鳥取県中西部方面の訪問記録。
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黒将軍 @ytinbk

久々に米子城に登城。 現在米子城では発掘調査が進んでおり、新たに「登り石垣」の案内があった。 登り石垣は、山頂に向かう法面に沿って設けられた石垣で、内膳丸の石垣と連結し、海側の侵入を遮断する仕組みだったようだ。 同じく新たに見出された「竪堀」はどこかわからなかった。  #鳥取の城 pic.twitter.com/4h7s4ULQB1

2021-02-11 22:04:02
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黒将軍 @ytinbk

米子城内膳丸。 登り石垣が直線状にあるのがわかる。 内膳丸の名は城主・中村一忠の家老、横田内膳に由来。 彼は主君一忠の不興を買って暗殺されてしまい、その死は、横田騒動と呼ばれる内乱のきっかけとなった。  #鳥取の城 pic.twitter.com/qpXirzC5xG

2021-02-11 22:10:23
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米子城本丸。 インカ・アステカの遺跡を思わせる段状の石垣が特徴。 上からは、大山や中海が一望できる。  #鳥取の城 pic.twitter.com/NtOyzECoTB

2021-02-11 22:15:21
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米子城脇、湊山公園の外れにある三基の五輪塔。 ここは清洞寺という寺の跡で、左から池田由之とその妻及び加藤光泰の供養塔。 中村一忠の無嗣改易後、加藤貞泰が米子入りすると、この地に曹渓院を建て、父光泰の供養とした。 光泰は秀吉の家臣だったが、朝鮮出兵の際、現地で病死した。  #鳥取の城 pic.twitter.com/m98SdHbyul

2021-02-12 00:25:47
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加藤氏が大洲へ転封になると、因伯は池田氏の治める所となり、米子には池田由之、子の由成が入った。 由之が死ぬと由成は曹渓院を海禅寺に改め、父母の供養とした。 その後、寺は何度か名を改めるが、明治に入り廃絶したそうである。  #鳥取の城

2021-02-12 00:32:57
黒将軍 @ytinbk

なお、池田由之は小牧長久手合戦で戦死した池田恒興の孫、即ち共に戦死した池田元助(之助とも)の子であったが、両名が戦死した時まだ幼少だったので、家督は叔父である輝政のものとなり、由之はその臣下となった。 後、国許へ帰りたいという家臣の願いを無視したために、刺殺されてしまったという。

2021-02-12 00:39:21
黒将軍 @ytinbk

続いて粟島神社へ。 神社のある小山は、かつて中海に浮かぶ島だったが、干拓により地続きとなった。 祭神を少彦名とするが、伯耆風土記逸文によると、大国主との国造を終えた彼は、この島に粟を撒き、その穂に弾かれて常世へと渡ったという。  #鳥取の神社 pic.twitter.com/kQ9WpYBEDV

2021-02-11 22:25:18
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粟島神社社殿。 本殿、拝殿は昭和11年の建築で、彫刻らしい彫刻がほとんどない時代を感じさせるもの。 随神門には彫刻があるので、それより古い時代のものか?  #鳥取の神社 pic.twitter.com/x4fteFKov2

2021-02-11 22:33:22
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社務所の横に面白いものがあった。 杵築(出雲)、勝田、大智明(大山)、天照(伊勢)、金毘羅、粟島の神号が記された石塔である。 これを拝めば各神社に参ったことになるというものだろうか。 傍らにも何やら神号が刻まれた石塔があるが、不明瞭で読めず。  #鳥取の神社 pic.twitter.com/w5ISkxOONm

2021-02-11 22:42:21
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境内にあった忠魂碑。 形状から察するに、何れかの軍艦の砲身の転用か?  #鳥取の神社   #戦争遺跡 pic.twitter.com/4NGlFTCq1Z

2021-02-11 23:23:09
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摂社・大岩神社。 少彦名が最初に上陸した岩であり、古代からの磐座であるというが、周辺には似たような大岩がゴロゴロしており、島から転がり落ちたものだろう。  #鳥取の神社 pic.twitter.com/FccGq6gAKG

2021-02-11 23:32:58
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静の岩屋。 人魚の肉を食べたことで不老不死となった娘が、世を儚んで絶食死した洞窟と伝わる。 いわゆる八百比丘尼伝説である。  #鳥取の神社 pic.twitter.com/zLaEaWy5Be

