①「洛南交通名所図会」(京都市教育会)。歴彩館所蔵の初三郎鳥瞰図で洛南を中心に描いたものはこの1点のみ。洛北・洛東・洛西とセットで描かれたものなので、洛南にはあまり観光の目線が向けられていなかったことが分かる(現在もそうだが)。 pic.twitter.com/vat0k9EE0h
2018-03-15 03:58:34初三郎の絵柄の違い ①20年代前半:比較的素朴,デフォルメは弱め ②20年代後半~30年:1928年(昭和大礼)の作品が多い,色鮮やか,初三郎の黄金時代? ③30年代~:②より落ち着いた色合い,デフォルメが激しい (「京の記憶アーカイブ」より) pic.twitter.com/D7IOIGq12r
2018-03-15 04:10:25宮津・舞鶴を描いた吉田初三郎の作品 ①宮津橋立名所圖繪(1924) ②橋北汽船案内 (1924) ③舞鶴図絵(1924) ④天の橋立と橋北汽船(1934) ・アングルは同じ ・①②はほぼ同じ絵。③は舞鶴が中心。④は伊根を強調 pic.twitter.com/OzjHDuvPl1
2018-03-15 04:19:21画像 「京の記憶アーカイブ」:wwwmanage.archives.kyoto.jp/wp-content/upl… 「デジタル展覧会「京の鳥瞰図絵師 吉田初三郎」」pref.kyoto.jp/shiryokan/yosh…
2018-03-15 04:20:26吉田初三郎「洛東洛西洛南洛北京名所交通図会」(1928年,京都市教育会出版)に記載されているスポットをマッピング。洛東・洛西・洛南・洛北の四項目をそれぞれ色分けした。 archives.kyoto.jp/websearchpe/de… pic.twitter.com/Ji5x9oVDJO
2018-03-15 07:35:46一般的な「洛○」よりは広い範囲が扱われており、「洛北」は上京域、「洛西」は下京域をそれぞれ含む。「洛東」は鴨東と山科(+大津)を合わせた分布。「洛南」は宇治とその他諸々。東寺が「洛西」扱いなのは意外だった。
2018-03-15 07:38:40以前作成した「洛○」を名称に含む建物の分布(淡色△)と重ね合わせ。両者の分布には微妙な違いが見られる。観光地と建物名では分布が異なるのは当然だが、それ以上に大きな地名の変化があるように思える。 pic.twitter.com/cIRZKOuhjD
2018-03-15 07:54:55大山, 琢央「鳥瞰図に描かれた別府温泉 : 近代ツーリズムと吉田初三郎らのまなざし」repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonip… 別府の鳥瞰図を分析したこちらの論文ではまた違った分け方がなされていた pic.twitter.com/8F2rTb3I4K
2018-03-15 08:11:23関地連発表、初三郎の話をしようと思ってたけど「洛○」について話すのもありだな。京福関係無くなっちゃうけど。
2018-03-15 08:17:50京都の初三郎鳥瞰図に登場する雲・霞たち ①すやり霞型:最も多い,バリエーションも豊富 ②もや型:後期(1930年代)の作品に多い,どれも同じ構図 ③特殊型:「明治節記念橖」の図のみ,雲・霞と言えるかは? (画像は「京の記憶アーカイブ」より) pic.twitter.com/6kUG8zx5kt
2018-03-15 16:59:03下の森が「霜の森」になってる archives.kyoto.jp/websearchpe/de… pic.twitter.com/tCN75pwD3S
2018-03-15 17:12:22吉田初三郎「Kyoto」1928年,大礼記念京都大博覧会事務局出版 archives.kyoto.jp/websearchpe/de… 昭和大礼の際に刊行された鳥瞰図。同年発行の鳥瞰図「京都」に英字のキャプションを付けたもの。 pic.twitter.com/djieaO8A84
2018-03-15 17:28:08大礼記念大博覧会 ①東会場:現岡崎公園,メイン会場 ②西会場:現二条公園付近,二条城より大きく描かれている(実際は二条城のほうが大きい) ③南会場:現京都国立博物館,「大佛」が描かれている pic.twitter.com/jGBIrILOo9
2018-03-15 17:39:42大礼記念京都大博覧会の会場についてはこちらの鳥瞰図が分かりやすい twitter.com/Naga_Kyoto/sta…
