(『本当の依存症の話をしよう~ラットパークと薬物戦争~』漫画 スチュアート・マクミラン 訳 井口萌娜 星和書店 2019.01.23 より) 「はじめに」松本俊彦 ⅶ 薬物対策というものは、本来、規制強化・取り締まりなどの「供給の低減(supply reduction)」だけでは不十分です。 pic.twitter.com/4VwS2HYSik
2019-02-11 03:02:23依存症の治療や回復支援といった「需要の低減(demand reduction)」も並行して行われなければ、効果は発揮されないのです。さらには、それでも薬物を手放せない人がいるという認識も必要です。その人たちの健康被害を少しでも低減する「二次被害の低減(harm reduction)」のための対策が必要なのです。
2019-02-11 03:08:30それから、もうひとつ忘れてはならないことがあります。それは、薬物依存症者が薬物に耽溺したのは、薬物の快感に魅了されたからではなく、それまでずっと悩んでいた心理的な苦痛や生きづらさが一時的に解消されたからかもしれない、という視点を持つことです。
2019-02-11 03:12:37(解説1. 「薬物依存症は孤立の病~安心して「やめられない」と言える社会を目指して~」松本俊彦 pp.69-86) あの実験の設定は、人が薬物を用いる状況を正確に反映していないのです。ネズミが死ぬまで薬物を使い続けたのは、薬物自体が持つ毒性・依存性によるものではなく、むしろ檻の中という、
2019-02-11 03:20:26孤独で、窮屈かつ不自由な環境のせいではないか?ーそんな疑問がわいてきます。これこそが、Rat Parkにおける問題意識だったわけです。 ここで重要なのは、依存症の原因を薬物の作用にあるとするか、それとも薬物を使う環境にあるとするかで、薬物対策の方向性は大きく違ってくる、ということです。
2019-02-11 03:24:55…植民地ネズミの多くが、孤独な檻の中で頻繁かつ大量のモルヒネ水を摂取しては一日中酩酊していました。途中で植民地ネズミのモルヒネ水を、砂糖水ではなく、普通の水に溶かし、苦くてまずいモルヒネ水に切りかえましたが、それでも檻の中のネズミは普通の水ではなく、モルヒネ水を飲み続けたのです。
2019-02-11 03:34:41一方、楽園ネズミでも少数のネズミはモルヒネ水を飲みましたが、その量は植民地ネズミのわずか19分の1と少量でした。おそらく楽園ネズミたちは、モルヒネを摂取すると、心身の活動性が鈍ってしまい、仲間との相互交流の妨げになることを嫌ったのでしょう。
2019-02-11 03:40:30「ラットパーク」の実験からわかるのは、次のようなことです。つまり、ネズミをモルヒネに耽溺させるのは、モルヒネという依存性薬物の存在ではなく、孤独で、自由のきかない窮屈な環境ーすなわち「孤立」-である、ということです。
2019-02-11 03:44:02アルコール(エチルアルコール)という中枢神経抑制薬は立派な依存性薬物です。動物実験のデータを見る限り、その依存性は少なくともベンゾジアゼピン系薬剤よりもはるかに強力です。しかし、多くの人たちがこの薬物を日常的にたしなみ、ときには体調を崩すほど摂取する人もいますが、それでも、
2019-02-11 03:49:14依存症の状態に陥る人はアルコール使用者のごく一部です。 …「ラットパーク」実験には続きがあります。アレクサンダー博士たちは、今度は、檻の中で大量のモルヒネ水だけを飲んでいた、薬物依存症状態の植民地ネズミを、一匹だけ楽園ネズミのいる広場へと移したのです。
2019-02-11 03:54:32すると、彼らは、広場の中で楽園ネズミたちとじゃれ合い、遊び、交流するようになりました。それだけではありません。驚いたことに、檻の中ですっかりモルヒネ漬けになっていた彼らが、けいれんなど、激しいモルヒネの離脱症状を呈しながらも、なんと普通の水を飲むようになったのです。
2019-02-11 03:58:42この実験結果が暗示しているものは、いったい何でしょうか? それは、薬物依存症からの回復は、檻(=刑務所)に閉じ込めて孤立させておくよりも、コミュニティーの中、仲間の中のほうが促進されるのではないか、ということです。それは、薬物依存症から回復しやすい社会の存在です。
2019-02-11 04:04:05War on Drugsでは、薬物に対する規制を強化し、薬物を用いた人に辱めを与え、社会から排除する政策では、薬物問題を解決することはできない、といったことが描かれています。 発端は、1971年、ニクソン大統領が「薬物戦争」政策を開始する決断をしたことです。しかし、その結果は散々なものでした。
2019-02-11 04:10:552011年、薬物政策国際委員会は、ある重大宣言をしました。それは、「米国の薬物戦争にはもはや勝利の見込みはない。この戦争は完全に失敗だった」という敗北宣言だったのです。さらに同委員会は、各国の政府に、薬物依存症者に対しては刑罰ではなく医療と福祉的支援を提供するよう提言をしたわけです。
2019-02-11 04:16:31世界保健機関(WHO)もこの動きに呼応しました。2013年に公表したHIV予防・治療ガイドラインの中で、各国に規制薬物使用を非犯罪化し、刑務所服役者を減らすよう求めるとともに、薬物依存者に適切な治療、および、清潔な注射針と注射器を提供できる体制を整えるよう、先進国各国に勧告しました。
