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風越洞【ふることふひと⑥5/15】 @fuetsudo

六巻が出るまで暇なので、ふることふひとの作中に出てきたご当地紹介をやってみます。ご興味ある方は是非、現地に足を運んでみて下さいね。(と言いつつ私も全部は行けてないのですが…)

2023-02-22 18:02:14
風越洞【ふることふひと⑥5/15】 @fuetsudo

まずは壱巻より。 史さんのお屋敷があった場所(という設定)の大原神社です。正確に言うと鎌足パッパの生誕地です。昔は大原という地名だったのですが今では小原という住所になっています。意味が真逆で面白いですね。五百重ちゃんちも近くにあったと思われます。 asukamura.com/sightseeing/51… pic.twitter.com/PopHCy5kcL

2023-02-22 18:02:14
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史さんのお勤め先、飛鳥浄御原宮です。現在は飛鳥宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)と呼ばれています。史さんち(大原神社)からは徒歩13分。寝坊しても安心です。(でも遅刻してた…) asukamura.com/sightseeing/51… pic.twitter.com/D2Q0Qnpxim

2023-02-22 18:22:14
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鎌足パッパは山科の陶原(すえはら)に屋敷を構え、敷地内に山階寺(やましなでら、現・興福寺)を造営しました。史さんが幼少期を過ごした田邊大隅先生の家もこの付近にあったと思われます。 山階寺跡→www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/f…goo.gl/maps/E1FraViJq… (画像は写真ACより現在の興福寺) pic.twitter.com/F5w7MGepXt

2023-02-27 18:37:50
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続いて弐巻より、近江(近淡海)の大津宮です。 667年に葛城様(中大兄皇子/天智天皇)が遷都したものの壬申の乱で敗戦し、わずか五年で廃都となってしまいました。幻の首都…。 大津市歴史博物館 rekihaku.otsu.shiga.jp/event/jyousets… (画像はWikipediaより内裏正殿跡) pic.twitter.com/NG4yX1MV3y

2023-03-11 14:41:05
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安萬侶さんちの住所は現在の多(おお)神社という設定です。多氏の拠点で、近辺には笠縫(かさぬい)や鏡作(かがみつくり)の神社もあります。 祭司王カムヤイミミの子孫の元に集う、鏡の守護者と製作者達…。何とも意味深な想像膨らむ田原本町です。 (画像はWikipediaより。まろちゃん…⁉︎) pic.twitter.com/0VLP8XP4Pf

2023-03-21 16:02:21
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天智天皇が蘇我氏を滅亡させた罪障消滅の為に自ら切り落とされたという左手の名無し指は、滋賀県三井寺の金堂前にある無名指燈籠の台座下に埋められているそうです。文献によっては右手だったり蘇我氏関係なかったりします。 びわ湖大津歴史百科 rekishihyakka.jp/culturalherita… (画像は写真ACより) pic.twitter.com/OEQRCnaQiX

2023-03-26 18:48:53
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続いて参巻より、稗田の里です。現在の環濠集落は中世のもの。集落には稗田阿礼を祭る賣太(めた)神社があります⛩ 奈良県景観資産-稗田の環濠集落- pref.nara.jp/39056.htm 賣太神社 goo.gl/maps/Ru68jS9Ve… (画像は国土地理院ウェブサイトよりサイズを加工して作成)mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.d… pic.twitter.com/617sVjOq8L

2023-04-02 15:07:20
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鎌足パパsが入鹿さんを暗殺した後、飛鳥から難波に宮が築かれました。難波宮はその後全焼してしまいますが、聖武天皇の時代に復活します。 大阪歴史博物館の遺構見学ガイドではNHK放送局の地下に保存されている光り輝くエモい柱を見る事ができるのでとってもおすすめです。 mus-his.city.osaka.jp/index.html pic.twitter.com/pJz6fgQGNR

2023-04-23 14:55:53
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四巻は特にないので伍巻から、蘇我入鹿🐬さんの首塚と飛鳥寺です。首塚は寺の西門すぐ脇、当時は槻木の広場と呼ばれていた場所にあります。(作中では隠すように祀られていたという設定で草むらの中でした)現在の五輪塔は鎌倉か南北朝時代のものだそうです。 asukamura.com/sightseeing/51… pic.twitter.com/0g0xeGm9tb

2023-05-04 15:39:23
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第十代崇神天皇の頃に創建され、物部氏によって奉祀された石上神宮は、伊勢と並ぶ『神宮』の社号を持つ神社としては最古の神宮です。タケミカヅチの剣フツノミタマやニギハヤヒの十種神宝などが祀られており、国宝・七支刀を所有しています。 isonokami.jp (画像は写真ACより) pic.twitter.com/h7v6r8tMBu

2023-05-11 20:04:31
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作中では明言しておりませんが、額田王女が幽閉されていた屋敷は滋賀県竜王町の鏡神社です。御祭神は新羅の王子、天之日矛(アメノヒボコ)で山上に鏡を納めたと伝わります。社伝によれば額田王女の父、鏡王は鏡神社の神官だったようです。 鏡の里エリア | 竜王町観光協会 ryuoh.org/area/kagaminos…

