『同期のYさんは』『side : y』の別視点、監督生のお相手の話です。特定の誰かというのは決めていませんので、お好きな方を当てはめて頂けたらと思います。
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ふちゅん @Tdhutyun3Vp

何事ですか! そう焦りながら言う様子に学園時代の記憶が蘇る。何でもない。そう言い、笑い続けた。こんな風に笑うのは随分と久しい感覚だった。

2020-07-09 16:41:07
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

どこか纏まった空気の中、改めて研究が仕切り直された。自分は変わらず鏡の操作をしていた。トライアンドエラーを繰り返し、約一ヶ月の間に世界の境はよりはっきりと濃くなっていった。向こう側に写る○○の姿も、鏡面を割って手を伸ばせば触れることが出来そうなほど存在感を増していた。

2020-07-09 22:15:47
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

完全に世界が繋がる日はもう近い。言われなくても分かるほど色鮮やかに、自分の姿と○○が重なる。日を追う事によくこちらを見るようになった○○は、目が合う度に何かを言おうとして口を開き、結局何も言わずに掌を境目に押し付けるだけだった。

2020-07-09 22:15:47
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

それに合わせるように、自分の掌を鏡面に押し付けた。世界の繋がりが濃くなっても、未だ鏡は体温も声も伝えることが出来ない。○○の言葉を耳に触れさせることも出来ず、どんな気持ちなのかを尋ねることも出来ない。自分たちにあるのは、間に挟み込んだ境目と、そこから伝わる温度のない掌の虚像だけ。

2020-07-09 22:23:32
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

だが何よりも雄弁に語っていたのは、真っ直ぐにこちらを見る瞳だった。言葉も体温も伝わらない虚像同士のやり取りの中で、その視線だけが温度と硬さをもって境界を突き抜けてきていた。まだ行けない。そう言っているかのように、じっとこちらを見ていた。

2020-07-09 23:21:17
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

分かったと伝えることも出来ず、自分には○○の姿をなぞるようにして鏡面を撫でることしかできなかった。

2020-07-09 23:27:20
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

次の日の夜遅く。ゲストルームから抜け出して鏡舎に行く。 どうしてか、無性に○○の姿を見たくなったのだ。そっと扉を開けて誰もいない鏡舎に入り、魔法の鏡に触れて静かに世界を繋げる。驚いた。さっと広がった景色にはどこかの天井と、上から見下ろしてくるような形で○○の顔が写っていたからだ。

2020-07-10 00:57:27
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

しかし目線は合わない。ぐっと俯いているのか、顔には薄らと影が落ちている。その様子を見ていると、不意に○○が口を動かし始めた。それと同時にざわめきにも似た音が鏡から染み出してくる。ざわめきはどんどん大きくなり、はっきりと聞き取れるまでになった。

2020-07-10 01:05:18
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

まさかと息を飲む。大きくなるざわめきの中、記憶の奥底を震わせるひとつの音が鼓膜を揺らした。 ○○の声だった。 ○○はぽつりぽつりと誰かに向かって昔のことを話しているようだった。その内容は身に覚えがあるものばかりだ。

2020-07-10 01:10:16
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

○○はこの世界での出来事を話していった。あの時はこうだった。色々な事があった。酔っているのか、呂律があまり回っていない舌。時折見えないところから頷くような声が聞こえ、その声の主に語っているのだとわかる。会話の中からその人の名はMというのだと知った。

2020-07-10 02:26:11
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

”その世界が好きなんだね” ○○が話し終わると、Mがそう言った。○○は目を丸めて顔を上げる。何かを言おうとして口を開くが、聞こえるのは小刻みに息をする音だけ。しかし表情は段々と歪んでいき、一瞬の大きな呼吸音の後。○○の頬に涙が伝った。

2020-07-11 01:37:00
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

ごめんなさい。ほんとうに、ごめんなさい。 おそすぎたんだ。 もっとはなしたいのに。おそくって。 ごめんなさい。ごめん。 すきだから、いくんだ。 すてたくないけど、すてる。 あいたい。たいせつな、ひと、だから。 ごめん。ごめんなさい。 やさしいのに、こんなに、ないて、ごめん。

2020-07-11 02:17:43
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

ぜんぶ、ゆめものがたり。 ゆめなら、わすれられるから。 ぜんぶ、ゆめものがたり、だとおもって、ほしい。 ごめん、なさい。 こんな、だめな。泣いたらだめなのに。 だから、みょうな、はなし、を、きいたくら、いに、おもって、ほしい。 ぜんぶ、ゆめだとおもって。

