ヒロインを虐げた妻と芋虫の夫

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

当日、夏太郎に着付けをしてもらうのだというと、U作は飛び上がった。あうあうがうがうとなにか言っているが全然聞き取れない。しかも着付け中ずっと尾を見ている。美しい黒い着物は尾の好みだが、それをまるで仇でも見るような目で睨んでいる。やっぱり男はこういうものをきた女は好かないのだろう。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

いやー！さすがっすね！めっちゃ似合うっす！と称賛する夏太郎。だが彼は着物を褒めているに過ぎない。化粧を施した尾が最後に紅をさそうとすると、夏太郎はあ！と声を上げる。そして土方からだと紅をくれた。結婚祝いその２らしい。それを見ていたU作はますます不機嫌そうだ。真っ赤な血の様な紅だ。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

そう言えばヒロインは桜貝の様な色の紅をさしていた。そうか、男はこういう紅は嫌いか。行燈しかなかった江戸時代とは違う。今は街灯が明るく夜を照らす。この家は節約のため行燈を使っているが。だが別に夫の好みに妻が合わせなければならない理由はない。ありのままの妻を愛せないならそれでいい。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

よし、と自らレースを編んだショールを纏う。実家から持ってきた鼈甲の簪は母の形見だ。それをさせばおおよそ新妻とはいいがたい威圧感のある女が出来上がる。だがこれで良い。こういうのが好きなのだ。夏太郎は絶賛してくれる。良い反物を持ってきてくれた礼を言う。そしてむっすりとしているU作。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

良い子にしていてくださいね、と柔らかな髪を撫でた。U作はじっと尾を見ていた。貸馬車がやってくると、それに乗り込む。ガタゴトと下級の馬車は良く揺れる。尻を痛めながらも会場に着いた。尾の乗る馬車は一層みすぼらしい。だが仕方ない。こんなことに金を使っていられないのだ。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

どうせ今日は面白くない事しかない。新婚なのに夫のエスコートもない。華やかさの欠片もない着物。だがそれらは全て尾が選んだものだ。会場に入ると好奇の視線が集中する。そしてその視線の元は元婚約者とあのヒロインだった。華やかな着物は彼女に似合っている。まるで光と闇の対比の様だ。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

良くこの場に居られたものだ、恥知らず、愛されない哀れな女、そんな陰口が飛び交う。だが尾はなんとも思わない。この着物の価値が分からない餓鬼に何を言っても無駄だし、U作は今ひよこのようなものだから、こんなところに連れてくるわけにはいかない。だからこそ尾はまっすぐ前を見据えた。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

そして元婚約者とヒロインを見据える。よくよく見れば相変わらず他にも男を侍らせている様だ。清純そうな雰囲気をもってはいるが、とんだ男好きだ。ただ、その中にU作が加わるかもしれない、そう思った瞬間胸の中になにか澱のようなものが生まれた気がした。相変わらずだな、そんな言葉をかけられた

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

元婚約者がさげすむような目で見ている。散々尾を根暗だとか、山猫の子だとか。そもそも尾は私生児であるから間違ってはいないのかもしれないが。可愛げのない女だとか言いたい放題だ。はしたなくヒロインの腰を抱いている。細くて、可憐だ。尾も決して太っているわけでは無い。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

人並みより少し背が小さく、尻が大きく太ももに肉がある。だがそんなものなんだというのだ。だが男は華奢な女の方が良いらしい。ふとましい部分がある女などはしたない、と言われた。気にしているつもりもない。それが自分だ。だけど、悲しい気持ちは一瞬だけあるのだ。これでも花沢家に嫁いで痩せたし

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

相変わらずみっともない、と言われる。その男をじっと見据えた。真っ黒で不気味だと言われた目は威圧感があるのだろう。彼らは気味悪がって後ずさりをする。尾はぱちんと大きな音を立てて扇子を開いた。言葉にせずともこちらが不快な思いをしていると暗に伝える。社交界では直接的な批判は愚かな行為だ

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

その言葉一つで足元を掬われる。そんなもの社交界の常識だ。これだから頭の中がお花畑は困る。そうしていると主催者がやってくる。会場内の雰囲気を払しょくするようにスピーチをする。結局は楽しんでくれ、という事だ。スピーチが終わったので尾は庭に出る。香水と白粉と葉巻のにおいは頭が痛くなる。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