2021-02-11 23:41:33
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山頂よりの風景。 中海に伸びる土地は中海干拓事業による彦名干拓地で、汽水湖である中海を淡水にすることで農地として運用しようとしていたが、環境問題などにより反対運動が起き、干拓、淡水化事業は中止された。 現在はため池により農業用水を確保しているそうだが、色々考えさせられる話である。 pic.twitter.com/Bf9rbrrPHg

2021-02-12 00:03:14
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米子空港前にあった掩体壕。 掩体壕は、太平洋戦争中、空襲に備え、戦闘機を退避できるようにした格納庫である。 弓浜半島内にいくつか残っているらしいが、ここのは、目立つ場所にある割に案内板の類も無く、荒れるに任せているというのが、惜しいところ。  #戦争遺跡 pic.twitter.com/iFV8SlGE19

2021-02-12 00:09:40
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鳴り石の浜。 pic.twitter.com/vV9FY2REdj

2020-06-06 22:04:23
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境台場を訪問…したのだが、完全に公園化され、中央広場はゲートボール場と化しており、防塁としての風情はほぼ皆無であった。  #鳥取の城   #幕末の鳥取 pic.twitter.com/3xzn7T1FL4

2019-12-23 21:17:21
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境港灯台。 明治28年に建てられた山陰最古の木造灯台であったが、老朽化により撤去。 平成3年に再建されたが、往時のものを復元したものでなく、山形県酒田市の灯台を模して建てられたもの。  #明治の鳥取 pic.twitter.com/trrOlSViq5

2019-12-23 21:24:26
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美保関事件慰霊碑。 ワシントン軍縮条約締結で焦った海軍は厳しい特訓で戦力不足を補おうとしていた。 昭和2年、美保関沖で夜間無灯火演習を行っていた連合艦隊は、軽巡神通と駆逐艦蕨、軽巡那珂と駆逐艦葦が相次いで衝突、蕨は沈没、葦は大破という大損害を出した。  #戦争遺跡   #昭和の鳥取 pic.twitter.com/Gq260bPeET

2019-12-23 21:31:41
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この事故は人的ミスとされ、責を問われた神通艦長、水城圭次大佐は自決したが、無理な訓練を強行し彼らを疲弊させた艦隊司令部は罪を問われず、日本の組織の悪しき点を浮き彫りにしたような事件となった。 尚、この碑は山陰最古のコンクリートモニュメントという事だ。  #戦争遺跡   #昭和の鳥取

2019-12-23 21:37:00
黒将軍 @ytinbk

境水道大橋。 1972年完成。 下を船が通るため、境港のふ頭と島根半島の山中にかかり、えらい高低差となっている。 近年べた踏み坂の江島大橋が有名だが、こちらもたいがいである。  #昭和の鳥取 pic.twitter.com/Po8KlDtmjs

2019-12-23 21:43:52
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今年は亥年ということで、初詣に赤猪岩神社に参ってきた。 ここは、大国主命が八十神達に騙され、赤い猪に見立てた真っ赤に焼けた大岩で圧し潰され、絶命したという古事記所縁の地だ。  #鳥取の神社 pic.twitter.com/T0SEvJ9Gje

2019-01-06 21:23:50
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黒将軍 @ytinbk

社殿脇には大岩を埋めた場所とされる玉垣があり、その蓋とされる平岩がある。 しかし、大岩はあくまで凶器であり、それ自体に呪力はないはずなので、それをわざわざ埋めて封印するというのも不思議な話である。 あるいはここは古墳かもしれない。  #鳥取の神社 pic.twitter.com/hQ5jCMQ5fC

2019-01-06 21:34:14
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黒将軍 @ytinbk

ところで、ここで一度死を迎えた大国主命であるが、すぐに母神の計らいで復活することができ、八十神の難を逃れるため、一度「根の国」に身を隠すこととなる。 そこで根の国の王である素戔嗚の娘・須勢理姫と結ばれ、素戔嗚の試練を経て出雲の王となるわけだが…

2019-01-06 21:43:09
黒将軍 @ytinbk

近年大国主命怨霊説なるものが人口に膾炙しているが、この通り大国主命は一度死んでいる。 根の国への避難も神話における「冥界下り」のパターンであり、大国主命は生死を超越した存在と見ることもできようか。

2019-01-06 21:52:28
黒将軍 @ytinbk

ちなみに、大国主命が八十神達に命を狙われたのは、因幡の地で狙っていた八上姫を大国主命に取られたからであるが、当の大国主命は出雲建国後八上姫を袖にしているので、大国主命も相当ひどいヤツである(笑)。

