The Narcissistic family : diagnosis and treatment / Stephanie Donaldson-Pressman, Robert M. Pressman. --- Lexington Books, 1994
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花びんに水をدعونا نملأ المزهرية بالماء☘️ @chokusenhikaeme

第一段階 : 再訪 第一段階において、患者は目隠しを取り去り、自分の子ども時代の事実を直視することができるようになる。これには、何年にもわたって家族が世間に示してきた幻想を放棄することがどうしても必要である。

2015-11-27 12:27:11
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それは物事が決して理想的ではなかったこと、子どもはコントロールする力をまったく持たなかったこと、家族がそのように見せかけている程には、良くはなかったということを受け入れることを意味する。

2015-11-27 12:31:36
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さらにそれは、「理想的」な原家族を再び作ることはできないということも意味する。なぜなら理想的な家族など実際には決して存在しなかったからである。それを「良くしよう」(理想的な家族を作るあるいは再生するために)と試み続けることは時間の浪費である。

2015-11-27 12:37:03
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なぜなら、そんなことを起こすことはできないし、また起こらないだろうからである。患者は子どもとしてそれを起こさせる力を欠いていたし、成人になっても力を持っていないのである。

2015-11-27 12:42:38
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抵抗の問題 この段階では、ほとんどの患者は実際に何が起こったかについて原家族の経験を見直すことをあまりしたがらない。なぜならそれは親システムを非難し、自分自身(患者)をあまりにも「簡単」に許してしまうことを意味しているからである。

2015-11-27 12:48:56
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過去を再訪する過程では、患者に悪影響を与えた過去の事実に絶えず治療の焦点が当てられなければならない。

2015-11-27 12:52:30
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多くの患者は非難を伴わない責任という概念を理解するのがなかなか難しい。この点で、治療過程で患者が「行き詰って」しまうことがよく起こる。彼らは通過したように見え、治療が本当に進歩しているように思われるが、突然また前の繰り返しに戻ってしまう。

2015-11-27 12:57:30
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それは皆、親のせいです―私は親を非難することはできません―それはみんな言い訳なのです―私は、どうしようもないくずです。患者に耳を傾け、彼らの感情を認め、そして彼らの子ども時代の現実とそれが彼らにどれくらい影響しているかに、再び焦点を当てる必要がある。

2015-11-27 13:07:19
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これは困難ではあるが、重要な治療の段階であるので、著者たちは、患者が(原家族での体験を)リフレームし、(子ども時代に間違って教えられ、あるいはまったく教えられなかったスキルの)再学習をする過程を促進するために、治療上工夫を凝らした。

2015-11-27 13:11:28
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[写真] 自分がどんな子どもであったかについて、現実的な概念を持つことは、自己愛家族の中で育った人にとって助けになる。

2015-11-27 13:32:30
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子ども時代によくやった一つは、「もし自分が壊したなら、自分で直せる」と信じてコントロールしようと試みる中で、家族の問題に自分が何らかの(悪い、不完全、おろか等の)責任があると思おうとすることにある。

2015-11-27 13:36:49
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成人になっても彼らは自分がいかに責任があったか(あるいはパワフルであったか)、即ち、自分がどれくらいコントロールしていたか、そしてどんな子どもであったかということに関して誤った考えを持っている。

2015-11-27 13:42:35
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現実をチェックするのに有効なテクニックは、患者に3歳から7歳の間の本人の写真を手に入れ、そのために特別なフレームを選び、そしてよく目につく場所に置くように言うことである。

2015-11-27 13:52:25
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この写真は、患者が現実にそうであった通りに自分自身を発見させることになる。特別なフレームは、その中の写真、すなわち子どもに特別で貴重であるという意味を与える。写真を見なければならないことで、患者は過去の事実に直面させられる。

2015-11-27 13:57:38
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これは、いつも患者にとって興味深く、啓発される作業である。あらゆる点で、それは本人に原家族の力動と子どもとしての自分自身について学ぶ機会を与える。

