【長文】1938(昭和13)年3月1日のパナマ運河の通航料改正に伴う本邦高速貨物船の総トン数増について ―あるいは遮浪甲板船(Shelter decker)盛衰記―
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天翔 @Tensyofleet

世界一周航路向けに7隻が建造された日本郵船のS級貨物船は、それまでのニューヨークライナーを含めた戦前日本の造船技術の集大成とも言える大型高速貨物船である。写真は佐渡丸。 pic.twitter.com/FuVWpYbZqQ

2020-03-03 23:33:38
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天翔 @Tensyofleet

さて、S級の総トン数はいずれも7,100~200トン程度である。三菱長崎の資料にもそのように書いてある。 pic.twitter.com/UcS0BZV9br

2020-03-03 23:36:07
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天翔 @Tensyofleet

ところがどうしたことか、1942(昭和17)年の日本船名録で、一番船崎戸丸の総トン数を見てみると、総トン数9,245トン(純トン数5,227トン)で1.3倍に増えている。 昭和17年 日本船名録(3) jacar.archives.go.jp/das/image/C080… pic.twitter.com/1FF7DlH1CV

2020-03-03 23:48:20
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天翔 @Tensyofleet

それでは、と1940(昭和15)年版の日本船名録を確認すると、総トン数7,126トン(純トン数3,900トン)で造船所の記録に等しい。崎戸丸の船舶番号は45508で同じであり、同名他船ではない。これはどういったことだろうか。 pic.twitter.com/lCZ47J2gLV

2020-03-03 23:52:55
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天翔 @Tensyofleet

この現象は本船に限ったことではない。例えば、香椎丸(国際汽船)は1938(昭和13)年の日本船名録では6,822総トンであるのに対し、翌39(昭和14)年では8,407総トンと1.2倍に増加している。 history.navy.mil/content/histor… pic.twitter.com/zmB0iKUXO1

2020-03-04 00:02:41
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天翔 @Tensyofleet

戦前の日本貨物船で、総トン数が増加している船がいたことを。。。

2020-03-04 00:05:24
天翔 @Tensyofleet

早々に答えだけ言ってしまうと、この総トン数の増加が発生した原因は、1938(昭和13)年3月1日のパナマ運河の通航料改正である。 アンケートの結果を分析するに、日本国民1億2600万の過半数が総トン数増加の事実を、またその原因が運河通航料にあることを知っている。海運国日本の将来は明るい。 twitter.com/Tensyofleet/st…

2020-03-04 22:45:22
天翔 @Tensyofleet

一方で、大型高速貨物船の中でも総トン数が変わらないものもいる。例えば、畿内丸級の南海丸(大阪商船)は、1937(昭和12)年と1942(昭和17)年の日本船名録で共に8,416総トンと変化がない。 history.navy.mil/our-collection… pic.twitter.com/hRV0g3HH2j

2020-03-04 22:55:44
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天翔 @Tensyofleet

日本郵船N級の1隻能代丸も、同じく7,189総トンで変化がない。なぜこのような違いが生まれるのだろうか。 history.navy.mil/content/histor… pic.twitter.com/wBGJAl1YGc

2020-03-04 23:00:40
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天翔 @Tensyofleet

これにはちゃんとした理由があるのだけれども、それが記されたものは少なく、規則のことだから面白くもない。なので「主要目の一部数値が上方修正されているが、その理由は定かではない」などとと書かれてしまうのだが、まあそんなつまらない話をしてみようと思う。 history.navy.mil/content/histor… pic.twitter.com/5pHbXDiIqE

2020-03-04 23:15:06
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天翔 @Tensyofleet

船を分類する方法はいくつかあって、例えば用途(軍艦,商船,旅客船,貨物船)や経営様式(定期/不定期)、航行区域(遠洋,近海)などがあるが、時代や法令によって様々に変化する。 pic.twitter.com/0Ff9MxlL4z

2020-03-22 14:21:16
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天翔 @Tensyofleet

