#薄明文庫

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―ギィ、ギィ、ギィ。 今日も、だ。 もう数えるのも止めてしまったが、夜の決まった時間になると家鳴りがする。 ―ギィ、ギィ。 （嗚呼困ったなぁ、まだ鳴ってる……） 細く息を吐いて、壁の方を向いていた身体を捻り、リビングの方を向く。 案の定、梁から垂れたロープが揺れている。 #薄明文庫

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ロープの先で揺れているのは私の妻だ。 死体もロープも片付けたのに、夜毎現れるのは、何か未練があるからだろうか。 身体が揺れると妻の茶色の髪も、身体も揺れる。 「……明日も早いから、静かに頼むよ」 それだけ言って、また布団に潜った。 ―音はもう、聞こえなくなっていた。

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「わ、わっ、雪だーっ！！　ねぇ、見て見て！！！！　雪が降ってる！　雪だるま、いやかまくらかな！？　作ろうよ！！」 「……雪は嫌いだ。音を食べるから。あと寒いし」 僕はトーストにジャムを塗りながら、ポツリと反論した。 #薄明文庫

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くるっと振り返った顔はいかにも不満げで、口をへの字に曲げている。 「えー？　何でぇ？」 「今言ったろ、理由」 「そうだけどそうじゃなくて……」 「それ以外、無いだろ」 「っやだやだー！　外で遊びたいーっ！！」 果てにはバタンと大の字になって、ジタジタと暴れ出した。 （仕方ない……）

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ため息を吐いて、外を見ながら出来るだけ憂鬱そうに言う。 「知らないんだな、お前」 「……何がぁ？」 「アレ、雪じゃないぞ」 「エッ」 「雪食い虫って言って、雪を食うんだよ。虫が」 やれやれと首を振り、大げさにため息を吐く。 「……うそぉ」 （よし、騙された。ここまで来たらこっちのモンだ）

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「ホントだよ。確かめてみるか？」 「え、どうやって？」 「外に出て。でもまあ、出たら食われるだろうな」 「エッエッエッ」 「今外には無機物しかないだろ？　だから、何も食われてないけど、アイツらは本来、大喰らいなんだ。つまり、人間が外に出たら……」 「く……食われ、る……？」

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「そう言うこと。アイツら、熱には弱いけど……でも今、外は寒いからなぁ……ひょっとしたら家の中にも」 「ヤダーッ！！！！」 言うが否や、コタツに頭から突っ込んでいく。 上手く行った……とほくそ笑んだその時。ガシッと足を掴まれた。 「エッ」

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有無を言わさずコタツの中に引き摺り込まれる。背中と頭を打った。痛い。 「ゆ、雪食い虫が居なくなるまで、ここに避難！！」 ートースト食べ終わってたから良いけど、まだ食ってたら大惨事だったぞお前。

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「なァ、返事しロ」 ー相も変わらず、ぼわんと耳の奥に響くような声だ。 その奇妙な響きに、オレは思わず顔を顰め、ため息を吐いた。 「オい、聞こエてるンだろ？　ムシ、すルな」 まるで壊れたキーボードで文字を変換する時のような、妙なぎこちなさがある。 #薄明文庫

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……こうも喋り辛そうなのは、口が裂けているからだろうか。 一応、口端の終点は赤い糸で縫われているようだが、ほつれてボロボロだ。 「……」 しかしオレは背後のバケモノを無視して、無言を貫いている。 こう言うモノに応えたら、大体ロクな目に遭わない。 「一回モ二回モ一緒ダと、思うけドな」

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（そうなんだよなー！　一回うっかり返事しちゃったんだよなオレー！！） 実はこのバケモノの言う通り、二週間ほど前に『返事をしてしまった』のだ。 （だってまさか、バケモノだと思わなかったんだもん……） 引っ越して来たばかりのオレが、近所の散策をしていた時だった。 #薄明文庫

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商店街で諸々を買った帰り、道端に古びた……と言うよりは、ボロい祠のような物が建っていることに気付いた。 いやまあ、道端と言うか建物と建物の間、細い道の先にそれが見えた。 枯葉の積もった屋根は崩れかけており、御幣も千切れている。 オレは自転車から降りて、祠に近付いた。

