(※自分用のメモです。抜け漏れや余計なツイートがまじっているかも)
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matsunaga @zmzizm

Engischの論文だからあたりまえだが、後者のほうが説得的に思えた。どちらにしても勉強になった(Currieの理論のおさらいとしてもよかた)

2020-09-24 10:09:25
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@sakstyle @zmzizm ありがとうございます。まだよく分かっていないのですが、この場合、表象のモードの話と存在論ってどういう順序で考えられるのでしょうね。 表象のモードで(意図/受容/コミュニケーションの慣習)フィクションとなると存在論的にも虚構とされ、ノンフィクションとなると存在論的にも現実となるのか。

2020-09-24 10:31:29
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@sakstyle @zmzizm または、存在論的にはあらかじめ現実と虚構に切り分けられているものが、表象のモード(意図/受容/コミュニケーションの慣習)次第で正しく捉えられたり誤解されたりする、ということなのか。

2020-09-24 10:32:34
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@sakstyle @zmzizm 存在論に入り込みたくなくて美学系の議論にホッとする、というのは、何となく分かるような気もします。美学って先に芸術作品に議論の領域を固定してから議論を始める傾向があって、制度など芸術ジャンル内外の多様な関係にあまりとらわれずに済む、という感じでしょうか。(全然違ってたらすいません)

2020-09-24 10:35:54
matsunaga @zmzizm

Currieはfictive utteranceの下位区分としてfictional statement(その内容が偽またはせいぜい偶然的に真なfictive utterance)というのを定義してるが、それを受容者がfictive utteranceをmake-believeする理由の観点から読み替えてるところがややこしくて一番よかった

2020-09-24 10:38:34
matsunaga @zmzizm

難しかったけど、ロビンソン・クルーソーのようにもともとノンフィクション(読者に信念を指図するもの)として書かれたものがのちにフィクションとして扱われるケースとか、非偶然的に真な発話がフィクション作品の一部になるようなケースをすべてfictive utteranceとして説明できるという話だと思う

2020-09-24 10:38:35
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm あくまで自分の理解ですが、表象のモードがフィクションか否かと、対象が実在しているか否かという問題は独立だと思います。 元々、分析系の言語哲学は、何故存在しないはずの対象について(指示対象がないのに)有意味な言明ができるのかという点からフィクションに注目していたわけですが、

2020-09-24 11:45:21
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm メイクビリーブ説は、フィクションの言明は何かを指示したり意味したりするものではなく、想像させる(あるいは代替物になる)ものなのだ、つまりモードが違うのだと言い出した説なのだと思います。

2020-09-24 11:47:54
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm 新撰組は実在する対象で、一方『燃えよ剣』は新撰組を描いたフィクションですが、それは『燃えよ剣』がそういうモードの言明で構成されているからであって、新撰組が虚構の存在だからというわけではありませんし、『燃えよ剣』がフィクションだからといって新撰組が虚構の存在になるわけではないです

2020-09-24 11:50:56
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm 一方、ウォルトンは、虚構的な対象(ホームズやゴジラなど)はいかなる意味でも実在しないという立場をとり、その上で虚構外言説(批評文とかですね)をメイクビリーブで説明する分析を行っていますが、この分析がうまくいってるかどうかは謎で、人工物説という実在論をとる立場が最近有力かと思います

2020-09-24 11:54:05
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm しかし、松永さんが以前指摘されていたように、虚構内言説や虚構構成言説については、人工物説とメイクビリーブ説は整合します。 なので、ある言明がフィクションかどうかと、その言明に現れる対象が実在するか否かは独立しているのではないか、と思います。

2020-09-24 11:56:47
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm 書いていて自分でも整理されてきたのですが「制度は虚構である」に対して自分がもやっとするのは、制度的対象が実在しようがしまいが、制度についての言明と虚構についての言明はモードが違うのではないかと考えているからだと思います

2020-09-24 12:03:13
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm その上で、先程小谷さんが挙げられた④〜⑥について、モードの区別もつけにくい話なのかもしれません。

