぉ〜。まだそんなに酔ってないし」 「知っているか? 酔っ払いは皆同じことを言う」 「えへへ〜。でも、長義がこんなに料理が上手なんて知らなかったなぁ」 「まあ君にできて俺に
2021-04-23 19:39:54できないことはあまりないかな」 「ふふ、だったら万が一わたしがぽっくり逝っちゃっても、引き継ぎとかぜんぶ任せちゃえるね〜」 「…………、」 「にゃ〜んて、冗談だけどぉー……」 「…………君が俺の作る料理を毎日食べてくれるなら、考えなくもない……って、もう聞いてないか」
2021-04-23 19:39:54「…………お前、そういうキザなこと言えるタイプだったんだな」 「……そこに直りたまえ猫殺し。直々に俺の切れ味を味わうといい」 「にゃっ!? 理不尽だ……にゃ!」
2021-04-23 19:39:55こぼれ話
近頃万屋で評判の椿様(@Etoile_de_sucre)のお店から小包が。みればなんと長義から。このところ気になってチェックしていたお店で贈り物を選んでくれるなんて伊達な振舞いが様になるのもさすが。でも誕生日でも就任記念日でもないのに?と不思議に思って開けて驚きと赤面。後でよく話し合わなきゃ……。 pic.twitter.com/xUIE8ens3q
2021-05-26 21:39:12椿様(@Etoile_de_sucre)の人気店É toile de sucreに弊本丸の則宗さんがお邪魔したようです。……長義にお店のこと聞き出したそうだけど、なんでイヤリングなんでしょう。そういえばこの前、則宗さんから「ピアスを開けないのか?」って聞かれたけど、まさかそういう……? pic.twitter.com/LLt8y2CTq7
2021-06-10 14:15:28則宗さんが1周目ドロップで来たから惚気ます。鍵15本分の計算して来月も出費がかさむな……副業しようかなと思ってたら「お前さんが体を酷使して稼いだ金で手に入れられたくはないな」と言われるので、じゃあどうすれば……って困ったら「僕に任せておけ。なに、全て上手く運ぶ」って笑ってくれたの。 pic.twitter.com/xMPBUMwQT5
2021-06-23 23:58:17先日椿様(@Etoile_de_sucre)のお店を訪ねて、以前贈られたネックレスのリペアーと、素敵なピンキーリングを作成していただきました。ネックレスと一緒に身につけると、とても映えるデザインで嬉しいです。椿様のアクセサリーのファンなので、是非また来店させていただきたいです。 pic.twitter.com/SnVqiUevzE
2021-08-01 13:15:35というわけで、再来店にまつわるエピソードをSSにさせていただきました。椿様のお店の内装などを一部捏造しています。加州くんを苦労人にさせてしまって申し訳ない……。こんな本丸ですが、今後ともよろしくお願いいたします。(4/8) pic.twitter.com/fp4uqTZNfM
2021-08-01 13:20:54揺り籠の夢に黄色い月がかかるよ
『揺り籠の唄を 金糸雀が歌うよ』 遠く、声が聞こえる。あたたかく優しい声。横になった背をポンポンと叩いてあやしてくれたのは、誰だったか。 「お前さんは本当にその子守唄が好きだなぁ」 鼻歌を止めて振り向けば、そこには湯気を立てたマグカップを持った則宗さんの姿。 「どうかしたんですか?」
2021-06-24 04:56:58「どうかしたも何も、もうすぐ空が白けようというのにこんな時間まで主の部屋に明かりが灯っているからな」 笑みを佩いた口元から発する声は低く落ち着いているのに、何故だか見咎められた子どものような気分にさせられる。 「それは……」 「わかっているさ。お前さんの体のことも、ここに来る前から
2021-06-24 04:56:58知っている」 それは監査官として事前に情報を調べてきたということか、あるいはそれ以外の意味も含んでいるのだろうか。 なんと返すべきか分からず曖昧に笑っていると、コトリ。マグカップが机に置かれて、背中と座椅子の背もたれの間にするりと音もなく入り込まれた。 「ちょっ、御隠居様……!」
2021-06-24 04:56:59がっしりとした体つきのわりに、こういうなめらかな動きはまるで大きな猫みたいだと思う。 戯れにそう言ったら、本当に縁側で膝を枕に占拠されて恥ずかしい思いをしたのでもう言わないが。 「この座椅子はそろそろガタが来ているなぁ。今度買い換えよう」 全く人の話を聞く気がない。どころか、当然の
