(※自分用のメモです。抜け漏れや余計なツイートがまじっているかも)
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シノハラユウキ @sakstyle

a.制度的存在は実在し、虚構的存在は実在しない b.制度的存在は実在し、虚構的存在も実在する c.制度的存在は実在しないが、虚構的存在は実在する d.制度的存在は実在しないし、虚構的存在も実在しない 制度の実在論と虚構の実在論は互いに独立してるから、この4つがありうると思うが

2020-09-16 21:31:01
シノハラユウキ @sakstyle

虚構主義は、反実在論の一種で、人工物説は、実在論の一種と理解している。 制度の虚構主義に対して否定的になるのはaかbだから、その中には虚構についての人工物説を支持する人も含まれる

2020-09-16 21:36:45
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@sakstyle 僕が疑問を呈したのは、虚構と制度が存在論的に区別されるべきという根拠は十分か?代案として、区別しない方がうまくいくと考えるのはどうか?ということで、その代案には、いずれも実在する、いずれも実在しないの両方のパターンがあり得るので、反実在論という意味の虚構主義は話がずれそうですね。

2020-09-16 21:46:24
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke 小谷さんが「制度は虚構である」という時「制度も虚構も実在する、または制度も虚構も実在しない」ということを意味していたのですね。

2020-09-16 22:19:13
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke 存在論的にどうなのかということについて僕自身は立場を決めかねているのですが、素朴なスタート地点としては、区別されているのかな、と。 例えば倉田本も、「虚構的キャラクターと制度は別物だと思われるだろうが、実は同じなのだ」というような表現をしていたかな、と。

2020-09-16 22:22:04
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@sakstyle twitter.com/sakstyle/statu… 僕の関心は、たぶんシノハラさんのこのツイートと近そうです。 倉田本は、『現代存在論講義』は色々な立場を紹介していますけど、人工物説のところですか?

2020-09-16 22:34:23
シノハラユウキ @sakstyle

個人的には、もともと社会存在論に興味を持った理由は、制度的事実って虚構っぽいよね、というところにあるので、どちらも同じ能力を使っているのではないかとかそういう考えがあればそれに魅力を感じる。 ただ、明らかに違うところもあるので、その違いも説明できない理論だとあまりよくないかと思う

2020-09-14 21:08:46
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke あ、これは何か特定の立場を念頭においていたわけではなくて、松永さんの下のツイートを見て、そういう考えが「もしあるなら」よさそうだなあ、という感想です twitter.com/zmzizm/status/… twitter.com/zmzizm/status/…

2020-09-16 22:41:42
matsunaga @zmzizm

使ってる能力が同じとか進化的に連続性があるというのもあるかなと思った(その場合も別の実践で同じ能力が使われているという話になるはずで、区別は必要だと思いますが) twitter.com/zmzizm/status/…

2020-09-10 23:21:17
matsunaga @zmzizm

使ってる能力が同じとか進化的に連続性があるというのもあるかなと思った(その場合も別の実践で同じ能力が使われているという話になるはずで、区別は必要だと思いますが) twitter.com/zmzizm/status/…

2020-09-10 23:21:17
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@sakstyle そうですね。 ただ、「制度を現実に位置づけて、虚構を現実の外に位置づける」という立場は、制度が虚構でないことの十分条件にもなっているように思われたものですから、まずはそれを否定することは制度が一種の虚構であるための(ご指摘の通り、十分条件ではないですが)必要条件かなと。

2020-09-16 22:47:33
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@sakstyle どちらも同じ能力を使ってる、というのはサールの『社会的存在の制作』は実際そういうことが書いていましたね。ただ、前著から転向している部分がいろいろあり、サールに依拠する場合もこれを採るかどうかは読者によって分かれそうです。訳者も批判的でしたし『ビデ美』もこの本は引いてませんね。

2020-09-16 22:58:37
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@sakstyle 失礼、書名が誤字で正しくは『社会的世界の制作』でした。

2020-09-16 23:02:10
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@sakstyle 『社会的世界の制作』には、自分はゲームを例に制度を考える議論を何度も書いてきたけどそれは間違いだった、転向する、と自己批判(支持者にとっては梯子外し)しています。松永さんの『ビデ美』では転向前のサールの考え方を援用していますし、この新しい本とは立場が合わないところがありそうです。