2020-09-24 12:04:59
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm 補足すると、ウォルトンは虚構的対象が出てくる言明は必ずメイクビリーブ(というモード)になるので順序があると言えますが、人工物説の登場によってそこはオプショナルになって、独立した論点と捉えることが可能になったのではないかという理解です

2020-09-24 13:15:37
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm 書いていて自分でも整理がついてきたんですが、虚構的対象の人工物説をとれば、虚構的対象と制度的対象の存在論的地位は同じと言えますが、それでもなお、虚構の言明と制度の言明はモードが異なるだろう、と僕は思います

2020-09-24 13:17:11
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm モードの違いの内実は何か、その違いは何がもたらすのか、区別しにくいケースはどのように説明するのかなど、課題は諸々あるなとは思ってます

2020-09-24 13:18:12
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke いろいろありがとうございます。一連のコメントを読んでこちらも論点や自分のとりたい立場が整理されました。ひとまず①~⑥にそれぞれ簡単にお答えしたうえで、小谷さんのご関心はこのあたりなのかなという解釈を書きます(長くなりますが自分の見解のまとめということで) twitter.com/kotani_eisuke/…

2020-09-24 14:21:27
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm twitter.com/sakstyle/statu… 虚構と制度を重ねたい動機の話、時間が取れたときにきちんとまとめようと思っていたのですが、時間が空くのも気持ち悪いのでざっと列挙しておきます。私の場合、シノハラさんの整理でいえば後者ではないのでどちらかといえば前者に近いですが、

2020-09-23 22:32:36
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke まず①②は以下の2つのツリーでおおむねカバーできる話かなと思います twitter.com/kotani_eisuke/…

2020-09-24 14:22:50
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm まとまらないままその他の点も含めて列挙していくと、 twitter.com/zmzizm/status/… ①一つは、松永さんが書いて下さった通りフィクションとノンフィクションの区別に色々難しさがありそうだなということで、 researchmap.jp/read0051871/pu… たとえば清塚さんのこの論文はこの観点から面白く読んでいました。

2020-09-23 22:38:51
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke ひとつめ。ここで書いているように、少なくとも主流の言語行為論的なごっこ説(not ウォルトン説)では、フィクションとノンフィクションのちがいは基本的に聞き手がとるべきとされる態度がメイクビリーブか信念かという観点から説明されます twitter.com/zmzizm/status/…

2020-09-24 14:24:12
matsunaga @zmzizm

小谷さんが気にしていることの少なくともひとつは、フィクションと現実的表象(ノンフィクション)の区別はそんなに明確ではないのではということな気がしますが、それは存在論の問題というより表象(というかコミュニケーションというか)のモードの問題として考えたほうがいいと思う

2020-09-23 16:09:54
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke ふたつめ。ただ、その枠組みの内部で細かい論争があるというのがこちらの話です。具体的には、ひとつのフィクション作品の中にもある意味でノンフィクションと言いたくなるような側面・部分があるので、それをどう説明するかという話ですね twitter.com/zmzizm/status/…

2020-09-24 14:27:46
matsunaga @zmzizm

朝からこれ読んだ。Currieのフィクション理論から導かれるパズル(Stockが定式化したもの)をCurrieのスピリットを維持しつつStockとは別様に解決する。明晰で先行議論の整理がうまくお手本のような論文 Patrik Engisch, Patchwork Puzzles and the Nature of Fiction (2019) academia.edu/39210296/Patch…

2020-09-24 09:52:46
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke ①②に関連する話題なのであわせてこちらの質問も答えておくと、シノハラさんが詳しく書いておられますが、フィクション作品の内容には実在物(e.g. 新選組)も真な命題(e.g. 新選組は京都でしかじかの活動をした)も含まれうるというのがまず明白な前提としてあり、 twitter.com/kotani_eisuke/…

