NRTの世界では各宗教の教えが度々裏返った思想として設定されストーリーに組み込まれているわけですが、正道を外れた聖者を正道に戻しているのが不動明王のなるとになっているわけですね。
2021-08-08 20:58:13ミト様が水門(海峡)も兼ねていることの判明で、ミナトと同じく地名のない海峡という意味たけだったので、改めて関係ないと思ってた穴戸神のを調べ直して考察を重ねてみました。
2021-08-09 22:02:01日本神話にでてくる記述ですが、ヤマトタケルが 古事記:山神・河神及び穴戸神を、言向け和して帰った(敵や賊などを討ちたいらげてその地域に自分の勢力が及ぶようした。その地方を安らかにした) 日本書紀:景行紀廿七年に表れる「惡神」「吉備穴濟神」を討伐した。 というぐらいの少ない内容。
2021-08-09 22:02:01敵を打ち負かして陸路、水路を確保したことを報告しているのが上記の内容です。 注目したいのは古事記の「山神・河神及び穴戸神」の部分で、山の神、川の神と地名のない神としてシンプルに呼んでいる。 つまり、穴戸が関門海峡を指すのだとしても名前としてではなく記述として「海峡の神」の意味しか
2021-08-09 22:02:02ないシンプルなものだとわかる。 ミト、ミナトとならんで長門も「海峡」のみの意味しかないと条件をつけた場合、名前のある海峡は鳴門海峡のナルトだけになる。 クシナがいくつもある海峡の出会いを通してたどり着くのが国生みに通ずるナルト(鳴門海峡)という意味だったら素敵だな。
2021-08-09 22:02:02海峡は陸と陸の間の水路から海と海を"繋ぐ"のでNRTのテーマにも通ずるし、しかも長門は関門海峡に掛けて、関門としてナルトに立ちはだかってるから言葉遊びが楽しすぎる。
2021-08-09 22:19:38さらに考えすぎだけど、仏教密教関係の人たちだから海峡を同音の仏教用語の契経(かいきょう)にできそうなのもな。 契経:仏教経典の総称。 仏教経典:釈迦が説いた教え(法)を記録した聖典のこと。三蔵「律蔵」「経蔵」「論蔵」 【律蔵】三蔵の一。仏教教団の戒律に関することを集めた聖典。
2021-08-09 22:42:45【経蔵】 三蔵の一。釈迦(しゃか)の説いた教えの総称。 【論蔵】三蔵の一。仏法の教義についての聖賢の議論や所説を集録した聖典類。 ないわな。
2021-08-09 22:42:45あ、あ、あ、あ、やっとマダラさんの名前の由来の大元にたどり着けたかもしれない。うわっ、あ。もうちょっと検証するけど。え、あ、柱間の柱にも呼応するのかな?違うか?
2021-08-10 06:55:50これは今纏めてる神樹とマダラの名前考察とは別の名前由来のやつなのですが、マダラ鬼神祭てのが茨城県であるの見つけて、摩多羅神(またらしん)っていうのが一般的で、マダラは阿弥陀如来系の救い方っていうのを以前呟いたんやけど、摩多羅神の本地が阿弥陀で裏戸で、ルーツにミトラ、インド関係。
2021-08-17 21:17:34この辺は誰かもうやってる考察だろうけどな。摩多羅神わけわからんぐらい複雑で、いくつか読んでると、かぐや≒斑?な感じを受ける印象。ルーツが同質なんかな? 千手観音に対して斑は何かないかな~なんか阿弥陀系っぽいけどで思ってたからすっきり。
2021-08-17 21:28:09摩多羅神は何属すのか正体がわからないほど神仏習合、その他の塊。 摩多羅神は大黒天、ダキニ天の関係の話しもあるので。 飯綱権現≒摩多羅神 というのもある、 つまり、いずなと斑は同等、同類。 ただ、摩多羅神は裏戸なので、やっぱり斑という存在は表の主になることないので前と結論かわらないな。
2021-08-17 21:57:25曼荼羅でも、曼荼羅山でも、神樹でも、摩多羅神であっても、これだけ名前由来そろえても、サポート的名前な立場なの揺るがないからすげーよ。
2021-08-17 22:02:19あー、作中の10月10日に対するこだわりっていうのは 青玉神社の例祭10月10日→十尾の例祭(復活) 摩多羅神の牛祭りは昔は10月12日だったんですけど昭和52年に10月10日の祝日に変更→斑の祭(復活) の2つの儀式が同日だからですね。