2015-11-27 16:02:27
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子どもの時の自分自身を見ることは、たいてい患者にとってはショックなことである。なんと小さく、なんとかわいらしく、なんと愛らしく見えるかに、大人である彼らはすっかり驚いてしまう。すべての写真は、患者の記憶を呼び起こし、子ども時代の真実のいくつかの局面を映し出す。

2015-11-27 16:06:53
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しかしながら写真を見ることは、患者にとって、しばしば非常に苦痛を与える。なぜなら写真は、あまりにも強烈に過去を思い出させ、あまりに多くの感情をわき出させるからである。

2015-11-27 16:10:53
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この作業は、やり遂げるのに数週間あるいは数か月も要することがある。結局それをやり遂げるということは、真実を十分納得させることなのである。

2015-11-27 16:13:45
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彼らは子どもであって、背の低い大人ではなかった。彼らは小さく、無力で、頼りなかったのだ。自分自身の生活が、誰か他の人にまかされていて、自分ではほとんどコントロールできなかったのだ。

2015-11-27 16:18:15
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その後のセラピィで、著者たちは、しばしば患者に写真の中の子どもに対して肯定的なメッセージを言ってやることを提案する。(「かわいいね」「とってもきれいだよ」「愛されて当り前よ」「あなたは人を喜ばせるためによくがんばったね」等々)。

2015-11-27 16:27:18
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患者は、自分に起こった悪いことのために(ことに目に見える虐待の場合は)、子どもであった自分を非難するのに多くの時間を費やしていたかもしれないので、このことは癒しの過程における重要な一歩となり得る。これにもまた、多くの時間がかかるだろう。

2015-11-27 16:37:31
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殊に、性的虐待の場合は、患者が子どもの自分をひどく嫌って、悪い子、汚い、不愉快、弱虫等と考えていることは珍しくはない。

2015-11-27 16:45:12
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このような場合、小さな子どもたちがいる公園やグランドに行って、自分自身が両親から受けた虐待が、今見ている小さな子どもの一人に起こっていると患者に想像させてみるとよい。

2015-11-27 16:50:52
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その子は悪いのだろうか? そうされるのが当然だろうか? もし患者に、自分自身の子ども、あるいは自分の人生の一部分として愛する小さな子どもがあるとすれば、その子どもについて、自分自身の虐待を当てはめてみることは役に立つことである。

2015-11-27 17:33:54
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私の赤ちゃんに責任があるのか? 彼女はいけない女の子だろうか? 私に起こったことは彼女にも起こって当然だろうか? 答えはいつも決まってノーである。

2015-11-27 17:37:38
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またその後、著者たちは患者に写真の子どもに小さなプレゼントを持って行かせる。花は、ほとんどの大人(男性も女性も)にとって受容と愛情の気持ちをもっとも象徴するものである。しかし野球カードまたはキャンディ1個でも、患者にとって愛情を意味するものなら何でもよい。

2015-11-27 17:42:21
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大人が、写真の子どもを受け入れ、愛することを学ぶことができれば、道のりは長いけれども大人になったその子どもを受け入れ、愛することができるようになる。  また、過去についても現在についても、責任とコントロールのあり方を現実的に評価することができるようになる。Id. at 66

2015-11-27 17:45:54
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[区分すること] 区分けの概念は、患者にとって重要である。それは、自分の持ちもの( すなわちそれに自分が責任を持つもの )と、自分以外の人の持ちものとを、区別することができるようになるからである。

2015-11-27 21:50:51
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自己愛家族の中で育った人々にとって、もっとも大きな問題の一つは、自分ではほとんどあるいはまったくコントロールできない事柄 ( 本質的に無力であった子どもの時に起こったことのような ) に対して、責任を負いたがるけれども、

2015-11-27 21:57:57
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今自分に起こっていること ( 大人になって自分の決定と行為に対して、非常に大きな力を持っている ) に責任を負うことを拒否することである。