2020-09-24 14:29:40
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm 存在論ではなく表象やコミュニケーションのモードで考える、というのは違いがまだよく分かっていないですが、つまり、「コミュニケーション上で誤解や認識のズレが生じたとしても、それで必ずしも「虚構」と「現実」の概念自体をいじる必要はないと考えることもできる」といったことでしょうか。

2020-09-23 17:16:12
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke そのうえで言語行為論的ごっこ説をとると、フィクションとノンフィクションのちがいは表象/コミュニケーションのモードの違いとして説明されるので、そのモードの違い(信念を求めるかメイクビリーブを求めるか)と、その内容が実在/真か非実在/偽かというのはとりあえず区別できるという話です

2020-09-24 14:31:56
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke 実際には、カリー的なフィクションの特徴づけを採用するとコミュニケーションのモードとその内容の存在論的地位は完全に無関係ではないのですが、少なくともストレートに結びつくわけではないです

2020-09-24 14:32:48
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke こちらもお答えすると、順序(というか関係)をどう考えるかは諸説あるでしょうが、少なくとも存在論的コミットメントの枠組みを採用するなら真な命題群から存在者のリストが導出されるという方向になるので、ひとまずコミュニケーションの種類の話とは独立なのではと思いますtwitter.com/kotani_eisuke/…

2020-09-24 14:38:10
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke ちなみに存在論コミットメントの理論は必ずしもクワイン流の定式(固有名もぜんぶ述語化して量化文にパラフレーズする)に限定されるものではないです。ビデ美(というよりベースの博論)を書くときに直接に参考にしたのは、この井頭さんの論文などです jstage.jst.go.jp/article/jpssj/…

2020-09-24 14:39:21
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke ③については、少なくともごっこ説をとる論者(僕自身も含め)は問題なく受け入れると思います(ウォルトンがいちばんわかりやすくこの立場ですね) twitter.com/kotani_eisuke/…

2020-09-24 14:40:41
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm これと近い論点として②フィクション作品として提示された作品の中の、現実とも一致する事物はどう位置付けるのか、③フィクション作品が持つ規範的な機能を制度の一部を形成するものとして考えるべき面、なども気になっていたのですが、これらも清塚さんの上記論文の一部で扱われていますね。

2020-09-23 22:40:46
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke ただこれはフィクション作品の制作・受容の慣習が一種の制度だというくらいのあたりまえの話であって、フィクション作品の内容に登場する存在者(通常「虚構的対象」と呼ばれるもの)が一般的な制度的対象(貨幣など)と存在論的に同種であるということを意味しません

2020-09-24 14:41:30
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke シノハラさんも言っているように、トマソンに代表される人工物説(創造説)の論者は、少なくとも虚構外的言説において指示されるものとしての虚構的対象については制度的対象と同種だと考えると思いますが、それ以外のオプションもあります(実際ウォルトン自身は虚構的対象の非実在論をとっています)

2020-09-24 14:43:41
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke それから物理主義をとると制度的対象も虚構的対象も等しく非実在ということになるかもしれません。このへんは話がややこしくなりがちなところかなと思います。僕自身の立場はこちらのツイートの通りです twitter.com/zmzizm/status/…

2020-09-24 14:49:07
matsunaga @zmzizm

@kotani_eisuke 倉田本で紹介されているのは主にトマソンだと思いますが、基本的には虚構外的な言説についての実在論のはずで、ビデ美の立場と相反するものではないと考えています。抽象的人工物のレベルではフィクショナルキャラクターは制度と同じであると言うことにはとくに反対しないです

2020-09-15 01:27:36
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke ④は区別があいまいになるケースだと思っています。以下のツイートで似たことをちょっと書きました。実際この手のケースが一番説明が難しいところかなという気がします twitter.com/zmzizm/status/…

2020-09-24 14:50:20
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @tricken 宗教・神話とそれにかかわる儀式は制度とフィクションが連続的に見えるケースだろうなと思ってました。共同体や時代によって変わるみたいなのが普通の説明だと思いますが(ギリシア神話は古代ギリシア人にとっては現実の理論だったなど)、程度の変化なのか質の変化なのかは難しそうですね