2020-07-11 02:17:44
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

浅く呼吸をする○○に、Mがとりあえ水をと言った。不意に鏡面が揺れ、一気に天井が近付いく。何だと思う暇もなく○○の唇が大きく映りこんだ。と同時に鏡面が暗闇に包まれ、鏡舎に静寂が戻る。耳の奥で、まだ○○の声が木霊していた。全部、夢物語。全部、夢だと思って。

2020-07-11 02:17:44
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

夢はその内容を忘れても、見たという記憶は残る。月が朧に霞んでいても、そこに月は昇っているという事実は変わらないように。 夢にしたかったのは、激しく流した涙の跡か。それとも、自身の存在か。

2020-07-11 02:49:13
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

鏡に映った自分の口は、自然と固く結ばれていた。視界から逸らすようにして鏡に背を向け、鏡舎の端に設置されたソファに近寄り、寝転がる。ぼんやりと天井の模様を眺めていると、先ほどの○○の顔が甦ってきた。決意したはずだった。○○をあちらの世界から切り離すことになっても、その手を掴むと。

2020-07-11 03:16:35
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

けれど、捨てたくない、と零した○○の表情が染み付いて離れない。そして彼の人にとって大切な世界を、人たちを、奪い取ろうとしている自分がひたすらに悪なのだと実感する。だがあの日、○○を見つけてしまったのだ。霞がかった先の世界で、求め続けた、思い続けた、忘れられなかった人を。

2020-07-11 16:37:30
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

例え大切な人の世界を奪う事になっても、悪に堕ちた自分には○○を手放すことはもうできないのだ。なのになぜ、こんなにも胸が苦しい。そう感じることも許されないはずなのに、なぜ。

2020-07-11 16:37:30
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

気が付くと瞼を閉じていた。眼球の乾きに何度か瞬きをしながら起き上がる。○○は無事に帰れただろうか。重く回転が利かない頭をふらふらさせながら鏡へ近付き、そっと世界を繋げる。さっと写った向こう側の景色は光に満たされていた。

2020-07-11 22:01:57
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

○○が泊まっているホテルの部屋だ。少し前からよく見るようになったその部屋だが、○○の姿が見当たらない。けれど鏡がここと繋がったということは、無事に戻ってきてはいるようだ。境界越しから届く朝日に目を細めていると、見えないところから○○が近付いてくる音が聞こえた。

2020-07-11 22:05:56
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

何故か会ってはいけない気がしたのと同時に、体が勝手に鏡の脇へ移動していた。○○がこちらの方へ近付く音にじっと耳を傾ける。少しか、暫くか。そんな間の後に○○は、おやすみなさい、とだけ小さく言い、目の前から遠ざかっていった。ぎぃ、とドアが閉まる音がする。

2020-07-11 22:51:02
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

ずるり。足から力が抜け、床にへたり込む。曲げた膝に額を付け、絞り出すように息を吐いた。大切なものを奪おうとしている人間に、安らかな眠りを祈る言葉を呟くなんて。どこまで自分を溺れさせたいのだ。本当に、相変わらず……罪作りな人だ。 世界が完全に繋がるまで、あと一日。

2020-07-11 22:51:02
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

この日中、鏡のメンテナンス作業が行われた。元々明日にでも完全に世界間を繋げられる予定ではあったが、いきなり音が伝わる状態になった為だ。他に変化は無いか、念を入れて設備の確認がされた。 結局のところ、特におかしいところもなかったようで、計画は予定通りに進むことになった。

2020-07-12 01:14:49
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

夜。自分はまた鏡の前に立っていた。明日に備え今夜は鏡を使わないことになっている為、鏡面が揺れることはない。つるりとした暗闇の中に写るのは一人の人間だけ。人間は、とても静かな目でこちらを見ていた。その視線はもう揺らぐことはないと言っている。そうか。お前は悪になる決意をしたのか。

2020-07-12 01:43:22
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

世界が繋がるまで、あと――。

2020-07-12 02:16:48
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

次の日。全員が鏡舎に集合した。鏡の前には男がいる。最初に集められた時の似たような光景。ただ一つ、鏡の向こうに広がる世界がとてもはっきりしているところだけが違った。では、お先に。そう言って男が鏡の向こうに身を浸す。ずるりと体が飲み込まれていき、その姿は境目の向こう側に写った。

2020-07-12 02:16:48
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

”それでは手筈通りに” 男の姿が黒い羽根に包まれ、数十羽のカラスへと変化をした。それらは一気に空へ飛び立ち、地面へ羽が舞い落ちる。軽々とやってのけたが、相当に難しい変化魔法だ。男は何者なのだろうか。何度も考えた問が頭をよぎるが、今は些細なことだ。一歩前に出て、鏡の操作を始めた。

2020-07-12 03:10:55
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

かちり。景色が切り替わり、目の前に○○の後姿が現れる。大きな花束を抱え、沢山の人々の中心にいる姿は、学園時代によく見ていた光景と重なった。懐かしい感覚のままその背に手を伸ばしかけるが、寸でのところで指を握りこんだ。