夜風に当たっていると、ぱたぱたと足音が聞こえた。それはあのヒロインだ。ここにいたんですかぁ？烏みたいに真っ黒だから分かりませんでしたぁ、と笑っている。ふと尾は違和感を感じた。頭がお花畑なのか変わりないが、それでもこんな厭味ったらしさはなかったはずだ。早く花沢様が死ぬと良いですねぇ

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

と笑って言う。脳が欠けたらあの花沢様も醜い芋虫のようにかわったと聞きましたよぉ？あなたにはシャンペンを飲むよりも芋虫の小便を取っているのがお似合いですねぇ、と。尾は呆れ果てる。そんなことを直接本人に伝えるなんてアホの極みだ。そういうのは人を使ってあいつはそういうやつだと広めるもの

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

そもそも先の戦争の英雄にそういうことを言うのはご法度だ。軍人の地位はそれほどまでに高いのだ。尾はその声を無視する。阿呆の鳴き声は理解しかねる。だが無視されている事に気づいたヒロインは、尾の腕を掴む。愛されない女め！という。見ていなさい！とヒロインは着物を破り、さしていた簪を折った

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

気でも狂ったか？それともこいつも脳が欠けているのか？とみている。だが次の瞬間、ヒロインは悲鳴を上げて倒れ込んだ。元婚約者の名前を叫んで、助けて、と。さほど会場から離れていないこともあり、すぐに人がやってくる。そしてその現場を見た者は尾が着物を破り簪を折ったと勘違いするだろう。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

似たようなことは散々やってきたのだし、尾には信用がない。駆けつけた者たちは尾をさげすむような目で見ている。会の主催者でさえ。尾は遠回りに追い出された。馬車も来る時間ではない。幸いにして歩いて半刻ほどだ。帰れない距離ではない。尾は歩くことにした。人気のない夜道を尾は歩き出した。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

帝都とは言え夜道はまだまだ物騒だ。尾は少し早歩きで歩いている。するとひたひたと後ろから足音が聞こえる。まずい、そう思って駆けだすが、石畳の道は走りにくい。普段着であればもっと大きく足を開いて駆けだすのだが、夏太郎ががっちりと巻いた帯のせいでほとんど着物は崩れない。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

走りにくい、息が苦しい、そして……怖い。なんやかんや言っても尾はうら若き女性だ。怖くて、必死に駆ける。だが次の瞬間、おい、と肩を掴まれた。尾はとっさに扇でその男の鳩尾を突いた。だがそれは男の筋肉に阻まれる。だがその男に尾は見覚えがあった。月島、という軍人だった。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

あんた、花沢少尉殿の奥方でしょう、どうしてこんな夜道に一人でいるんですか、と。さすがの尾も安堵の息を吐き、月島を睨みつけた。社交場から糞野郎どものせいで追い出されて帰る途中です。そしてたった今軍人の変質者に捕まったところです、と。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

絶句する月島。尾のことは良く知らなかったが、気の強そうな女だという事は知っていた。一言小言でも言おうかと思ったが、尾の手が震えていることに気づいた。ああ、そうか、これは彼女の鎧なのだ。皮肉屋で強がり。でもその内面には、きっと柔い心が隠れている。屋敷までお送りしますよ、と提案した。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

尾は一瞬困惑していたが、流石に怖い思いをしたくないのだろう。お願いしますと素直に応じた。月島は尾の疲れた様子にちょっと心配になった。でもその体に触れるのはあってはならない。二人とも話す質ではないので無言だ。気まずい。月島はU作の容体を聞いた。すると尾は、芋虫を卒業しましたと答えた

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

ぽかんとして、芋虫？と聞き返す月島。月島からしたら芋虫に一番遠い人だから。ええ、四つん這いになって歩けるようになりました。舌はまだ麻痺が強く残っていますが、頑張ってゆっくり話すこともあります。と淡々と話す尾。でもよーく見ると剣呑な雰囲気はなく、誇らし気のようにも見える。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

U作の驚異的な回復力はまさに不死身だ。陸軍には二人の不死身がいる。第一師団の不死身の杉元、第七師団の不死身の花沢、どちらもあの旅順を生き抜いた。頭を打たれても生きているのは奇跡だと思われた。そう思うと奉天会戦で生き延びた鶴見中尉もなかなかだが。そういう月島も数々の傷を負ってきた。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

屋敷まで尾を送ると、お礼にお茶を、と提案した。丁重に断る前にさっさと準備を始める様に早い主人の帰りに困惑する婆に指示を出している。ああ、せっかくなので夫に会っていってください、と言われ爺に案内される。だがU作の部屋に、U作はいなかった。爺ははぁっ！？と甲高い声を挙げている。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