2020-09-14 22:23:38
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke ⑤は個人のふるまいの話であれば、とくに問題にならないと思います。少なくとも分析系の議論の多くでは(現象学を問題にしているのでないかぎり)ある程度の共通認識や実践の存在を前提にしたうえで、その中でどういう常識や規範が成立しているかというレベルの話をするので twitter.com/kotani_eisuke/…

2020-09-24 14:53:30
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm あとは逆に、④虚構的設定を利用した制度(分かりやすく極端な例を出せば戦時中の「現人神」とか)はどうかとか、⑤そういうのを信じてコミットしている場合と信じてないけど従っている場合(営業スマイルとか社交辞令とか)とで、その制度の存在は存在論的には違う記述になるかとか、

2020-09-23 22:41:37
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke 個人のふるまいの問題ではなく、ひとつの社会の中で複数のふるまいのタイプが見られるという話なら、④のように区別があいまいなケースと見なすとか、複数の異なる実践が同時に成り立っていると考えるといった方向になると思いますが、いずれにしても大きな問題があるところではないように思います

2020-09-24 14:54:58
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke ④~⑥あたりの話はもしかしたら誤解があるかもしれないので注記しておきたいのですが、一般にAとBを概念的に明確に区別しているからといって、AとBの境界例がないと主張していることにはならないです

2020-09-24 14:56:54
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke これは個人的なスタンスですが、むしろ個別の事例を「境界例」「あいまいなもの」などとして記述できるのは明確な概念的区別があるおかげだと考えています。なので「すっきり切り分け」ていたとしても、それはいろいろな事象をどちらかに乱暴に振り分けたいわけではないという点は強調したいところです

2020-09-24 15:02:35
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke そのうえで⑥にお答えすると、文字通りのごっこ遊びではたしかに両者の境界があいまいになりそうですが、一方で小説や映画の受容がシームレスに「現実的な力関係を構成する」というのは(少なくともごっこ遊びに言えるのと同じ意味では)ちょっと考えにくいのではと思います twitter.com/kotani_eisuke/…

2020-09-24 15:13:53
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm ⑥近い例として、子どもたちの間の「ふざけ」(≒ごっこ遊び?)におけるある一人の粗暴さが、次第に現実的な力関係を構成していくような作用をどう捉えるか、とか。虚構的な面もある一方で、現実と虚構と存在論的にすっきり切り分けしまっても捉えるのが難しくならないかな、など考えていました。

2020-09-23 22:43:55
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke これは前にも書きましたが、文字通りのごっこ遊び(実在物をそのまま小道具として使って、現実のプレイヤー同士が相互作用するタイプの営み)をフィクションの範型と考えること(ウォルトン流)がそもそも混乱のもとだと思っています twitter.com/zmzizm/status/…

2020-09-24 15:15:17
matsunaga @zmzizm

ちなみにウォルトンのごっこ説は後者に近いタイプ(実際に存在する切り株に虚構的な地位を与える)をフィクションの範例として持ち出したうえで、それを前者に近いタイプ(虚構世界とその中の存在者を新しく作り出す)に拡張するわけだが、そのせいで議論が無茶なことになってるのではと思うことがある

2020-09-14 21:51:29
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke 小説や映画のように想像上の別世界を作り上げるタイプの「フィクション」と、現実上の事物に意味づけするタイプの「フィクション」でけっこう話がちがう気がするので。僕自身がその点での区別を重視しているということかもしれません

2020-09-24 15:17:54
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke (以下ご関心の邪推です。外れていたらすみません。)このツイートからおおよそ以下のポイントを問題にされているのかなと思ったのですが、 twitter.com/kotani_eisuke/…

2020-09-24 15:28:23
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm 単に「想像の産物」という特徴だけでは特に虚構と呼ぶ必要は私も感じないです。事実でないと知りつつも信じているように振る舞う=メイクビリーブの場合に虚構と呼びたいですが、この定義でいくなら、芸術作品には限定されず制度についても該当する場合が多々ありそうだな、ということです。

