「司馬遼太郎の奇兵隊評価」 外国船砲撃後、反撃と受けた長州藩は急遽謹慎中の晋作坊ちゃんを呼び出した。坊ちゃんは「願わくば馬関のことは臣に任ぜよ。臣に一策あり、請う、有志の士を募り、一隊を創立し、名付けて、奇兵隊といわん」と提案し、奇兵隊創立が決まる。
2022-01-07 17:59:15奇兵隊の初代総督(開闢総督)はもちろん晋作坊ちゃんである。募集した隊士の身分は、士分5割、農民4割、その他1割で、よく日本史上初の身分を超えた部隊と言われる。司馬先生は「晋作が創って長州の運命を旋回させた奇兵隊」と言う。
2022-01-07 18:03:36『世に棲む日々』では「封建時代ではこういう軍隊を成立させること自体が革命的であった」と述べる。さらに「奇兵隊の創設から、明治維新は出発すると言って良い」とも。晋作坊ちゃんが主人公であるから、少し褒めすぎとも思えるが、読み手からすれば、気持ちを高揚させる。
2022-01-07 18:07:12だが、ご存じのとおり奇兵隊は身分平等の組織ではなかった。晋作坊ちゃんは「藩士・陪臣・経卒を選ばず同様に相交わり」と、あくまで武士階級の仲間に入れてあげるものと考えていた節がある。さらに言えば、農民が奇兵隊に入っても、士分になれるわけではない。
2022-01-07 18:10:42後の奇兵隊総督赤禰武人が奇兵隊所属の士分以外の者を士分に認めさせる意見を提出し、かなりの批判にさらされた(私は、赤禰の悲劇の根本と考える)。刀や銃は持つことは出来るが、苗字も公認されない。また、服装(名札)で士分とは明確に差別される。
2022-01-07 18:14:09また、「身分を問わず」との触れ込みながら、いわゆるえたひみんは募集の対象にはしていない。太田市之進・山県狂介への手紙で「暫くえひ(Twitterのポリシーに触れる可能性があるため漢字は避けます)の者を除く」と書いている。司馬先生は、そういう晋作坊ちゃんのマイナスイメージを省いている。
2022-01-07 18:19:48ただ、これは司馬先生だけではなく、多くの史家の著書でも、省略されたり、機兆と解読した文章を載せている。長州藩と出身の偉人にとって、晋作坊ちゃんは回天義挙の象徴であり、一片のマイナスイメージを許さないという雰囲気が明治・大正期にはあったのであろう。 (完)
2022-01-07 18:23:54