2022・令和4年における博多祇園山笠の舁き山の紹介、その3。恵比須流、千代流。
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タケ @take_all_a

2022(令和4)年の舁き山の紹介の続きで、恵比須流。 #博多祇園山笠 #舁き山 pic.twitter.com/W7L5Va3BKB

2022-07-21 23:55:03
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恵比須流の舁き山の山小屋は道路を塞がない形で設置されている。 pic.twitter.com/lSoXQZgbA4

2022-07-21 23:56:01
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恵比須流の舁き山。標題:我誓「博多総鎮守」(わがちかいはかたそうちんじゅ)、人形師:人形司武平。櫛田神社の祭神である大幡主大神(おおはたぬしのおおかみ)がテーマ。祭神を掲げることで櫛田神社の神事の原点に立ち返る意味があるようだ。 pic.twitter.com/yLuRG1iO0p

2022-07-22 00:01:09
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恵比須神社と恵比須流の山小屋。 pic.twitter.com/FhiPj8537z

2022-07-22 00:02:10
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旧博多部に広がる碁盤の目状の道路は、豊臣秀吉の時代の区画整理(「太閤町割り」という)で設けられた。その一部である山小屋前の道路は、福岡市が平成時代に行った道路愛称事業で「恵比須通り」と名付けられている。 pic.twitter.com/dbw2USH62n

2022-07-22 00:05:57
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舁き山の紹介、最後は千代流。山小屋が置かれた道路は、御笠川に架かる恵比須橋を介して前述の恵比須通りと繋がっている。手前は国道3号。 pic.twitter.com/uIpuHhpvMa

2022-07-22 00:07:53
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私が団地マニアを始めて十数年─ 福岡民として「山笠と団地」の光景をいつか撮りたいと思いながらずっと先送りしていて、今年(2022年)ようやく撮影した。団地名は福岡市営 新博多住宅、千代住宅、千代田住宅。 #団地 #danchi pic.twitter.com/bbzLFCQ4d8

2022-07-22 00:10:18
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千代流の舁き山と団地。 pic.twitter.com/Kb203zS3vi

2022-07-22 00:12:01
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千代流の舁き山と団地と福岡都市高速。 pic.twitter.com/NIdjqEPKGv

2022-07-22 00:13:23
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(昨夜の続き)千代流の舁き山。標題:双神剛一志(そうじんつよきこころはひとつ)、人形師:川崎修一。仏教の守護神である金剛力士がテーマ。 ※ 誤字を訂正して再ツイート pic.twitter.com/vyWDYy3JEk

2022-07-22 23:02:45
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金剛力士像は阿形・吽形の二体一組による表現が基本であり、千代流の舁き山では表に阿形(口を開いている方、写真)、見送りに吽形(口を閉じている方)の人形が飾られた。舁き山の見送りにも人形があるのは割と珍しいのでは。 ※ 誤字を訂正して再ツイート pic.twitter.com/xaPyr60Lqj

2022-07-22 23:03:16
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千代流の舁き山、見送りの吽形像。 ※ 誤字を訂正して再ツイート pic.twitter.com/uajLN7qXDN

2022-07-22 23:03:38
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以下、恵比須流・千代流の舁き山周辺に関わる都市構造の余談を少し述べたい。この写真は、御笠川に架かる恵比須橋から恵比須流の山小屋、恵比須神社、恵比須通りを見たものだ。 pic.twitter.com/Ufa1eOArUz

2022-07-22 23:06:21
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同じく恵比須橋から国道3号と福岡都市高速を通して千代流の山小屋と市営住宅を見る。なお、恵比須通りという道路愛称の範囲は旧博多部だけで、川向こうの道路はそう呼ばない。 pic.twitter.com/TjmI8TPtBX

2022-07-22 23:07:29
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恵比須流と千代流の舁き山(山小屋)、道路と恵比須橋の位置関係を、Googleマップ3Dモードのキャプチャに加工して示す。 pic.twitter.com/nG4f9OAgML

2022-07-22 23:30:41
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御笠川に架かる恵比須橋(この2枚は2021年9月撮影)。福岡市の資料によると現在の橋の竣工は2004年度。架け替えに際して構造形式を斜張橋としたのは橋脚の数を減らすためと思われる。 pic.twitter.com/1VJuY9oD1h

2022-07-22 23:31:14
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恵比須橋の親柱には、恵比須像と架け替え前の旧橋の親柱が置かれている。旧橋の親柱に刻まれた竣工年は明治43年(1910)。 pic.twitter.com/c8iJoTGmso

2022-07-22 23:32:10
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今昔マップでこの周辺の新旧地形図を見てみる。左:1926・T15測図・1929・S4発行、右:最新。 この画面のURL ktgis.net/kjmapw/kjmapw.… 旧博多部から恵比須橋を介して千代町の崇福寺(そうふくじ)まで道が続いていることが見て取れる。 pic.twitter.com/8L7iPJduZA

2022-07-22 23:32:40
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前述したように、現・恵比須通りは16世紀末の区画整理事業「太閤町割り」で設けられた。一方、御笠川(石堂川)に架かる恵比須橋や対岸の千代町の道がいつ頃設置されたのかは確認できていない。

2022-07-22 23:33:32
タケ @take_all_a

ただ、『古地図の中の福岡・博多』(宮崎克則・福岡アーカイブ研究会編、海鳥社)に載っている江戸時代後期の福岡・博多の古地図を見ると、恵比須橋や千代地区の道は描かれていないので、幕末か明治以降ではなかろうか。

2022-07-22 23:33:43
タケ @take_all_a

崇福寺は1240年に太宰府に建立された後、1600年に福岡藩初代藩主 黒田長政が千代に移転させて黒田家の菩提寺となった。また、1681年には境内に十日恵比須神社も建立。同神社は明治時代の東公園を経て昭和初期に現在の東公園隣地に遷座(せんざ)した。

2022-07-22 23:33:56
タケ @take_all_a

もともと博多と御笠川(石堂川)対岸の往来は、石堂橋やその水上側の西門橋が江戸時代のメインルートだった。橋の数が抑えられていたのは防衛のためか。1887・M20出版の「福岡博多鳥瞰図」に恵比須橋と思われる橋が描かれている(右下)。当初は簡素な木造橋だったようだ。左下は石堂橋。 pic.twitter.com/h3ffDJDfTP

2022-07-22 23:36:27
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タケ @take_all_a

十日恵比須神社公式サイトの御由緒ページ「十日恵比須神社のはじまり」の段落に掲載された古写真に写っている橋は、恵比須橋の可能性が高い(キャプションがないので確定はできない)。現・恵比須橋の前の橋(明治43年の親柱の橋)か? だとすると今の橋は3代目? tooka-ebisu.or.jp/gods/

2022-07-22 23:37:35
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まとめたひと
タケ @take_all_a

福岡県を中心に、建築・団地・土木・産業遺産などについて、ツイッターにつぶやいたことをまとめています。個人サイトの方は放置中。