2018-03-15 17:41:39亰都大博覧覽會鳥瞰圖 : 大禮記念/1928年 tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi… 昭和大礼に伴う博覧会の様子を描く pic.twitter.com/zIqFBFJms3
2018-02-17 21:22:58両図を比較すると違いが大きいことに気付く。 東会場 ・大鳥居の有無(大鳥居は1928年竣工) ・個々の建物の様式がデフォルメのレベルを超えて全く異なる(特に中央の塔(大陸橋、北東の第二本館など) pic.twitter.com/BplhzGMWI2
2018-03-15 17:51:31「東山三條」が2つあることに気付いた。下の青丸が正しい。上の赤丸は東山二条。英字キャプションも間違ってんじゃん。 pic.twitter.com/xTBJR9DDw3
2018-03-15 17:55:02西会場を比較。こちらも建物や門の様式がかなり異なる。初三郎のほうにはドームが付いているのが特徴。 pic.twitter.com/F7nOc9qtHx
2018-03-15 18:00:03初三郎の市街地の描き方。外側に行くほど線が弱く、寒色が多くなる傾向がある。黒や緑はともかく赤や青は実際の市街地にはあまりない色だけど、これってもしかして印象派の筆触分割を意識したものだったりしないかな。 #知らんけど ①下京→②西ノ京→③京極・梅津あたり pic.twitter.com/7MOTT0HNmm
2018-03-15 18:11:29初三郎鳥瞰図に伏見の街を描いたものがないのは不思議。伏見稲荷や月桂冠を描いたものはあるけど、市街をメインに描いたものは見たことがない(もちろん僕が知らないだけという可能性はある)。桃山御陵もあるし描いていそうなんだけどなぁ。
2018-03-15 18:19:58調べてみたところ、初三郎は1907年に東京に移って白馬会が設立した画家養成所に入っている。白馬会設立者の黒田清輝はフランスから印象派の技法を持ち帰った人物なので、初三郎も印象派の影響を受けている可能性は高いんじゃないだろうか。
2018-03-15 18:31:35白幡洋三郎「遠い観光,近い観光 ― 吉田初三郎の鳥瞰図にあらわれた観光」(39頁より)monogatari-kanko.org/pdf/01.pdf
2018-03-15 18:38:13>...旅行愛好家の団体が各地で誕生していた。その中でも比較的大きな団体の一つが,大正9年に東京で生まれた「日本旅行倶楽部」であった。この団体は,健全な旅行を普及させることをうたっていた。いわゆる旅の恥はかきすて,をやめさせようと「旅行道徳」の向上をスローガンに掲げていた。
2018-03-15 18:45:40初三郎の旅行観 >「『旅』は,現代生活から切り離すことのできないもので,既に娯楽遊覧の域を離れ,実際的に家庭の浄化を図る最もよき手段の一つであり,平凡化せんとする一家の空気を転換する最も賢明な策である。」
2018-03-15 18:48:12吉田初三郎作、京都観光案内(1928)、京都案内(1933)、弘法大師法要案内(1934)、京都へ(1938)の4点を重ね合わせ。色彩やラベルは異なるものの、構図は完全に一致している。 (画像は「京の記憶アーカイブ」より) pic.twitter.com/hs1PZnPhy3
2018-03-15 20:03:22谷口亮「吉田初三郎による鉄道沿線鳥瞰図の構図特性に関する研究」waseda.jp/sem-yoh/temp/0… 初三郎のデフォルメ手法について分析 pic.twitter.com/PyALbGtRLE
2018-03-15 20:23:17吉田初三郎作①「Kyoto」(1928,大礼記念京都大博覧会事務局)と②「京都案内」(1928,京都市観光課)の構図を比較。山麓線、鴨川、千本通に線を引いた。①は山麓線が丸く、線は平行。描写もコミカルな印象。②は四角い山麓線で、よりパースが効いている。同じ年の絵でもこれほど違うのか。 pic.twitter.com/CZ9XNFtVrX
2018-03-15 20:33:56松浦 健治郎「吉田初三郎鳥瞰図に描かれた昭和初期の官庁街の立体的空間構成 : 近世城下町を基盤とする県庁所在都市18都市を対象として」jstage.jst.go.jp/article/aija/7… 景観復元資料としての初三郎。官庁街は主要街路(多くは「大手道」)沿いに形成されることが多い。 pic.twitter.com/NIm3XUiViv
2018-03-16 02:48:50