2020-09-16 23:02:59
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@apout1992 僕も今年は書籍費の増えっぷりがやばいです。飲み代の出費は減ったけど(それも悲しいですが)、その分以上に増えてる気がします。

2020-09-16 23:06:35
matsunaga @zmzizm

@kotani_eisuke @sakstyle サールが言う想像力は心的表象を作る能力くらいのことなので、普通に同意しますよ。『社会的世界』で大きくアップデートされたのはむしろ制度的事実の創出の定義とバリエーション(構成的規則以外にもある)の話ですが、その点も間に合えばビデ美に組み込めばよかったと思っています

2020-09-16 23:13:45
matsunaga @zmzizm

@kotani_eisuke @sakstyle この点もそんなに大した話ではなく、以前は言語を説明するのにゲームのアナロジーを使っていたがむしろ言語のほうが制度にとって基礎的であることがわかった、という説明の順番の問題であって、僕の立場ととくに対立するものではないです

2020-09-16 23:14:21
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm @sakstyle あ、松永さんは『社会的世界の制作』はそれまでよりアップデートと評価する方向ですか?少し意外です。訳者の方があとがきで批判的な姿勢を示していて、最新だけど決定版とは見なせないほど問題があるというようなことを書いてたので、界隈であまり評価されていないのかと思いました。

2020-09-16 23:17:42
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm @sakstyle そうでしたか。それは失礼しました。 解釈によるかもしれませんが、「ごっこ遊び」や虚構をしっかり考え始めて、それを可能とする能力(想像力)を基盤的なものと認めるのは、全体的にデリダに少し近付いた、とまでは言わないまでも、無視していたのから少し包摂する側にいったように思えました。

2020-09-16 23:23:18
matsunaga @zmzizm

@kotani_eisuke @sakstyle 本の評価はともかく、三谷さんの批判の中心は、宣言という発語内行為ですべて説明しようとしてうまくいってないという点ですよね(宣言がなぜ事実を作る力を持つかを、それを取り巻く制度の存在に訴えないかたちで説明できていない)

2020-09-16 23:27:23
matsunaga @zmzizm

@kotani_eisuke @sakstyle 僕自身は正直そのへんはどっちでもいいというか、自分の主張にとってはオープンにしておいても問題ないと思っています。ある論者の主張に賛同しつつ、その枠組みに全面的にはコミットせずに議論したくないところは「オープンにする」みたいな態度がうまく伝わるかわかりませんが

2020-09-16 23:29:30
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm @sakstyle 僕もたとえば制度と虚構の存在論的地位を同じと考えるとすれば両方存在すると考えるか存在しないと考えるかの選択は(存在論的には大きいところなのかもしれませんが)そんなにコミットしたくならないですが、要するに何に関心があるか次第でコミットすべき選択が変わるということですね。

2020-09-16 23:49:00
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm @sakstyle 意図主義と慣習主義のところとかもオープンな姿勢を強調していましたね。 僕自身は意図主義か慣習主義かは気になるポイントです。どちらを取るかが松永さんの枠組みに影響あるんじゃないか、そしてオープンというスタンスはあり得るか、というのはもう少し考えたいと思っていたところです。

2020-09-16 23:54:29
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm @sakstyle とりあえず、関わりそうなところで考えたいことは色々ありそうなのですが、分析美学的に考えたり書いたりするにはまだかなりインプットと訓練が足りなそうなので、もう少し読んだり考えたりしてみます。よければまた色々とご教示下さい。

2020-09-17 00:02:19
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

制度は現実に存在してフィクション作品による虚構は現実には存在せず虚構世界に存在する、という切り分けをする立場、色々うまくいかないことが出てきそうだけど理論的にはどうなのかと思ってクワイン系存在論の論文とサールをそれぞれ読んでると意外とどちらもそれなりに辻褄の合わせ方がありえそうで

2020-09-23 00:48:51
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

どうもおかしいと思ったら、そもそもサールはクワイン的存在論の立場を取ってないから、それを組み合わせるのが無理ということだったことに今さら気付いた……。しかもこれ、分析哲学ではかなり初歩的なことっぽいですね。まぁでもおかげで良い勉強のきっかけになっています。

2020-09-23 00:49:52
matsunaga @zmzizm

@kotani_eisuke 「サールはクワイン的存在論の立場を取ってない」というのは物理主義ではないという話ですか?

