
あ、やばい、と一瞬閃けただけですごいと思う。 伊之助の手にも白い包帯が巻かれていた。雷光が俺の目玉をつぶす前に、火花と俺の目の間へと差し込まれた手だ。
2021-09-27 18:32:33
伊之助はチッと舌打ちした。 「お前が今度こそ「そう」しでかさなきゃ、その目玉片方抉っていた」 「ああ、ぜひともそうしてくれ」 苦笑にしては甘い笑みが出た。己にしては、判断が間に合って何よりだったと息をつく。
2021-09-27 18:32:36
全身をバチバチと切り裂かれる痛みがあっても、その体を押さえつけ離すことはできなかった。 肉の焼けるにおいがする。俺の肌は切り裂かれても焼かれていない。持ち主であるはずの彼の肌をこそ雷光が焼く。 白く残った羽の根元が、半ばほど黒い炭となるのが見えた。
2021-09-27 18:39:14
なあ、たんじろう。お前は運がなかったよな。 こんな日に限ってついてない。俺、お前のかわいいあの子じゃないよ。 「行くのか」 いつの間にか伊之助は目を覚ましていたようだった。覚醒してやや時間がたっているのだろう。その済んだ目玉は爛々と輝いて見えた。
2021-09-27 19:05:10
「…ああ、呼ばれてる気がするし俺は行くわ。息災でな、伊之助。できれば嫁さんと一緒に人間らしく墓に入れよ」 「…ねず公がどうしてって泣くだろうな」 「…さあ、どうだろ。明日は晴れるよなあ、伊之助。なんせお日様の大事な日取りだ、山頂で見たい。俺は高いところが結構な、好きなんだぜ」
2021-09-27 19:05:10
「うるせえ、行くならたんじろうが目ぇ覚ます前にさっさと行け」 「大丈夫だろ。朝まで起きんよ。いつだってそうだ」 「達者でな」 「ふは、おうおう達者で。長生きしろよ、伊之助」 その日、夜中に一条だけ雷が山頂に落ちたという。 俺はその音を知らないけど。 たんじろうの婚姻前夜のことだった。
2021-09-27 19:05:10
父親は最後まで現れなかったと聞いている。おそらく母は、誰かの『ペット』だったのだろう。 羽を半ばむしり取られる絶叫こそが、我妻善逸の産声であった。
2021-09-27 19:25:55
「伊之助助けて今すぐ逃げたい」 「駄目だ、何のために俺様が隣にいると思ってやがる」 「こわいこわいこわいわいこわい」 ほとほと呆れたという音がしたけど、伊之助はそれきり黙って俺の手をぎゅうっと握ったままでいてくれた。励ますような強さの加減をいつ身に着けたのか知りたいような。
2021-09-27 20:14:16
「羽を奪われるということは、肺を奪われることに似ています。息すらできなくなるのですよ」 特にオメガ(下位者)は、そうなのだ。体がアルファほどには頑健でない。そのせいで即座に死ぬものも少なくはない。 だが、羽を奪われるのはほとんどがオメガだ。下位の者であるからだ。
2021-09-28 16:37:43
イケメンは嫌いだ。女の子にモテて当然って顔をしてやがる。それがどれだけ得難いことだか知らないのだ。己の顔面に胡坐をかいた挙句、増長して、他人を食い物にしようとひどい音を立てる男をよく見てきた。しかし鉄拳制裁をすると女の子の方が俺に対してひどいひどい音を立てる。
2021-09-29 04:16:54
なぜだ。俺は君たちの騎士になりたい。 イケメンが好きだ。俺にわざわざかかわってくるような人間はたいてい顔がよかった。そして性格はともかく、性質もよかった。音がよかった。 そう、今俺の隣にいる伊之助のような男はその典型だろうな。
2021-09-29 04:16:54
自ら猿轡するって何の趣味だって話だよな。 仕方ない、仕方ないんだよ。男の時折甲高くなる喘ぎ声は普通に気持ち悪いよ。俺が。 目の前の男の耳も意識しないままに穢すだろう。うん。しょうがないんだ。
2021-09-29 06:15:30
ならば俺は何だろう。俺はあいつらほど高尚な存在ではない。なんでこんなことになった。 そう思って――なんとなく、納得するだけの理由はあった。雷は、たいていの場合雨とともにやってくる。太陽を厚い黒雲で隠してやれる。雪いでやれる。 なるほど、お日様は、禊と休息をお望みなのだ。
2021-09-29 07:16:32
覆いかぶさるようにして倒れこんでくる男が重い。 荒い呼吸がゆっくりと寝息のそれに近づいていって、男の――もう少年ではないのだ――体から、すうっと何かが抜け出ていくのがわかった。 ――ああ、ヒノカミ様が行っちまったな。もうおそらくは会うことはない。
2021-09-29 07:20:13
じゃあ、じゃあ、俺がもっと立派になったらお前は俺を見てくれるか。 逸って言いつのったその言い分に、金色のかみさまは憐れむように笑って言った。くしゃりと髪が優しくつかむようにかき混ぜられる。 ――それは、ちょっと難しいなあ。 俺は、次は美しい羽根の畜生になるのだと、雷神は言ったよ。
2021-09-29 07:33:12
伊之助は、呆れたようにフゥー、と大きく鼻息を吐いた。 それから、わだかまったようにフン、とする。 「テメェも穴抜けだな」 「ん?俺なんか忘れてる?」 「記憶じゃねえよ。心の臓だ」
2021-09-29 07:47:51
いつうなじ噛まれたっつうんだよ。うなじがりがりされてたのは前世のあれくれえだよ。人間相手には死ぬまで結局まっさらで貫きとおしてしまった俺です!