大変だ！と慌ててすっ転ぶ爺。するとU作さん？と尾の声が聞こえる。月島が爺を支えながら台所の方までやってくると、四つん這いでもなお脚や腕に力が入らずぶるぶる震えているU作と、着物の上から割烹着を着た尾がいた。U作はあうあうと不明瞭な言葉だが、どうやらどうして歩いて帰ってきたのか

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

一緒に男がいるようだが誰なのか、などを聞いている。尾はそれがよく聞き取れていないのか、困ったように眉を下げている。花沢少尉殿、と月島が声をかけると、U作が振り返った。つきしま、と唇が動いた。事情を説明するとU作は青くなったり赤くなって怒ったり。尾はお茶をだしていったん着替えに行く

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

婆に手助けしてもらいながら尾が着替えている一方、月島は茶を飲みながら目の前のU作を見る。以前とは全く違い痩せて筋肉の衰えた身体。だが不思議と活力が垣間見える。良い妻を引き当てたようだ。最初は随分と性悪女を押し付けられたと聞いていたから、２７聯隊ではU作を案ずる声が多かった。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

月島もU作の行く末を案じていたが、戦争の後始末に忙しくほとんど身動きが取れなかった。今日はたまたま視察帰りに出くわしたのだ。少尉殿、と声をかける。健やかになられましたら、いつでもお戻りください、と声をかけた。先の英雄を、みな待ち望んでいる。日本はこれからも戦火に身を投じていくから

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

月島はそれからほどなくして帰っていった。U作は尾に付き添われて自室に戻る。だが尾の顔に一切の感情が消えている事に気づく。その白い頬は驚くほど冷たかった。何があったのだろうか、帰ってきたときはそんなことはなかった。月島が何かしたのだろうか。あの男は不愛想だが悪い男ではない。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

だが、尾はショックだった。U作に帰る場所があり、U作を待ち望んでいる人間が沢山いることが。だって尾には帰る場所はない。でもここだって居場所ではないと思っている。結局U作は自分とは違う人間だという事が、なぜかショックだった。でも、何でだろうかと首を傾げるしかない。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

初めからU作の隣は自分の居場所ではないと分かっていたはずなのに。英雄の帰還を待ち望む兵の気持ちだって分かる気がする。だがなぜか感情が追い付いていなかった。社交場でも、ここも、自分の居場所ではないと思うと、妙にさみしく思った。ひゃ、ひゃく、さ！と慌てるU作。どうしてそんなに、と

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

思っていると、自分が泣いていることに気づいた。びっくりした。ここ数年泣いたことなんかないのに、まるで涙腺が壊れたように涙が出てくる。U作があわあわしながら蠢いている。尾はつっ立ったまま涙を流し続ける。ぱた、ぱた、と板張りの床に涙が落ちる。化粧が落ちるな、と思うが涙は止まらない。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

う、あ、とU作の声。頬に当たる骨ばったU作の肩。抱きしめられている。筋肉の無い骨ばった腕の癖に力強かった。なんで、ないて、ます？と聞くU作に分かりません、と無感情に答えることしかできなかった。ここで可愛く寂しい、とか言えばきっと好かれるのだろう。だけど上っ面だけの慰めはいらない

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

しばらくU作の腕の中で泣いた。涙を出尽くし、U作を引きはがした。忘れてください、と告げる。だがU作は再び尾を抱きしめた。よしよしという様に骨ばった大きな手で頭を撫でられる。普段は自分が撫でる立場なのに。だけどそれが人生で初めての体験だという事に尾も気づいてしまった。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

次の日、尾が目を覚ますと目の前にU作がいる。すでに目を覚ましていて、にこにこしている。散々泣いた後風呂に入って寝る準備を整えると、ベルが鳴ったのだ。そしてU作さんの布団に押し込まれて、抱きしめられて眠った。なんだか妙に気恥ずかしい。U作はニコニコしているし

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

起こしに来た爺と婆もにやにやしている。尾は起きるや否や自室に駆け込み、着替える。朝餉を食べた後も尾はU作を避ける。あんなふうに大泣きするなんて思わなかったしそれをU作に見られたのも恥ずかしかった。こんな風に恥ずかしくて逃げ出してしまいたくなる経験は初めてだった。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

このまま逃げ出してしまおうか。そんな風に思っていると爺婆がやってきてU作様が呼んでいますよ、なんて言われて連れていかれる。やめてほしい、今は顔を見るのも辛いんだから。目の前にいてにこにこしているU作。前はげっそりとこけていた頬はすこし肉が付いたように思える。あ、可愛い男だ。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