2021-08-21 21:47:23考察やり始めたときに斑ってなんの斑なんだろうって探して、マダラ鬼神祭ってのを見つけて読んだけど斑にいまいち自分の中で結びつかなくて、摩多羅神の項目読んでも斑にどうモチーフとして関係してるか見えなくて、無関係カテゴリーに入れてた。 今ならどう繋がるか少し見えるようになって感動してる
2021-08-21 22:24:54斑の名前由来考察 どうして斑がかぐやを復活させる役目をおったのか?についてです。 NRTに出てくる神樹のモチーフは、世界中にある樹の信仰の複合体である。 斑関係の設定として強く反映させているのはヒンデゥー教に出てくる神樹だと考えられる。
2021-08-22 23:23:15第四次忍界大戦の数あるモチーフの1つは「乳海攪拌」。夢によってではあるが「どんな望みも叶える」ことができる「神樹」。復活させるのは「インドラ」の転生者。というキーワードを踏まえていくと、
2021-08-22 23:23:15乳海攪拌で生ずる如意樹(にょいじゅ)(どんな願いも叶える樹の意)のカルパヴリクシャ(広義には天界にある五種の如意樹の総称)あるいはパーリジャータがモチーフの1つになっていることがうかがえる。カルパヴリクシャあるいはパーリジャータは乳海攪拌の織りに生まれた樹であり、
2021-08-22 23:23:16インドラの庭園であるナンダナに植えられている。 如意樹五種の名前と現実で特定される樹木は以下である。 マンダーラ(デイゴ)、パーリジャータ(夜香木)、サンターナ(シャクナゲ)、 ハリチャンダナ(黄栴檀)、カルパヴリクシャだけは現実の樹木で特定できるものはなく、想像上の樹とされる。
2021-08-22 23:23:16「カルパヴリクシャ」という名詞はパーリジャータとは別の如意樹ともできるし、5種の如意樹の総称としても扱われる。その中でパーリジャータとマンダーラは同一視されることがある。 デイゴの別名がサンスクリット語で、パーリジャータ(波利闍多)とマンダーラ(曼陀羅)の2つであるのはこのため。
2021-08-22 23:23:16パーリジャータが関係ないとしても、マンダーラ(曼陀羅)が如意樹であることにかわりない。 十尾の人柱力に斑がなるということは如意樹の意味合いを持つ名前に視覚的に擬似化されたということ 十尾〓神樹(カルパヴリクシャ/パーリジャータ/如意樹)≒十尾(神樹)の人柱力斑(マンダーラ/如意樹)
2021-08-22 23:23:17十尾の人柱力はかぐや復活のための段取りでしかないが、ゼツにとったら正しく悲願を神樹の人柱力斑が如意樹(マンダーラ)となって叶えくれた。斑は文字通りかぐや復活の人柱となった。という見方ができる。 ちなみにデイゴの花言葉は【夢・活力・生命力】 ヒンデゥー教の観点からの考察は以上です
2021-08-22 23:33:51如意樹の裏付け難航したから、無事見つかってよかったよ。本当によかった。 それぞれの現実の植物のモデルは何かとか、カルパヴリクシャは個々名なのか総称の意味なのか、どうしてデイゴはこの2つの別名があるのかとか。
2021-08-22 23:47:21あ、なるほど。 十尾、斑にとって10月10日が重要ならかぐやにとってもなんかないか、と探したら別のありました。かぐや姫が月に帰ったのは8月15日中秋の名月から何かしらないかと思ったんですけどもそしたら、鳴門と首の誕生日が重要なんですね。あと案山子。
2021-08-29 00:02:31日本の月見の年間行事は3回ある。 旧暦八月十五夜『中秋の名月』 旧暦九月十三夜『後の月』 旧暦十月十夜『十日夜の月』 この十日夜(とおかんや)は収穫祭。稲刈りが終わって田の神が山に帰る日であり、感謝と翌年の豊穣を祈る。その年の収獲の終わりになる。
2021-08-29 00:02:31福島では2月10日前後に『田の神降ろし』という山から田の神を迎えて豊穣を祈る行事があり、十日夜と一対のものとしてみなしている。 つまり鳴門の10月10日は田の神を見送る行事、首の2月10日は田の神を迎える行事、2つで豊穣を願う一対。