2015-11-27 21:58:36
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(マークの物語) 初めのうち彼は、写真を手に入れること、日記をつけることを拒否していた。言い換えれば、自分の回復への責任をとろうとしなかったのである。結局、マークは、抑うつになってそれを否認するよりは、むしろ肯定的なやり方で怒りを経験するという責任のとり方ができることを知った。

2015-11-27 22:06:02
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今や、彼は人生を十分コントロールできるということ、そして、そのために責任を取ることが適切なのだということを学んだ。同時に、自分が子ども時代にはコントロールする力を持たず、それゆえ自分の被害について責任を取ることができなかったのだと、ついに理解することができたのだった。

2015-11-27 22:10:24
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写真技法を使うことで、マークはこの区別をすることができるようになったのである。

2015-11-27 22:15:04
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一般化の問題 自己愛家族で育った人々は、責任と非難の問題を一般化する傾向がある。その結果、両極端な態度になる。Id. at 68

2015-11-27 22:17:58
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曜日、月の満ち欠け、ホテルの支配人の態度次第で、彼らはすべてのことに責任があるか(「ああ、雨だ! 自分が何か言ったせいかな」)、あるいはまったく責任がないか(「もし僕が3時間遅れでジーンズ姿で仕事に来るのがそんなに嫌だったら、自分でやれば良いじゃないか! 勝手にしろ」)を決める。

2015-11-27 22:25:34
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一般化する傾向は、またあたかも原因と結果の関係があるかのように、関係のない出来事をまとめる傾向として表される。

2015-11-27 22:28:11
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責任とコントロールの問題を現実的に扱うためには、それぞれの出来事への自分の感情を、その種類、状況、責任の重さ、そして、パワーとコントロールの程度に従って、区分できるようになる必要がある。

2015-11-27 22:36:54
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[箱] 患者に ( 一般化を防ぐための ) 区分けのスキルを教えるのに役に立つ方法の一つは、「箱」というものである。このもっとも基本的な形は、それぞれ異なった現実が同時に存在し得るという概念を教えるために使われる。たとえば、それは、 pic.twitter.com/sbOsB4YG9U

2015-11-27 23:30:55
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﹅ 最悪の子ども時代を送った父親は、最低な仕事を週に60時間も働くことを強制されて、妻には3人の子どもと共に捨てられ、自分と家族がばらばらにならないように全力を尽くした。そして

2015-11-27 23:37:26
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﹅ 子どもは恐れ、不安、悲しみの中で、父親の冷淡さにびくびくしながら育った。彼は父親がいないので誰も守ってくれないと感じ、父の関心を引くことができなかったので、ずっと自分をくだらない、価値のない人間だと思い、

2015-11-27 23:43:14
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母親が彼を置き去りにして家を出て行った時にまだ赤ん坊だったので、いつも何かが足りない感じがしていた。

2015-11-27 23:43:42
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セラピィでは、著者たちは上の最初の項目を「箱1」と呼んでいる。患者に、その箱の中にはあなたの父親の現実があると話す。

2015-11-27 23:48:38
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長い間、貧困で、恐れ、養育のスキルが欠けていて、時間がなく、助けがなかったが自分はできる限りのことをやったと感じていた「父親の現実」を患者は理解することができ、それが自分の父にとってどんなにつらいことだったか認めることができる。

2015-11-27 23:53:17
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その箱は、横に置いて、次に私たちは「箱2」を見ることができる。

2015-11-27 23:54:48
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この箱2は、上記の2番目の項目を表していて、アダルトチャイルドの経験の事実が収められている。

2015-11-27 23:57:17
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目立たないようにしようと努め、おびえて、居心地が悪く、ほめられないのに一生懸命働いて、ひとりぼっちで、もっとしっかり間違いなくやって、人から認められたいと願いながら、それでも失敗ばかりしている、そのような現実である。

2015-11-28 00:00:26
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患者は両方の状態、すなわち両方の箱が存在していたことを理解できるように教えられる。父親が一生懸命頑張ったという事実は、少年が傷つけられなかったということは意味しない。

2015-11-28 00:04:17