2021-06-24 04:56:59ように腰を腕に回して左肩に頭を乗せないでほしい。 後ろから抱きすくめられる姿勢はとても落ち着かないのに、上背を丸めてしなだれかかるようにする癖のある彼のせいで、肩に触れるぬくもりと頬を撫でるふわふわした毛先の感触には随分と慣れてしまった。 「もう……」 「うはは、これが山姥切の坊主
2021-06-24 04:56:59なら問答無用で寝床に放り込まれるだろう? 夜明かしに付き合ってやるのは僕のせめてもの優しさだ」 「だからってこんなに近くなくていいと思うんですけど」 「ふうむ」 つつっと、指貫のグローブから露出した人差し指と中指に手首を撫でられ肩が揺れる。 「ひゃっ、」 「そら。冷房ですっかり体が
2021-06-24 04:56:59冷えているだろう。じじぃのぬくい体で暖を取るといい」 「セクハラって知ってます!?」 ぎゅうぎゅうと身を寄せてくる刀に慌てて抵抗すると、ハッとするような色の瞳にひたりと見つめられる。 「誰にでもこんなことをすると思うのか?」 「そ、れは……」 「第一、こうして僕がお前さんに触れられる
2021-06-24 04:57:00こと自体が、心を許してくれている証左だと思っていたんだがなぁ」 「……そう、ですけど」 否定はできない。だが、認めてしまうとどこまでエスカレートするか分からないから、答えを濁すしかない。 「なぁに、昔はよくこうやって抱っこしてやったし、お前さんからも抱きついてくれたんだ。少し大きく
2021-06-24 04:57:00なったからって恥ずかしがることはない」 私にそんな記憶は存在しないんですけど。 当然そんな反論はとうの昔にしているが、聞く耳を持たれた試しがない。 逞しい腕、ふわりと香る甘くてほんの少し霞みがかったような彼の香り、鼓膜を揺らす低く落ち着いた声に逐一こちらは心臓を高鳴らせているという
2021-06-24 04:57:00のにずるいと思う。 「薬を飲む時は白湯だったな。ふうふうしてから飲みなさい」 「子どもじゃないんですから」 慣れた手つきで文机の引き出しからピルケースを出されてしまって、仕方なく言いつけ通りにする。 「いい子だ。僕は聞き分けのある子は好きだぞ」 「わたしはそんなにいい子じゃないです」
2021-06-24 04:57:00「それはそれで、威勢が良くて可愛げがあるというものだろう」 はふりと長い睫毛を揺らせて事もなげに笑うから、なんだかんだといつも流されるというか、丸め込まれてしまう。 体を包み込むぬくもりのせいか、薬がゆっくり回ってきたのか、少しずつ瞼が重くなってくる。 無意識に体重を預けていると、
2021-06-24 04:57:01とんとんと心地よい力で腹部を撫でられて不思議な安心感に身を委ねてしまう。 「のりむねさ……」 「大丈夫だ。あとで寝床に連れていってやるから、ゆっくりおやすみ……僕の愛しい子」 どうしてそんな風に呼ぶの。 わたしはあなたにとっての何なの。ついぞ聞けないでいる問いを口にする間もなく、
2021-06-24 04:57:01微睡みに落ちていく。 「ねんねこ ねんねこ ねんねこよ」 いつかの誰かの歌を引き継ぐように、懐かしい声が柔らかい夢を呼び寄せながら響いていた。
2021-06-24 04:57:01或る愛の物語
愛は川のようだと、人は言う。 それは時に強すぎる期待で、柔らかな苗木を根こそぎ押し流してしまう。 『男の子を産めなくて、ごめんなさい』 祝福されて然るべき命を前に、落胆した声で顔を覆う女。職務にあたっては優秀でも、母になることにはきっと向いていなかったのだろう。
2022-04-08 01:39:27己の行く末を知る由もなく、たくさんの祝福された赤子たちと共に並べられ、安らかに眠る顔を、窓越しに僕は見つめていた。 遠い、どこかの記憶が蘇る。 『のりむねさん!』 物の愛を、疑わず享受していた幼子の声。 「──ッ、」 愛とは鋭い刃だ。骨と骨の境目を貫いて、魂に消えない傷痕を残す。
2022-04-08 01:39:28* 「……カウンセリングを、受けさせるべきだと進言する」 「定期的なヒアリングは受けているし、専門医もついているんだろう」 「専門医の治療と経過を見た上で、このような状況になっているゆえの提言なんだが?」 「そうは言っても霊力は変わらず良好。薬事療法で睡眠も安定しつつあるんだろう?」
2022-04-08 03:09:43対面の刀は、キツく眉を寄せながら皮肉げに笑う。 「防人にすら任期はあるのに、防波堤となる本丸が維持できる限り、その主の心などどうなってもいい、ということかな」 「物であるお前さんがそれを語るのか?」 「物であるからこそ、と言ったら?」 対面会議用の個室にピリリとした空気が走る。
2022-04-08 03:09:43