2021-08-29 00:02:32長野県での十日夜は田んぼを見守ってくれた案山子を田の神に見立てて田から内庭に移して供え物をすし、一年の労に感謝してから山に帰るのを見送る『案山子上げ』が行われる。 案山子の名前はこうやって機能するんですね。六道仙人からすごく労われてたな。
2021-08-29 00:02:32首(田の神を迎える) ↓ 案山子(田の神として働く) ↓ 鳴門(田の神を見送る) 古事記も日本書紀も鉄や農耕を神格化した話しもあるわけだしな。 わーよくできてらぁ。すげぇ。
2021-08-29 00:02:32「首と慰霊碑」の関係について、岸影先生はこれがやりたかったんだなという話しなのですが、 首の名前の由来の1つは英語の「obit」で意味が「死んだ、死亡の日、命日、忌日」。 ラテン語で「obiit」「死んだ、死亡、命日、命日のミサ」ミサ自身のことをさすこともある。
2021-09-03 22:33:38語源はラテン語の「obeō」でOB- (~に対する、向かう) + EO (行く) 「~向かう、合う、到達する、移動する」 比喩的に「倒れる、滅びる、亡くなる、死ぬ、調査する、見渡す」 なんですね。 前知識として知っていてほしいのが「abiit」で意味は「亡くなる、去る」
2021-09-03 22:33:38語源はラテン語の「abeo」でAB- (~から離れて) + EO (行く) 「Non obiit, abiit」 「Abiit, non obiit.」 という格言(語順が違っても意味は同じ)があって、墓碑銘に刻まれる言葉として知られているらしい。 「彼は亡くなったが、彼の記憶は失われない」 という意味がある。
2021-09-03 22:33:38ただ、これ直訳すると 「彼は死んでいない、去っただけだ」 になるんですね。 案山子の視点と、首の真実を見事に表した、慰霊碑に首の名前を刻むことで格言に結びつかせた言葉遊びですね。
2021-09-03 22:33:39もとネタわかりました。 マルクス・トゥッリウス・キケロですね。共和政ローマ末期の政治家、弁護士、文筆家、哲学者で著書に「友情論」。 日本語訳だと岩波文庫「友情について」キケロー (著), 中務哲郎 (訳) 「優れた徳を持った人物は死後も、友人たちに覚えられているために死なないのである」
2021-09-04 07:17:14「友情は数限りない大きな美点を持っているが、疑いもなく最大の美点は、良き希望で未来を照らし、魂が力を失い挫けることのないようにする、ということだ。それは、真の友人を見つめる者は、いわば自分の似姿を見つめることなるからだ。」
2021-09-04 08:48:48補足すると、著書の内容は「『老年について』の姉妹篇として書かれた対話篇.キケロの無二の親友小スキーピーの死後まもなく,二人の女婿を前にして,友情について語る.」 やつなので、鈴取り後の語りはオマージュであり、リスペクトであり、 英雄の慰霊碑とは「Abiit, non obiit.」の意味を持つ
2021-09-04 14:22:07ことであり、案山子主催によるミサ(obiit)が開かれたたということ。 皆さんが宗教染みてると思ってしまう気持ちに間違いはない。だってミサが開かれていたんだもの。
2021-09-04 14:33:34obit(死亡記事、死亡者略歴)という単語が首的だなと気になって、語源を追ってたら「Non obiit, abiit」の格言にいきあたって、しっかりとした答えにたどり着いたから呼ばれた気持ちになる。 誰の墓碑銘に刻まれた格言なのかわからなくて難航しかけたけど探し出せてよかった…。よかった……
2021-09-04 21:45:00Non obiit, abiit、直訳しかわからなくてどんな格言か全然わからないんだもんよ。誰の格言かのやっと見つけたときは詩人Ciceroだけで。政治家のキケロはでるけど別人だよなーと流し読みしたら著書の1つに友情論があったから詳しく調べたらドンピシャだった。
2021-09-04 22:01:52記憶違い起こしてたんだけど、メモ書きみたら切っ掛け スペイン語の 「obito」 意味[男] 死亡,逝去,他界 だった。そうだそうだ。まんま綴り首なんですよ。 スペイン人からしたら英雄の慰霊碑に「死亡」ってまんまなんですよ。
2021-09-06 10:46:24