脱字) p.37.2行目「傾けること\が/重要」、ヌケ) p.90.17行目「アプロ ーチ」
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(p.14)他者に向けて開かれた状態においては、「有害な」他者の被害を受けやすくなるぶん、「有益な」他者の受け入れも容易になる。

2015-07-04 17:57:12
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(p.24-5)専門家が指示し、患者が従うという上下関係は存在しない。 本人抜きではいかなる決定もなされない。 何も決まらないこともありえるが、その場合には、「何も決まらなかった」ことが確認される。

2015-07-04 18:02:52
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(p.26)家族にも家族についての治療者たちの話し合いを観察する機会を与える。治療者のやりとりを観察して感じたことを家族もまた話し合い、それを治療者が観察する。これを繰り返す中で、当事者と家族には、苦しんできた経験を言葉で再構築する機会がもたらされる。

2015-07-04 18:08:52
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(p.27)意見が対立しても、あらゆる声の存在が許容される。意見の集約や善悪二元論的な価値判断よりも、傾聴とやりとりが推奨される。すべてのメンバーには同意しない自由がある。それでも、安心できる雰囲気の中で、異なる視点を交換し続けていくと、次第にポジティブな変化が起きてくる。

2015-07-04 18:14:18
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(p.27)ゴールは、全員が合意に達することではない。それぞれの異なった理解を、うまくつなぎ合わせ、共有することだ。合意や結論は、この過程から一種の“副産物”のようにしてもたらされる。

2015-07-04 18:17:17
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(p.31)オープンダイアローグでは最初から「診断diagnosis」がなされることはない。対話の中で、本人が納得しない限り、入院治療はありえない。曖昧さ、不確実性への不安を支えるのが、くり返されるミーティングと継続的な対話である。

2015-07-04 18:31:19
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(p.32)いちばん不安定な時期に毎日ミーティングを開き、「この続きはまた明日」と確約してもらえることの安心感、安全保障感は、それ自体が治療的な意味を持つ。信頼できる治療的コンテクストが醸成されれば、そのときはじめて、不安と恐怖を耐え抜くことが可能になる。

2015-07-04 18:38:48
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(p.32)このやりかたは、従来の、「医師という権威」のもとで「由らしむべし知らしむべからず」の原則にのっとって確保される安心感とは対極にある。

2015-07-04 18:42:36
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(p.32-3)どんな治療がなされるべきかの結論は、対話全体の流れが自然な答えを導いてくれるまで先送りされる。不確実性への耐性が形成されれば、自らの“異常”体験を言語化できずにいた当事者にも、うまく本人自身の心理的資源や対話的資源を活用して、それらを治療に活かす可能性が見えてくる

2015-07-04 18:49:08
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(前掲書セイックラの論文1本目から。p.91)ミラノ派は、危機というものを家族ゲームにおける好ましくない「移行」と考えており、治療チームの役割は、それに“抗する”ことだとみなされている。訳注 ; つまり彼らは「病理を見出してそれを解決する」というモデルから自由になれないのである。

2015-07-08 18:33:43
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(続)ですから私たちが、危機にある家族と毎日のように会ったり、家族と協力して事に当たることは、このようなミラノ派の手法を捨てたということなのです。

2015-07-08 18:39:08
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・・・ボスコロとチキンは、システムを環境から切り離して客観的な立場から語ることなどできない、と主張した。患者家族とどんなふうに出会ったとしても、そこには専門家が臨床に持ち込んだ幻想が含まれている。(前掲書『オープンダイアローグとは何か』p.92)

2015-07-08 18:43:14
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第2世代システム論の考え方、すなわち親密な関係にある人全員に治療的にかかわることで、家族との関わり方を変えるところからスタートした。システム論のアナロジー(類比)は、「声」と「聞くこと」のメタファーにとって代わり、次いで「感じること」と「触れること」に関わる比喩に置き換えられた。

2015-07-08 18:50:15
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言葉をかわしつつ対話を回していく。治療行為というものを、治療者と患者がともに創造していくプロセスであると主張する。(pp.92-3)

2015-07-08 18:52:38
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オープンダイアローグは、バフチンの対話主義の概念を、傾聴と理解が「共進化」していくプロセスへと翻案していきます。リオタールが述べたように、大切なのは聴くことであり、話す際も「聞き手のように話す」ことであります。・・・「聴くこと」は「質問すること」よりも重要です。(p.96)

2015-07-08 18:58:52
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✄---------- #オープンダイアローグとは何か セイックラの3つ目の論文『治療的な会話においては何が癒す要素となるのだろうか』から----------✄ 後半部「新たな共有言語をつくり出すために」以下からの抜粋。医学書院 (pp.173-8)

