舞鶴、天橋立の訪問記録。
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黒将軍 @ytinbk

ふと舞鶴に行こうと思い立ち、調べてみると本日艦これのオンリーイベント「砲雷撃戦よーい!!」開催とのこと。 意気込んで駆けつけてみるとまさかの雨。 テンションだだ下がり、某漫画家先生の同人誌総集編だけをひっつかんで早々に会場を後にしたのであった…無念… pic.twitter.com/A5RxcCbxrC

2019-07-14 23:04:52
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黒将軍 @ytinbk

代わりに金剛院に参拝。 「虎に食われた親王」こと真如法親王(高丘親王)により創建された寺だが、親王亡き後は衰退。 その後復興と衰退を繰り返し、現在の諸堂は江戸時代のもの。 pic.twitter.com/B5EQxwvtJn

2019-07-14 23:21:19
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黒将軍 @ytinbk

金剛院本堂。 江戸後期の建物だが、古刹の雰囲気がある。 軒下に東郷平八郎元帥の額があるが、東郷は舞鶴鎮守府長官時代にここを祈願所としていたという。    #京都の寺 pic.twitter.com/lL1vh0eYoQ

2019-07-14 23:31:43
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金剛院の宝物館には快慶の作である執金剛神、 深沙大将という変わった一対の仏像がある。 快慶は高野山にも同じ一対像を残しているが、その姿は不思議なほど違う。 その違いはどこから来るのだろうか。

2019-07-14 23:45:08
黒将軍 @ytinbk

東大寺三月堂像に奈良時代の有名な執金剛神像があるが、金剛寺の像は一見してその模作であることがわかる。 一方、高野山の像は武装像である両像とは全く異なる半裸の像であり、その姿勢も執金剛神というより蔵王権現やその原型である金剛童子に近いようだ。

2019-07-14 23:50:17
黒将軍 @ytinbk

深沙大将を比較してみると、両像とも特徴的な膝の象鼻で深沙大将とわかるので、ますます執金剛神の差異が際立ってくる。 高野山の像は本当に執金剛神なのだろうか。また、執金剛神と深沙大将を一対とするという構図は典拠のあるものだろうか。 疑問である。

2019-07-15 00:00:45
黒将軍 @ytinbk

雨でグダグダに終わった前回のリベンジマッチを果たしに再度舞鶴へ。 まずは田辺城。 関ケ原合戦の際細川幽斎が立て籠もった城として知られる。 立派な城門と櫓があるが、実はこれ、石垣ごと昭和、平成になって造られた模擬建造物で、往時は外堀であった。  #京都の城 pic.twitter.com/hbrPjgt87X

2019-08-26 20:51:51
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黒将軍 @ytinbk

庭園・心種園と古今伝授の碑。 幽斎はわずか500の兵で城に籠ったが、15000の寄せ手の中には彼の弟子が多くおり、積極的な攻勢に出られないまま籠城戦は50日に及んだ。 らちが明かないと考えた幽斎はある手に出る。 時の後陽成天皇の弟である八条宮智仁親王に「古今伝授」を行ったのだ。  #京都の城 pic.twitter.com/U3iPstQaWg

2019-08-26 21:03:24
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黒将軍 @ytinbk

当時古今和歌集の解釈は秘伝であり、幽斎はその伝承者の一人であった。 このような時にそれを八条宮に伝授したという事は、即ち自分はもう死ぬぞ、というメッセージであった。 当代一の文化人である幽斎が失われてしまう。焦った八条宮は兄である天皇にある依頼を行った。

2019-08-26 21:09:37
黒将軍 @ytinbk

それは、勅命をもって幽斎に田辺城を開城してもらう事であった。 こうすれば、武士の面目を保ったまま幽斎の命を救うことができる。 かくして、三條西実条、中院通勝、烏丸光広の三名が勅使として派遣され、幽斎は開城に応じたのであった。

2019-08-26 21:14:26
黒将軍 @ytinbk

これが幽斎の筋書き通りだったか、それとも本気で玉砕する気だったのかは定かでないが、この結果幽斎の名が高まったのは言うまでもない。 ちなみに、この開城の際、使者の一人である烏丸光広にも古今伝授を行い、その証として一振りの太刀を贈った。 古今伝授行平というのがそれである。

2019-08-26 21:21:32
黒将軍 @ytinbk

以前その話を古筆収集趣味の叔父にしたところ、中院通勝の短冊を見せてくれた。 その時には使者の名まで出していなかったのに、話を聞いてすぐさまこういう関連物を出せるとは、流石叔父よと尊敬したものである。