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「うわ、すげー古……手入れする人、いねーのか」 辺りに民家も無く、人通りも無い。 まるで、この空間だけが周囲から取り残されてしまったような、そんな一人ぼっち感がある。 何となく哀れな気がして、屋根に積もった枯葉を払って、 #薄明文庫

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「元気出せよ。次来る時には何か供えるモン、持ってくるからさ」 そう呟いた……その時。 『アりがトう』 幽かな声が降ってきた。 「いえいえ。どーいた……し……」 ーいやちょっと待て誰だ今の声。 狭い通路だ。誰か人が来たら気付く。 そして、ここには誰も居なかった。

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恐る恐る見上げれば、居た。 鮫のようなギザギザの口、口の端は赤い糸で縫い合わされており、真っ黒な顔の中央には、ボロボロなお札らしき紙が垂れ下がっている。 煤けた着物が風に揺れる度、ふらふらと体も揺れ、時折ガクッと痙攣している。 #薄明文庫

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それが、そのバケモノは、オレの倍以上もある長身を折り曲げるようにして、オレの顔をじっと覗き込んでいた。 「見エ、タな？」 鼓膜に跳ね返るような奇妙な響きの声で、バケモノが問う。 真っ赤な口が文字通り耳まで裂けて、口端の縫い目が引っ張られて……。 「うわ、痛そ」

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（思わず！　思わずなんです神様！！　出来心で！！） 内心で柏手を打って、どこかの見知らぬ神様に言い訳する。 ―いやまあ、返事したあとはハッとして、急いでその場から逃げ出したのだけど…… 「……追いかけて来たんだよな……」 机に突っ伏して、ボソリと呟く。 「何カ、言ったカ？」 #薄明文庫

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どうやったのか、部屋にまで上がり込んできやがるし。 「随分ナ長考だっタな。思案ハ終ワっタか？」 「……」 しかもこのバケモノ、日を追うごとに流暢になっている。 （どう考えてもマズい……よな？） 確かに昔から『良くないモノ』が視えたりはした。 そして、上がり込んでくるヤツは大体厄介だ。

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「……コレ、喰ってモ良いカ？」 「良い訳ないだろ！　……あ」 バケモノが限定のチーズケーキを指差した物だから、つい答えてしまった。 途端、バケモノは割けた口をニィッと吊り上げた。 「やっパり、見えテるジャナいカ」 覆水盆に返らず、後の祭り、あと何だっけ……後悔先に立たずか。 #薄明文庫

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「何故、無視スル？」 「……だ、だってお前、バケモノじゃん……」 オレはバケモノから視線を逸らし、ボソボソと抵抗する。 「人ノ話ハ、聞け」 「人じゃねぇじゃん……」 「揚げ足ヲ取るナ」 よりによって、得体の知れないバケモノに説教されてしまった。釈然としない。 #薄明文庫

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「無視されルと、傷ツク」 「……き」 ―傷付くのか、バケモノの癖に。 と言う言葉を何とか飲み込んだ。『癖に』と言う言い方は良くない。思ったことをすぐに口にしてしまうのは、オレの悪い癖だ。 頭を振って、バケモノを見上げる……やっぱり怖い。 「何故、返事シナい？」 #薄明文庫

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「……だって、返事したら喰われると思って」 「喰ウ？　誰ガ？」 「お前が」 「ダレヲ？」 「オレを」 バケモノはぐぅーっと首を傾ける。 ひょっとして、不思議に思っているのだろうか？ 身体を倒すと、ボロボロのお札が揺れて、下の顔が一瞬だけ見える。 肌は真っ黒で、何も無い……ように見えた。

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「お。お嬢〜お嬢〜。あのスカート、好きじゃない？　色とかシルエットとか」 「ダーッ！！　もうちょっと離れてよ！　大体、好きじゃ……」 「どう〜？」 「……わ」 「るくない？」 「先読みしないで！」 「あは〜。ごめんごめ〜ん」 「買って来る！」 「はいはーい。待ってるねぇ」 「……」 twitter.com/i_who/status/1…