分類方法の一つに、「船型」というものがある。主に喫水線より上の上部構造物の形態によって分類するもので、法令による定義とも密接に関係している。 pic.twitter.com/IgGISrGgb7

2020-03-22 14:25:39
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天翔 @Tensyofleet

もちろん歴史上には様々な形態の船舶が存在し、すべてを定義することは難しいのだけれども、主だったものはこれくらいだろうか。 言葉で説明すると随分長くなるが、こちらのWebサイトが詳しいように思う。 taigai.co.jp/custom4.html pic.twitter.com/5r2ssqCu8C

2020-03-22 14:30:49
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天翔 @Tensyofleet

余談だけれども、船体中央に機関を置くと軸路が後部の貨物倉を圧迫し、容積が少なくなる。貨物を平均的に満載すると船首喫水が深くなって都合が悪いので、後ろに貨物を積み増ししたい、といったことが凹甲板船や低船尾楼船が出現した理由であったりする。 pic.twitter.com/kJhnsx6Evm

2020-03-22 14:35:33
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天翔 @Tensyofleet

なので、戦前の2,000総トンクラス以下でこういう船型の船舶は多いですね。 pic.twitter.com/BzniZ6KoLK

2020-03-22 14:41:29
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天翔 @Tensyofleet

さて、船を造るには法令の縛りがある。日本の場合、1896(明治29)年制定の「造船規定」がその一つである。 この規定の第二条には、「重甲板船」「軽甲板船」「覆甲板船」なる定義が登場する。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… pic.twitter.com/Vqw6IStZ7m

2020-03-22 16:57:26
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天翔 @Tensyofleet

造船規程は数回の改正を経て、1922(大正11)年の改正で、この定義が「重構船」「軽構船」「全通船楼船」「遮浪甲板船」の4つに変更される(第二条(削除)→第五条)。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… pic.twitter.com/i8oaH3qK8i

2020-03-22 17:04:44
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天翔 @Tensyofleet

造船規程はその後も改正が行われているが、最終的に、昭和の初め頃までこの分類に変更はない。

2020-03-22 17:19:41
天翔 @Tensyofleet

そして、他ではあまり使われることのないこの船体の構造を示す定義を言葉で示すとすれば、次のとおり。 重構船:船体上甲板までを船体とする堅牢な構造を持ち、重量物の運搬に適した船型 軽構船:上部船体(第二甲板以上)が重構船に比べてやや軽構造となっており、軽量貨物・旅客の運搬に適した船型

2020-03-22 18:12:26
天翔 @Tensyofleet

制定当初の定義と比較すると、重甲板船=重構船、軽甲板船=軽構船、覆甲板船=全通船楼船で、遮浪甲板船は全通船楼船の一種と言うことができるだろう。 twitter.com/Tensyofleet/st…

2020-03-22 18:29:08
天翔 @Tensyofleet

なお、結論から言うと、この「造船規程」はあまり使われなかったらしい。 twitter.com/Tensyofleet/st…

2020-03-29 21:32:53
天翔 @Tensyofleet

なぜかというと、船体の構造を規定するものとしては、すでに各国の船級協会(ロイド船級協会(LR),アメリカ船級協会(AB/ABS),ビューローベリタス(BV,フランス)など)が定める規則があり、保険の関係もあって、そちらによって設計・建造されることが普通だったようだ。

2020-03-29 21:37:35
天翔 @Tensyofleet

この船級協会のひとつ、帝国海事協会(NK,日本)の鋼船規則は、制定時の経緯からBritish Corporation Register of Shipping(BC,イギリス,1949年LRと合併)の規則に基づいて作成されていた。一方で造船規程はロイド船級協会の規則を元に作成されたものの、すでに内容が時代遅れのものとなっていた。