2019-08-26 21:25:20
黒将軍 @ytinbk

田辺城を後にし、次いで訪れたのは五老スカイタワー。 西舞鶴と東舞鶴を仕切る山の上にあり、素晴らしい景色が見渡せる。 先日訪れた際には濃い霧に包まれ、世紀末ダンジョンの様相を見せていたが、ここにリベンジマッチを果たしたのであった。 pic.twitter.com/OSZtCbQqbP

2019-08-26 21:31:34
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黒将軍 @ytinbk

海上自衛隊舞鶴基地。 土日は開放され、護衛艦が見学できたようだが、今回はスケジュールの関係でスルー。 先日訪れた赤レンガパークは山陰にあって見えなかった。 この距離で情報照会せずに艦名当てれた人はすごい。 pic.twitter.com/hwgzDNXyHk

2019-08-26 21:35:54
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白い橋、クレインブリッジのたもとあたりに引揚桟橋がある。 「岸壁の母」の舞台であり、引揚記念館がある。 pic.twitter.com/tQnuSdCUsE

2019-08-26 21:39:00
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黒将軍 @ytinbk

謎の構造物。 火薬庫らしい。 何かあったらドカンである。 pic.twitter.com/y94M8maR0V

2019-08-26 21:42:25
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形のいい山は舞鶴富士と称される建部山。 戦国時代、室町幕府四職・一色氏の居城、建部山城があった。 近代には舞鶴要塞を防衛する砲台が置かれており、遺構があるらしいがスルー。  #京都の城 pic.twitter.com/YKGGXiNpB7

2019-08-26 21:49:30
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奥の山は青葉山。 京都福井県境にあり、修験道の霊場であった。 山頂に青葉神社があり、重巡青葉の艦内神社だったらしいが、情報によると険しい登山道を上った先に小祠があるだけらしいのでこれもスルー。 旅人は時間調整が厳しいのである。    #京都の神社 pic.twitter.com/kfxsu4drLa

2019-08-26 21:54:32
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黒将軍 @ytinbk

と言いつつ、次に訪れたのは青葉山中腹にある松尾寺。 西国三十三箇所霊場の一つで、馬頭観音を本尊とする。 境内参詣自由だが、駐車料金はいただきますというのがちょいユニーク。  #京都の寺 pic.twitter.com/9EVpLfOG7C

2019-08-26 22:05:11
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黒将軍 @ytinbk

松尾寺本堂。無指定。 300年経ったので修理の勧進をお願いしますと看板にあったので江戸時代か。 内陣と外陣に分かれた中世風密教仏堂だが、格子が大きいので内陣がよく見える。 正面の馬頭観音像は御前立で、本尊は秘仏。    #京都の寺 pic.twitter.com/iusCLe1tlc

2019-08-26 22:13:20
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松尾寺隣にあった神社。 額が欠失しており、案内板もなく、社名がわからなかった。 青葉山麓には山頂にある青葉神社の里宮が複数あるようなので、これもその一つだろうか。 本殿しかない構成だが、山を御神体とした拝殿かもしれない。  #京都の神社 pic.twitter.com/NfOssZEUAZ

2019-08-26 22:20:53
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今日は天橋立を探訪。 天橋立は言わずと知れた日本三景の一。 遠くから眺めてよし、歩いてよしの流石に素晴らしい場所であった。 pic.twitter.com/eiHYVMo78I

2015-10-17 22:35:27
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天橋立を見下ろすようにあるのは西国三十三箇所霊場のひとつ、成相寺。 中世に山崩れにあったため古い建物はないが、本堂には幾つかの平安仏が祀られ、歴史の古さを感じさせる。 pic.twitter.com/EnKpwXGufm

2015-10-17 22:46:46
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成相寺の対岸、天橋立の根元にあるのは知恩寺文殊堂。 向こうが西国三十三箇所ならこちらは日本三大文殊である。 pic.twitter.com/qo7em51TK4

2015-10-17 22:51:48
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天橋立には細川忠興に仕えた砲術家稲富一夢の墓、大坂の陣の勇士薄田隼人が正体とされる剣豪岩見重太郎の切りつけ石、日露戦争を戦った装甲巡洋艦春日の砲塔、スキャンダラスな女流歌人和泉式部も歌に詠んだ磯清水など、著名人の遺跡が点在する。 pic.twitter.com/fHt2hmOQVJ

2015-10-17 23:56:10
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まとめたひと
黒将軍 @ytinbk

黒将軍だ。 歴史探訪とSDガンダムに情熱を注ぐ者だ。 作成品、探訪記録をmin.t ↓ にまとめました。 (モーメント廃止に伴い移行。)