カーっと顔が赤くなる。だめだ、もうだめだ、と逃げたくなる。どうしてこうやって手に入らないものばかり好きになってしまうのか。するとU作は尾の手を握る。わらしは、がんばいます、まっれれ、くらはい、と。何を、と呟く。おひたいひていまう、なんて世界一滑稽な告白をされた。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

生意気だ。ついこの間赤ん坊になれたくせに、と言いたかったのに何も言えなかった。答えられない尾にU作も眉を下げた。まっれれ、くらはひ、ともう一度。待つもなにも、尾にはここしかないのだ。U作は何も知らない。だけどそれからU作は訓練の時間を長くした。筋肉をつけ、歩く訓練から始まる。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

話すための舌の訓練。他にも指先の訓練もある。柔らかな髪を剃ってしまったのは少し嫌だった。毎日毎日ヘトヘトになるまで訓練をする。歩く訓練ではしょっちゅう転倒してしまうから、生傷も絶えない。青あざを顔に作った時は飛び上がった。そして食べる量も増えた。何度も箸を落としながら食べる。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

カチャン、カチャンと橋が落ちる。尾は咎めるつもりも無かった。夜に風呂に入り、自室でうとうとしているU作は尾を呼び寄せる。膝枕を強請られ、されるがままだ。最近は何故か一緒に子守り歌を歌うほどだ。不明瞭な発音で歌われる子守り歌はどこか安心した。さすがにここまで来ると尿瓶は使わない

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

なんだか急速にU作が離れていく。きっと花沢家には悪い話ではないのだろう。尾は緻密に編んだレースを何枚も作り、それを売って卵を買った。あまり頻繁に買えるものではない。だけど夫の身体を思えば買わずにはいられなかった。出汁を使って卵焼きを作って夕餉にだした。するとU作はとても驚いていた。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

とても高価だったでしょう？と聞かれたので、隠すことでもない。レースを編んで売りました、というと婆が奥様のレースはとても緻密で美しく高く売れるのですよ、と自慢げにいう。なぜお前が、とは思うが黙っていた。どうせ何枚も編んでも、五個が精いっぱいだ。大した稼ぎではない。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

それよりもU作が軍で同じ時間だけ働く方がよほど稼げる。所詮女の稼ぎはその程度なのだろう。いや、自分の稼ぎがこの程度なのだ。刺繍もレースも、実家で嫌々やらされたものだ。今も嫌いだ。でも、ふと顔をあげればU作は美味そうに卵焼きを大きな口で少しずつ食べていた。つん、と鼻の奥が痛い。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

貴女も食べてください、とU作が言う。生意気だ、前よりもすらすらと流暢に舌を動かしている。でも、一切れだけ取った卵焼きはじゅわりと出汁がしみ出して美味しかった。あとどれだけの時間、彼は自分をここに置いてくれるのだろうか。美しさを取り戻していく夫。あのまま芋虫の様な夫が良かった。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

芋虫のように床を這い、尾の助けがなければ食事も排泄もできない夫は確かに尾だけのものだった。だが今目の前で輝きを取り戻しつつある夫は、もしかしたらもう尾の世話は必要ないかもしれない。尾はふと暦に目をやる。尾がここにきてもう２年が過ぎようとしていた。２年、長くはない。

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

U作の快復の見込みは軍部にも伝わったのか鶴見や月島、他にも菊田、宇佐美といった軍人が頻繁に屋敷に訪れる。やはり軍に戻らねばいけないのだろう。銃弾の痕がある額を覆う額あても作ったようだ。式典用の者に尾があんだレースを使いたいと言われ、尾は渋々了承した。花柄ではなく幾何学模様を編む

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

ホーローにそれを貼り付ければ、妙に乙女趣味のようなものが出来上がった。不釣り合いでは無いだろうかと思うが、U作が身に付ければしっくりと馴染むから不思議だ。いつの間にか夫の胸板は、出会った時よりも何倍も分厚くなり、腕も脚にも筋肉がついていた。未だに言葉はおぼつかないが人並みになった

にじかれー🦄🦛🐰🐉🌸🐈 @nijikare2

そして、いよいよ有力貴族や将校を招いて快気祝いをするらしい。尾は新しく反物を、というU作の申し出を断った。どうせ仕立てたところで一度しか使わないのだ。あのヒロインが居ればU作は彼女を好きになる。離縁されれば身一つで出ていくしかない。尾はあの時社交場に言って以来社交に行っていない。