2019-01-06 21:57:09
黒将軍 @ytinbk

赤猪岩神社参拝の後、少し移動して天神垣神社を参拝。 ここは格別な由緒はなさそうだが、近隣の古墳より発見されたという「石馬」が保管されている。 正月なので収蔵庫が開いてるかと思ったが、そんなことはなかった。  #鳥取の神社 pic.twitter.com/4I3UzkIlfz

2019-01-06 22:03:51
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黒将軍 @ytinbk

この石馬は主に九州の古墳で見つかっているもので、本州においてはここのものが唯一である。 それをもって九州との交流が~と説明されるが、鳥取でもここでしか見つかってないので、単にここにいた九州よりの移住者が作らせたものというところだろうか。

2019-01-06 22:08:26
黒将軍 @ytinbk

境内には他に「サイノカミ」の石像と藁でできた蛇「クチナワ」があった。 こういう道祖神像や藁でできた信仰物は主に鳥取県西部で見られ、東部にはあまりない。出雲側はどうであろうか。 西部にこういう独特の信仰形態が多いのは不思議なことだが、大山と何か関係があるのだろうか。  #鳥取の神社 pic.twitter.com/Femtk41bmm

2019-01-06 22:19:36
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天神垣神社の斜向かいには、古代寺院の遺跡である「上淀廃寺」がある。 この寺は金堂横に3つの塔が並ぶという独特の伽藍配置であったとされ、それらの基壇が遺されている。 金堂跡からは日本最古級の彩色壁画片、塑像残欠など良質な仏教遺物が発見されており、重要な遺跡である。  #鳥取の寺 pic.twitter.com/xyFH154L8u

2019-01-06 22:29:56
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黒将軍 @ytinbk

この上淀廃寺をはじめとして、鳥取には土師百井、菖蒲、岩井、栃本、大御堂など、塔心礎をもつ白鳳寺院の遺跡が、かなり多く残されているようである。 他の県ではどの程度残っているものだろうか。 鳥取がもし格段に多いのなら、この地は何か特別な場所だったのかもしれない。

2019-01-06 22:35:08
黒将軍 @ytinbk

昨日境港にドライブに出かけたら、偶然にも豪華客船、飛鳥Ⅱが寄港しているのを目撃!! あんなブルジョワ御用達の船、生涯乗ることないんだろうなあ…(not共産主義者) pic.twitter.com/7fXI7I89Wr

2017-08-28 23:19:16
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黒将軍 @ytinbk

初詣に米子の賀茂神社天満宮へ。 賀茂神社と天満宮が合祀されたから賀茂神社天満宮って… 他に名付けようはなかったのか…? pic.twitter.com/xe9b7qrzlS

2017-01-07 21:51:05
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黒将軍 @ytinbk

@ytinbk この賀茂神社天満宮境内には、米子の名の由来となった井戸がある。 この井戸の名をよなぐ井といい、それがなまって米子となったのだとか。 あるいは、この神社に子宝祈願をした老夫婦が齢八十八(米寿)にして子をなしたのが由来とも。 pic.twitter.com/cCCEIErwuf

2017-01-07 21:56:42
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黒将軍 @ytinbk

@ytinbk 境内に変わった形の祠があった。 これは遥拝所で、まず東方の伊勢や北野を拝み、次に祠をくぐって反対側に行き、西方の出雲大社や米子城跡(本来のご神体で賀茂三笠山という。)を拝むのだと。 …素直に摂社造れと思わんでもないが… pic.twitter.com/owNlmo0fgz

2017-01-07 22:01:43
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黒将軍 @ytinbk

「大荒神展」を見に大山寺圓流院へ。 圓流院は廃仏毀釈の後再興した大山寺の支院の一つ。 新しい本堂の天井に、郷土の偉人・水木しげる御大の妖怪画108つがはめ込まれる事で知られる。 …展示自体は仰々しい名前のわりに小規模なものであった… pic.twitter.com/0XfloXwQS7

2016-11-05 21:58:20
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黒将軍 @ytinbk

大山寺は先日の地震で白鳳時代の金銅菩薩像の首が折れるなど被害を受けた。 境内各所にはその際のものであろう倒れた石灯篭や石碑、崩れた石垣などが散見され、痛ましかった。  #鳥取中部地震 pic.twitter.com/Eo61g7Hj9E