2019-02-11 04:20:57国際的には、いまや薬物対策は司法的問題ではなく、健康問題となったのです。今日、国際的には「辱めと排除」による薬物犯罪の防止は、薬物に悩む人をますます孤立させる施策として、いまや国際的には時代遅れなものとなっています。
2019-02-11 04:25:082011年、ポルトガル政府は、あらゆる薬物の少量所持や使用を許容することを決定しました。そのうえで、薬物を使用する人たちを刑務所に収容して社会から排除するのではなく、依存症治療プログラムや各種福祉サービスの利用を促し、社会での居場所作りを支援し、孤立させないことを推し進めたのです。
2019-02-11 04:29:52具体的には、薬物依存症者に対する就労斡旋サービスの拡充、薬物依存症者を雇用する経営者への資金援助、さらには、起業を希望する薬物依存症者への少額の融資などです。これまで薬物依存症者を辱め、社会から排除するために割いていた予算を、逆に彼らを再び社会に迎え入れるために割り当てたのです。
2019-02-11 04:34:20この実験的政策は劇的な成功を収めました。政策実施から10年後にあたる2011年の評価において、ポルトガル国内における注射器による薬物使用、薬物の過剰摂取による死亡、HIV感染が大幅に減少し、治療につながる薬物依存症者も著しく増加しました。
2019-02-11 04:38:42何よりも最も重要な成果は、10代の若者における薬物経験者の割合が減少したということでしょう。ポルトガルの成功が意味するのは何でしょうか? それは、薬物問題を抱えている人を辱め、排除するのではなく、社会で包摂すること、それこそが、個人と共同体のいずれにとってもメリットが大きいという
2019-02-11 04:42:29科学的事実ではないでしょうか。今日、欧米の先進国では、アディクション(Addiction: 依存症)とは「孤立の病」であり、その対義語は、ソーバー(Sober: しらふ)やクリーン(Clean: 薬物を使っていない状態)ではなく、コネクション(Connection: 人とのつながりのある状態)であると認識されています。
2019-02-11 04:48:22日本人の多くにとって薬物問題が他人事なのは、自分たちの身近なところに薬物問題がないからです。薬物依存症者と直接会って話したことがある人が少ないということは、あらぬ噂や流言飛語が事実によって修正される機会がないまま、人々の心に棲みついてしまうしまう危険性があるわけです。
2019-02-11 04:59:14ある中学校から講演を依頼された著者は、ダルクの職員をやっている「生の」元・薬物依存症者に一緒に登壇してもらい、体験話を話してもらおうと計画し、学校側に交渉したところ、学校側から断られてしまいました。その理由が呆れるものでした。
2019-02-11 05:05:15「薬物依存症者の回復者がいることを知ると、子どもたちが『薬物にハマっても回復できる』と油断して、薬物に手を出す子どもが出て来るから」。 学校側は、あくまでも「こんなふうになってはいけない」という人物の見本、廃人ゾンビのような薬物依存症者、つまりは「見世物」として、
2019-02-11 05:10:04薬物依存症からの回復者を登壇させていた時期が確実にあったのです。 こうした虚構と演出だらけの薬物乱用防止教室を、「生」の薬物依存症者と一度も会ったことのない教師や学校薬剤師がやっているわけです。ろくな内容になるわけがありません。
2019-02-11 05:14:52その思いが確信に変わったのは、文部科学省から依頼され、全国高校生薬物乱用防止ポスターコンクールの審査員を引き受けた時のことでした。率直に言って、実に退屈な仕事でした。というのも、国内の各地域で行われた予選を勝ち抜いた高校生たちの作品が、あまりにも画一的で没個性的だったからです。
2019-02-11 05:22:46いずれのポスターも、目が落ちくぼみ、頬がこけた、ゾンビのような姿の薬物乱用者が描かれ、しかも両手に注射器を握りしめ、いままさに背後から子どもたちに襲いかかろうとしている、そんな構図ばかりで、学校でどのような薬物乱用防止教育がなされているのか、ありありと目に浮かぶようでした。
2019-02-11 05:27:17そんなゾンビのような外見の薬物依存症者はめったにいません。子どもたちに薬物を勧めるくらい元気な乱用者は、「EXILE TRIBE」のメンバーの中に混じっても不思議ではないような、格好いいルックスのいけてる先輩、憧れの対象であることのほうが多いのです。だからこそ、子どもたちは油断してしまう。
2019-02-11 05:31:41おまけに、彼らはとても優しく、これまで出会ったどんな大人よりも自分の話に耳を傾け、自分の存在価値を認めてくれて、「仲間になろうよ」と手を差し伸べてくれる人です。子どもたちが、薬物を勧められても「ノー」と言わないのは当然ではないでしょうか? 子どもたちを守れないだけではありません。
2019-02-11 05:36:21そうした予防教育や啓発的キャンペーンが、薬物依存症を抱える人たちに対する偏見や差別意識、あるいは優生思想的な考えを醸成し、地域における薬物依存症者の回復を妨げ、障害を抱えた人との共生社会の実現を阻んでしまう可能性はないでしょうか?