2020-03-29 21:51:44
天翔 @Tensyofleet

そこで1940(昭和15)年、旧来の「造船規程」に代わるものとして「鋼船構造規程」が制定された。 ここで明確に単語として登場するのは「遮浪甲板船」だけとなり、その他の船型の名称は消えている。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… pic.twitter.com/GEgBWml6yQ

2020-03-29 21:58:23
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天翔 @Tensyofleet

そして、帝国海事協会がこの「鋼船構造規程」に準じた「鋼船規則」の改正を行い、ようやく制度が整理されたのは1944(昭和19)年のことであった。

2020-03-29 22:02:43
天翔 @Tensyofleet

造船規程(逓信省)と鋼船規則(帝国海事協会)が並行運用されていたのは、1922(大正11)年からであるらしい。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… pic.twitter.com/UnNZ0vOR3Z

2020-03-29 22:08:44
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天翔 @Tensyofleet

1914(大正3)年8月15日、パナマ運河が開通した。通航料は規則により算定した「運河トン数」に基づいて徴収された。 写真はパナマ運河を通航する畿内丸級北陸(ほくろく)丸(大阪商船)。 history.navy.mil/content/histor… pic.twitter.com/LvuZD7VSZt

2020-04-11 12:29:10
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天翔 @Tensyofleet

船舶はあらかじめ各国において運河トン数の証書の交付を受けておき、これに基づいて通航料を支払った。日本ではこのような規定が1915(大正4)年に定められている。 dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid… pic.twitter.com/PrPZ5FeOD6

2020-04-11 12:35:10
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天翔 @Tensyofleet

制定当初のこの算定方法は、米国規則が絡む非常に面倒なものであったが、開通20年余を経た1938(昭和13)年3月1日付で改正された。新旧を対比すると、軍艦は従来通りであったが、商船には大きな変化があった。

2020-04-11 12:39:24
天翔 @Tensyofleet

一言で言うと、商船はその船型によって運河の通航料が増減し、遮浪甲板船は従来より増額となり、その他の船型では減額となった。 1931(昭和6)年に霧島丸(国際汽船)が竣工して以来、20隻以上が建造された遮浪甲板型の高速貨物船は、数を減じていくことになる。 history.navy.mil/content/histor… pic.twitter.com/Q0iIIrzrQL

2020-04-11 13:00:54
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天翔 @Tensyofleet

日本郵船のS級貨物船の一隻、佐渡丸とその図面。 pic.twitter.com/auA51wDuQd

2020-04-11 14:42:51
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天翔 @Tensyofleet

本船は、甲板3層を有する(青)遮浪甲板船(赤)であることが分かる。 pic.twitter.com/9H7grPoW1E

2020-04-11 14:55:47
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天翔 @Tensyofleet

佐渡丸と讃岐丸間違えて張っちゃいましたが誤差ですね(てへぺろ pic.twitter.com/GcHZIZ0aFB

2020-04-11 15:28:36
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天翔 @Tensyofleet

S級のうち少なくとも一部の船は、パナマ運河の通航料改定後に減トン開口を閉鎖し、総トン数が増大していることが分かっている。 。。。まあその、全通船楼船になる筈なんだけども、規程のあれこれがあったばかりだし、この船名録作られたの戦時中だしな。。。 pic.twitter.com/P9FOZkHdXi

2020-04-11 15:02:02
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天翔 @Tensyofleet

このパナマ運河の通航料改定により、太平洋戦争開戦直前の数年間で、それまで遮浪甲板船であった高速貨物船が減トン開口を閉鎖し、全通船楼船(覆甲板船)として再登録された結果、総トン数が増加した、ということである。 twitter.com/Tensyofleet/st…

2020-04-11 15:04:21
天翔 @Tensyofleet

続いて日本郵船のN級貨物船の一隻、能登丸とその図面。 history.navy.mil/content/histor… pic.twitter.com/F5RX2fdRsI

2020-04-11 15:06:00
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天翔 @Tensyofleet