2020-07-12 03:50:02
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

ふと視線を感じそちらの方へ目を向けると、一人と目が合う。その人はぱちくりと瞬きをしている。○○以外には見えないようになっているはずだが、偶然にもこの人にだけはそうではないみたいだ。しかし不思議と焦りはなかった。握りこんだ指を解き、人差し指を立てて唇に当てる。秘密にしてくれるか。

2020-07-12 03:50:03
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

それから暫く。花束を抱えた○○がオフィスから出ていくのを確認してから、元の手筈通りにとある場所に鏡を繋げた。整備された広場のような場所で、ベンチがいくつも置かれているが、誰も座ったりしている様子が無い。人払いは済まされているようだ。あとは、○○がここに来るのを待つだけだった。

2020-07-12 04:04:02
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

かち、かち。鏡舎の時計が時を刻む音だけが響く。重く、冷たいような、熱いような静寂が体を覆っていた。どれだけの時間が経っただろうか。がらり、と地面が擦れる音がした。はっとして俯きがちだった顔を上げると、少し離れた場所に○○がいた。

2020-07-12 04:20:19
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

目の前にはいつの間にか一匹のカラスがいて、それがカァと一声鳴くと、大きな羽音を立てて何羽ものカラスが合わさっていく。羽が周囲に舞い散った。収まった頃、カラスがいた箇所には男が立っていた。”本当にいいんですね” 男の言葉に、心臓が大きく跳ね上がった。

2020-07-12 04:32:10
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

ずっと私がこの世界から消える準備をしていたのを見ていたくせに。 皮肉交じりに言う○○。しかしその表情は全てを抱えた上で、からりと晴れているように見えた。昔と変わらない、否、それ以上に強い人。どこかくすぐったくて、思わず口角が緩む。

2020-07-12 04:45:03
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

数回のやり取りの後。男がいつもの口癖を言ったところで、こちらに手を向けた。ちらりと後ろを向くと、色々な顔をしてこちらを見ている仲間たち。さっさと行け。一人が自分の背を押すのと同時に、いくつもの手がそれに重なり、鏡が目前に迫る。

2020-07-12 05:21:54
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

最初は指、次は脚。次は身体。最後に顔。そうして、自分は世界を越えた。 冷えた風が喉を通り抜ける。ふわりと鼻を掠めた花の香りのすぐ向こう。直にこの目で見る○○は、鏡越しに見るよりも大人びていて、けれど、痛いほどに○○だった。

2020-07-12 05:21:54
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

どちらともいわずに近付く。恐る恐るといった様子で、○○がこちらの腕や服の裾に触れた。逃げやしないのに、まるで猫のようだ。そう思うと、自然に笑っていた。

2020-07-12 05:38:13
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

先に行っていますよと言って男は鏡の向こう側へ消えていく。その様子をじっと見ていた○○が、徐にこちらを見た。真っすぐに射貫くような瞳は、僅かにでも揺らいではいなかった。自分がすべきことは、全てを抱えた大切な人に頷きかけることだけ。

2020-07-12 06:17:45
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

○○が頷き返す。するといきなり手に持ったスーツケースを鏡の向こうに投げ飛ばした。そこそこ大きいにも関わらず音もなく吸いこまれたが、向こうではかなりの大騒ぎになっているだろう。あまりに突拍子のないことに笑いがこみあげてくる。けれどそれが無性に愛おしかった。

2020-07-12 06:17:45
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

○○が胸の中に勢いよく飛び込んでくる。もつれ合い、笑い合いながら鏡の方へ転がり込んだ。世界を越える瞬間。花のむせ返るような匂いと、○○の体温だけを感じていた。

2020-07-12 07:15:01
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

とぷりと鏡の向こうへ転がり込むと、予想通りに鏡舎内は大騒ぎだった。スーツケースを投げ込むやつがあるか。怪我は。相変わらずだ。おかえり。口々に好きなことを言う彼らに、○○は顔をほころばせ、ただいま、と叫んだ。瞳からぽろりと涙がこぼれたが、それでも笑っていた。

2020-07-12 07:15:02
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

リボンを巻いた黒い毛玉がその胸に飛び込む。毛玉も泣いていた。○○も強く抱き締め、二人は大声で泣き続けた。何気なしに鏡の方を見ると、向こうの世界の景色が徐々に暗闇へ閉じていくところだった。墨が沈んでいくように、じわりと塗りつぶされていく光景。見せまいと、○○の頭を胸に引き寄せた。

2020-07-12 07:15:02
ふちゅん @Tdhutyun3Vp

頬に伝う何かには、気付かないふりをした。 side : Q  おわり

2020-07-12 07:15:02