再々紹介している神戸川崎のMAN DZ型複動ディーゼルであるが、その製造期間は昭和9~28年、総製造数は38基である。戦前の川崎型油槽船の主機として有名(?)な同機関だが、実は戦後の製造台数も1/3の13基に及ぶ。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… pic.twitter.com/M6BFckQwAf
2017-08-06 18:27:38戦後、初の外航船建造が許可された第五次計画造船において、6隻の大型油槽船が建造された。そのうちの1隻が松島丸(11,965総トン,日本水産)である。かつて第二・第三図南丸を建造した日立造船桜島に発注された同船は、先々捕鯨母船への改装を想定していたという。 pic.twitter.com/BtsJHeY2Mq
2017-08-06 18:34:401951(昭和26)年に竣工した松島丸の主機は神戸川崎で製造されたD7Z 72/120P、掃気ポンプ直結式で定格出力7,000馬力であった。戦争を挟んで10年余、大型2サイクル複動ディーゼルが再び日本の舶用機関史に登場した時代である。
2017-08-06 18:40:08さて、松島丸は当初の想定どおり、トラック島で浮揚・曳航後に復旧した図南丸に続く、日本水産の戦後2隻目の捕鯨母船に改装された(1956年)。次いで翌年名を改めて「第二図南丸」となる。 pic.twitter.com/g7PjT1uGfn
2017-08-06 18:46:04この頃松島丸に搭載されていた主機D7Z 72/120Pが改装されたようだ。2サイクル複動を単動化して出力6,000馬力としたもので、時期と詳細は詳らかではないが、当時導入されつつあったMAN KZ型2サイクル単動の設計を取り入れ、排気過給機を装備したものではないだろうか。
2017-08-06 19:03:05要目で機関出力が減少しているが、これは主機の川崎MAN2サイクル複動ディーゼルD7Z 72/120P(掃気ポンプ直結式)を改造し、単動化してK7Z 72/120Pとしたもの。以前付いていると言った排気過給機はなかったようだ。 twitter.com/Tensyofleet/st…
2020-05-15 23:20:342サイクル複動ディーゼルの弱点の一つがピストンロッドがど真ん中を貫く下部気筒。これを単に取り払って搭載した実例は過去にもあって、その名を艦本式11号内火機械という。 twitter.com/Tensyofleet/st…
2017-08-06 19:08:25NHHCより、7月24日に艦載機の攻撃を受ける戦時標準船TL型。すでに浅瀬に乗り上げて船体は半ば海面下に没している。日付と状況からして、広島湾の大黒神島北部で沈没した2TL型さばん丸だろう。 history.navy.mil/our-collection… pic.twitter.com/jKaZoNZ0zA
2017-03-12 20:53:181950年代半ば以降、2サイクル排気過給機の実用化に伴って、次第に複動機関は製作されなくなっていった。戦後、日本で2サイクル複動機関を製作していたのはMAN社と技術提携していた神戸川崎と三菱横浜だけであり、前者が1953年、後者が1958年を最後に製造を行っていない。
2017-08-06 19:24:31旭洋丸(8,418総トン,東洋汽船)、主機は三菱横浜製のMAN D6Z60/110。函館ドックで建造された同船は、日本最後、そして世界最後の複動機関を搭載した船舶とされている。 searcharchives.vancouver.ca/m-s-kyokuyo-ma… pic.twitter.com/WAnsXnuTYx
2017-08-06 19:34:55旭洋丸はその後幾度かの売船を経て、最後は北朝鮮に売却され、年号が平成に代わる頃までロイド船級に登録があったようである。DZ機関がいつまで搭載されていたかは定かではない。おわり
2017-08-06 19:36:15ペラペラと本をめくっていたところ、関係者の回想で旭洋丸は後年単動の排気タービン過給機関に改装された、との記述を今更発見。他にも改装例があるらしく、やはり複動の運用は難しかったようだ。
2017-08-16 14:27:53