2015-07-24 18:12:49
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ミーティングにおいて治療チームは、ある種の対話文化を育もうとします。それは、それぞれの声を尊重しつつ、すべての声に耳を傾けようとする文化です。 (1) できるだけ話しやすい雰囲気で、かつ苦悩に直面しつつ語れるように、質問の仕方を工夫する。

2015-07-24 18:32:00
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(2) 誰の話に対しても、神経を集中しつつ、思いやりを持って耳を傾ける。 どんな発話であれ、それを受け入れる余地を残しておきます。病的な妄想や絶望感のもととなった厳しい生活状況が語られたら、それに対するねぎらいの気持ちを示すことを忘れないでください。

2015-07-24 18:36:54
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(3) 治療チームのメンバー同士のリフレクティングを導く。その際、ネットワークメンバーの発言に対してだけではなく、その発言に対する治療チームの発言にもコメントをする。

2015-07-24 18:41:15
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不確実性に耐える中で、ネットワークメンバーは、「これからどうすべきか」に対する答えをおのずから見つけるでしょう。その答えを与えてくれるのは、状況を共有することでもたらされる「心理的エネルギー」なのです。

2015-07-24 18:43:32
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【聴かれれば聴くようになる】 人は、自分の言葉がきちんと聴いてもらえていることがわかれば、自身も他者の経験や意見に耳を傾け、関心を持つようになるものです。

2015-07-24 18:48:02
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治療チームとネットワークメンバーは一緒に、言語を共有するための場を構築します。ミーティングとは、ある言語に特別な含みを持たせることについて、同意をとりつけるための場なのです。

2015-07-24 18:48:31
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治療チームのリフレクティングに耳を傾けることで、ネットワークメンバーは、自分が置かれた状況の新しい意味を発見します。治療チームの言葉に触発されて、ネットワークメンバーは、その場のリアルな他者との会話から一瞬解き放たれて、自分自身の内的な仮想的他者との対話を始めます。

2015-07-24 18:54:40
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かくしてリフレクティブな内的対話がもたらされ、問題となっている状況への新たな理解がここから生まれてきます。さらに、その理解がはっきりと声に出されることで、彼らの対話は未知の可能性のほうへ向かうようになるのです。

2015-07-24 18:58:45
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【ストーリーが書き換えられるとき】 症状というのは、いわば包括的に身体化された経験なのですが、この新たな言語もまた理詰めではなく、同じように身体化された経験から生み出されるものです。ネットワークメンバーが一体感を感じるようになる時、いまだ語られざるものにも〈声〉が与えられるのです

2015-07-24 19:03:42
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ミーティングの場に持ち込まれたもろもろの経験をなぞっていく中で、感情的な経験が共有されます。そうすることで、関係者がふだんから慣れ親しんできた言葉が、新たな理解へと再構成されていきます。

2015-07-24 19:08:30
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それまで語られなかった苦悩のストーリーや、はじめて症状が出現した時の文脈を、その新たな言語がしっかりととらえたとき、対話はまさに症状を代償し、それを書き換える力を持つのです。(p.176)

2015-07-24 19:11:46
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ネットワークメンバーは、自身のトラウマ的経験を語るための言語を獲得することで、語られる状況とそこから生まれる感情の双方をコントロールできるようになります。

2015-07-24 19:14:42
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治療プロセスにおいては、ある種の経験がターニングポイントになることがわかってきました。その経験とは、分かち合い一体となりつつあるという強い集団感情、あふれ出すような信頼感の表明、感情の身体的な表現、緊張がほどけ身体がくつろいでいく感じ、などです。

2015-07-24 19:23:19
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マトゥラーナは、「体験可能な唯一の孤独の超克は、他者との合意のうえに成り立つ“現実”、すなわち“愛”を通じて成し遂げられる」と述べています。ミーティングの際に私たちの中に生まれる愛の感覚とは、意味を共有する世界に参加したことで生ずる、身体レベルの反応のことです。

2015-07-24 19:28:09
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チューディとライヒェルトの「ネットワーク・カンファレンシング」という概念は、ブーバーの〈我―汝〉関係を想起させてくれます。ネットワークメンバーの言葉と感覚にピンポイントで同調することで、人間関係のいちばん基礎的な部分との共鳴が起こります。

2015-07-24 19:33:25
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ミーティングにおいて相互に同調し合い、そこから生まれる深い交感に完全に没頭することで、私たちはある感覚にたどりつきます。それは私たちを、共にある関係的な存在として、真の意味で「人間」たらしめてくれるあの感覚です。(p.178)

2015-07-24 19:36:41