✄------------ 『自己愛家族』 第2部 自己愛家族で育った大人の治療 第8章 信頼と治療 ------------〆(・ω・o)
2015-12-10 19:20:59虐待を受けた人たちは、親から与えられた情緒的支えが少なければ少ないほど、わずかばかり持っているものを失う恐怖が大きいのが通例である。
2015-12-10 19:23:31オヴィディウスによる神話では、ナルキッソスは繰り返しエコーに向かって自分に触らないでくれと言う。「手を放してくれ! 抱きしめないでくれ!」 自己愛家族の出身者たちが成人してから親密な関係を保持するのが難しいのはなぜなのかについて
2015-12-10 19:33:15親密とは、信頼の上に成り立つものなのだ。信頼があれば、人は他者に心を開き、防衛的な構えを捨てて、オープンにコミュニケートできる。
2015-12-10 19:37:27信頼がなければ、「近付け/あっちへ行け」のダンスが始まり、「あなたを入れてはあげるけれど、あまり奥まで、あるいはあまり長い時間はダメ」という態度になる。それによってフラストレーションや憎しみを引き起こされ、たいていの場合関係が切れてしまうのである。
2015-12-10 19:41:19もちろん例外はいつでも存在する。(相反する二つの)混在したメッセージがあるにもかかわらず、関係がまだ機能していると信じて、そこにしがみついている夫婦や恋人たちもいる。
2015-12-10 19:47:10しかし、彼らは例外なのであって、自己愛システムの中(特にトラウマを受けるほど虐待された場合)で育てられた人との関係の中に、その人からマイナスの影響を受けずにいられることはきわめて困難である。
2015-12-10 19:52:08「お前が悪い、お前のせいだ、お前は要求しすぎるんだ」(反対に、「皆私のせいなのです。私はいつも失敗ばかりするんです」)というような言葉を繰り返し、いつのまにか信じ込むまで聞かされて、それでもこのようなメッセージに心が傷つけられずにいられるというようなことは、きわめて困難である。
2015-12-10 19:59:01多くの場合、関係はそれが終わりになるか――そこで健全な人は自分を救うことができる――あるいは健全な人の方が影響を受けて、サバイバー対救援者の関係になり、救援者が少なくとも機能不全の一端を担う形をとるかである。 信頼の本質的な要素がなければ、親密は成立しない。
2015-12-10 20:04:39そこで私たちは、信頼というものは決して学べるものではないし、学んで身につくものではないという、信頼の問題に到達する。Id. at 133
2015-12-10 20:08:05サイクル 信頼しないことを学習するサイクルは、自己愛家族で育った子どもたちに次のようなことをもたらす。
2015-12-10 20:14:33「私はつらい。本当に面倒を見てくれる人は一人もいません。私が感情を持つことを自分に認めれば、いつでも私は傷ついてしまう。私は感じることをしたくない。感じたくないのです。私には感情がないのです。もし私が感じられないのなら、私は存在しません。
2015-12-10 20:19:25私は存在しませんけれど、観察したり、適応したりすることはできるのです。私は自分をなくし、生き残るためにそうでなければならない者になることができます。そうすれば私は人間関係を持つことができるのです。
2015-12-10 20:23:07私は人間関係を持ちますが、人を信じることはできません(人は私を傷つけるでしょう)。そして私自身だって信じられません(私は存在していないのですから)。だから私は人をあまり近付けることができません――人はきっと私が存在していないことに気づくでしょう。
2015-12-10 20:27:32私自身を守るためには、私がそれを心から望んだとしても、親密さと分かち合いの関係を持つことができないのです。そこで私は自分の人間関係をごまかしてしまいます。そして人間関係を失います。私はつらい」(こうしてサイクルは続く)
2015-12-10 20:31:20男と女の親密はしばしば性的関係が含まれるので、セックスがよく問題となる。性的機能不全の問題は第9章(次章)で取り上げる。
2015-12-10 20:33:23✄------------ 分裂(スプリッティング Splitting ) p.134- ------------〆(・ω・o)