2020-09-23 15:19:14
matsunaga @zmzizm

小谷さんが気にしていることの少なくともひとつは、フィクションと現実的表象(ノンフィクション)の区別はそんなに明確ではないのではということな気がしますが、それは存在論の問題というより表象(というかコミュニケーションというか)のモードの問題として考えたほうがいいと思う

2020-09-23 16:09:54
matsunaga @zmzizm

美学系統のフィクションの哲学で主流のごっこ説(ウォルトンというよりカリー起源のそれ)では、両者のちがいはある発話において意図される聞き手の態度がbeliefかmake-belief(あるいはimagination)かのちがいとして定式化されてきたけど、ここは論争があるところで明確に分けられる派と微妙派がある

2020-09-23 16:11:24
matsunaga @zmzizm

わかりやすい対立だとStockとFriendのペア論文がある(Stockは想像概念でフィクションを定義できる派、Friendは無理派) doi.org/10.1111/j.1467… doi.org/10.1111/j.1467…

2020-09-23 16:12:53
matsunaga @zmzizm

「美学系統」と書いているのは、分析系のフィクションの哲学は、虚構名は何を指示するのかという言語哲学的な関心から形而上学に発展した系統と、フィクション作品とその内容の本性は何かという芸術哲学的な関心の系統がわりと別々にあるから twitter.com/zmzizm/status/…

2020-09-23 16:18:54
matsunaga @zmzizm

日本語の本だと、倉田さんが紹介してるのは基本前者のみで、後者については清塚『フィクションの哲学』が教科書になると思う

2020-09-23 16:20:38
matsunaga @zmzizm

付言すると、拙著ではこのモードのちがいに存在論的コミットメントの議論を(おそらく乱暴に)結びつけることで存在論的な話に持っていっているわけなので、わたくしがそもそも悪い気がしますが twitter.com/zmzizm/status/…

2020-09-23 16:38:18
matsunaga @zmzizm

ユールの「ハーフリアル」という発想に形而上学的なベースを与えてみようとしてちょっと無茶してしまったということかもしれない

2020-09-23 16:42:24
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm あ、ありがとうございます。 たぶん物理主義かどうかとも関わると思いますが、サールの「存在する」とクリプキの「存在する」というのはかなりニュアンスが違いますよね。制度や虚構がどう「存在する」と捉えるかは、どっちを基本にするかでずいぶん違うことになりそうだなと。

2020-09-23 17:13:09
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm あとこちらについても補足ありがとうございます。気になっていることのひとつは、いま書いて下さった通りのことで、教えて頂いたものも読みつつ引き続き考えてみたいと思いますが、 twitter.com/zmzizm/status/…

2020-09-23 17:14:56
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm 存在論ではなく表象やコミュニケーションのモードで考える、というのは違いがまだよく分かっていないですが、つまり、「コミュニケーション上で誤解や認識のズレが生じたとしても、それで必ずしも「虚構」と「現実」の概念自体をいじる必要はないと考えることもできる」といったことでしょうか。

2020-09-23 17:16:12
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm ただ、存在論とか形而上学的な議論は松永さんのご著書の眼目ではなく、主要な主張はそこを切り離しても成り立つし、私のこの部分についての関心は置いておいて、主要な主張の部分を読んだ方がよいというのはそうだと思えてきました。

2020-09-23 17:21:36
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm 私にとってはこの辺の議論を読み直したり新たに読んだりする非常によいきっかけになったのでありがたかったのですが、このあたりについてばかりお付き合い頂くのもご迷惑かもしれませんね。他のものも色々読んで引き続き考えてみたいと思いますが。

2020-09-23 17:24:51
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm twitter.com/sakstyle/statu… 虚構と制度を重ねたい動機の話、時間が取れたときにきちんとまとめようと思っていたのですが、時間が空くのも気持ち悪いのでざっと列挙しておきます。私の場合、シノハラさんの整理でいえば後者ではないのでどちらかといえば前者に近いですが、

2020-09-23 22:32:36
シノハラユウキ @sakstyle

結局元に戻るというか、制度は虚構であるという時の嬉しみはよく分からないな、という話に 「想像の産物である」ならまあ分かるけど「小説・マンガ・映画・舞台などと同じである」というなら、それを言えることのよさがよく分からない

2020-09-23 16:28:23
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm 単に「想像の産物」という特徴だけでは特に虚構と呼ぶ必要は私も感じないです。事実でないと知りつつも信じているように振る舞う=メイクビリーブの場合に虚構と呼びたいですが、この定義でいくなら、芸術作品には限定されず制度についても該当する場合が多々ありそうだな、ということです。

