面的・同心円的な地域観と点的・飛び地的な地域観
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永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

親が転勤族だったりで引越しを何度もしている人の「出身地」意識を聞いていると、愛着のある場所があちこちに散らばった「飛び地」的なアイデンティティがあることを感じさせられる。飛び地というとイレギュラーなあり方に聞こえるが、むしろそちらのほうが普通なんじゃないかと思う。[以下ツリー] pic.twitter.com/lv3gsc2Q2Y

2022-12-27 04:56:06
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永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

ずっと同じ場所に住んでいる人でも、より狭いスケールで見れば、自宅や学校、職場、行きつけの店などがあちこちに散在する飛び地的なメンタルマップを持っているはず。出身地だからといって、その領域全体に均等にアイデンティティを持つ人はいないだろう。 pic.twitter.com/KQAZSG3j90

2022-12-27 04:56:07
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永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

地域アイデンティティというと、つい同心円的な広がりをイメージしてしまう。住む場所を中心に、近隣(学区など)、市区町村、都道府県、国家とスケールが広がっていくようなあり方。これは、全領域が相互排他的に覆われるような近代的な行政区画を前提としている。 pic.twitter.com/ymuChkZ9jJ

2022-12-27 04:56:07
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しかし、前近代の政治境界を見ると、同心円的なあり方が必ずしも自然ではないことに気付く。近世日本の藩領は飛び地ばかりだし、一つの村に複数の領主が存在する相給村落も多い。中世の荘園になるともっとややこしい。 twitter.com/yaoyue00085856…

2022-12-27 05:05:42
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

「村」という言葉は、現在では集落と農地を含んだ空間的領域を示すが、第一義的には「人間の集団」を指す。社会集団としての「村」が管理する土地が空間としての「村」になったのであり、特定の空間内に住んでいることによって村人が定義されたわけではない(以下の本参照)。 twitter.com/Naga_Kyoto/sta…

2022-12-27 05:09:43
永太郎(ながたろう)@『色分け日本地図』発売中! @Naga_Kyoto

近世の自給的な「自然村」から近代の形式的な「行政村」へ、という理解に疑義を挟む一冊。タイトルには「近代史」とあるが、前半は太閤検地を契機とした近世村落の成立がメインテーマとなっている。面白かった。 荒木田岳『村の日本近代史』ちくま新書、2020年 pic.twitter.com/V2Z4hwrqh3

2021-05-12 21:29:00
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

日本においては、明治初期の郡県改革と地租改正、そして市制町村制という段階をへて、「人を通じた土地の捕捉」から「土地を通じた人の捕捉」への転換が行われた。明治期の京都における町組改正も同じ思想に基づくものと言える。 twitter.com/Naga_Kyoto/sta…

2022-12-27 05:16:42
永太郎(ながたろう)@『色分け日本地図』発売中! @Naga_Kyoto

京都の「学区」は明治の初めに近世の「町組」が改正されてできた「番組」が起源だけれど、近世の町組を見ると激しく入り乱れていて、この再編にはずいぶんと苦労しただろうなと感じられる 都市史16 町組 www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/f… pic.twitter.com/n5wlCIGPXr

2021-01-25 20:22:59
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

領域性を論じた地理学者ロバート・D・サックによる説明を引用してみよう。アメリカ先住民のチペワは、血縁集団として共同生活をし、非排他的なかたちで土地の利用を行っていた。チペワの領域は明確な境界を持っておらず、数年たてば別の場所に移るような曖昧なものだった。 twitter.com/Naga_Kyoto/sta…

2022-12-27 05:20:18
永太郎(ながたろう)@『色分け日本地図』発売中! @Naga_Kyoto

ロバート・D・サック(山崎孝史 監訳) 『人間の領域性―空間を管理する戦略の理論と歴史』明石書店, 2022(原著1986) 今年やっと翻訳が出た人文地理学の古典。個人的にはとても楽しみにしていた本。政治地理学の文脈で紹介されることが多いが、都市空間を考える上でも示唆に富む理論が示されている。 pic.twitter.com/7uTkKOA5f3

2022-03-02 14:01:41
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

これに対して、現代アメリカの政治領域は直線的な境界で区切られ、州や郡、タウンシップの構成員は、「その境界内に居住しているかどうか」によって定義される。この変化を、サックは「領域の社会的定義」と「社会関係の領域的定義」という対照的な言葉で巧みに整理している。

2022-12-27 05:21:03
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

ここまで述べたのは政治領域の変化だけれども、「飛び地」と「同心円」という二つのあり方は個人のアイデンティティにも当てはまるはず。人は絶えず移動するし、その移動はひとまとまりの領域内に留まるものではない。飛び地的なアイデンティティをもっと肯定的に捉えてもよいのではと思う。

2022-12-27 05:29:08
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

以前、地理的な見方を一言で表すなら、「どこにあるか」よりも「どこからきたのか」のほうが移動性を捉えることができるというツイートをした。人の地域アイデンティティについても、同じことが言える。 twitter.com/Naga_Kyoto/sta…

2022-12-27 05:33:37
永太郎(ながたろう)@『色分け日本地図』発売中! @Naga_Kyoto

どうにか簡潔性を保ったまま、こうした移動性を捉えることはできないか。「どこに“ある”か」ではなく「どこから“きた”のか」、つまり存在ではなく動きに力点を置いたフレーズはどうだろうか。私たちが食べる物にしても乗る車にしても、どこで生産されて運ばれ、私たちの下までやってくるものである。

2022-02-17 09:09:01
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

もっと言えば、「どこに住んでいるか」や「どこからきたか」よりも、「どう動いているか」で考えたほうがよいのかもしれない。住む場所と同じくらい、移動経路も人のアイデンティティと結びついていると思う。通学や通勤、買い物、帰省、旅行といった「動き方」で自己紹介をするのもおもしろそう。

2022-12-27 05:38:39
永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

地理学の枠組みを説明するときに持ち出される地理行列。そこで想定される「地域」は、暗に同心円的地域観を前提としてはいないか。飛び地的地域観で地誌を書いたならばどうだろう。離れた場所の結びつきを、地域間の関係としてではなく、一つの同じ地域を構成するものとして考えてみる。 pic.twitter.com/vrVvdZKaiE

2022-12-27 05:49:49
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永太郎(ながたろう)/重永瞬 @Naga_Kyoto

まあこのあたりは関係論的地理学まわりの議論の受け売りですが… twitter.com/Naga_Kyoto/sta…

2022-12-27 05:53:24
永太郎(ながたろう)@『色分け日本地図』発売中! @Naga_Kyoto

「地図を描くときというのは必ず二次元に収めなくてはならないわけですし、いちばん大きいのは何か土地を描くときに線を描いて、かならずその線を閉じないといけないじゃないですか。(略)これ自体が空間のあり方としてはすごく排他的にならざるを得ない。」 pic.twitter.com/TlUh5G98f4

2021-05-10 16:19:56