2015-12-12 03:03:13感情的に不毛だった子ども時代を通じて自分の感情から「分裂」して自分自身生き永らえることを可能にしてきた資質そのものが、大人になった彼らに苦痛を与えるというこのことが、このパラダイムの皮肉な点の一つである。
2015-12-12 03:08:28すべての人間は親密な関係を必要とし、求めている。親密な関係を築くことができないと、人は感情的に奪われた感じを抱く。
2015-12-12 03:10:00自己愛家族で育った大人は、自分の感情から分裂することを学ぶ。分裂というメカニズムを使って、事態に対処する能力を身につけることによって、多くの子どもたちは生き延びてきた。
2015-12-12 03:18:13自分が置かれた状況の現実を直視すること、すなわち見捨てられ不安が現実的なものであり、頼るべき人は誰もなく、完全に自分だけが頼りだということを実際に知ることは、子どもの自殺を招くであろう。小さな子どもでも自殺は実行できる。だから分裂は非常に実際的な保護機能を持っているのである。
2015-12-12 03:23:46Young children do kill themselves; splitting thus has a very real protective function. ( Kindle 1293 / 2028 )
2015-12-12 03:31:49人は誤りを犯してもよい。事実、私たちは成功よりも誤りからずっと多くを学ぶ。誤りは、違った形での本当の学びの体験である。 Id. at 129 twitter.com/muratagenzou/s…
2015-12-12 09:46:45In fact, we learn far more from our mistakes than we do from our successes, so mistakes are really learning experiences in disguise.
2015-12-12 09:55:10それ以上に深刻な離人症または分裂の形態は、子ども時代の性的、そして身体的虐待のサバイバーに見出される。
2015-12-18 13:30:20近親姦及び他の形の成人および子どもの性的虐待を専門に扱うセラピィでは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と、境界性人格障害、そして多重人格障害(MPD)と診断される患者が異常に多く見出されるであろう。個人の感情を構成する要素を、身体と再統合することは、長くかかる困難な仕事である。
2015-12-18 13:38:52著者たちは短期療法の提唱者(経済的理由と倫理的および実際的理由から)であるが、トラウマティックな性虐待の被害者は、一般に長期の患者である。これらの人たちがセラピィに入る時に、よく「どれくらいの期間かかるでしょうか?」と尋ねられる。
2015-12-18 13:44:59「2年から5年です」というのが著者たちの答えである。おもしろいことに、女性はこの返事をたいてい受け入れるが、男性の場合は短くできないか交渉しようとする。そこで著者たちは話し合いで18か月まで短縮し、18か月経ったところでもう一度話し合うことにしている。
2015-12-18 13:50:32中には必ずしも毎週面接する必要のない人々も含まれるが、それは2年から5年――あるいはさらに長くかかる。組織的で、長い期間続いた子ども時代のトラウマは、その他の患者には見られない、あるいは少なくとも同程度の深さや強さでは見られない、全体的な広がりを持った対処機制を発達させる。
2015-12-18 14:33:18トラウマティックな虐待ケースにおける極端な対処機制 (Id.at 135- ) 自己愛的な家庭の子どもたちは反映的/反応的である。彼らは自分自身の要求よりも、親のシステムの要求を反映し、自発的というよりむしろ、反応的な行動スタイルを身につける。
2015-12-18 14:43:30親のシステムが暴力的な虐待(深刻な殴打、レイプ、あるいは儀式化された拷問)を含む場合、反映性/反応性は極端に複雑になる。
2015-12-18 14:49:08今や単に離人的(苦痛に対する防衛として、身体部分から感情部分を引き離す)になるのではなく、分裂と断片化を起こすかもしれない(怒りの感情はあっちに、やさしい気持ちはそっちに、裏切られた思いは後の方に、殺意はその下の方に、といった具合に)。
2015-12-18 15:11:49著者たちの治療ではこの断片化を――精神異常のない――虐待によってもたらされた対処機制であるとみなす。
