@RayCrosmy ですから、 天鈿女命の子孫とされる、皇子女の出産や育児に携わる女官の中でも、殊更記憶力が良いとされる、脳のリミッターを外して神話や神々の蘇我を伝承できる能力を備えた女性が、稗田阿礼の正体です。
2022-08-13 18:05:24@RayCrosmy 皇子女を養うために、姬姓斎皇家が息長庄に構えていた、阿礼の宮に在籍した、姬姓斎皇家の外家に属する女官達の総称と見て間違いないでしょう。その伝承のおおもとは斎皇と考えるのが妥当です。
2022-08-13 18:05:54@RayCrosmy 天武天皇が草薙剣に祟られたという話に戻すと、コレは草薙剣を熱田神宮に返還するための口実であって、大王の古い時代は終わったので、天皇を名乗るのに相応しい新たな皇位の象徴として、古びた蛇行剣ではなく“黒作懸佩刀”(くろづくりのかけのはいとう)を用意したのが真相のようです。
2022-08-13 18:06:40@RayCrosmy 桓武天皇は天武天皇を嫌っていたフシもあるので、悪意ある表現に改竄されているようにも見えます。 草薙剣=奇蛇剣=蛇行剣は、もとは渡来氏族+製鉄氏族の秦氏が奉斎する素戔嗚系の王族の証なので、新たに名乗ることになった天皇の位を継承する証は別に用意したいという意思が働いたようです。
2022-08-13 18:08:53@RayCrosmy 黒作懸佩刀は正倉院に保管されていた時代もあったようですが、現在は行方不明となっています。 桓武天皇は、日本書紀の記述がよほど気に食わなかったらしく、編纂が中止されていた古事記を引っ張り出してきて、これぞ日本最古の本当の伝承とばかりに、改竄された古事記の編纂も手掛けたようです。
2022-08-13 18:10:52@RayCrosmy ところが多長人は、初めて天皇を名乗った天武天皇のことが大好きだったので、古事記に自作の天武天皇をヨイショする文章をくっつけて、百年滞ったままだった古事記の完成を多氏の手柄として世に出したというワケです。
2022-08-13 18:12:38@RayCrosmy 私も雅楽に携わるときには多氏を名乗ることがあるので、古事記はいろいろオカシイところがあっても、いちおう肯定的な目で見ています。齟齬がありすぎる“遁甲の書日本書紀”よりはマトモですね。
2022-08-13 18:12:54★読後感想
桓武天皇は、とんでもない人だった。
ビックリだらけで、資料探しに困るスレッドでした。