2019-02-11 05:41:30新たに地域に薬物依存症者回復施設が設立されると、必ず地元住民の設立反対運動が沸き起こります。そうした住民たちは、30年前の民放連による啓発キャンペーンのキャッチコピー「人間やめますか」によって洗脳された結果、回復を目指す薬物依存症者を「人間をやめた人たち」とみなすに至ったのでしょう
2019-02-11 05:46:56薬物依存症からの回復に必要なのは、安心して「クスリをやりたい」「やってしまった」「やめられない」と言える場所、そう言っても誰も悲しげな顔をしないし、不機嫌にもならない、そして排除されることのない安全な場所です。
2019-02-11 06:00:20薬物依存症の人が「クスリをやりたい」とわざわざ言うのは、「やりたいけど、その欲求をなんとかしたいと思っているから」です。そうでなければ、彼らは黙ってこっそり薬物を使うものですし、少なくとも治療につながる前までは、そんな風にして薬物を使ってきたはずです。
2019-02-11 06:03:27「やってしまった」とわざわざ告白するのは、「うっかり失敗してしまったが、このままじゃいけない。自分は変わらなきゃいけない」という気持ちの表れです。さらに、「やめられない」というのは、「もう自分の意志の力ではどうにもならない、助けてほしい」という思いが込められていて、
2019-02-11 06:06:24まさに治療につながるきっかけとなる言葉です。依存症支援の専門家は、回復の第一歩として手放しで褒めるポイントなのです。 薬物依存症から回復しやすい社会とは、「薬物がやめられない」と発言しても、辱められることも、コミュニティーから排除されることもない社会ということになります。
2019-02-11 06:10:05むしろ、その発言を起点にして多くのサポーターとつながり、さまざまな支援を受けることができる社会ーつまり、安心して「やめられない」と言える社会です。 ところが、現在の日本社会はどうでしょうか?
2019-02-11 06:13:13とても残念なことですが、わが国では、精神科医療機関でさえも、「覚せい剤を使ってしまった」と正直に告白したり、尿検査で覚せい剤反応が出たりすると、警察に通報してしまう病院が存在します。そして、そうした「辱めと排除」は、しばしば犯罪抑止目的という理由から正当化されています。
2019-02-11 06:17:43しかし、社会的制裁が薬物犯罪の防止に有効である、ということを証明した科学的研究はありません。それどころか、すでに米国の失敗やポルトガルの成功からもわかるように、エビデンスは排除よりも包摂がより効果的であることを明らかにしているのです。
2019-02-11 06:21:05いま私たちは、薬物対策のよりどころとして、サイエンスとイデオロギーのいずれを選択するのかが問われているのです。
2019-02-11 06:22:58「ダメ。ゼッタイ。」というキャッチコピーは、もともと国連が提唱した「Yes To Life, No To Drugs」に由来しています。 前半部が抜け落ちた影響で、日本の薬物対策は、自分の「人生にイエス」と言えない人、生きづらさや痛みを抱えて孤立する「人」たちへの視点を失い、
2019-02-11 06:29:33薬物という「物」に特化した、人間不在の対策となったのです。 孤立する「人」をどう支援し、いかにしてつながりを提供していくのかが大事です。 (了)
2019-02-11 06:32:02(解説2. 「ギャンブル依存症は回復できる~依存症神話の打破を目指して~」小原圭司 pp.87-102) 一つ目は、「ギャンブルを繰り返していれば、誰でもギャンブル依存症になる可能性がある」ということ。 二つ目は、「ギャンブル依存症の人は、必ずしも楽しくてギャンブルをしているわけではない」。
2019-02-11 06:37:59三つめは、回復のためには、強い意志を持つより、ギャンブルを上手に避けて、ギャンブルで大量に分泌されたドーパミンのせいで、ドーパミンに鈍感になってしまった脳を元に戻していくことが必要だということです。 SAT-Gは、引き金を徹底的に避けよう、対処行動をしよう、ということです。
2019-02-11 06:42:22備考: "The opposite of addiction is connection." youtu.be/PY9DcIMGxMs @YouTube
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