2023-06-24 18:54:24
風越洞【ふることふひと⑥5/15】 @fuetsudo

【耳面と英勝①】 時は壬申の乱。鎌足の娘であり大友皇子の妻である耳面刀自(みみものとじ)は中臣英勝(なかとみのあかつ)を含む従者18人と鹿島に逃れる途中、九十九里海岸で病にかかり亡くなりました。耳面は英勝によって内裏塚に埋葬され、残された従者達は近くの椿の海で農耕生活を送りました。

2023-07-24 12:08:37
風越洞【ふることふひと⑥5/15】 @fuetsudo

【耳面と英勝②】 天慶3年(940年)、英勝から数えて8代目の中臣美敷の時に内裏塚の一部を椿の海の近くに移し、耳面の霊を祀って内裏神社が創建されました。さらにその後14代目の中臣正勝が墳墓を大塚原に移葬しました。 内裏神社 maruchiba.jp/sys/data/index… 大塚原古墳 maruchiba.jp/sys/data/index…

2023-07-24 12:10:12
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【耳面と英勝③】 明治24年、風雨により大塚原古墳が崩れ、土砂の中から英勝の名を刻んだ石板、人骨、土器類が出土しました。そして昭和46年、改めて発掘調査を行い新潟大学医学部に人骨の鑑定を依頼したところ、3体分の人骨があり、中には女性の骨らしきものも含まれている事が分かりました。

2023-07-24 12:11:16
風越洞【ふることふひと⑥5/15】 @fuetsudo

【耳面と英勝④】 さらに貴人の埋葬時に使用する朱がさしてあったため、伝承通りここは耳面の墳墓だと考えられ、「弘文天皇妃耳面刀自媛之陵墓」となりました。(弘文天皇は大友皇子の事です) 英勝と耳面の合葬は分かるのですが、遺骨は3体分…となると、あと一人はどなた?という謎が残りますね。

2023-07-24 12:13:17
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【耳面と英勝⑤】 元徳2年(1330年)、中臣英勝の子孫である明内常義が耳面の霊を慰める為に御神幸祭を行ったのをきっかけに、現在でも内裏神社では33年に一度、耳面の命日の9月23日に御神幸祭が行われます。英勝の一族は耳面をずっと大切に守ってきたんですね…愛が深い☺️ youtu.be/zQrGBNXf8_M

2023-07-24 12:15:11
風越洞【ふることふひと⑥5/15】 @fuetsudo

作中で明言してないと呟いたけど、38話で大嶋が「近淡海の鏡谷の社にいた」って思いっきり言ってました(笑) この場所は日本書紀では「鏡村の谷(はさま)」と表記されていて、アメノヒボコの従者だった陶器や鏡を製造する技術者集団達が住んでいたようです。 twitter.com/fuetsudo/statu…

2023-07-26 12:39:14
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談山神社(妙楽寺)① 【十三重塔】 678年、定惠が鎌足の遺骨を多武峰に移し十三重塔を建てたのが妙楽寺の発祥と伝えられます。ふることふひとでは定惠が鎌足より先に亡くなった世界線なので二人の役割を逆にしました。ちなみに作中は678年6月の設定なので「年内に完成する」と言っています。 pic.twitter.com/aNUsiQVBWC

2023-08-13 11:01:58
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談山神社(妙楽寺)② 【菴羅樹】 境内には定惠お兄様の菴羅樹があります。菴羅樹というのはカリンの原種だそうです。「実がなったのでウッキウキで食べてみたらゲロ不味かった」というネタを考えてはいました(使うかどうかはともかく笑)生では食べられません! pic.twitter.com/0FWVxHZYHa

2023-08-14 17:15:30
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談山神社(妙楽寺)③ 【御破裂山】 大嶋と史が登って行った山です。「国家に異変が生じる時、神山が鳴動する」という言い伝えがあり、山頂には鎌足の墓所があります。石室の入口は898年の御破裂山の鳴動によって崩れてしまった(という設定)なので探しても今はもうないですよ。ないったらない。 pic.twitter.com/TC7ZPDGvtT

2023-08-15 21:48:56
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オマケの茨城県① 常陸国風土記によれば茨城という地名は多氏の祖先、黒坂命(くろさかのみこと)が土着民を茨棘(うばら)で倒したことに由来します。この常陸国風土記を編纂したのは当時現地に赴任していた不比等の子、藤原宇合(うまかい)と考えられています。多氏と中臣氏の関係性が深い土地です。

2023-08-19 20:13:10
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オマケの茨城県② 【鹿島神宮】 12年に一度『御船祭』という大規模な船の祭が斎行される鹿島神宮。古い社伝によれば御神体も海底にあったそうです。タケミカヅチは藤原家の祭神として奈良の春日大社にも祀られ、祖神アメノコヤネを差し置いて第一の御祭神となりました kashimajingu.jp

2023-08-20 15:44:08
風越洞【ふることふひと⑥5/15】 @fuetsudo

オマケの茨城県③ 【大甕神社】 最強無敵のタケミカヅチでも唯一倒せなかった相手がいます。それが星の神・甕星香々背男(ミカボシカガセオ)でした。この星神を封印したのは織物の女神・健葉槌命(タケハヅチ)で、神社には星神が封じられた宿魂石があります。 omikajinja.net

2023-08-20 16:44:01