2021-09-29 08:08:15
抱かれた支障は下半身に来る。いや俺の呼吸的には致命的だよありがとうございます。これに気付いてから俺は女の子にそれほど縋りつけなくなった。だって攻め手でも腰使うんだよ。体幹に響くほどには、――いや、俺そこまで絶倫じゃねえし、ぶれねえくらいには鍛えてはいるはず――え?はず。
2021-09-29 08:12:38
「ええ…狼…?」 また苛烈な種に生まれたもんだな。つがいに一途で群れを大事にして――他種、特に人間には決して懐かない。 いやむしろ似合いなのかしらん?と思ってみるが、やはり俺の中の何かが「もっと平和な生き方あるだろ!」と叫んでいる。大型犬(愛玩番犬タイプ)くらいが平和じゃねえの?
2021-09-29 08:17:17
竈門君は割としつこい。いやたんじろうはめちゃくちゃしつこかったな。知ってた。 「そんな悲しい顔をするなよお…狼のアルファにいきなり求婚された俺の気持ちを考えろ…普通に怖えわ…」 狼は一途と聞いている。ほんと、ほんとに、生涯をかける。苛烈なほどに。縄張り意識がめちゃくちゃに高いのだ。
2021-09-29 08:49:13
さみしいよりは、悲しいがいい。 悔しいよりは、体の力がすべて抜けきるほどの安堵がいい。 俺の知ってるあいつらだったら、きっとそうすると思った。 俺のように手前勝手な我が混じらない、やさしさの手本のような奴らだった。 でも、でも、俺はまだまだ子供の範疇だったので。
2021-09-29 08:49:13
ええ、とその常識を知った幼子の俺は戦慄いた。 オメガはともかく、アルファが『ペット』と呼ばれていたことがあったなんて、嘘だと言ってほしい。あいつらどっからどう見ても上位種だぞ。 でも、それゆえに、それでも差別はあるのだろう。キメツ学園はアルファとオメガ、獣人たちの憩い場だ。
2021-09-29 09:14:34
誰も同意できる者はいなかった。母は産褥で死んだという。 それでも、産声を上げぬ死産だったと思われた俺だ。 医者たちは決断した。 赤ん坊の麻酔管理は、難しい。そして、急がねば幼子は危急に死んだ。 繰り返すが、死産だと思われた俺だ。 ――「死産になる」、と思われた俺だ。
2021-09-29 10:00:59
羽は、ドナー側が欠片でも生きていなければ途端に死に絶え機能しなくなりつながらなくなる。 後は、まあ、その痛みを俺が覚えてるのがびっくりだわな。
2021-09-29 10:01:00
「せんせ、――爺ちゃん!飛べた!ちょっと飛べました!」 「がんばったのお、かいがく」 お前はわしの誇りじゃよ。 あの二人は、今生では本当に血がつながっているんだよ、とお館様は言った。 俺は、何かがごとりと落ちたような、重荷を下ろしたような、不思議な心地になっていた。
2021-09-29 10:30:25
ドナーとレシピエントは、一緒にはいられない。 お互いの人生を知ることはできない。 それだけは、幼い己でも聞きかじって、耳に胼胝ができるほどには言い聞かせられた事実だった。
2021-09-29 10:30:25
似合う色だなあ、かいがく。カラスの濡れ羽色って言うのか? 他人の羽を体になじませるのはどれだけの苦しみが必要だったろう。そうして飛ぶには努力と忍耐があったろう。 俺の羽は白かったと聞いた。お前にきちんと馴染んだようで、よかった。
2021-09-29 10:30:26
他の獣人にはできない。耳と尻尾をくっつけたところで、何も起こらない。俺が昔、ねずこに何も与えてやれはしなかったように。 羽をもつ鳥人だけがそれをできる。犠牲的なまでに他者を生かす。 相手がキメラになってでも、と遠くどこかを見るようにして、しのぶさんが言った。
2021-09-29 11:06:35
「天翔けるものは結局は空に生きるものです。地を駆ける私たちとは、違う何かがあるのでしょうね」 肺を失う、それに似るとは、なるほど、そうであるのかもしれない。
2021-09-29 11:06:35
力の強い鳥人は、あとから再び失った己の翼を生やすことがあるという。 だがそれをできるのは、ほとんどすべてが上位者であるアルファの事例で。 下位者であるオメガはそれをできないはずだった。 オメガでありながら翼を生やした善逸は、つまりはそれだけの力と奇跡を秘めているのだ。
2021-09-29 11:06:36
だが、それがぱちぱちとはじける雷光でできた、いびつな羽の骨格の形をしているのだけは、誰も理由がわからない。まるで夢か幻かのような、それでいて触れれば誰をも傷つける羽だ。 善逸の性質にそぐわない。判断が早く、覚悟とともに潔く斬り捨てることができても、優しい性だ。
2021-09-29 11:06:36