本船は、甲板2層を有する(青)重構船(赤)。船型で言うと「三島型」に分類することができる。 従って、パナマ運河の通航料改定による構造変更は行われておらず、総トン数に大幅な変化は生じない。 pic.twitter.com/hCUbnR2ave

2020-04-11 15:13:27
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天翔 @Tensyofleet

こちらは大阪商船の畿内丸級貨物船の一隻、南海丸とその図面。 history.navy.mil/content/histor… pic.twitter.com/cGLXQyrKAN

2020-04-11 15:17:57
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天翔 @Tensyofleet

本船は、甲板3層を持つ全通船楼船(=覆甲板船)。 N級貨物船と同様に、総トン数に変化はない。 pic.twitter.com/8wnMkq9TkB

2020-04-11 15:24:31
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天翔 @Tensyofleet

外観からは一見同じように見えるニューヨークライナーでも、構造別に大きく分けて三島型船(重構船)、覆甲板船(全通船楼船)、遮浪甲板船の3種類が存在すること、パナマ運河通航料改定の関係で遮浪甲板船に総トン数の変動が生じたこと、

2020-04-11 15:34:05
天翔 @Tensyofleet

加えるに、通航料改定と前後して日本の造船にかかる規程が改定されていることが、戦前この時期に総トン数が増加している貨物船の話をややこしくしている原因かと思う。 おわり

2020-04-11 15:36:03
天翔 @Tensyofleet

大型高速貨物船で初の遮浪甲板船として建造された、1931(昭和6)年竣工の霧島丸(国際汽船)。パナマ運河通航料改正に加え、太平洋戦争でニューヨークライナー61隻中60隻(残存1,戦後浮揚修理1)を喪い、遮浪甲板船の歴史はここに終わりを告げ。。。た訳ではなかった。 history.navy.mil/content/histor… pic.twitter.com/OthB41N2cZ

2020-04-16 22:43:39
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天翔 @Tensyofleet

戦後、GHQにより造船が禁止され、後に解禁された後も要目に制限が設けられた。当初のそれは総トン数5,000トン以下、航海速力12ノット以下というものである。

2020-04-16 22:50:21
天翔 @Tensyofleet

戦後実施された計画造船では、「計画造船標準船形」が採用された。戦前の逓信省標準船を元にKB/KC/KD型、加えてKF型が第1次~4次まで建造されている。

2020-04-16 23:08:50
天翔 @Tensyofleet

第3次計画造船で1949(昭和24)年に竣工した、KB型5番船白馬山丸。本船は石炭焚蒸気タービン、総トン数制限内である4,839総トンの遮浪甲板船。 pic.twitter.com/4pS6veRPtn

2020-04-16 23:18:27
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天翔 @Tensyofleet

後に―制限が撤廃された平和条約締結後―青枠内の減トン開口を閉鎖して6,678総トンとなっており、規制内で最大の船を建造するために遮浪甲板船としたことが一目瞭然である。 写真は第2次計画造船で建造されたKB型。 pic.twitter.com/NlgJlgJvLG

2020-04-16 23:23:01
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天翔 @Tensyofleet

ちなみに、この方法で総トン数を最大に稼いだのは日新丸(捕鯨母船,16,777総トン)。竣工は平和条約締結後だが、それより前にGHQの建造許可を得たため「17,000総トンを超えないこと」との制限があり、減トン開口(「トンネーヂハッチ」,青枠)を設けている。 pic.twitter.com/Un8QZHdDA6

2020-04-16 23:38:26
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天翔 @Tensyofleet

日新丸の減トン開口による総トン数除外範囲は青枠内。結果、浮揚修理なった図南丸(旧第三図南丸)より長さ、幅、排水量のいずれも大きいのに、総トン数は2,500トン余り少ない数値になっている。 pic.twitter.com/0U2vVSkjNS

2020-04-16 23:49:00
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天翔 @Tensyofleet

遮浪甲板船は一体いつ頃まで存在したのだろうか。 twitter.com/Tensyofleet/st…

2020-04-30 00:00:57