2020-09-23 22:33:46
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke (a) 典型的な制度(e.g. 貨幣)も典型的なフィクション(e.g. 文学作品)も、心的表象や志向性(「想像」は問題含みの概念なので避けます)といった人間の心的状態・活動に(のみ)依存している。 (b) どちらも、個人の心の中の話ではなくある種の社会的な合意として成り立っている。

2020-09-24 15:29:08
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke (c) どちらも、その合意に参加しない人にとっては何の意味も効力も持たない(それらを「事実」と認める文脈が限定的である)。 (d) どちらも、メイクビリーブ(信念と対比されるある種の命題的態度)によって作られる(あるいは、(d') メイクビリーブと信念は明確には区別できない)。

2020-09-24 15:33:21
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke (e) どちらの領域上の存在者も、文字通りには実在しない(それらの存在者を指示する文は文字通りには真ではない)。 以下それぞれのポイントについての自分の立場です

2020-09-24 15:37:32
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke (a)(b)(c)についてはとくに留保なしに同意します。(d)は受け入れがたいですが、どちらにしても自分で議論したくないところですね(美学系のフィクション哲学者は基本的に否定すると思うので、そちらに丸投げしたい)。ただ難しい話かもしれないとは思います

2020-09-24 15:42:38
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke (e)は物理主義をとるかどうかくらいの話ならどっちでもええがなと思います。典型的な制度的対象(貨幣や会社)が実在するとしたうえで虚構的対象はどうかという話なら、少なくとも典型的な虚構的対象(e.g. ホームズ)については外的言説において指示される対象以上のものは実在しないだろうと思います

2020-09-24 15:53:41
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke ただビデ美では、(d)(e)については(少なくともゲームメカニクスの存在論に関しては)十分に言及しておらず、また(a)(b)に多少言及しつつ(c)を強調するかたちで制度としてのゲームメカニクスを特徴づけているわけなので、

2020-09-24 15:55:51
matsunaga @zmzizm

@sakstyle @kotani_eisuke 結果として制度とフィクションの区別をどこでつけているのかわからないということになってるのかもしれないと思いました(これは著者の責任です)。以上です。長々と失礼しました

2020-09-24 15:59:40
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm @sakstyle 大変詳しく、しかもご自身の関心からのズレを厭わず教えて頂いて、シノハラさんも松永さんもありがとうございます。僕の方でも整理して考える手がかりになります。たぶん(d')がポイントになりそうですが、また時間が取れたときにリプライさせて下さい。

2020-09-25 08:41:58
matsunaga @zmzizm

@kotani_eisuke @sakstyle お答えは気になさらず。補足ですが、分析美学者で(d)(d')の立場を積極的にとっているのはMatraversという人です(反Currieで、Waltonを好意的に読み直す的な立場です)。高田さんとシノハラさんがそれぞれ著作をレビューされてますね sakstyle.hatenadiary.jp/entry/20151205… at-akada.hatenablog.com/entry/20141213…

2020-09-25 10:14:10
matsunaga @zmzizm

@kotani_eisuke @sakstyle コアになる主張については以下の論文がコンパクトでわかりやすいと思います doi.org/10.1111/j.1475… あと石田尚子さんの博論の4章もマトラヴァーズの簡潔なまとめ+批判になっています(この論文は全体的に勉強になります) hdl.handle.net/10083/62187

2020-09-25 10:16:06
matsunaga @zmzizm

@kotani_eisuke @sakstyle 正しくは「(d)(d')の立場をとっている」というより「そういう立場に親和的な方向でフィクションの特徴づけをしている」ですね。マトラヴァーズ自身は制度の話はしておらず、非フィクションの"物語"(報道や歴史など)とフィクションの区別しづらさを問題にしています

2020-09-25 10:25:57
matsunaga @zmzizm

"ペガサスは存在しない"で検索したらまあまあの地獄だった

2020-09-25 10:40:03
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まとめたひと
murashit @murashit

インターネットを殺して俺も死ぬ