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「おはよーございますお嬢～。今日の朝メシ……ってアレ？」 両手がトレーで塞がっている状態で、足を使って器用に扉を開けたのは私の使用人だ。 筋肉達磨。 傷だらけの顔。 クラシカルなメイド服（制服だから仕方ないけど） そして勤務中も煙草を咥えていると言う、ふざけた成人男性だ。 #薄明文庫

2023-05-10 22:13:31

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「えーと、会計は三分くらいかな？　お嬢が次に行きそうな場所となると……屋上かー。先回りしとこ！」 「な・ん・で・い・る・っ！？」 「簡単カンタン。オレ、護衛だし〜」 「んぎーっ！！」 「あ。お嬢、メリーゴーランド好きでしょ？　ここのヤツはねぇ、お嬢でも乗れるよー」

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「えっ。の、乗るっ！」 「……」 「あ……」 「お嬢はカワイイねぇ〜」 「ここ子供扱いしないで！！」 「してないよ〜。ホラ、行こ？」 「…………ん」

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「あ、スズちゃんだ。スズちゃ～……」 「ちょっと！　止めなって！！」 「え、何で？」 「……だって、あの子って変な噂あるじゃん」 「変な噂？」 「幽霊が見えるとか……」 「ああ、それ？　嘘じゃないよ。ホントに視えるみたい」 「それがおかしいって言ってんの！」 #薄明文庫

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「何で？」 「見える訳ないじゃん。幽霊だよ？　絶対嘘！！」 「えぇ～。そんなこと無いって」 「しかも怖い話、して回ってるんでしょ？　注目されたいだけでしょ」 「……」 「だからさ、」 「あ、ごめん。聞いてなかった～」 「ハァ？　ナニソレ！」

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「スズちゃんは本当のことしか言わないし、むしろ怖い話とかするの、嫌がってたし。人から頼まれて、仕方なく話してくれてるんだよ」 「だからそれは……」 「大体、よく知りもしないのにそんなこと言う、君の方が変。じゃあね」 「ちょっ……」

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「スズちゃ～ん！　待って待って！！」 「……先輩。どうしたんですか？」 「え、あ～。ホラ、コーヒー飲みに行かない？」 「先輩、コーヒー飲めないじゃないですか」 「あーあーじゃあ！　ほら、駅前のパンケーキ屋さんとか！！」 「しばらくパンケーキ見たくないって言ってましたよね、一昨日」

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「え～と……」 「先輩」 「あの、ごめんね。聞こえてたよね……」 「……まあ」 「……」 「でも、先輩が庇ってくれたの、分かってますから」 「ど、どこまで聞こえてた？」 「そんなこと無いって、まで」 「序盤も序盤！！」 「違うんですか？」 「いやそうだけどさぁ……」

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「どうでも良い人から何を言われようと、どうでもいいです。0に何を掛けても、0は0ですから」 「……スズちゃんは強いねぇ……」 「別に強くはないですけど」 「嫌な気持ちにさせちゃってごめんね」 「先輩が謝る必要は無いと思いますけど」 「でも……」 「もう良いですから。……そんなことより」

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「え？」 「喫茶店、行きましょう。学校の裏の」 「ああ、あの蔦まみれの？　あそこ、やってるの？」 「はい。穴場ですよ」 「へ～、そうなんだ！！　スズちゃん、物知りだねぇ」 「物知りって言いますかね、コレ……ああ、あと」 「うん？」 「『ちゃん』は要らないですから」

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海の辺でパンを食べる。 「……うま」 （さっきそこのキッチンカーで買ったヤツだけど） うっすらとラジオの音。 聞いたこともないバンドの曲が、打ち寄せる波音にかき消されて、きれぎれに聞こえる。 「はー……」 ―海に来たのは初めてだった。 「どーしようかなー……これから」 #薄明文庫

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学校をサボったのも初めてだし、一人でこんなに遠くに来たのも初めてだった。 「せっかくだし、観光でもするか～……」 空にはカモメが飛んでいるし、夏の終わりの海には死にかけのクラゲが浮かんでいる。 「さて、と」 立ち上がればパラパラと砂が落ちて、潮風が髪を巻き上げていく。

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―自由な今日はどこに行こう。