2020-09-23 22:33:46
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm まとまらないままその他の点も含めて列挙していくと、 twitter.com/zmzizm/status/… ①一つは、松永さんが書いて下さった通りフィクションとノンフィクションの区別に色々難しさがありそうだなということで、 researchmap.jp/read0051871/pu… たとえば清塚さんのこの論文はこの観点から面白く読んでいました。

2020-09-23 22:38:51
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm これと近い論点として②フィクション作品として提示された作品の中の、現実とも一致する事物はどう位置付けるのか、③フィクション作品が持つ規範的な機能を制度の一部を形成するものとして考えるべき面、なども気になっていたのですが、これらも清塚さんの上記論文の一部で扱われていますね。

2020-09-23 22:40:46
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm あとは逆に、④虚構的設定を利用した制度(分かりやすく極端な例を出せば戦時中の「現人神」とか)はどうかとか、⑤そういうのを信じてコミットしている場合と信じてないけど従っている場合(営業スマイルとか社交辞令とか)とで、その制度の存在は存在論的には違う記述になるかとか、

2020-09-23 22:41:37
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm ⑥近い例として、子どもたちの間の「ふざけ」(≒ごっこ遊び?)におけるある一人の粗暴さが、次第に現実的な力関係を構成していくような作用をどう捉えるか、とか。虚構的な面もある一方で、現実と虚構と存在論的にすっきり切り分けしまっても捉えるのが難しくならないかな、など考えていました。

2020-09-23 22:43:55
Kotani Eisuke @kotani_eisuke

@zmzizm 分析美学の議論にどのように関わる例なのか自分ではうまく整理できていないんですが、「動機」の説明としては、虚構と制度についてそういう問題を日頃考えているので、分析美学的な考え方によって理解がすっきりする部分があるならいいなと期待したからですね。

2020-09-23 22:49:12
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm なるほど、どうもありがとうございます。どのような関心からの話なのか少し分かってきたような気もします。 ただ、残念ながらというか、僕個人はあまり考えたり調べたりしてこなかった論点なので、あまりコメントできることはなさそうです。

2020-09-24 09:16:30
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm その上で感想だけ言わせていただくと、やはり存在論ではなさそうな感じがしました。 ただこれは、僕があまり存在論に入り込みたくない人間なので、そういうバイアスかもしれません(松永さんが2つの系統を述べてましたが、言語哲学系の議論から入ったあと美学系の議論を知ってホッとしたとこはあります

2020-09-24 09:19:37
シノハラユウキ @sakstyle

@kotani_eisuke @zmzizm 例えば、②に関していうと、松永さんが言う表象のモードの話なのかなという気がします。 例えば歴史小説で、実在の人物しか登場しない・実際に起きた出来事を描く作品だとしても、それが歴史書ではなく歴史小説なのは、表象のモードが異なるからだと思います

2020-09-24 09:27:50
matsunaga @zmzizm

朝からこれ読んだ。Currieのフィクション理論から導かれるパズル(Stockが定式化したもの)をCurrieのスピリットを維持しつつStockとは別様に解決する。明晰で先行議論の整理がうまくお手本のような論文 Patrik Engisch, Patchwork Puzzles and the Nature of Fiction (2019) academia.edu/39210296/Patch…

2020-09-24 09:52:46
matsunaga @zmzizm

この「パッチワークパズル」は、ひとつのフィクション作品が虚構構成的発話(fictive utterances)と非虚構構成的発話(non-fictive utterances)のパッチワークからなるというCurrieの主張から導かれる

2020-09-24 09:56:07
matsunaga @zmzizm

パズル①:作者がフィクション作品を作るときに2種類の異なる言語行為をしてると考えるのはおかしくないか、パズル②:受容者がフィクション作品を受容するときに2種類の異なる態度(信念とメイクビリーブ)をその都度切り替えてるというのはおかしくないか

2020-09-24 10:01:14
matsunaga @zmzizm

StockもEngischもフィクション作品はすべて虚構構成的発話から構成される(なのでパッチワークではない)という方向で解決をはかるが、StockはF-imaginingという独特の命題的態度を導入して説明するのに対して、Engischはひとつの発話は同時にfictiveにもnon-fictiveにもなりえるという仕方で説明する

2020-09-24 10:07:52
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まとめたひと
murashit @murashit

インターネットを殺して俺も死ぬ