2015-12-18 15:19:31このようなサバイバーの中のある人々に、治療者が多重人格障害の診断を下すことが増えている。
2015-12-18 15:25:09この症状(断片化)について、子ども時代には役に立ったけれど、今は手放すべき対処機制であるとみず、その中に病気がある、あるいはそれ自体が病気なのだと不用意に励まされて、固定化される危険があることを著者たちは心配している。
2015-12-18 15:26:13断片化されたパーソナリティーを持ち、MPD(多重人格障害)と診断されてもよい人々――これらの人々は、実際この障害と診断されることを恐れている。むしろこれらの人々をPTSD(心的外傷後ストレス障害)、あるいは境界例の範疇で扱うことが望ましいと著者たちは考えている。
2015-12-18 15:32:54熟練したセラピストなら誰でも知っている通り、パーソナリティーの中でのある程度の不一致は正常であると考えられる。その他の点では適切に機能している人々の中のこの不一致を、著者たちは社会化と呼び、診断カテゴリーでなく、スキルと名付ける。(Id. at 136)
2015-12-18 15:40:38症状に必要以上に注目することは、それを固定することになる。トラウマティックな虐待の被害を受けたサバイバーは、しばしば自己の感覚が弱い人が多い。そしてそのことだけで非常に暗示を受けやすい。セラピィにおいて、子ども時代に発達した解離的対処機制がMPDになることは容易である。
2015-12-18 15:46:52人格たちに名前を付け、それぞれ違う名前で呼ぶように扱うことで、それらの人格をより深く固定してしまう可能性もある。著者たちはこのようなサバイバーを対象とするセラピストに注意を促している。患者の感情をカプセルに封じ込め、症状を固定化させるような治療法に飛びついてはいけない。
2015-12-18 15:55:26保護者による性虐待、近親姦のサバイバーへの自己愛家族モデルの適用 (Id. at 139- )
2015-12-18 15:59:56トラウマティックな虐待の被害者、特に保護者から性虐待を受けた人々は、それに特有の恥ずかしさを感じるものである。子どもを護り養育するはずの人物が虐待する者である場合に受ける被害は、並々ならぬ被害である。子どもが傷ついた時に、普通なら慰めを与える人物が傷つける人間になる。
2015-12-18 16:15:47著者たちが聖職者による性的虐待を近親姦に含める理由は、牧師(あるいは尼僧、神父など)は、家族から、しばしば呼び名までファザー(あるいはシスター、ブラザー等)と呼ばれていて、その役割を与えられていることにある。
2015-12-18 16:22:46そしてこれらの人々の霊的な保護者、神の人としての役割が、子どもの両親あるいは主たる保護者以外の、子どもたちの人生における他の人々より、彼らをその重要性/価値においてずっと高い位置に据えるのである。
2015-12-18 16:27:25聖職者に性的に犯された人は、それが子ども時代でも大人になっての被害であっても、親から性的に犯された場合と同様に、その被害について同じくらい責任を感じる傾向がある。
2015-12-18 16:30:02虐待をもっと大きな枠組み――自己愛家族モデル――の上に置くことは、これらの患者の汚名を着せられた感じを軽減するのに役立つだろう。
2015-12-18 16:36:53彼らは自分の原家族では、どんな理由にせよ、①子どもたちの要求や、感情に第一番に関心が向けられず、②子どもたちが長い間問題を抱えなければならないように働き続けるシステムがあり、③このようなシステムの中で育てられていれば性的虐待も起こり得る、という現実を見るのを助けられるだろう。
2015-12-18 16:43:02虐待のリフレーミングは助けになる。それはそのことを定量化し、大きな全体の中の一部分にして、これらの患者たちに、自分だけが他の人と違うという感じをあまり持たせなくなるのである。近親姦被害者である孤立した感じ、違和感、無価値観は、治療における重大な問題をもたらす。
2015-12-18 16:51:22虐待をリフレームすることはそれを小さなものにすることではない。しかし、サバイバーたちに彼らが「別だ」と思うのでなく、「一部だ」という感じを与え、個人が何かしたとかしなかったとかいう問題から、自己愛家族それ自体へと視点を広げるのである。(Id. at 140)
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