2016-11-05 22:01:30
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@ytinbk とはいえ、重文の阿弥陀堂や旧本堂の大神山神社奥宮など建物に被害は見受けられず、そこだけは安心であった。 pic.twitter.com/Mgfq9TyWa7

2016-11-05 22:03:44
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黒将軍 @ytinbk

…本当は紅葉を見に行ったのだが、どうせ地震明けだし観光客も少ないだろうと見込んでいたのに、最高のビュースポットである鍵掛峠や大山環状の主要地点は車でいっぱいで、ろくな写真が撮れなかったのが残念であった。 pic.twitter.com/xt7fMgYPFj

2016-11-05 22:08:03
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今日は琴浦町にある西日本最大級の墓地、花見潟墓地へ。 日本海の海岸に発展したこの墓地は、おそらくは当初水葬の地であり、それが埋葬地へと発展したものであろう。 pic.twitter.com/mObfAn39iQ

2015-02-11 22:00:35
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花見潟墓地には特徴的な形式の墓塔、赤碕塔がある。 赤碕塔は宝塔と宝篋印塔を合わせたような形状の塔で、墓地内に二基建っている。 鎌倉時代後期のものといい、長い年月海風にさらされ、風蝕が著しい。 pic.twitter.com/QsBv791Zfr

2015-02-11 22:08:54
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花見潟墓地の入口には石仏が多く祀られる一角があり、その中には4mもの大きさを誇る河原地蔵尊がある。 江戸時代半ばの1747年に建立されたものだという。 その傍らには風蝕で顔が半分溶けたような地蔵があり、ちょっと怖かった… pic.twitter.com/jR8J0yC6Jn

2015-02-11 22:13:14
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花見潟墓地の東の丘陵には龍の彫刻で知られる神崎神社が。 本殿はあいにく修理中だった。 pic.twitter.com/yoMBqkO27s

2015-02-12 00:22:58
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神崎神社から下った海岸には波しぐれ三度笠の像。 海風が冷たかった。 pic.twitter.com/mxOcFe1xWC

2015-02-12 00:33:31
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神崎神社拝殿扉の脇を飾るのは神功皇后と武内宿禰。 蟇股には浦島太郎、乙姫、竜宮城。 いずれも海に関係するモチーフだ。 pic.twitter.com/j3hZkVVSSj

2015-02-12 00:30:27
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黒将軍 @ytinbk

帰省していた姉の要請で遥かな町、倉吉へ。 pic.twitter.com/L1BDE4YNfZ

2014-07-19 20:12:47
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黒将軍 @ytinbk

目的地は白壁土蔵の街中にある大岳院。 ここには南総里見八犬伝のモデルとなった安房の大名、里見忠義主従の墓がある。 姉が今度八犬伝の舞台を見るということで、その関連遺蹟を見ておきたいというのが理由であった。 pic.twitter.com/R7nZx6AkLl

2014-07-19 20:22:59
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黒将軍 @ytinbk

楼門の脇に里見忠義主従の墓がある。 忠義は大久保長安事件に絡み改易、配流先の倉吉で若くして死んだ。 その死の際に八人の殉死者が出たのが後に八犬士のモデルとなったとされる。 忠義の墓の両側にあるのは里見家家老、正木大膳と堀江能登守の墓。 pic.twitter.com/ashhB8pJ81

2014-07-19 20:37:56
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黒将軍 @ytinbk

大岳院には他に大江磐代君の母、りんの方の墓がある。 大江磐代君は閑院宮典仁親王の女房で光格天皇の生母、明治天皇の高祖母に当たる。 つまるところ、今上のご先祖に当たる御方である。 pic.twitter.com/iSRk3gxsb4

2014-07-19 20:45:43
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黒将軍 @ytinbk

昼食は土蔵郡内のレストラン、白壁倶楽部で。 ここは旧第3銀行倉吉支店の建物をそのまま使用しており、明治まで遡る疑洋風建築である。 休日のランチタイム過ぎということで売り切れが多かったが、ハンバーグセットはなかなかの味であった。 pic.twitter.com/gyRqDFcCn3

2014-07-19 20:55:20
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黒将軍 @ytinbk

食後に訪れたのは大蓮寺。 古めかしい山門とモダンな本堂の対比が面白い寺。 pic.twitter.com/VUMrKYzdVS

2014-07-19 20:58:19
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黒将軍 @ytinbk

黒将軍だ。 歴史探訪とSDガンダムに情熱を注ぐ者だ。 作成品、探訪記録をmin.t ↓ にまとめました。 (モーメント廃止に伴い移行。)