ここしばらくDMで、先の発達障害関連まとめについてYOSHさんと対話していました。それについて以下に連投します。少々長いですがお付き合い下さいませ。>TLの皆様
2016-01-17 00:06:17→YOSHさんからは、伊藤氏批判にとどまらず発達障害の過剰診断問題なども含め多様な議論が必要との示唆がありましたが、私の方ではまとめにそこまで広範囲な議論を反映させると収拾がつかなくなることを予想して、多様な議論への言及は三連ツイをするにとどめていました。→
2016-01-17 00:06:53→この姿勢の違いについて、当初、お話が上手く噛み合わなかったのですが、両者とも、多様な意見・批判の展開の重要性については認識しており、全く同感であること、ただ、私の側で今回のまとめに設定した目標が伊藤氏批判に集約したものであり、そこに多様な議論を入れ込んでしまうと→
2016-01-17 00:08:09→まとめの性格がぼやけて読み手に伝わりにくくなるため、短期決戦的なまとめにする必要があってあのような編集方針となったこと、長期的には多様な議論を重ねていきたいと考えていることをご理解いただきました。→
2016-01-17 00:08:29→またYOSHさんからは「議論の方向性には意義を感じていて伊藤氏の発達障害理解には全く呆れている」とのコメントを頂いております。 YOSHさんと私の発達障害の概念把握にはズレもありますが、それについては長期的に折にふれて対話していくことで議論を深めていくことが出来ると思います。→
2016-01-17 00:09:05→YOSHさんとは意見が異なる場合もありますが、私に無い視点を提示して下さる貴重なつながりと思っています。今回のまとめではYOSHさんの多様な意見・批判の展開へのご期待にはお応えできませんでしたが、折々に、異なる角度からの視点でのまとめ製作やツイートで→
2016-01-17 00:10:02→議論と理解を深めてゆければと思います。 最後になりましたが、YOSHさんと私が出会い、相互フォローするきっかけになったやりとりをご紹介して終わりたいと思います。→
2016-01-17 00:10:21【人の無念さと付き合う②】 twitter.com/yosh0316/statu… →
2016-01-17 00:11:50@CookDrake 病むこと、死ぬことの悩みを言葉で表現出来る限りその悩みは軽い。痛いと言葉に出す場合よりも、痛みすら言葉に出せない場合が重篤です。言葉では語り尽くせない無念さに寄り添うことを断念してもなおその場に佇み立ち合うことを他人に決心させるならば言葉の欠如こそ詩的表現!
2012-11-08 01:51:55【人の無念さと付き合う④】 twitter.com/yosh0316/statu… →
2016-01-17 00:12:34佇立は共時性です。clientの道先案内で導かれる出合い・邂逅に何を発見し感じるのか! ユング心理学の醍醐味ですね! フォローします。 @CookDrake
2012-11-08 02:52:15→文案を見て頂いてYOSHさんから「全く異義なく了承致します。最後の日下さんの言葉がやはりcookさんとの絆を強くしてくれたと思います。これも、公開可能です。」とのお言葉を頂きました。ここまでお付き合い下さいましてありがとうございました。→
2016-01-17 00:13:32@CookDrake 2012年11月8日の出会いでしたね。前日の7日に私も日下さんの言葉をツイートしていたので感慨深く覚えています。↓のリンクのブログで経緯が判ります。 twitter.com/CookDrake/stat… blog.goo.ne.jp/yosh0316/e/750…
2016-01-17 00:45:17リンク添えて下さってありがとうございます。ほんと懐かしいですね。当時、私は、Twitterを初めてから一年少々のころで、当事者の人たちとの繋がりもまだまだ薄かった記憶があります。そんな初期からお付き合い頂いてるんですよね(^_^) @yosh0316
2016-01-17 01:00:34【Cookさんと出会った日の雑感】 自閉症の息子も二十歳。私の人生も峠を上り切る頃。峠(とうげ)は垰とも書く。語源は手向け(たむけ)と言われるが私は異なる解釈。撓み(たわみ)撓むと言う湾曲を表す言葉からだと考える。「たおやか」とはシナヤカを意味する。曲がり易さを表す言葉➡
2016-01-17 00:29:18➡「たお、たわ」も峠、垰のこと。winding roadの最上部を越えることつまり垰越えが「たおごえ」→「たおげ」となり峠(とうげ)となる。そう理解している。山地の尾根の撓んだ場所を「たわ、たお」と言う。人生の撓みこそ生きる味わいと感じる。【cookさんと出会った日の雑感】
2016-01-17 00:29:48響く言葉。tokyosp-kenkyukai.com/column1/index1… ”「病むこと」「死ぬこと」のその人の無念さは私たちには分かりませんし、「寄り添う」こともできません。私たちにできることは、ただそばに佇むことしかないのです。それでも、徒手空拳のままその場を離れないで居続けるのが医療者の仕事です”
2012-11-07 23:23:32@CookDrake 病むこと、死ぬことの悩みを言葉で表現出来る限りその悩みは軽い。痛いと言葉に出す場合よりも、痛みすら言葉に出せない場合が重篤です。言葉では語り尽くせない無念さに寄り添うことを断念してもなおその場に佇み立ち合うことを他人に決心させるならば言葉の欠如こそ詩的表現!
2012-11-08 01:51:55ユングは「半歩中へ、半歩外へ」と言いました。その半歩を超えることが出来なかったとしても、無力を自覚してなお最後まで傍らに佇む人の覚悟が通じた時、そこには何かしら生まれるものがあるのではと思います。@yosh0316
2012-11-08 02:29:43佇立は共時性です。clientの道先案内で導かれる出合い・邂逅に何を発見し感じるのか! ユング心理学の醍醐味ですね! フォローします。 @CookDrake
2012-11-08 02:52:15